ツブヤ大学のきっかけ
ツブヤ大学を行うことになったきっかけは、このツイートから始まった。
このツイートから仮想行政区「粒谷区」が出来た。そしてそこに乗っかる形で「ツブヤ大学」はぼんやりとその輪郭を形作ることになった。
僕が何かをはじめるきっかけの最初の動機になるものは、ほんの些細なものであることが多い。「ツブヤ大学」も乗っかったノリからかなり軽い気持ちで始めたと思う。
当時はUstreamが話題になり始めるころでもあり、そのサービスを利用すれば、ネット環境さえあれば、誰でもどこでも見れるようなものが出来ると感じていた。だから「ツブヤ大学」の最初の構想は、まずUstreamを使った動画配信で、誰でもどこでもアクセス出来るものを目指してはじまった。
完全な素人がはじめたことなので、本当に迷惑ばかりかけていた。そもそもネット環境さえあれば大丈夫という過信があった。どれだけ環境が整っていても、動画配信は突発的な不具合が発生しうることを知った。本当に何も知らない状態でここまでやれていたと思う。
面白い企画を実行に移すことは出来るが、ビジネスセンスがあまりない自分にとって、周りの人たちに頼りながらツブヤ大学は歩みを進めていった。ちょくちょくメディアにも取り上げてもらえる機会もあった。
ツブヤ大学で大きな出来事は「法人化」したことだった。大それた資本金などあるわけがないので、選択したのはNPO法人だった。まったく分からないところからのスタートだったが、幸い市の担当者に恵まれたこともあって、何度かの打ち合わせといろいろと調べた結果、ほぼ独力でNPO法人化を行うことが出来た。その後決算だったり事務作業で右往左往することは法人化したからなので、仕方ないことだし、ここでもいろんな人の力を借りて、乗り越えられる場面が多くあった。
何もわからないままTwitterに出会ったことで、ツブヤ大学をはじめることになった。法人化することにもなった。
ツブヤ大学を立ち上げてよかったことはいくつかある。
まずいろんな人たちに出会えたこと。ツブヤ大学を始めていなければ出会っていなかった人がたくさんいる。僕の人生のある種分岐点であり、ツブヤ大学をやっていなければ、家と職場の往復だけの人生を送っていたかも知れない。
Twitterやツブヤ大学があったから、落語をちゃんと知ることが出来た。あの当時Pokenが流行っているときがあって、それがきっかけでPoken落語の開催を知り、そして立川こしら氏の落語を見た。あれが生で見たはじめての落語だった。
それまでどこか古臭いと思っていた落語だったが、はじめて見た落語でイメージが少し変わった。ただし最初に見た落語が立川こしら氏だったのは、どうなんだ!とおっしゃる人もいるかも知れないけれど、それはそれで結果的には良かったんだと思う。
東北福寄席のはなし
そんな落語との出会いがなければ、きっとなかっただろうと思ったことがある。
ちょうど今週東日本大震災から10年を迎える。落語に関わりを持ったことで、被災地に笑いを届けようとはじまった「東北福寄席」のプロジェクトに関わった。
都内で落語会をして集めた資金を元手に、被災地で落語会をおこなった。
そして2011年にまだ立ち上がったばかりのREADYFOR で、右も左もまだ分からずに、えいや!で、クラウドファンディングも行った。
阪神大震災のとき、自分はまだ小学生で被災地の皆さんへとおにぎりを握った記憶がある。その後しばらくして西宮や神戸に行く機会があり、そこで少し震災の爪痕を感じる程度だった。
10年前は実際に宮城県の仮設住宅へ行って、実際に被災した皆さんと落語会を開催することを通して交流をした。だから僕個人にとっては東日本大震災のほうが身近な出来事としてある。単純に被災地で落語をし、そしてそれを見て皆さんが笑ってくださったことは何よりも嬉しかった。始発の電車で宮城に行ったのも思い出深い。
その後は福島でも何度か落語会を行った。福島では亡くなったケーシー高峰さんにお会いすることが出来たのは個人的にも大きな経験になった。そしてこの経験がなければ福島との縁も出来ていなかったと思う。そういう意味ではつながりや縁は大事な要素だ。
桂枝太郎さんも「東日本大震災のまえとあと」の中で述べているけど、僕にとっても実際に被災地に行く経験、間接的に復興に関わる経験は何かのきっかけになっていると思う。
ツブヤ大学で出来たことと、これから先
ツブヤ大学があったことで、会えそうで会えないような人たちと会えるようになっていた。僕自身はもともとマスコミへ行くぞ!なんてことを思ってマスコミを受けていたがダメで、ベンチャー企業スタートの社会人だったけど、いつの間にかメディアで活躍されている人たちとも交流を持つようになった。
最初はオンライン一辺倒だったツブヤ大学だったが、それだとあまりにも非効率だったこともあり、毎回参加費の値付けには苦労するものの、実際にリアルな場所で行う企画をメインにするようになっていた。
ツブヤ大学の最初の企画は、Twitter経由で行われた「軍平ナイト」だった。実はそこで横井軍平さんの功績もちゃんと知ることが出来た気がする。
今のような殺伐感がまだなかったTwitterは、ミーハーの僕にとってはすごくわくわくするツールだった。自分が知っている人にリプライをすれば、運が良ければちゃんと返事が来る。そんなワクワク感を持てるツールは当時ほとんどなかった。だから全然面識がない人にも実際に会いに行くことも出来たし、その後も関係の続く人も多い。
ある人には毎回会うたびにもらう名刺が違いますね、なんてことを言われるけれど、でもツブヤ大学は続いている。もう法人化して10年も続いている。この事実は僕自身のなかでもとてつもなく大きい。と同時にその年月を感じてしまう。
ツブヤ大学のまえとあとは、僕のなかではすごく大きい。自分なりにもたつきながら、でもやれることや出来る幅、動ける範囲は格段に拡がった。ツブヤ大学の活動を通して視野は圧倒的に拡がった気がする。もちろんメリットやデメリットも多くあったけど、やってよかったと思っている。
バウムクーヘンが1本まるまるあったら面白いかも?からはじめた「バウムクーヘン・ナイト」はバウムクーヘン博覧会よりも前にはじまり、もう次をやれば10回目になる。
ただ崎陽軒のシウマイ弁当を食べながら話を聞くという企画なのに、あんなに濃い企画はないと思う「シウマイ忘年会」も、5年以上続いている人気企画になった。
だから結局原動力は「何だ?」と言われたら、面白いと思うことをただ実行していくだけなのかもしれない。で、面白いと思ったことを実際に実行することが意外とハードルが高いんだと思う。だからこそ、それを過去10年ある程度積み重ねていけたことは、自分にとっても非常に大きな経験なんだろうと思う。
そうでなければ、このまえとあとも、一気に立ち上げることも出来なかったかもしれない。
このコロナ禍のなかで、なかなか面白いことが出来ないなか、まえとあとで何か出来ないかを模索している。そのなかで、オンライントークイベントが出来ないか検討している。
リアルなイベントでしか出来ない空気感だったり、その場で感じ取れるものがある一方、オンラインでしか出来ないことも逆にあると思っていて、どういう形にせよ、2021年のどこかで始めてみようと考えている。
また、どういう形になるかは検討段階だけど、まえとあとの紙版が出来ないかにも、2021年はチャレンジしていきたいと考えている。
ずっとWebをはじめたころから、紙を意識していて、突如InDesignをさわりはじめ、実現に向けて動き始めた。現時点ではどうなるかまだまだ見えない部分はあるものの、とりあえず動く、そして考える。を続けていくつもりだ。
この東日本大震災から10年は、自分にとっても様々なきっかけが続いている10年。そしてそれはさらに続いていく。続けていかないといけない。だからちょっとずつ地道に積み重ねていく。それだけしか出来ないんで。
ちょっと余談
インプットすることもアウトプットすることも非常に大事だ。ただ今の時代はインプットをずっとしているだけではダメだと思う。なぜかそれはインプットしているうちに、どんどんとこれまでの何十倍の速さで物事が進んでいくからだ。
つまりどういうことかと言うと、インプットするあいだに時代が進んでいるから、またインプットし直さないといけなくなる。そうすると、ずっとインプットだけをしなくてはいけない。だから結局アウトプットをするタイミングを逸してしまうのだ。
じゃあどうすればいいのか。それはアウトプットしながらインプットしていくことだ。つまり吐き出した勢いで吸い込む呼吸法に近い感じ。
絶えずアウトプットした勢いでインプットしていく姿勢が大事で、常に走りながら吸収し、出していく循環を作り出すことが大事だと思う。電気の発電と一緒で、何かひらめいた瞬間に形にしていくような動きをしなければ、いつの間にかアイデアは消えていくような気がする。思いついた瞬間が旬であり、その鮮度をどう保ったまま一気に作り上げるか、は大事な要素な気がする。
誰かにも言われたことがあったような気がするけれど、やっぱり思っているだけではダメで、形になってからが真価であるし、形になっていないものには何も評価をすることが出来ない。絵に描いた餅とはよく言ったもので。
やるやる詐欺と、始めたはいいけど数年経つと何もやっていないように見える状況は、日本ではよく見受けられる風景だし、自分が一番やりたくないものでもある。
この数週間で経験値が深い大人に接する機会があり、いろいろと学びが多かった。年齢じゃなかった。年齢よりも考え方や行動力が絶対的に大事だと感じた。
絵を描いたら、一気に作り上げることをこれからも意識して、とりあえず走る。さりとてしっかりと作り上げるで、いまの時代に何とか並走していきたい。子どもは変化に強く、大人こそしっかりと時代についていけることが求められていると常々感じている。
以上、ちょっと余談。
Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi