リサーチと妄想を行ったり来たりする。

ー お久しぶりです。
田中
お久しぶりです。
ー なんと、田中さん、今回で3回目のご出演となります。いつも本当にありがとうございます。
田中
ありがとうございます。「まえとあと」に呼ばれると、なんか一つ大きな仕事を終えたんだなという気持ちになります。
ー 笑 そうですね、一回目がコロナ直後に実施された、サントリー「話そう。」について伺いまして、その次は、コロナで一年延期となった「パラリンピック開会式」のお仕事を終えられた後に伺いました。
田中
そして今回は、大阪・関西万博のメインコンテンツでもある水上ショー「アオと夜の虹のパレード」を終えられたということですね。
田中
いつもありがとうございます。
ー ショーについては、もうだいぶ取材もう受けられてると思うのですが、まだ他で話してない内容などをぜひ、僕だけに話してもらえたらと思います(笑)
田中
そうですね、望月さんと僕の関係ですので、がんばります(笑)
ー まずは、素直な質問から伺いたいと思いますが、このプロジェクトが始まった経緯はどんな感じだったんですか?
田中
本当に一番最初にゆるやかな相談があったのは約3年半前になります。2021年の11月でした。オリパラが延期されて開催されたのが2021年の夏だったから、終わったその年の年末に、最初の打診があった感じですね。そうやって考えると、ちょうど3年半ぐらい、この仕事をやってたことになります。
ー 長いですね。
田中
サントリーさんとはいろいろ仕事をしてきましたが、ダイキンさんとの仕事は初めてだったし、兎にも角にも、壮大な話だったので、最初はそれを自分なりに整理しながら、どういうメッセージを万博で発信したらいいかを考え始めました。
ー 最初に行ったのはプレゼンですか?
田中
プレゼンに近いものですね。初めて書いたメモを見返すと「水と空気は、全部覚えている」というメモがあります。サントリーとダイキンの二社協賛という、とても珍しい協賛形態でした。そして、両者にとって、根源的で大切にしてきたものである「水と空気」をモチーフにすることは最初の相談に入ってました。
僕は、いつも自然や科学など、割と事実ベースで企画を作っていくところがあるので、「水と空気」という素材はとても入りやすかったです。ただ、あまりにも根源的すぎて、結構リサーチや思考に時間を使いました。
ー TOKYO2020パラ開会式の時は「風」をモチーフにしてましたもんね
田中
そうそう。完全なフィクションよりも、事実を融合させる方が共感が大きくなるんじゃないかと仮説は持っています。で、今回は、いろんなリサーチをしていきながら、同時にいろんな妄想をしていくんです。
ー リサーチと妄想って、面白い組み合わせですね。
田中
僕の妄想はこんな感じでした。
水と空気は、僕らすべての生き物にとって、母であり、父であり、大先輩だということです。地球が46億年前にうまれて、その後初めての生物が誕生した時、水と空気があったと言われています。水は蒸発して、雲になり、雨になって、また海に流れていくことを繰り返しているし、空気も光合成や呼吸を繰り返している。もちろん物質的には絶えず変化をしているけど、循環を大袈裟に言えば、実は誰よりもこの地球を長い間巡って見てきたのは水と空気なんじゃないかって思って。だとすると、ずーっとこの星を見てきた大先輩にこの星に起きた記憶を教えてもらうという話はどうかなと。つまり、水と空気の擬人化を起点にしてみようと思ったんですよね。
ー ファンタジーだけど、ちゃんと事実がもとになってるんですね。
田中
はい、それは僕のクリエイティブワークの一つの癖のようなものかもしれません。初めにリサーチをして、強い事実を見つける。そしてそこに創作を足していくんです。それは、広く人の心に届くものになりやすいんです。
ー なるほど
田中
当時、「水はひとつ、空気はひとつ」というテーマは、ちょうどロシアのウクライナ侵攻の開始直後だったこともあって、今回のショーのテーマとは少し離れるけれども、少しだけそういう大きなメッセージも感じてもらえたらいいんじゃないか、僕の中には、「水と空気」を考えながらも、そこから人間社会への視座みたいなものを見つけようとしてた感じがします。水も空気も、みんなでシェアしている。人間は、シェアすることがとても苦手だ。みたいなことだったり。
ーまだウクライナ戦争も続いてますからね。
田中
ウクライナだけに限らず、世界でいまだに戦争はたくさん起きていますよね。いま、人間は頭では良し悪しが理解できることに対応することが、苦手なんですよね。
技術が新しいか、ではなく、技術の使い方が新しいかどうか。

ー 田中さんは、そういう頭では理解できるけど、心に届かないメッセージを、クリエイティブの力で、なんとかしようと、ずっと頑張ってる気がします
田中
まさに、今回のショーはそこにチャレンジしています。SDGsや環境のこと、インクルージョンとか差別とか戦争などいろんな問題があるけれど、実は本質的にはシンプルなことで、人間もそうだし、人間以外の生き物に対しても、相手のことを思いやりを持って行動するってシンプルなことに、意外とすべての問題は落ち着くんじゃないかと。もちろん、ショーというコンテンツはエンターテイメントなので、それを真面目にいうじゃなくて、心で感じてもらうものにしたいと思っていました。
三年前にドバイ万博を視察したんですけど、どこのパビリオンのコンテンツもちょっと真面目だったんですよね。全部、正しい、でも、ちょっと疲れる。なので、そこにエンターテイメントとクリエイティブの力が必要だと思いました。
ー3年半後のことをいろいろと考えるのって、技術面の進化含め大変じゃなかったですか?
田中
とても大変でした。3年半もあると技術の進化がすごいじゃないですか。特に3年半前はここまで生成AIは進んでいなかったし、マルチメディアの技術もどんどん進化している。でも、企画や演出のベースは、1年以内に完成させないといけなかった。ただ、技術の新しさを競うことよりも、大事なことは普遍的でタイムレスでみんなの心に届くものだと思ってたので、技術をスタディしながらも、本質を大事にしながら進めました。
ーいまほど先が読めない時代もないわけですからね
田中
メッセージもそうかもしれないですね。2025年だけに刺さるメッセージよりも、本当に本質的なメッセージにしておかないと、1年後に同じメッセージでも白けてしまうと思ってました。
ー逆に広告の仕事の場合は、どちらかというと流行りも抑えなきゃみたいな感じですか?
田中
そうですね。ただ僕はそもそもあまり流行りを抑えた広告の仕事が得意じゃないんです。そもそも僕の場合は、流行っているものを大喜利みたいに利用する広告表現よりかは、ずっといろんな人が共感してくれるものを作る方が好きだし得意かもです。
ーそれって、ずっとそうなんですか?
田中
いや、もちろん若いときはそれこそ流行りにも敏感だったから情報も入ってきたけど、30歳を超えたぐらいから、そういうのが難しくなってきたり、年齢に抗って追っかけ続けるのも苦手だから、たぶんどこかで諦めて本質というか、太いほうを狙いに行くようになりましたね。
万博はゴールではなくスタートの場。

田中
一方で、ずっと悩んでいたのが、僕自身が「万博をやるべきだ!」と納得することが長い間できなかったことです。
僕は仕事をする時、必ず、自分にとって、そのプロジェクトが社会にどう必要なのかを咀嚼してからじゃないと動けないところがあるんですが、今回はプロジェクトが始まってもかなり長い間、悩み続けました。今は映画でも音楽でもオンラインでなんでも情報やコンテンツが手に入るじゃないですか。もともと万博が1851年にロンドンで始まったときは、世の中のいろんな情報をみんなで見せ合って、共有してお互いの科学とか文化を発展させてきた、いわば見本市のようなものが万博のもともとで。僕も最初はそのイメージが強かったので、それだと今は意味ないんじゃないかとか、やる必要あるのかなと疑問でした。
ただ、もがきながらも、ドバイの万博に行ったり、岡本太郎さんの本を片っ端から読んだり、水と空気や地球史について調べたり。僕の背中を押してくれたのは、過去の万博で、僕と同じように葛藤や悩みを持って、作っていた人たちの存在です。例えば、70年代当時の岡本太郎さんがどんなことを悩み、思考しながら当時の大阪万博を進めていたのかだったり、また、同じように必要性に疑問を持って、中止になった万博もあったりと。
ー なるほど
田中
僕が辿り着いた結論としては、かつてのみんなで科学や技術の進歩を共有し合う「見本市」としての万博ではなくて、今の万博はどちらかというと「場」であると。つまりみんなが直接会って話すことでの解像度は、オンラインで情報を知るものとは圧倒的に違うものですよね。
だから僕らはリアルにその場で話し合う場を作るべきで、だとすると、僕が担当することと、この「アオと夜の虹のパレード」がこの万博という祭りの中心なんじゃないかと。みんなを「アオと夜の虹のパレード」を通じて集めて、集まったみんなの心を動かして、みんなでそこから会話が始まるきっかけとなるようなショーを作れたらいいんじゃないかなと考えていました。
昔の万博と違って、万博を作ることがゴールではなくて、あくまでみんなが考えたり議論したりする場を万博で作るんだと。あくまで僕らは器であると考え直してからは、じゃあみんながいちばんその思考が進んだり、議論したくなるものにしようって思うようになってからは悩んでいないですね。
ー 田中さんは、万博のステートメントも書かれたと聞きました。
田中
自分のなかで、生まれた疑問と悩みを解決し終わった頃に、ちょうど協会からステートメントを書いて欲しいという相談が来て。悩み抜いた後だったので、すんなりと書くことができました。

https://www.expo2025.or.jp/statement
ー すごいタイミングですね
田中
逆に言えば、もっと早くこのステートメントを発信できてたらよかったなと思いました。僕も最初にこれがあったら、もっとすんなりと入れたかも。
ー いま、田中さんが万博をプロデュースするとしたら?
田中
そうですね、「考え、話し合い、生み出す場」だとすると、個人的には、もっと議論したり、世界中から識者を呼んで、話を聞いたりと、議論する場が欲しかったなと思うんですよね。
海外と英語のこと

ー 今回って、日本人だけじゃなく、フランスとのチームと一緒に作られてますよね?田中さんって英語はかなりできるんですか?
田中
いえ、いまも苦労してますし、三年前までは全然できなかったんです。
ーえ、そうなんですか?
田中
約3年前にカンヌの広告賞の審査と、あと自分が会社でグローバルリーダーのロールになってからは、いろんな海外のクライアントや同僚と話さなきゃいけなくなったんですよね。あとは単純にやらざるを得なくて、人って追い込まれるとできるようになるんですよ。
ーそっち系だったんですね。
田中
TOEICも600台後半ぐらいだったんで、本当に人間追い込まれて、分からないなりにかなり話していたのが相当大きな要因だと思いますよ。しかもプレゼンや審査って、こっちが英語を話さないと仕事が終わらないから、もうやるしかない・・。話せるようになったのは本当に最近の話です。
ー フランスのチームと組むことにした理由はなんですか?

田中
いざ、コンセプトやシナリオの原型が見えてきてから、さあ、どこと組むかなあって。世界で巨大な規模の噴水や噴水ショーをやっているところまでさまざまリサーチをして、いろいろ話したりして、今回はどこと組むのがいいかなみたいな感じで探っていると、今回はフランスのEC2って会社がとても良くて。仕事もそうなんですが、何より彼らの仕事のスタンスが柔軟で日本人っぽい感じに感じたんです。海外のチームって仕事に対する向き合い方が、僕ららするとややドライで。
ここからここまでやったらいくらときっちり契約で決まっているから、クオリティがどうだろうが、あとは契約通りってなったりするんです。向こうではそれがスタンダード。でもECA2はそういう部分でかなり話し合いながら徹底的に仕事をやってくれて、場合によっては、いいものができるなら、エクストラチャージも全然構わないと言ってくれたりして、今回この噴水ショーが成功した本当の理由の一番はECA2と組んだことです。
EC2のメンバーがめちゃくちゃ人間的にすごく馬が合って、数ヶ月に1回ぐらい食事をともにしたり、一緒にフランスで会ったり東京で会ったりしながら3年半過ごしました。EC2の人たちには本当にいろいろ教わりました。
ー それでさらに英語力が上がったと。
田中
ですねw
ー グローバルでの仕事することは面白いですか?
田中
面白いですね。日本のよさも、別の国の良さも見えてくる。視点と視野が広がるのがいいです。
ー 田中さんたちのクリエイションは通用してますか
田中
はい、してると思います。特に僕が得意なのは「新しい視点を見つけてコンセプトを作ること」と「テクノロジーやデザインを組み合わせて新しい表現方法を作ること」なので、どちらも国境を越えやすいんだと思います。今まで、プレゼンでは、いつも前向きな反応や評価をもらってます。
エンタメですごい賞をもらった話。

ー なんか、すごいエンタメの賞を受賞されたと聞きました
田中
そうですね、ありがたいことに。
TEAという、エンターテイメント、テーマパークのアカデミー賞のようなものがあって、そこで日本人で初めて、個人で受賞しました。自分もあまり良く知らなかったんですが、一緒に受賞した作品を聞いて、すげーってなりました。パリのオリンピック・パラリンピック開会式、ラスベガスのスフィア、あとはディズニーやユニバーサルスタジオの新しいコンテンツで、日本からだとファンタジースプリングスとジブリパークとかあったり。
ー やばいですね
田中
やばいんです。その授賞式が今年の2月にあってタキシードきて、トロフィーもらってきました。この受賞の連絡が来たのがまさに万博で色々大変な時で。だから、受賞したことは自分にとってちょっとだけ背中を押してくれるところがありましたね。そのまま進めていいよという、お墨付きをもらった感じがあって、時期としてはちょうどよかったです。

ー その受賞自体は、何の功績で受賞されたんですか?
田中
それはそれこそ東京パラリンピックの開会式を初めとする、All Players Welcomeという、テクノロジーとクリエイティビティで、新しいインクルーシブなUIやコンテンツを作るプロジェクトの、一連のやったことに対する全体評価でした。日本人で初めてだったそうです。
仕事以外の田中さんってどんな人なんですか?
ー ところで、僕らも付き合いが長くなってるわけですが、仕事以外の田中さんは何をしているんですか?
田中
斬新な質問ですねw
いま、一番ハマっているのはサッカーのコーチ(指導者)ですね。
ー サッカーの指導者?サッカーはいつからやってたんですか?
田中
サッカー自体は4歳に初めて、高校二年くらいまではかなり本気でやってました。
横浜市、神奈川県と優勝して、全日本少年サッカー大会というのでベスト16まで行きました。
ー すごいですね。
田中
はい、4歳から、週5サッカーをして育ったので、いまもかなりいろんな面でその影響があります。
負けず嫌いなところもそうですし、あと、サッカーでなし得なかった「日本を代表して世界と戦う」という夢は、明確に仕事で叶えたいと10代の頃から思ってて。なので、グローバルに出たいと思ったのは、かなりサッカーが関係しているんです。
ー 技術というより人間性に影響を与えてるんですね。
田中
指導者としても勉強になってます。小学生中学年を指導しているんですが、彼らにどうやってわかりやすく教えるか、興味を持ってもらうか、モチベーションを上げてもらうか、などは、いまの立場としてはマネジメントにすごく生きています。JFAの公認指導者資格も持っているんですが、その講義でも「リスペクト」「メンタリティ」などは、めちゃくちゃ叩き込まれました。
ー いよいよインタビューも後半ですが、万博を終えてどうでしょうか。手応えや反応は感じていますか?
田中
一番最初に手応えを感じたのは、実は会期の前なんです。まず始まる前にテストを繰り返していたとき、毎晩来てたとあるパビリオンの人たちがいて、その人たちが毎晩見に来ては、毎晩同じところで泣くんですよね。それを見たときにちょっといけるかもって手応えを感じました。
言語も違うし文化も違うとあるパビリオンを作ってる工事のおっちゃんたちが毎晩泣いてるから、これはうまくいくと思った。テストランやメディアデーもあった中で軒並み評価が高く、テストランの評価なんて7割以上の人がこの僕らのショーコンテンツはすごく良かったと言っていたので、良かったんだと思います。
ー いい話ですね、その後もすごく話題になってますもんね。
田中
おかげさまで、良い反応はたくさんいただいてますし、連日超満員です。それこそ、海外のパビリオンの人から、うちの国に移転して欲しいとか、ラスベガスでやっても通用するとか、ちゃんと言語の壁を超えて、グローバルに届いている手応えも感じています。
ー 裏から見るといいとか、SNSでは反響もありますよね。
田中
そうですね、ただ、設計としては、正面で楽しめるようにかなり細く設計はしているので、例えば、首の角度とか、見上げた時に没入する高さとか。なので、チケット当選するというハードルはありますが、ぜひ1人でも多く正面から見てもらえたらと思います。
まえとあとの取材って、大体、仕事が終わった後にやるから、この記事を見てももうその仕事が終わってると思うんですが、今回は、まだやってるというのが初じゃないですか?
ー 確かに! 2025年10月13日までですね。
田中
ぜひ、みなさん、会場で見てください。映像では、1/10も伝わらないと思います。
AI時代に、必要な能力とは。

ー さて、最後の質問です。
田中さんは、クリエイターとして、いま何に一番興味がありますか?
田中
人間ですかね。これまでもそうですが、これからは特に。
今後、人間のことをちゃんと考えて、心を捉える人がさらに減ってくと思うんです。
AIとか、誰でもアウトプットができるようになればなるほど。「企画やデザインを作ること」と、「人に届く企画やデザインを作ること」は全く違うと思ってて。
ー AIには、企画は大量に作れても、いい企画(人の心を動かす)は難しい?
田中
そうですね、人って、常に変化しますから。
昨日笑ってた話しが、今日は笑えなくなったりするのが人間ですからね。
なので、これまで以上に、人間のことを考えて、人間がちょっと幸せになったり、楽しくなれるような
そんな制作をしていきたいと考えています。
ー またどこかで、大きなショーも見れますかね?
田中
そうですね、作るもののサイズにかかわらず、頑張っていこうと思うので、そういう機会もたまにあるといいなと思います。
ー 今日はお忙しい中、ありがとうございました!
田中
ありがとうございました。
Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Provided by Naoki Tanaka