本来やりたかったことって何だっけ?
松本
会社を辞めて、現場にもう1回立ち返ったり、初心にかえってコピーを書いたり、コンテを描くことはしょっちゅうやります。そういう意味でも、コピーを書いたりコンテを描くことを大変と思うかどうかは人それぞれだけど、我を見失わない感じはありますよね。
会社にいると、役職が上がっていくと手を動かすことが減りますもんね。
松本
そうそう。正直、怠けてまして(笑)。
人を動かすことは増えますけどね。
松本
人を動かすことが楽だからって人もいれば、本当は現場をやりたいんだけど管理職でマネージメントをすることになると、似合わない勤務管理をやらなきゃいけなくなる。どっちも不幸だよね。
平林
野球でたとえると、本来みんな野球の道に入ってバッターなりピッチャーなりいろいろやってたのが、偉くなってくると監督になったりコーチになったり、または全然違う方向に行く。でも体が動くんだったらバットを持ちたいだろうなって思うんです。
その典型がイチローさんですよね。
松本
イチローね。
平林
いまイチローは何をしているの?
イチローさんはマリナーズで会長付特別補佐兼インストラクターをしていて、若い選手を教えたりもしてますね。高校野球の指導資格も回復したんで、智弁和歌山の野球部を教えたり。
松本
高校球児は生でイチローに教えてもらうことは本当にありがたいよね。
平林
イチローって草野球チームでも何かやってない?
ピッチャーやったりしてますね。野球がやりたいんでしょうね。
松本
イチローは指導の仕方で言葉に精度と重みがある。最近Youtubeで高木豊がチャンネルを持っていたり、藤川球児の解説が上手かったり。Youtubeみたいな表現の場が出来ているから、ちゃんと理路整然と説明出来る人、たとえばNHKの「球辞苑」という番組が面白くてよく見ているけど、説明力がある人がスポーツ選手で増えている気がしますね。
企みと自分の裏テーマ
松本
Youtubeコンテンツで「First take」が流行っているじゃないですか。今年のTCCでも「First take」って言葉が賞を獲ってます。「First take」ってマイクの前で歌うだけじゃないですか。ただそれはドキュメンタリーのように、嘘がない行為として切り取り、「First take」と名付けて、世の中にYoutubeを通して出すことが、ある意味いま届いている。そういうことでもいいんだなって。
「First take」でも唄っているYOASOBIが、英語版の「夜に駆ける」を発表し話題になった。英語の歌詞が日本語の歌詞に聴こえる箇所がいくつも存在していて、その裏テーマのような企みがよりその話題性を広めるエンジンになった。
松本
自分はこれまで主にグラフィックやCMを企画する人間で来たけど、楽曲だけ書いてほしいと言われる仕事もたまにあります。以前、沖縄のTOYOTA(トヨタカローラ沖縄)に30秒のCM楽曲を書いてほしいと言われたことがありました。沖縄には琉球音階といって、ドレミファソラシドでいうと、レとラの2音がないんですね。その2音が足りないとどこかちょっと切なく惹きつけられるんです。そこで琉球音階とまた違う「2音足りない」五つの音だけで30秒の曲を書いてみました。https://youtu.be/fSZmCuYATyc
これまでこのコンセプトは誰にも言ってないんだけど、たまに「この曲良いね」と言われて、沖縄の人って「2音足りない」音階に親和性があるから良いと言ってくれるのかなと思ったり。たぶん写真でも他でもそうだと思うんですけどね。
意図をすべて言っちゃうと写真にする意味はないけど、何か自分の裏テーマは別にあるみたいな。表明すると「ちょっと面白いね」って人が反応するところは、実はそこだったりしますよね。
YOASOBIがやってることが、英語で歌ってるけど日本語に聴こえる言葉の意味が、それぞれどういう意味があるのかは全部聴いてみないとわからない。それがただのゲームで終わっているか、それもまたひとつ表現になっていたら「いいね!」となるんだけど、意図まであるのかでいうと、結局そこだと思うんですよね。
だから企みとしてはいいと思うんだけど、今どきの感じで言うと広告でもアテンションエコノミー、つまりネットでもよくあることだけど、その人の注意を引くことで終わっているケースが多い気がしています。
何か注意引いて終わりでなくて、デジタルの施策も短命なものが多くて、すぐ消費されてしまいます。すぐ消費されることはつまんないと思う人間なんで、短い消費を追いかけても毎回珍しいものをずっと表層を突っ走るだけで終わる感じで興味ないんですけどね。
最近ファスト映画も言われてますよね。
松本
ファスト映画もいま取り締まりが強くなってるよね。ファスト映画だとストーリーに抜け落ちているところがあるし、あれで理解したつもりになってる人がたくさんいる。ストーリーを手っ取り早く知りたいって体験は、血肉にならないだろうなと、どうしても思うんですよね。
瞬間芸に囚われていないか
平林
いろんな仕事をやっていて、写真を撮ったり言葉やいろんなものに触れたりしていく中で、自然と自分が進んでいく方向ってあるじゃないですか。レベルアップみたく分かってきたとか、ずっとそれを続けていたら自然とその方向に進むようになってくるんだけど、でもその動きと世の中の動きが逆だなってすごい感じるときがあって。
いまの話で表面的なものがどんどん消費されていくじゃないですか。でも表面的なもので満足しないから、じゃあもっと深くにあるものは何なのかなとか、そっちに自分の気持ちはいくんだけど、深くどんどん長い時間をかけて深く深く考えていく一方で、世の中的にはもう瞬間芸みたいなものがどんどん出てくる。人の気持ちはその瞬間芸みたいなものに囚われるじゃないですか。そうするとすごい悶々とするものがあるんですよね。
たぶん今って情報量がめっちゃ多すぎて、情報にばっかり気を取られている人が多いと思うんですよ。たぶん僕らって情報量の多さには階段的な増加で慣らされてきているんですけど、若い人たちってもうすでに生まれたときから情報量が多いので、瞬間芸にとらわれる原因だと思うんですよね。
松本
でもその感覚は非常によくわかりますね。
平林
だからといって瞬間芸的な表面的なものを自分がやれば儲かるかもしれないけど、でもそんな瞬間芸はやっちゃいけないって気持ちがどこかにある。
松本
なるべくならそういうところに触れずに生きていけたらいいですよね。それはそれでやって、どうぞどうぞという感じで。
平林
表面的ではない動きもきちんとあれば、僕はその担当なんでって言えるけど。
いろんなものが二極化してきている
松本
僕の話になってしまうけど、その瞬間芸的なコンバージョン方向よりブランデッドな広告かというと、どうしても広告は、合理的にいかに効率よく物を売るかという方向で突き詰めなきゃいけないサガがある。でもブランドイメージだったり、「good will」とか「これ好きだな」と思わせるものが二極化してるところもあるのかなと思ってます。
どっちもその二極化はあるんだけど、どっちかといえば深いものに携わりたいですよね。自分の貴重な時間をかけて広告なり写真なり編集とクリエイティブなものに携わるとき、その時間に対して何か作ったときの反応のある・ないもあるけど、自分の中での満足度がどうしても瞬間芸だと薄くなってしまう。
でもそれをずっとやり続けることが、一つの役に立っていると思える感覚も大事だとは思うんだけどね。かなりそこで分かれて来ている感じが実感としてはあるかな。
平林
たしかにいろんなものが二極化してきたような気はしますね。
松本
若い人も、もう若くない人も、ずっと表層を突っ走るところに巻き込まれていることが多いと思う。自分もそういうときもあるし、年齢・性別も関係なく、気をつけなきゃなって感じがありますね。
平林
表層のものって下手に気が付かないというか、考えないで分からないで追従したほうが楽なんだろうなと思うときもあるけど、できないから困るわけだけど。
変わりたくないから会社を辞めた
めっちゃ強引に話を戻すとすると、巌さんの転機は電通を辞めたあとなんですか?
松本
それでいうと電通を辞めたから「あと」かというと、そうでもなくて。むしろ辞めることで何か環境が変わったというよりも、むしろ変わりたくなかったから辞めました。
組織の中に23年いて、自分の体感としては上場後あたりから、以前の電通ではないことが徐々に求められるようになってきました。自分の立場もちょっとずつ上がっていく中で、働き方改革の影響で「変われ、変われ」と、どんどん言われてました。
仕事は白黒はっきり分けられないんじゃないかと松本巌さんは言います。どんな仕事にもホワイトな面やブラックな面があって、変わらない仕事のやり方·向き合い方をやりたかった。ただ世の中の流れのなかで会社のなかで求められる役目と自分のやりたい方向に乖離が生まれて煮詰まったところがあった。
自分のやり方を変えたくないほうが強くあった。でも組織にいると変われ変われと社内全体に対して言われてました。だから外に出たほうが自分で優劣を決め、自分が変わりたいタイミングで変わりたい方向へ変わり、変わることは自分の能動的な感覚で選んでいきたいくて会社を辞めました。「変わらないでいたい」がために辞めました。だがらそういう意味では会社の中にいても、組織人としてはダメだったんだなって気がします。
でも外へ出て変わらなくて居心地がいいんだったら、一番良い気がしますよね。
平林さんが一緒に仕事をしている人も松本巌さんと同じような感覚で会社を辞めた人がいると言います。
平林
いまは「辞めてよかった」と言ってます。
松本
「辞めたいって思うんだけど」って相談が昔はよく来てたんだけど、いろいろ与件を並べて辞めるか辞めないか考える人は、独立にはあまり向いてないと思います。そもそもメリット・デメリットの条件を出すような考えで、「辞めてよかったね」という感覚もよく分からなくて。たぶん平林さんもきっとそうだと思うんです。どこかに長く所属することってないじゃないですか。もう辞めるしか選択肢がないから会社から出てるんで。
巌さんも平林さんも「辞めてよかったですよね」という言葉には違和感を感じていて、二人は別に「辞める」or「辞めない」を天秤に掛けているわけではなかった。そもそも論で会社を辞めるか辞めないかはそこまで大事なこととも捉えていなかった。
価値観がバラバラになって、情報の賞味期限は短くなった
松本
若い人ですごいと思う人はたくさんいるし、本当にバラバラになってきた感じはありますね。人によってポテンシャルも方向もみんなそれぞれ全然違う。前からそうだったのかもしれないけど、それが顕在化している感じがあるかな。
若い頃は大人はみんな自分より賢いと思ってたんですけど、社会に出てみるとそうでもないことに気づきました。
平林
今の話を聞いていて感じたのは、僕って音楽が好きだから、昔の音楽って流行りの音楽がはっきり見えてたよね。僕はアイドルとか全然興味ないんだけど、最近知ったのは80~90年代ヒットを音楽配信で聞いたら、曲はほとんど知ってた。耳の中でわかってるってことは、それだけ周りがみんな聞いていたってことだよね。だからこれが流行りだとかこれがいいんだよとか言ってたことがわかりやすかったのが、今は価値観が見えなくなった。何が正しいかって。
松本
そうですよね。よくわかります。だから今はあまりテレビを見なくなってきたけど、小さいときはテレビを見てたし、小さいころ影響を受けるものは、まだインターネットもなかったのでマスメディアから影響を受けてましたよね。そこで流行っているものや、みんなで教室で話してることは、だいたい「こことここだよな」と娯楽は限られていた。映画も見なきゃいけない作品がだいたい毎月決まってたし、読まなきゃいけない本も決まっていた。今は本当に情報過多だし、インターネットが出てきてから、猛烈にその数が勢いよく増えているので、追いつけないし追いつこうともしたらダメだよね。
だからそれだけ合意形成というか、流行ってるものや影響を受けてるものが近接していたから、中間層があるだけ巨大にあったわけだし、CMを逆に当てやすかったところがあると思うんです。でもそれが今は細分化して人それぞれになってるから、本当にわからない。でもそれが面白いと言えば面白いですよね。
しかも情報の賞味期限が早いから余計ですよね。
松本巌さんは言います。「賞味期限が早いんですよね」と。自分の価値観や物差しが歳を取るごとに絞られてくるようなところもあるそうです。その絞り込みのなかで自分が好きだと思えること、やっぱり合わないなってことを取捨選択するようになったそうです。
取材のあと
声配信アプリ Stand.fmを使って、取材後のインタビューをしています。
Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi