来週で運営一周年を迎える前とあと

望月大作
まえとあと 編集人

山あり 谷ありでメディア運営を1年間やってきました。協力いただきながらやってきたなか、いま考えていること。

Profile

望月大作
同志社大学大学院修了。修士論文のテーマは「ガンダム」。さまざまな企業に勤める傍ら、十数年前にソーシャル系大学、「ツブヤ大学」を立ち上げる。直近ではWebメディア「十中八九」の編集長を退任後、Webマガジン「まえとあと」を立ち上げ、編集人となる。所持する資格は車の免許以外に、漢字能力検定2級/歴史能力検定世界史2級/知識検定1級。

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来週で運営一周年

来週ついに「まえとあと」をはじめて1年が経過します。どう考えても一週間書くのが早いと思っている皆さん、それは正解です。しかし不正解でもあります。記事を出す順番などもあり、今回書いている記事は、今日公開となります。

あっという間の1年でした。ご協力いただいている皆さん、そしてこれまでのご縁と新たなご縁もあり、この自分にとっても忘れられないぐらいの激動の1年をひとまずは越えてくることが出来ました。

「1年ぐらいでなんやねん。まだまだやん」という意見もあると思いますが、本当に僕自身にとっても、。どうなるか分からない1年だったし、まだまだ先を見通すことがなかなか難しいのは誰しもが思うところだと思います。

そもそもこの「まえとあと」というメディアをなぜやることになったかを簡潔に書いたのが、最初に「まえとあと」で書いた記事です。

編集人のまえとあと」参照。

そもそもなぜメディアを運営?

そもそもメディア運営を個人でやることはあまり推奨されません。がしかし、前職でまだ始まったばかりのものを、あまりにも中途半端な形で放り出されたことは、僕の持っているポリシー上、いわゆる道義に反することだったので、突然のことでまったく頭にもなかったメディア運営を個人ではじめました。

そうは言うものの、前職でも実質的にひとりでやっていたので、体制的なものは特に変わりはなく。

ひとりでやっている分、大変な部分もありますが、来年40歳(全然実感値がないのですが)になるこの歳でもまだまだ学ぶことや覚えることが多く、否が応でも充実した時間だけは過ごせていると思います。

そもそもまえとあとはほぼ一ヶ月も掛からない程度で垂直に立ち上げました。昨年3月末までまったく何にも予期をすることが出来ずにいたので、正直4月末に去ることになったタイミングでも、まだどうするかは決まっていませんでした。自分でもこの中途半端な状況は容認することが出来ず、いろんな人の想いが詰まったものが事実上消滅が決まったことに対して再起を期す想いと、まったく新たな気持で今後に臨んでいく道とに揺れ動いていました。

いろんな人に相談するなかで心も固まり、「まえとあと」を立ち上げることを決めたあとは、あっという間の速さで立ち上げることが出来ました。新たに取材も行いました。ストックなんかあるわけなかったので、オンラインで取材、そして撮影は現地でみたいな流れで一気に記事を作って2020年6月8日に「まえとあと」は、はじまりました。

正直1年が経過するにあたって思うことは、まだまだやりたいことは出来ていないし、まだまだ多くのひとに「まえとあと」の記事を届けられていません。もちろん1人だから限界がある一方、それはそれで言い訳に過ぎず、まだまだ出来ることが出来ていない現状があると考えています。

まだまだ話を聴きに行きたいけど行けていない人がたくさんいます。これな物理的な意味と金銭的な意味でまだまだ出来ていません。ここも自分がまだ力不足過ぎる面だと考えているところです。

力足りないことが目立つ一方で、また新たに話を伺う機会が得られたことで、さらに自分の学びは飛躍的に増えました。知っていたようで知らなかった話を聞くことが出来たこと、自分が実は焦っていたことに気づいたこと、自分にとっても話を伺うことで新しく得られたものが多くありました。

本当にこの歳になっても自分の何を誇れようと思うほど、自己肯定感がずっと低いままなのは厄介で、いろんな人の話を吸収することは自分の励みになる一方で、自分は何をやっているんだろうと想うことと表裏一体で、若干諸刃の剣の意味合いもあると感じることも多々あります。

あっという間に時間が過ぎるなかで考えていること

あっという間に時間が過ぎていきます。思った以上にあっという間に。もちろんコロナ禍でさらにそれが加速されたような感もあるんですが、30歳に入って以降、加速度的に時間のスピードが速い気がしています。

自分がこの先というか、「いま」何が出来るかを考えたときに、「まえとあと」が目指すべき「なにか」が見えてくる気がします。

まだまだ僕自身、学ばないといけないことはたくさんあるんですけど、自分が「いま」出来るかも、と考えることは、自分のスタンスで見たものを文字として残すことなんじゃないかと思っています。そこまで大げさに言うほどの技術が追いついてないですが(汗)。

みんながみんな同じ視点でモノが見れるなんてことってないじゃないですか。結局自分が経験してきたもの、自分の人生の背景、それらが相まって出来た価値観の先にある視点なので、完全一致で同じものを見えるものなんてない。今のところこんな結論になるんですが、だったら、きっと見せ方・伝え方も千差万別にあるわけで、だから同じひとを取り上げていたとしても、同じような見せ方になっているようで、なっていなければ、ひとまず正解なのかな、と思ってます。

でも結局正解というのは、相対的なものであって、絶対的なものではないので、その記事を見た誰かしらの価値観のなかで波長が合っているみたいな感じなのかもしれません。今のところこれは何か近がったかもしれん、みたいな記事は作っていない気がします。僕が感じた何かしらの発見は、記事のなかに持ち込めているんじゃないか、そんな気がしています。

何か向かうべき場所を指し示すわけではなく、「ちょっとこんな感じもあってええんちゃう」がモットーなんですよね。誰かの考えを180°変えようなんて毛頭なくて、何だろ考え方のセレクトショップみたいな感じなんですかね。いいと思った記事あったら持ってってーみたいな。ノリとしてはそんな軽めな感じなんですけど、記事じたいはしっかりと読んでもらいたい。全部読んだうえで、何か残るものがあればな。と思っています。

ガッチガチなThe interview みたいなものを狙っていないのは、ちょっとした雑談的な話のなかに残るような言葉が生まれると思うんですよね。だって作られた台本のなかに心に残るコメントがすでに書いてあるわけないじゃないですか。ドラマじゃないんだし。

別に何か演じているものが見たいんじゃなくて、ありのままの言葉のなかにある残るものが見たいんんですよ。僕も記事を読む人たちも。それをどうして感じるかは、もう10年以上ツブヤ大学をやってきた経験からきているものだと思います。

僕が企画してきたものは、基本的に台本はないので、その場でヨーイドンで話してもらうんですが、そこでやっぱり毎回印象に残るコメントが出るわけです。それが毎回あったからきっと楽しんで出来ていたんだと思います。別に人脈(言葉からそもそも苦手なんだけど)を広げようみたいなことではやっていません。たぶん根源にある自分の欲求として、面白いことを紹介したいんでしょうね。

何か面白いことはいろんな人に紹介したい。面白いと思う人同士はつなげたい。何かそういう根源的なものがずっとあるんだと思います。

自分なりの最短距離をつくっていくこと

いきなりでよく分からないかもしれないですが、自動車の教習所で運転を習っていたことがあって、もちろん免許は取りました。そのなかですっごく運転の上手い教官がいて。ハンドルを最短距離で回して最短距離で動くさまが素晴らしくて。

だからいろんなものに対して、自分が携わるものに関しては、できるだけ最短距離を目指したいと思うようになりました。だから自分がつなげたいと思ったものはつなげるし、最短距離でメディアも立ち上げる。もちろんそれが上手くいかない場合もありますけど、もう走りながら考えないと、どんどん時間が過ぎていくのがもったいなくて。考える時間もくれなかったりするじゃないですか。ひとりでやっているので余計ですけど、小気味よくこなしていかないとダメだと本当に感じます。

走りながら考えるので、また1年後にはここで書いたことと真逆のことを書いているかもしれません。でもいまの時代はそれでも良いんだと思います。むかし常識だったことは既にいま常識ではないことが多々あります。だから常にアンテナを出し、アップデートしながら、まえとあとは進化と深化をつづけていきたいと考えています。

自分の置かれた環境が当たり前だと思わず、本当にいろんな環境が、みんなそれぞれにあることをSNSを通して思い知らされることがあります。自分の見識の狭さを改めていろんなものに触れて感じることが最近多くあります。でも自分ができることに限界があることも事実です。だからまず目の前を意識しながら記事を更新していきます。それを積み重ねるとイチローさんが言っていたような積み上げたからこそ見える景色が見えるんじゃないかと思います。

まず1年。そして次の1年へ。

引き続き、まえとあとをよろしくお願いいたします。

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi