30代最後のまえとあと

望月大作
まえとあと 編集人

39歳になっても、まだまだ自分が今後どんな人生がわからない。でも分からないなりに考えてきたことはあるんじゃないかと、本日ちょっと書いてみました。

Profile

望月大作
同志社大学大学院修了。修士論文のテーマは「ガンダム」。さまざまな企業に勤める傍ら、十数年前にソーシャル系大学、「ツブヤ大学」を立ち上げる。直近ではWebメディア「十中八九」の編集長を退任後、Webマガジン「まえとあと」を立ち上げ、編集人となる。所持する資格は車の免許以外に、漢字能力検定2級/歴史能力検定世界史2級/知識検定1級。

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昭和50年代の生まれ

最近、 #昭和50年代生まれ のハッシュタグがTwitterでバズっていて、実際に内容を読んでみると、本当にわかるわ〜と思ってしまうことばかりで。

そんなドンピシャな昭和50年世代なんですが、ついに30代最後の歳に突入となりました。9月5日まで熱戦が繰り広げられていたパラリンピック。そのなかでも主将だった車いすテニスの国枝慎吾選手はきっと自分よりも年上だろう、なんて思っていたら、国枝選手は37歳。年下か。。

でも、そうなりますよね。

みんな歳下なのか

MLBに目を向けて見れば、大谷翔平選手が、もはや前代未聞の快進撃を続けていて、彼のホームランの4分の3はリアルタイムで見たんじゃないだろうか。と思うぐらい追って確認している自分がいます。こんな感覚はいつ以来だろうか。と思うと、イチロー氏が選手だった頃のことを思い出します。

そんなMLBのなかで30代後半になっても圧倒的な活躍をしているのが、先日ナショナルズからドジャースに移籍したM・シャーザー選手。MLBでは日本と違って大物だろうが小物だろうが、ガシガシ移籍します。しかも圧倒的に自分よりも絶対歳上やん、、って思ってたら、37歳。。国枝選手と同い年やん。てか37歳すごく活躍してるやん。などと思ったわけです。

39歳になってしまいましたとさ

そんな編集人も9月7日で30代最後となる一年となりました。39歳となりまして。

個人的には30代になってから加速度的に一日一日があっという間に流れていき、加速度がつきすぎて、逆に老化速度は緩やかになったんじゃないかと思うぐらいで。そんな逆回転現象が起きてくれていればいいなと思っております。

ずっと老け顔で世の中を渡り歩いていた身としては、ここ3年近く毎週トレーナーを付けてトレーニングをしてきた結果、なで肩も改善されてきており、それが多少見た目の若返り?にも貢献しているんじゃないだろうかと、あくまで個人的見解で感じている今日このごろです。

ついに40代が目前となった実感がまったくないまま、39歳まで到達した身としては、思った以上に年齢はただの数字、ただの記号と思って、ひとまずは進んでいこうと考えています。ほぼ毎週トレーニングをしていることもあり、実は今が一番体力があったりするんじゃないか、と感じていたりもします。

今後公開する記事のなかでも語っているんですが、社会人になるまで、運がよいことに周りにはほっとんど悪い人がいませんでした。だからなのか、単純にピュアだったのか、自分よりも歳上のひとはみんな自分より賢いんだ、という謎の先入観を持って学生生活までを営み、そして社会人になりました。

あとから考えると意外とターニングポイントだった1社目を辞めたこと

思った以上に早く一社目の会社を辞めて転職することになったこともあり、これは今思えばかなりターニングポイントで、結果的に今の複眼的な価値観を形成するきっかけにはなりました。あのままもっと同じ会社にいれば、もう少し柔軟性は失われていただろうと感じます。39歳でもまだフラットな価値観を持つことが出来ているのは、SNSを始めて以来、地道に拡がった自分のネットワークが非常に大きな意味を持っています。

もちろんその意味も実は20代と30代では意味合いが変わってきています。本当に過去の自分はいったん構築した人間関係はなるべく失ってはならない。という固定観念に囚われていたと思います。

囚われている意味では、ずっと自分は自分で勝手に作った固定観念に、自動的に囚われていました。それは単純に見渡す世界が本当に見渡すぐらいまでしか想像が及ばなかったからなんだ。とあとから気づきました。

本当に本当に人見知りなんです

その反動なのか、もともと人見知りが激しい自分が、いろんな人と仲良くなり、いろんな人に取材をしている状況を、中学校時代の自分が予想できただろうか。と。絶対出来ないと思います。あの頃はJリーグが始まったころだったので、サッカーいいよね。みたいなことを考えていました。

人見知りに関しては、未だに完全には直りきっていません。だから人前に出るのを極端に嫌うのに、どこかで出てみたいと思う天の邪鬼な自分も一方ではいるという矛盾を抱えながら日々と向き合っています。

だから、どっちも本当の自分には変わりないんですよね。ちょっと強気かちょっと弱気かぐらいの違いみたいな。自分にないものを読書で埋め合わせるように、自分にないものを他者の経験から吸収する要素が、いま自分には合っている感覚だから、こうやって一年以上とりあえずメディアを続けることが出来ているんじゃないかと思います。

他人に興味がなかったら、こんなことをしていなかったと確信はしています。今年は本当にひとつ転機になる年です。10年以上続けていたNPO法人を閉じる作業を続けています。ついにこの9月に完全に閉じる作業が終わる予定です。このNPO活動は間違いなくいまの僕を構成する要素の源泉です。ここで培った経験と挫折とを昇華するために、また新たにメディアを個人ではじめました。

チリツモが本当に大事

まだ全然影響力なんてなくて、この文章もどれだけの人に読んでもらえるかは未知数です。でもちょっと進むことが大事だと思います。いきなりドカーンと進まなくていいんです。ちょっと進めばいいんです。NPOの活動、そして職能としては一番長い広報・マーケティングの仕事を通して、チリツモの大切さを知りました。それをどれだけ続けることが出来るかで、どこまで遠くに飛べるのかが変わってきます。走り幅跳びの助走の部分みたいな感じです。

まだまだいろんな価値観を吸収すべく、自分が見える世界を拡げていかないとダメだと感じています。どっちにしろ年齢が上がれば上がるほど、見える世界は狭まっていくのです。でも見える世界が狭まった結果、陰謀論に陥ったり、SNSに罵詈雑言を書いて溜飲を下げみたいな年輩者にはなりたくないんです。

常に変化を感じ取れるようにアンテナの感度を磨き、その感度を下げないように振る舞うためには、常に変化を恐れず、あれはダメだこれはダメだと決めつけないようにしないといけません。ここはまだまだ出来ていない部分であり、もっと若い頃に思い描いていた落ち着いた30代後半とはかけ離れたような39歳が爆誕していますが、それは致し方ありません。

どこから見るのか / 切り取るのか / 価値観を

あなたは「正義」がありますか? いや全員が正義みたいなものを持っていて、悪みたいなものを持っているんです。あなたから見たものが正義だとしても、僕から見たら悪に見えるものだってあるんです。ということは価値観なんて、自分が勝手に定義づけているだけであって、他人にとっては全く意味をなさないものかもしれません。だから俺の「正義」は押し付けてはいけないんです。きっとだいたいの場合、あなたの「正義」を押し付けることは、ありがた迷惑です。ユニコーン風に言えば「大迷惑」になっちゃうかもですけど。

今のどちらの価値観も正義になりえないとあからさまに分かってきた時代だからこそ、ガンダムシリーズを見てほしいと願わずにはいられません。結局価値観なんて、誰がどこからの角度から切り取るかだけで、きっとみんな実は真ん丸な球体を見てました。終わり。みたいなことなのかもしれません。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じ神を信仰しているように、信じるものや育った環境で、同じ価値観も見方は変わってしまいます。

だから、その誰かの価値観を是正するんじゃなくて、肯定し、その価値観を受け入れることが求められている気がします。オリンピックのスケートボード競技には、その場にいる人たちがスケートボードという競技のもとで、ひとりの人間としてみんな様々な価値観を越えて楽しんでいるような姿に見えました。だから、こんな場面がありふれた日常になれば、若い世代は安心だなってなりませんかね。

四十になる前に惑was

39歳になって最初に書いているこの文章には、特に落ちはないんですが、とにかくいろんな価値観に触れることは、マイナスではなくて、もっと広い世界を見るためのきっかけになるから、価値観で溢れた大海原のなかでどれだけそれを吸収できるかどうか、なのかも知れません。

正直なところ、まだまだ知らないことが多くて、たまに焦ることも往々にしてあるんですが、現在はフリーランスなこともあって、へこたれているとどうにもなりません。前へ前へと進むしかないんです。

すべてのことを忘れて前に進むことが出来たらどれだけ楽なのか、と思うくらいほっとんどのことを憶えたままで断捨離できずに進むオフロードなので、脳の記憶キャパシティ大丈夫か問題はのちのち出てきそうな気もしますが、物理的な関係の断捨離などは出来るようになったので、まだ望月としてのキャパシティは前よりも確保出来ているような気もします。

この30代では何度も書いているように、これまで以上に多角的な価値観に触れたり、知ったり、分かったりすることが多い時間だったと思います。30代の最後となる年にオリンピックとパラリンピックを迎えたことも何か自分にとっては示唆的な出来事だったように思えます。

おかげさまでさまざまな経験を経て、四十になる前に惑wasになっておりますし、ちょっと達観してしまった部分もあるかもしれませんが、引き続き「まえとあと」ともどもよろしくお願いいたします。

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi