あれから一年
1年前の僕は、1年後の僕のことを考えられなかっただろう。それだけ状況が一変した。
あの頃の僕はすごく順調だろうと感じていた。逆に言えば僕の身の回りで起こっていることは、何も知らなかったとも言える。
でも”何か”を知っていたら、その何かを変えられたのだろうか? と考えれば、もはやそんなことはどうでも良いのかもしれない。
もしかしたら、いずれ分かることが前倒しで来ただけかも知れない。コロナさえなければ何もなく推移していたかも知れない。でもコロナは来たわけだし、僕はいまこの状況を受け入れてないわけではない。
先週公開した記事のなか、伏谷さんの言葉を借りれば、たしかにちょっと未来にやってきたかも知れないな、と思う。
何だかんだ笑っちゃうぐらい、いろんなことが起きては引いてを繰り返すなかで、たぶんノホホンと過ごす人なんかよりは、精神的なタフさを周りより身につけたと思う。
そして、そんな土壇場に強い自分のことを、僕自身が信用している。そこは確かなことなのかな、と思う。
心に余裕がないといけない
人は余裕がなくなると他人の気持ちはどうでも良くなるんだ、ということは去年痛いほど感じた。それは僕自身もそうであるし、僕じゃないところでもそうなんだろうな。ということははっきりと感じた。
常に平常心でいるためには、心に余裕がないといけない。そもそも実はここ数年は平常心なんだけど、もしかしたら社会人になったほとんどの場面で、僕は平常心ではないことが多かったんじゃないかと思うことが多い。
僕にとって社会人経験は、まず全くしたことのない一人暮らしから始まり、いろんな大人がいることも知った。性善説だけでは生きていけないことも知った。そんな性善説に漬け込んでくる大人はたくさんいた。
いろんなことがあったから、3月は乗り切れたんだと思う。あの件に関しては、たぶん自分はしつこい性格なので、死ぬまで忘れないと思うけど、それが今の自分の動力源に変わっている部分もあるので、どんどん燃料として燃やしていこうと思う。
自分に何かあるかと言えば反骨心なのかもしれない。常にどこかで見返したい想いがあるのかもしれない。
いつの間にかアラフォーに
いつのまにかアラフォーになっていて、何かこれだ!と思えるものをまだ何も残せず、ここまで来てしまっていると思う中で、今では反骨心でメディアまで始めている。
物事はそんなに単純なものではなく、楽しいからメディアをやっているわけではなく、「まえとあと」はやる意義があると信じているからやっている。まだまだどうなるかわからないほど不安定な土台の上で、このメディアは何とか成り立っている。
中途半端に何かを強制終了されることは、こんなにも虚しく悔しいものなのか。ということは嫌というほど感じた。だから「まえとあと」は垂直立ち上げしたんだけれど。
あの3月から5月のあいだにいろいろ渦巻いた感情のことは今も覚えているし、忘れることはないと思う。
でも嬉しいのは、あのとき本当に手を差し伸べてくれた人とは、今もいろんなことをやり取りをしているし、それは形になっていることもあるし、本当にありがたい。今の自分の礎みたいなものだと言える。
どんどん1年が早くなっていることを感じると同時に、唐突にフリーランスになったものの、何とか一年生きることが出来たことも大きい。
僕自身のまえとあと
だから「まえとあと」に込めている意味って、僕自身の「まえとあと」でもあるわけです。がっつり自己投影というわけではないけど、常に歩みを止めないメディアみたいなものだと、個人的には思っています。
実はそもそも一年も経たないうちに「十中八九」が終わるとも思っていなかったので、あのメディアでやりたかったことは半分も出来ていない。だからこそやりたかったこと、会いたかった人、インタビューしたい人、それらは出来るだけ「まえとあと」で実現するつもりでいる。
そして取材して記事にするだけが全てではない。
やっぱり何かしら新しい可能性を見つけたい。僕自身がこれまでやってきたことで、多少自信があるものがあるとしたら、それは僕自身が「これは!」と思った人たちをつなげること。そこから発展したことも多い。それはずっと続けていきたい。
そのためにも僕自身が何か発信する手段としてSNS以外にメディアを持っている意味はあるんだと思う。ほんとにこじんまりとしたPVしかまだ出せず、まだまだいろんな人に知られていないのは、僕自身の至らなさでしかない。がしかし、本当に心意気を感じてくれている人たちが周りにいることが、自分を前進させるためのエンジンだ。
思えばシェイク!も中途半端に終ってしまった。
もともと自分から発案したものではないものを、虚しさと悔しさから別の形で続けようとするのは、極論変な話かも知れないけど、でも出来るんであれば続けたい想いがあり、今に至っている。
少しずつ泳げるようになってきた?
ずーっと溺れながら泳いでいる僕をいろんな人がビート板を投げてくれたり、綱を投げてくれたりしながら、何とか息継ぎをして少しずつ前進している。
まず自分が出来ることは、そこから新たなつながりを作ったり、新たなことを始めたり、台本無しで「えっ」という組み合わせを作り、そこから面白いことを始めるきっかけを作ることは出来るので、出来るところからやっていく。動きながら考えて微調整をしていく。それはツブヤ大学からずっと変わらないことであり、これからも続けていくんだろうと思う。
僕にとっての財産は周りの皆さんとの縁しかない。父のように手に職を持っていたわけでもない。この巡ってきた一年、激動のきっかけになった3月がふたたびやってきたので、ちょっと想ったことを綴った。
ずっとずっと編集とは何か、記事とは何かを模索している。その中でインタビューに応じてくれた皆さんと、いつも記事を見てくれている人たちに感謝しています。
Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi