人間の弱さに気づいたまえとあと

宮崎智之
フリーライター

Twitter以前と以後だと、編集人の友人関係は大きく変わる。今回の宮崎さんも10年以上前にTwitterでの交流から友人となったひとり。ずっと編集人がなで肩であることを見てくる彼の視線は変わらず鋭い気がするけれど、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出したばかりの彼の生活スタンスは今回のインタビューの限りでは大きく変わった気がしたそんな「まえとあと」な話です。
[2022/2/28 Update]

Profile

宮崎智之
1982年生まれ、東京都出身。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter:@miyazakid

Index

アルコールをやめたまえとあと

まず、「まえとあと」の話で大きかったのは、34歳でアルコールをやめたことです。4年8カ月ほど断酒しています。その経緯はいろいろなメディアにもう書いているので、ここでは簡単に言いますが、仕事のストレスもあったし、なかなか成長できない自分への焦りがあり、もっともっと強くならなきゃって思いが、30代前半まではあったんですね。

そんなストレスや焦りを誤魔化すように、あるときからお酒の量が常軌を逸するようになったっていった。ただの酒飲みではなく、高揚感、テンションを上げたいみたいな動機で、飲み始めてしまった時期があった。当時、前の妻とはすれ違いが続いていて、30歳のときに離婚したんですね。アルコールによって妻との生活から目を逸したというか、妻に向き合うことをしなかったことが、離婚の原因の一つとしてなかったかと言ったらあったと思う。

自分の夢だった文章を書く仕事に就いて、望月さんもそこら辺のころ一緒にいたから分かると思うけど、もがいて、何とか自分をすごく見せようとしていた時期でした。ちょうどSNSが当たり前になっていった時代でもあり、「目立たなくちゃ!」みたいな雰囲気があったなかで、ガンガンとガソリンみたいに酒を飲んで、自分を奮い立たせてました。

離婚した少し後かな。31か32歳ぐらいのときに朝から飲むようになった。当時編プロに勤めていて、朝7時に起きて、それこそストロングみたいな強めのお酒をガッと飲んで、ちょっと酔っ払ってフワフワして、また寝てパッと10時ぐらいに起きる。シャワーを浴びて、酒飲んでいたのを誤魔化して出社するみたいな。そんなことやっていたら急性膵炎で入院しました。最初はなかなか病院で膵炎と診断されなくて、最終的に膵炎と診断されて緊急入院したんだけど、その時に「酒は止めなさい」と言われた。それで実際止めたんですよ。

でもアルコール依存症あるあるなんですけど、1カ月くらい止めると、「自分は依存症じゃない」と人はしばしば言いだすんですよね。「1か月もやめられたんだから」と。でもタバコで考えてみるとわかりやすいと思いますが、それはよく考えたらおかしいですよね。「1カ月も吸わなかったから、また吸っても大丈夫」ってわけにはいかないじゃないですか。

でも認知が歪んじゃっていて、はじめは2週間に1度、そして1週間に1度、週末だけと経っていくうちに、また元の飲み方に戻ってしまった。そしてちょうど今の妻と出会った頃に、2回目の入院をして。そのとき本当にもうお酒をやめなくてはいけなくなりました。

急性膵炎は、決してあまく見てはいけない病気なんです。そして、僕は同時にアルコール依存症でもあったから、お酒をやめない限りは、いつまた再発するかわからない。その時、まだ34歳でしたから、さすがにこんな早く死にたくないと思い、断酒を決意しました。

お酒でよく言われる肝臓は平気だったの?

宮崎

肝臓は意外と平気でした。と思う。たぶん。数値は悪かったけど、その後は特に引っかかっていません。

平林

今は一滴も飲まないんですか?

宮崎

飲みません。もともとうちの父方の家系は、アルコール依存症で亡くなることが多いんですよ。依存症になった人はみんな40代で亡くなってる。だから父から「酒を飲むなとは言わないけど、うちはとにかく依存症になる人が多いから程々にしろ」と昔から口酸っぱく言われてたんだけど、それを守らないで、飲んでました。

平林

お父さんは飲むんですか?

宮崎

父は週1回に飲むか飲まないかくらいでしたね。つまり父は気をつけていたんだけど、そんな父も結局71歳で亡くなってしまって。

数年間で離婚・アルコール依存症・父の死があって、それまでの考え方が変わっていきました。僕は父とすごく仲が良かった。僕も父も野球が大好きで、WBCがあるたびに、僕がチケットを取り、毎回二人で東京ドームに行ってました。あと、父は文学も大好きなので、実家に帰るたびに文学談義をしたり、昔から友だちみたいだった。

父が亡くなったのは、一番忙しい、初めて自分の企画で単著を出す前だったし、いろいろ心配をかけたから、父に立派な自分の姿を見せるのが親孝行で、父もそう思っているはずだと思っていた。でももっともっと父の痛みに寄り添ってあげればよかった。父の死に目に関して後悔が残ってます。

心が壊れる音をリアルで聴いた

そんな経験を経て、人間の弱さに気づいたんですよ。離婚してから酒量はさらに増え、心身の不調が出るようになっていた。自分は体は弱いけど、メンタルは強いやつだと思ってたんです。でもそれがガタガタガタと崩れた。心が壊れる音をリアルで聴いたんです。

そういうことは知識では知っていたけど、まさか自分にそういうことが起こるとは想定してなかった。父が亡くなる直前、あれだけ聡明だった父が徐々に崩れていく過程も見ました。

人間は弱いし、壊れやすいし間違うことに気づいたんですね。今まで理性や知性を発揮すれば、だいたい乗り越えられると思っていたんですよ。そんなに頭が良いほうではないけど、とりあえず努力で何とかいけるだろうと。でも世の中のには、そうじゃないもののほうがもしかしたら多いんじゃないかと。ダメとわかっていてもやってしまうことや、理性で了解してもどうしてもやってしまうような人間の愚かさがあると気づき、いろいろ考えました。

僕は昔だったら、自己責任論みたいな方向性にコミットするタイプの人間だったかもしれない。それが新刊「平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命」(幻冬舎)を書いた動機の一つで、人間の弱さや脆さ、父から「宮崎家の男は酒を飲むと40代を跨げない」と散々言われてたのに、それをやらなかった愚かさ。仮にタイムマシンに乗って、今の僕がかつての僕自身を「お酒は控えたほうがいい」と説得しに行ったとしても説得できる自信がないんです。

それって人類普遍にある問題で、親はいつでも勉強しろと言うけど、勉強しろと言って子どもが本当に勉強するようになったら、人類の進歩は超速くなると思う(笑)。でも、実際にはそう上手くはいかない。あくまで一例ですが、そういう人間像を持つようになりました。

子どもと犬といる時間が楽しい

父が亡くなった時、僕は35歳と7カ月でした。そして父が僕を授かった年齢は、36歳だった。ただの偶然なんだけど、父が亡くなったとき、父が僕を授かった年齢と僕の年齢が一緒だったのが、個人的にはすごく不思議だったんですよね。「35歳問題」というのが、村上春樹の短編小説をきっかけにして存在するんですけど、この話は、35歳を人生の折り返し地点にする、という考え方。

父が僕を授かった年齢と、父が亡くなった時の僕の年齢が一緒だと言うことは、仮に僕が父と同じだけ生きるとしたら、ちょうど「折り返し地点」をターンするタイミングであり、人生の半分を終えたことになります。父がいない36年間を、僕を授かってからの父と同じ長さの人生を、これから歩んでいくことになる、と思いました。

なんというか、もともと僕はそういうものに対して、積極的に意味を見出すタイプではなかったんです。「まえあと」で言えば「まえ」にはなかったことですから、「あと」になってから初めて抱いた感情であり、自分の中で微かな変化を感じた部分でもあります。

出産に関しては、妻はもともと会社員のイラストレーター/デザイナーで、フリーでもできる仕事だったこと、まずは妊活と育児に専念したいという思いが妻に強かったことを考慮して、二人で話し合った結果、妻は一回会社を辞めました。僕が37歳のときに妻の妊娠が分かり、喜びと不安がないまぜになるなか、大阪出身の妻のお姉さんが里帰り出産で産んだ病院があるから、わかりやすいし安全だし、妻のお父さんとお母さんも家にいるからいいだろうということになり、出産のタイミングで里帰りするために病院を予約しました。

しかし、出産を控えた2020年の年明けくらいから新型コロナウイルスの問題が出てきました。出産予定は5月だったので、当初は妻が3月に実家に帰って、僕も仕事の様子をみながらリモートでできる仕事はリモートにし、妻の大阪の実家に愛犬と一緒にお邪魔する予定でした。ちょうど2020年12月に出版した新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)の執筆時期でしたし、どうしても東京にいなければいけない仕事がある時以外は大阪にいて、臨月と出産、産後時を一緒に過ごすはずでした。

ところが、ご存知のように状況が一変しました。里帰り出産せずに東京で産むのか、妻の実家は大阪といっても郊外なので、今住んでいる場所よりリスクが少ないだろうから、やっぱり大阪に帰るべきか。でも、妻の親も親戚も高齢だし、自分たちが大阪に行くことによって感染リスクは高まるのではないか。などなど、そういった迷いや逡巡が溢れかえり、身動きが取れなくなってしまった。

結局、妻は外出自粛要請が出る少し前に大阪に帰り、予定通りの病院で出産しました。当時は本当に世の中がどうなるかわからなかったから、海外でロックダウンが行われているなか、仕事がある僕は愛犬と東京に残り、出産前も出産後も離れ離れになってしまった。妻が東京に戻って来られたのは、7月になってからのことでした。

大阪には行かなかったんですか?

宮崎

それが、もう一つの問題としてありました。初めての子どもですから、当然、僕は早く妻と合流したいし、妻も僕に子どもを見せたがっている。でも、「不要不急」と言われてしまえば、そうかもしれないと思う。いろいろ考え、対策を練った結果、出産から1か月以上してから僕が大阪に行き、短期間、一緒に過ごすことができました。今は東京で一緒に暮らしています。

一緒に生活する前と後では違う?

宮崎

はい。子どもができると、テンポよく健康な生活をしないといけないし、ずっとフリーランスで仕事日と休日の境目もないままダラダラと仕事をしていたので、子どもの誕生を機に仕事、生活スタイルを見直そう、と思いつつも、まだ完全には達成できていないでいます。

子どもが生まれると、やっぱり子どもに合わせた生活になるよね?

宮崎

それはそうですね。夜泣きはするし、ほかにもいろいろ大変なことはあります。一時期は、子どもを20、21時くらいに寝かしつけて、そのまま疲れて僕たち夫婦も寝てしまう。そして、また夜泣きで起こされるなんて生活をしていましたけど、最近では夜泣きも減り、子どもを寝付かせたあとに自分の時間を持つこともできています。それに、僕が今は仕事を家でやっていて二人で見れているので、他のご家庭よりはラクだと思っています。子どもは可愛いですしね。姪っ子が赤ちゃんの時、可愛がって世話していたことを思い出しました。

意外と子煩悩なんですね?

宮崎

う〜ん。子煩悩というか……。どうだろう。でも、言われてみれば、たしかにうちの父はすごく子煩悩で、僕が小学校の時、近くの公園で友達とドッジボールしていると、よく父が現れてゲームに加わっていましたからね(笑)。僕は専門家じゃないから分からないけど、もし「子ども好き」に個人差があるとしたら、好きなほうではあるような気はしています。でもごめんなさい。これは僕が勝手に思っているだけなので、一概には言えないと思います。

環境もあるしね。

宮崎

はい。あと、やっぱり産まれてからすぐに会えなかったということもあり、なるべく一緒にいる時間を確保したいという思いが今は強いです。もちろん、育児は楽しいことばかりではなく、たかだかまだ数ヶ月やった程度の感想なので、これから大変なことがたくさん出てくることはわかっています。でも、少なくとも今は、「いかに子どもとの時間を取るために仕事に集中するか」みたいな感じになってる。愛犬との時間もなるべく作りたいですし。

子どものために仕事を効率化するのは、よく言われる話だもんね。

宮崎

あくまで現時点の僕の感覚ですが、たとえば神様から、時間も場所もお金の制約もなく、一週間、何でもやっていい、何でもできる、すべてのことができるよ、何がしたい?と聞かれたら、「子どもと犬とゆっくりした時間を過ごしたい」と言うと思います。妻を休ませてあげたいし、今しか味わえない楽しさや苦労を、もっともっと全身で浴びて暮らしたいです。

以前の宮崎くんのイメージが、執筆の鬼みたいな感じだったから、すごく今回は意外な話が聴けたような気がします。

宮崎

いや、僕はそんな上等な人間じゃないですよ。それにあくまで僕視点で話しているだけですから、妻からすれば、まったく違うということになるかもしれない(笑)

いま第一歩をしっかり踏み出した

でも、生活をやらないと執筆なんて出来ないですよ。特に僕は学者さん、研究者さんじゃないし、ライターでしょ。もっと言うと売文屋。「文を売るのが仕事である」となったときに、歴史の積み重ねみたいなものも意識しつつ、やっぱり一番豊富な源泉になるのは日常生活です。日常生活を疎かにして、クリエイティブなことは僕にはできない。生活をしないとダメなんですよ。だから酒に溺れているときに良い文章を書けなかったのは当たり前。だって生活してなかったから。頭がそんな良くないくせに、頭の中でいろんなものをフル回転させていた、背伸びして難し言葉を使おうとしていた時期もあった。もちろん今考えるとすごくためなったこともあるんだけど、やっぱり日常を生き、かつ人とは違う目線も大切にする。そのために日常生活に目を凝らしてみる。そこで実感したことを大切にし、迷った時には先人の本を読んだり、取材してみたりする。そうしないと文章は書けないと思いますね。

それが気づきってことだよね?

宮崎

はい。まえとあと。さっき子どもが可愛いし、できる限りコミットしたいと言ったけど、もちろんそんな甘いもんじゃないと言うのも知ってる。今はまだバブーバブーみたいな感じですからね。動きだしたり喋りだしたり、イヤイヤ期、反抗期になったり、その他もろもろそんな甘っちょろいことを言ってられなくなることも知ってるけど、そういう課題にきちんと向き合っていくことが生活ですよね。生活に主体的に参加しないで、どうやって文章を書けるのかが分からない。思わないですか? ぼーっとしていて頭の中から何か出てきます? 

以前の印象とはだいぶ違うから、すごくいいね。

宮崎

昔からそう思っていたんだけど、どうしても若い頃はもう少し血気盛んというか、「やったるぜ!」みたいなイキリがありました。でも、僕はそういう強力な熱を放ち続けて、文章を書いていくタイプではないことにアルコールをやめた前後で確信しました。

家事も含め日常生活で起こる出来事のなかにも、いろいろな発見がある。そして、しっかりと生活をして、そこから得た実感から、大きな広い世界まで想像力を伸ばすことができる。生活にこだわることは退屈なのことでも、俗っぽくてとるに足らないことでもなく創造的な営みなんです。

もちろんそこから大きな社会とか政治につなげていきたいんだけど、まずは身の回りのこと、家族、望月さんたちみたいな友達、仕事でお世話になっている人。そういう側面を徹底的に見る・聞く・感じることを、まだやってなかったなと思って。今ある範囲の中でも、もっともっとよーく見れば書けることがあるはずなんですよね。僕の感覚ではその原資をまだ三分の一も使ってないような感じがして。

今にまであったこと、これから起こること、それは楽しいことばかりではないかもしれないけど、そこ向き合うことが第一歩。僕の人生を振り返ってみたときに、その第一歩の階段のところでいつも躓いてきた。そりゃ上に行けないわ。今さらですけど、第一歩をしっかり踏み出すところからやり直している感覚です。

コロナのまえとあと / 竹中功

取材のあと

音声配信アプリ Stand.fmを使って、取材後のインタビューをしています。

[New]まえとあとのあと

「平熱のまま熱狂」を実践した一年

宮崎

前回取材いただき、おかげさまでいろいろと反響があってとてもありがたいです。

それは良かったです。

宮崎

「まえあと」ということで、前回と接続できる話がいいですよね。まず大きな変化としては、2020年12月〜2021年12月30日まで、晶文社のスクラップブックというウェブマガジンで平日毎日17時公開の連載「モヤモヤの日々」を毎日やっていたことです。おかげさまで連載はすごく盛り上がったし、自分的にも大きな出来事だった。そこで得た認識の変化は、内容的に以前の取材と接続する部分があると思います。この連載は晶文社から書籍化されます

僕の著書で説明すると、『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』が、世の中で何か言葉にできないまま見過ごされてしまいそうなものを言語化する行為だったとしたら、前著の『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(以上、幻冬舎)は、自分の態度表明だったんです。その態度を「実践」しようとしたのが、「モヤモヤの日々」という連載でした。ほぼリアルタイムで平日毎日執筆し続けた連載です。つまり、以前、取材していただいた内容を、連載を通して実践してみたんです。

ある意味三部作になってるんやね。

宮崎

きれいに結びつけるなら、そういうことですね。

毎日執筆しなければいけないので、熱狂的になってしまったら絶対に続けられない。

そうですね。

宮崎

毎日、人を驚かせるような内容を書けるはずがないし、もちろん過去のネタを披露する回もあります。連載は計251回でした。わかりやすい例でいうと「マスクのモヤモヤ」とか「モヤモヤネタ」はいろいろあるじゃないですか。でも、モヤモヤするネタを251回用意することは無理なんですね。

うん。それはそうでしょうね。

宮崎

だから日本文学的に言うと写生主義。正岡子規や高浜虚子が言っていたような日常をスケッチする必要があった。毎日の連載はそうしないと続かないんですよ。ましてやお酒なんて飲んでしまったら絶対に続かなかったと思います(笑)。

日常で見て、聴いて、感じたことをスケッチする。見たものを見たままスケッチするだけではなく、僕が感じた心象風景もスケッチしていく。そのためには徹底的に一人称の「僕」であり続けることが求められる。まさに『平熱のまま、この世界で熱狂しい』で書いたような、「よく見り・ちゃんと生きる・ちゃんと生活する。それこそがクリエイティブなんだ」ってことを一年間実践したかなと。

朝顔と都会の「青い朝」

もともと僕は頭も良いわけじゃないし、抽象的な思考を回して良いものを書けるタイプじゃないから、本当にごくごくごく私的な僕の視点で綴り、僕以外の視点、つまり何かの枠組みを使って世の中を見ないことにこだわりました。

もちろん自分もいろんな枠組みを獲得して大人になってるから枠組みは持ってるんだけど、その枠組みをいったん捨て去ってみて、「宮崎智之」という有名でもなんでもないただの日本の東京に住むひとりの39歳が、子どもができて犬を飼っているひとりの人間として見た世界が、どう見えるかを書くことによって、逆に普遍的になるんじゃないか。個人的だからこそ「これは自分のことなんじゃないか」と思う人が出てくるんじゃないかと思ったんです。

解像度が高い方がいいですよね。抽象的だと「?」となる。

宮崎

そもそも抽象的でかっこいいことを書ける人はいっぱいいますからね。その人たちは凄いんですけど、僕はできないから「赤子が寝付きが悪い」とか、ごく個人的なモヤモヤを書く。

連載のなかで意外と人気があったのが「朝顔観察日記シリーズ」で、連載の中ではシリーズ最長だったんだけど、朝顔の写真が一度も出てこない文字だけの連載なのに、PVがめちゃくちゃ良かった。それはとことん僕が朝顔を観察しまくったからなんだと思います。

しかも朝顔が途中強風で倒れちゃって、復活させようとしたんだけど復活しなかったから、「二代目朝顔観察日記」までやったんですよ。最終的に種を収穫ところまでを全部言葉で表現して、実際僕の朝顔観察日記を見て朝顔を育て始めてくれた人もいたようだし、だから写生主義という意味では極致だった。

なにせ、朝顔のことを書いていない回もありますからね(笑)。二代目朝顔観察日記の(7)です。朝顔に水やりをしていたら、東京の早朝が青く見えるってことに気づいた話を書いている。朝顔はほとんど見てないんだけど、そういうことも含めて心象風景をスケッチしたつもりです。

早朝、朝顔に水をあげてから寝るのが習慣づいたときに、渋谷の早朝の街全体の風景が青く見えた。漫画『ブルーピリオド』に渋谷の早朝が青く見えたというエピソードがあって、それを読んだときは、芸術的な描写による誇張なのかなと思っていました。でも、僕もそのとき、都会の早朝って青いんだってことに気づいた。朝顔は関係ないんだけど、生活している中で発見した一大事のように感じました。

とはいえ、251回も休まず平日毎日公開するのはやっぱり大変でした。途中で緊急事態宣言とかもあって人に会えなかった時期もありました。コロナ以降に開始した連載だからそれを言い訳にはできないんですが……。基本的にモヤモヤは人に会うとよく発生するじゃないですか。旅行にも行けないし、ほとんどの生活は家の中で仕事や育児、家事をするか、マンションに入っているコンビニに行くか、犬の散歩か、朝の朝顔の水やりかくらいしか普段は外に出ない。

たまに実家に帰ったり、ラジオの収録に行ったりするんだけど。それ以外のイベントは起きない中、それであっても連載は251回すべてが読めるものになっていると自負しています。今ちょうどリライト中で今年の初夏に出版されると思う。

たまたまコロナ禍だったという意味では、もうちょっと時間が経ってコロナ禍の時代を映す鏡としての話としてはいいんじゃない?

宮崎

そうそう、そうなんですよ。とくに僕は家の中で仕事をやっているから極端に行動の狭い人間が書いた連載なんです。さらに読めるようにしなくちゃいけないので、日常生活や周囲の環境を、それはもう目を凝らして見なければ、原稿が書けないわけですよね。極端な行動範囲の狭さだったからこそ、僕の感覚が研ぎ澄まされていったし、面白くなった連載かなと思う。何度もいいますが、身近なことに目を凝らさないと書くことがなくなるので。逆に言うと、目を凝らせば、平日毎日リアルタイムで251回分の原稿が書けるということです。

時代が先に行けば行くほど、価値は出るような気もする。

宮崎

行動範囲が狭すぎて、マンション管理人さんと何を話したとかまで書いていましたからね(笑)。生活スケッチの練習を毎日している感じ。実践してみて良かったです。身近にあるものが、以前よりクリアに見えてくるようになった気がしています。

生活の深度

不思議なんだけど、行動範囲が狭いのに、2021年は自分の生活範囲が拡がった気がするんですよ。だから生活って距離的な広さだけじゃなくて、深さとかいろいろなレイヤーがあると改めて思った。アルコールを飲んでいた頃、いろんなところに飲みに行っていた頃の僕って行動範囲は広いんだけど、今より生活は狭かったと思う。

当時は深さがなかったってこと?

宮崎

そうそう。周囲をよーく観察してなかったですから。それこそ身近なものはどうでもいいというか、独身だったし、お皿洗うのも面倒くさくて、コンビニで買ってきたまま食べるとか、そんな次元の世界だった。丁寧な生活をすると言ってしまえばそうなるかもしれませんが、読んでもらうとわかるけど丁寧な生活とも違う。普段の僕って丁寧じゃないじゃん?

そこまでは知らんけどさ(笑)。

宮崎

でもせっかちなことはわかりますよね?

せっかちなことは知ってる。

宮崎

だから一汁三菜を毎日出来るようなタイプじゃないですね。

でも、今はとにかく周りを見ている。匂いを嗅いでる。周囲の声や音に耳を澄ましている。そうやってボタンのかけ違いがどこかで生じていないかをしっかりと確認しながら生活を積み重ねていくことを心がけている。個人としての生活を守ることがまず第一前提としてあって、そこからもっと広い世界に想像力を広げていく。

本当に自分の美しいと思うことや、自分がいいと思うことを、徹底的に思わなくちゃいけないからこそ、もっと大きな世界に目を向けなくちゃいけないということもわかった。アルコールを飲んでいたころは、僕はそこが外れちゃってたんですよね。土台が抜けているのに、その先のことを考えようとしてるから頭が空転し、挙げ句の果てには酒飲んで忘れよう、もう辛いから気絶するように寝よう、みたいな感じになっていた。土台を踏みはずさないようにしているからこそ、友だちを大切にするようになったし、社会に対する憤りもある。

世界の広さとレスポンスとコミュニケーション

自分のことも含めて「世の中ってすごくいいものじゃないな」ってことはわかってきた。自分がすごい人間、立派で高潔な人間だとはどうしても思えなくなってきました。

高潔な人間なんていないのは、大人になってわかった。

宮崎

「世界が素晴らしいものではない」けど、「あながち悪いものでもないな」ってこともね。

まぁね。

宮崎

消極的な言い方に感じるかもしれませんが、いいときもあるよねって。

生きていると普通に絶望するときがあるじゃないですか。でもそのときも「あながち悪いものではない」というか、大人だからなんとか乗り切るしかないじゃないですか。昔ほどハッピー尽くしで「俺はこれから昇り調子だ」って思うことはないけど、過度に希望は抱かなくなったぶん、過度に絶望もしなくなったかな。あくまで一個人としての人生の話ですけど。

みんなそうであればいいんだけど、正直世の中で起きてることは、もっと安易だよね。

宮崎

わりとまだ「やってるやるぜ」みたいな雰囲気があるのかな。

雰囲気はあるし、すごく短絡的だし、あまりにも世界が狭すぎる人たちが多いとは思うかな。

宮崎

う〜ん。人のことは一概にはいえないけど、世界を広げすぎちゃって、狭くなってるところはあるのかもしれない。歳をとるってことは限界を知ることだですからね。その限界を知ると、これは吉田健一が言ってることなんだけど標準を定めやすくなる。若い頃って何でもできそうだけど何にもできない感じがある。それが焦りや頭の中の忙しなさにつながる。標準が定めやすくなるのは、それはある意味で諦めではあるんだけど、希望でもあり得ます。

そもそも僕の性格上、即断したことはだいたい間違うんですよ。ただ仕事柄、レスポンスはしますけどね。

レスポンスは大事。

宮崎

レスポンスはしますが、決定自体はもうちょっと考えたり、だいたいの方向性を決めたり。仕事だけではなく生活面でも即断で決めたことはたいてい良い結果にはなっていません。

レスポンスがあればいいんじゃないかと思う。むしろレスポンスがない人の方が多いから。

決めるまでレスしないような人は、ちょっとどうなんだろう?と常々思ってはいるけど。

宮崎

コミュニケーションですよね。生活もそうなんだけど、0か1かでスパーンと分かれるものって少ないじゃないですか。

宮崎くんからのレスは、いろんな人と比べても丁寧だと思うもん。

宮崎

人とコミュニケーションをとりながら決めていくことは必要だし、生活もそうなんだと思っています。何か上手くいかなかったら「こうしよう!」とすぐ即断して決まることは生活では多くなくて、とりあえずレスポンスはきちんとして頭の片隅に置き、考え、悩むといったコミュニケーションをしながら決めていく必要がある。

たとえば夫婦間で問題が起こったとき、あと一時間で決着をつけようなんてことはないわけですよね。

その問題は問題としてちゃんとコミュニケーションを取りながら調整していきつつ、合意できる部分を探っていく。もちろんそんな猶予がないものもあるから、2〜3日で決めないといけないこともあるんだけど。

僕は決断力とか確固たる自分の価値観を持つことよりも、コミュニケーションし続けられる関係を築くこととが大切だと思っています。とりあえずコミュニケーションを途絶えさせなければ、仕事も生活も改善する方向には進むと思うんですよ。

これは駄目だって直感的に思った仕事でも、とりあえずコミュニケーションを取っていれば、こういう感じならいけそうですねってこともあるわけじゃないですか。

だから結局、いかに宙ぶらりんの状態に耐え得るか。まだ決まってないことに対して、すぐ決めたい、次をやりたい、すぐやめたいではなくて、とりあえず根気強くコミュニケーションを取り、これならいけそうですね、ちょっとこれは無理そうですねって調整していく。どちらにしろ、コミュニケーションをしながら考えていかないと。自分ひとりの力だけで決めなければいけない事柄もあるけど、そういう事柄はそう滅多にはないような気がしています。

それはもう本当にそうだと思う。本日はありがとうございました。

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi