平坦な墨田区で敢えて高低差の話をしたまえとあと【中編】

皆川典久
東京スリバチ学会 会長
かつしかけいた
マンガ家

前回に引き続き、皆川さんとかつしかさんの対談は中編です。今回は三部作です。谷根千や上野公園あたりの話が中編では繰り広げられます。(取材協力:岩田屋商店)

Profile

皆川典久
2003年に東京スリバチ学会を設立し凹凸地形に着目したフィールドワークで観察と記録を続けている。2012年に『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(洋泉社)を上梓、翌年には続編を刊行。2015年、町の魅力を発掘する手法と取組みが評価され東京スリバチ学会としてグッドデザイン賞を受賞。タモリ倶楽部やブラタモリなどのTV番組に出演。専門は建築設計・インテリア設計。
かつしかけいた
葛飾区出身、在住。2010年頃より地元葛飾周辺の風景を描いたマンガ作品を発表、自主制作マンガ誌『ユースカ』『蓬莱』に参加。イラストレーターとして雑誌や書籍の挿画なども手がける。現在WEBコミックメディア「路草」にて漫画『東東京区区』を連載中。

Index

場所場所で違う顔を見せるスカイツリー

皆川

コロナ禍はありましたが、山の手側には行かずに、東東京で生活されてますか?

かつしか

ずっと東東京ですね。たまに山の手の方に行くと、東京ってこんなに坂があったんだって。

皆川

そう思いますよね。山の手が坂町って言われるような坂だらけなんで。だからタモリさんにしてもそうだし、一般の人も取っ掛かりとしてわかりやすいんです。

東向島みたいなところの面白さは、微妙な高低差の中に坂町と同じような楽しみが見いだせるところがあって、僕もまだこの辺はそんなに開拓しきってません。

ー平らな土地は?

皆川

平らな土地はまだですね。

ー高低差は任せろ。だけどみたいな?

皆川

山の手の内側はだいたい歩きましたけど、隅田川から東側は、まだまだ動けるフロンティアなんで。そういう意味では、まだ足元に自分の知らない街がたくさんあるんで、東京の広さっていいよね。まだ西のいわゆる山の手の世界をかつしかさんは知らないわけだから、まさに海外旅行に行くごとく、かつしかさんには別世界があちら側に待ってますよ。

かつしか

15年ぐらい前に勤めていた場所が東中野でした。

皆川 

坂が多い場所ですね。

かつしか

東中野はすごい高低差の多いところだったので、勤めていたときは、「えっ、なんでこんなアップダウンがあるんだ」って。

皆川

そうだね、普通の人はみんな、それで坂を登らないように、坂を降りないように、なるべく目的地に行こうとなるんだけど、敢えてそれを登ったり降りたりすると、そこに歴史があったりするんですよ。

かつしか

当時はスリバチとか暗渠って概念を知らなかったので、足を使って登ることと降りることと、見ている景色の移り変わりが僕は楽しくて、ただただ歩いているだけでした。

皆川

それだけでも十分に街を知るにはいいと思うんです。丘の上の街とか谷底の街ではおそらく雰囲気が違っていたでしょうし。

かつしか

先日、谷中のHAGISOでトークイベントをしたときに、イベント前に周辺を歩いていたんですよ。森鴎外記念館があるところが崖の上で、そこから正面にスカイツリーが見えるんです。墨田区にいるときに見るスカイツリーが見上げるものだったけど、その崖で同じぐらいの目線でスカイツリーがあるのが、、

皆川

スカイツリーが谷間から見えるような感じですよね。

かつしか

それがすごい不思議で、いつも見ているアイツじゃないみたいな。

皆川

ちょっとよそ行きな感じで。

かつしか

そう、よそ行きで。「こういう高さから見るスカイツリーもあるんだ!」となったんですね。それが新鮮でした。

皆川

山の手に行くと、そうなんですよね。見える場所って限られてくるんだけど、そこからスカイツリーを見たときの感動とか喜びはまた人一倍。森鴎外記念館からスカイツリーが見えるのは貴重な場所なんですよ。

谷根千とまとめられていても、それぞれにある違う顔

かつしか

谷中っていいところってイメージがあって、実際に行って歩いてみると、不忍通りを上がると千駄木のほうで、あの辺に住んでる人に聞くと、坂ごとに個性があるって。谷根千と一括りにされている中でも、また高低差があるんですよ。

皆川

街の性格も違いますよね。谷中はその名の通り、谷の中で、根津は、津の根っこ、縄文海進のときに海がこのあたりまで入り込んでいた、とも言われているんですね。千駄木は高台にあたり、木がつく地名はだいたい高台が多いんですよ。六本木や代々木、羽根木など。

だから千駄木も同じように、木が見えるっていうことは丘の上になりますよね。そういう個性ある街をまとめて谷根千と言ってます。一つ一つは、みんなちょっと違うんですね、個性があって面白いんですけど。

かつしか

谷根千で取り上げられる「夕やけだんだん」を降りると、ちょっと商店街があって、 その周辺だけでも、もちろんすごい面白い。

皆川

ありますよね。「夕やけだんだん」を見て、谷中銀座があって、夜店通りがもともと藍染川の川跡で、それを下のほうに辿っていくとへび道。それをずっと辿っていくと不忍池まで行けるんですね。

かつしか

あそこが区境になってるんですか?

皆川

文京区と台東区の区境ですね。

知られざる不忍池のはなし

皆川

不忍池ってどうやってできたって話はよくあるんだけど、縄文海進のときにあそこまで海水が入ってて、地球がその後寒冷化していって海が退いていくときに、今の場所に池が残ったというのが通説なんですが、地形マニアの私はちょっと別のことを提唱しています。

不忍池は家康が江戸に入る前から、実は江戸には先住民の人が住んでたんです。その先住民たちが作ったダム湖じゃないのかなと思ってるんですよ。

かつしか

人工の池?

皆川

それもダム湖ですね。それを証明できる人もいないんですよ。逆にそれはありえないということもできなくて。家康が江戸を大都会に発展させる前に、そこには人がやっぱり住んでいて、その人たちの飲み水を確保するための人工のため池が実は不忍池なんだと思っています。

かつしか

それがまた琵琶湖に見立ててと。

皆川

そう、徳川の時代には不忍池を琵琶湖に見立てて、竹生島に見立てた弁天堂がありますよね。とにかく京都に憧れがありましたからね。

街づくりっていうとお手本は京都だろうから。当時はやっぱり京都は都としてどれだけ憧れてたんだろうって感じがね。片田舎の江戸を世界一の大都市に変えていったわけだけど。

ーどこかのタイミングで憧れは変わるんですか?

皆川

どうなんだろう。京都は京都なんじゃないかな。江戸に住んでる人たちの気持ちとしては、都は京都で、将軍の膝元の江戸という気持ちは、ずっと同じなんじゃないかな。

ーじゃあ明治天皇が東京に行幸するまでは?

皆川

そうだね。東京が都だというのはそれ以降の話だからね。それまではやっぱり日の本の都は京都だよね。

皆川

(かつしかさんは)東京以外にお住まいになったことは?

かつしか

ないですね。

皆川

そうなんですか。じゃあずっと葛飾なんですね。そういう意味じゃ葛飾のことにどっぷりですね。

かつしか

でも知ってるようで、やっぱり調べ始めると、それこそ暗渠だったり、もう知らないことがいっぱいです。

暗渠マニアックスのお二人の話や解説を聴くと、葛飾や江戸川にいると、至るところに元水路だったところが埋め立てられて暗渠になっているんです。そこもそうだったのとか普段通っているあそこも暗渠なんだとか、それこそ地元の人も知らず、全然意識せずに通ってます。

よそから来るいろいろ詳しい人に話を聞くと、地元なんだけど別の視点・捉え方によって、またちょっと違う見え方ができます。

皆川

自分の街の愛着も湧くし、歴史をちょっと知る1つのきっかけになりますよね。ですから、そういう同じような楽しみ方が、葛飾だけじゃなく他でもできるわけです。ふだん作品を描くときのネタ探しはどうされてるんですか?

かつしか

そうですね。まずとにかく歩いて、だいたいこの辺を描こうとエリアを絞って歩き、その地域の図書館に伺って資料を見て、どんな感じの歴史で、こういう場所があって、それを紹介しつつ「漫画のエピソードにするには、どういうルートで行こうかな」と、そういうことを考えながら。

皆川

なんか、それって楽しいですね。

かつしか

そうですね。趣味と実益を兼ねているので。

皆川

趣味としても、すごく楽しめますよね。

かつしか

ずっと今まで描いてきたところが、東京東部で平坦な土地ばかりを書いてたんですけど、いつか上野のような高低差のある地域も描きたいと思っています。なかなか上野辺りも、本当に公園になるまでの歴史とか、なってからの歴史とか、不忍池で競馬が行われたり、明治の東京博覧会の時にはウォーターシュートができたり、意外な歴史があって面白いです。

戦争で不忍池を埋めて畑みたいになっていたり、戦後は野球場にしちゃえみたいな話もあったんだけど、地域の人たちが反対して、池として守った話を聞きました。不忍池がなかった歴史もありえたのかと思うと考えられないですね。

皆川

今から考えると、すごい寂しくなっちゃいますけど、よくぞ残してくれました。

かつしか

また上野公園にはいろんな碑があるんですよね。

上野戦争で敗れた彰義隊戦死者の墓や、関東大震災と東京大空襲の犠牲者を悼む「時忘れじの塔」など、至るところにそういう記憶の碑があります。

皆川

それをちゃんと残してくれてるんですね。

かつしか

上野公園も子どもの頃に博物館へ行ったぐらいのイメージだったり、あとは桜の季節にお花見できたり、公園としての歴史は知らずでした。

かつて上野にあった駅のはなし

かつしか

私が高校生ぐらいのときまで、京成線に旧博物館動物園駅がありました。子どものころまで使っていたことを覚えているんですよね。

皆川

まだ駅舎が残ってますね。

かつしか

駅舎の出入り口が残っていますよね。

皆川

京成線を使うと、そこを通りますよね。

かつしか

今でも通ると、ホームが薄暗く残っていて。

皆川

駅でいうともう1個駅があったそうなんです。上野大地の際辺りに寛永寺坂駅があって、そこは少し地盤が盛り上がっていて、そこを過ぎるといよいよ上野の台地で、トンネルを抜けて京成線は地上に出るんですけどね。

かつしか

あの辺は上野の山に登る階段もありますし、動物園にも橋があったのが無くなっちゃいましたけど、モノレールがあったり、高低差を移動するための何かしらの橋状のものがたくさん架かってますよね。

皆川

高低差を視覚化してるというか、敢えてアトラクション的に高低差を見せるようですね。 

上野動物園そのものは実はスリバチ状の中なんですよ。上野台地の中にスリバチがいくつかあり、上野動物園のところだけが、やっぱり凹んだスリバチなんですね。で、上野動物園に行くと分かると思うんですけど、そこを上手く使って動物園を計画していて、面白いですよ。

かつしか

確かにちょっと下って登ってますね。高低差の目線で見ると、行き慣れている街がまた違って見えます。

皆川

ぜひそういう感じで東京を順番に紹介していってくださいよ。そうすると絶対ハマる人がいるから。いま街歩きがブームで、僕はずっと東京の地形が面白いんだからねって言い続けたおかげもあって、関心を持ってくれる人が増えてます。

平坦な墨田区で敢えて高低差の話をしたまえとあと【前編】

平坦な墨田区で敢えて高低差の話をしたまえとあと【後編】

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi