カラーボトル活動再開のまえとあと

大川“Z”純司
ドラマー

カラーボトルには「10年20年」という曲がある。大川くんとはそれこそ10年前に知り合って、最近また再会して、そしてこのインタビューにつながった。縁というものは不思議なもので、また必要性があったら、ちょっと遠くなった人でもいずれまたきっかけがあれば再会するもんだなと思う。そんなことをいろんな側面で感じられるインタビューだったらいいと思う。

Profile

大川“Z”純司
1985年生まれ。宮城県山元町出身。
バンド「カラーボトル」のドラマーとして2007年ドリーミュージックよりメジャーデビュー。
一時活動休止を経て、2023年に現体制での活動を再開。
現在はサポートドラマーとしても活動中。
これまでの主な参加プロジェクトは、The Canbellz、無重力のレシピ、阪本奨悟、フリーウェイハイハイ、SUPER HANDSOME LIVE、など。

Index

カラーボトル、再始動の経緯

大川

カラーボトルはもともと地元が仙台のバンドなんです。2004年に仙台でバンドを組んで2005年にインディーズでデビュー。2007年にメジャーデビューしてからはしばらく仙台で活動しながら、のちに上京して東京で活動していました。その後は2017年までバンド活動は続けていたんですが、メンバー間の温度感もあったりで、このまま続けてもいい音楽ができないってことで一旦休みを取りました。

ボーカルの竹森マサユキは今は仙台に住んでいるんですが、もともと僕らは宮城出身なんで、ボーカルの竹森はカラーボトルの活動休止になる少し前くらいから仙台に戻って、向こうでソロ名義の活動をずっと続けていました。

正直に言うと、僕自身はもうカラーボトルを再開することはないだろうと思っていたんです。でも、紆余曲折あって去年の9月から再始動することになりました。

再始動のきっかけですが、仙台市では「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」という街ぐるみのイベントがずっと続いていて、その主催者から竹森にカラーボトルとして出演してもらえないかって打診があったらしいんですよ。

ー定禅寺ストリートジャズフェスティバルの主催者はカラーボトルをもともと知ってたってこと?

大川

そうですね。なんだかんだ仙台は地元なので、ボーカルの竹森にバンドとして出てくれないかって打診があったということで、急に連絡があって。

ーその連絡ってもう数年ぶりだったの?

大川

数年ぶりの連絡です。活動休止になってからは全然連絡してなかった。細かく言うと2017年に活動休止の際、そのときは1年間だけ休んで、1年後に再開しようとメンバー内で話していました。でもその間にギターのメンバーと連絡が取れなくなり、活動再開するにも難しくなって。その後今後の活動をどうするか話し合って、無期限で休もうかって話し合いをした時以来の連絡でした。その無期限活動休止の打ち合わせをして以来、一切連絡をしないで、お互いSNSを見てなんか活動やってるなって感じでした。

それで去年の6月に「実は・・・」と話があって、せめてこの日だけでももう1回ライブができないかってLINEが急に来たんですが、最初は断ろうと思ったんですよ。

「ギターも結局連絡つかないし、2人でやる意味ってあるのかな」と断るつもりで話を聞いてました。ただ、とはいえ自分1人で断るのは簡単だけど、迷うところもあって、当時からお世話になっているサポートベースも担当してくれているプロデューサーにも相談しました。結局自分たちも活動休止っていう中途半端な状態にしちゃったこともあるんですが、なんだかんだ待ってくれている方がいっぱいいるなって思ったんですよね。

それこそSNSなんかをエゴサすると、カラーボトルと未だにポストしてくれる人もいるし、実際活動休止した後も、カラーボトルの曲を色々なところで使っていただいていて。たまたまテレビを見ていて何か聞いたことある曲だと思ったらカラーボトルの曲だってことがあるんですよ。

結局カラーボトルのバンド活動をやらないのは、自分のエゴというか、自分勝手な面もあるし、カラーボトルを待ってくれている人に対して、1回ちゃんとけじめをつけようという気持ちで活動再開の提案に乗りました。

ただし「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」を記念ライブにするだけだったら再びやるつもりはないと。もう1回やるからにはちゃんとバンドとして全国を回り、カラーボトルの活動再開を待ってくれている人に対して届けられるように、継続的に活動をやっていけるんであればということを話し合って、ボーカルと僕とサポートしてくれるプロデューサーで「もう1回やりましょう」となったのが去年の夏でした。

平林

何が起こるかわからないね。

大川

本当にもうバンドはやらないと思ってましたからね。

平林

バンドって人の縁と一緒ですよね。

大川

本当にそうですね。もう二度と関わることはないだろうと思っていたら、バンド活動再開になりましたし。自分もカラーボトルってバンドが嫌いだったわけではないし、カラーボトルが発信している音楽は良いものだし、今の時代に必要なものだとずっと思っていました。今暑苦しいメッセージ性のあるバンドがあまりいないと僕は思っていて、「かっこいい系」とか、それこそ難しいフレーズを詰め込んだバンドはいっぱいいるけど、それは自分にはできない。

もちろん自分もそういう音楽は好きですし、かっこいい音楽は気分もアガるんですけど、ただ音楽を届けるにあたって、カラーボトルの発信する音楽と似たものを、じゃあ今誰がやってるんだろうっていうと、そんなにないんじゃないかなって。だったら我々がやるべきというか、そこで勝っていけるなっていうのは活動している時からずっと思ってました。

平林

ちなみに暑苦しいメッセージっていうのは、どういうメッセージなんですか?

大川

それは曲を聴いてもらうのが早いかな。

カラーボトルと東日本大震災

大川

東日本大震災では自分も実家が流されていて、そういった経験からそこに対する応援歌もバンドとして出しています。

ー東日本大震災のときは宮城の地元にいたの?

大川 

そのとき僕は武蔵小杉に住んでいたんですけど、家族は実家のある宮城にずっといて、しばらく避難所にいました。

平林

道路より海側だった?

大川

実家のある地域はめちゃめちゃ海でした。ちょうど実家のある地域は宮城県の南部で、その辺りの地形が変わっちゃって、自分の実家がもともとあった場所も、全然人が住めないんですけど。

平林

海から1キロとか?

大川

そんな感じです。

平林

僕、東北をテーマにした写真集を2回出版したんですが、2011年から10年間ぐらいずっと撮りためたものがあって。撮影の行く場所としては縁ができたところに行くので、東松島から始まって石巻に縁ができ、仙台へってなったんで、ちぐはぐなんですよね。だから満遍なく行けたわけではなくて、仙台より南があまり行けてはいないんですが、見てはいるんですよね。あの近辺だとしたら大変じゃないですか?

大川 

そうなんです。直接体験はしてないですが、自分が生まれ育った知っている場所が、見ず知らずの状態になってしまうというか、ここにあれがあったはずなのにもう何もないとか、その当時はすごいショックでした。

平林

地元に戻ったとき、悲しくなっちゃいませんか?

大川

そうですね。もう面影は小学校しかなくて、それ以外は本当に何もなくて。自分の実家があった場所はもう海だった。当時は音楽をやること自体に正直迷いもあり「こんなときに音楽をやっている場合か!」と思ったときももちろんありました。

ただ、その後4月に入ってから自分たちもハイエースに物資を詰め込んで、福島県の新地や、地元の山元町を経由して気仙沼の方まで周りました。アコースティックライブもやりながら、何か所か避難所を周ったんです。

まわった場所場所でみんながすごく喜んでくれるんですよ。こういう時だからこそ「音楽を届けてくれるのがすごく嬉しい」と避難所の皆さんが言ってくれて、その経験は自分の音楽観を変えました。

実際カラーボトルの音楽性も、そのときに1回変わっていると思います。東日本大震災がきっかけではなくて、実はそれが起きる前から曲の制作に入っていて、たまたま2011年の2月に「情熱のうた」というミニアルバムをリリースしていたんですけど、そのミニアルバムこそ「これぞカラーボトル」という曲だと思っています。震災での経験を経ることで、より一層曲にリアリティや魂がこもりました。

ーみんなに届けるっていう意味で?

大川

説得力が増したと思います。それまでは、当時泣き歌に代表される失恋系の歌が流行っていたこともあってバラードのシングルが続いたりもしたんですが、正直あまりピンとは来ていませんでした。

インディーズで注目してもらったのが、男の友情を歌う別れの曲だったんで、そのイメージがあったかもしれないんですが、でもバンドとしては「どうかな?」と迷ってました。そのなかでカラーボトルは「これだ!」と手応えを感じたのが「情熱のうた」でした。

「情熱のうた」リリース後は、熱量も込めて自分たちの音楽を作っていくことができたんで、自分の中でカラーボトルが一番勢いがあったのは2012年という印象です。その後メジャー契約も終わって、いろいろと模索をしていったんですが、徐々に失速というかそれぞれのモチベーションも微妙な感じになり、結果的に活動休止になりました。

カラーボトル活動休止後からここまで

大川

活動を休止して、今回の活動再開まで5〜6年ぐらいあったし、その間もメンバー同士連絡も取らず、お互い色々やってました。自分もバンドを活動休止して今後どうしようかと考えたとき、いわゆるサポートミュージシャンをやりたいと考えてました。当時からカラーボトルのサポートベースをやってくれているプロデューサーの赤堀さんが、いろんな現場をやっていて、例えばアミューズさんの現場も多かったんですよ。

そこで「タイミングがあったときにサポートやってみる?」みたいな感じで呼んでいただいて、アミューズの俳優さんのライブイベントに参加させていただいたこともありますし、それ以外にも友人の縁でサポートをやったりしました。

そうすると今度はコロナ禍になって、途端にドラムを叩ける場がなくなりました。

そもそもライブ自体が自粛で開催されなくなったり、もともと決まっていたレコーディングの仕事も全部1回白紙になって。当時最初はすぐ収まるかなって雰囲気で延期だったんですが、結局延期延期で、全部なくなって。

そこでマジでドラムを辞めようかぐらいまで悩みました。そのときは何のためにドラム練習するのかなって。自分にはドラムの師匠がいて、困ったときはいつもいろいろなことを教えてもらっているんですが、そのときばかりはそういうモチベーションも全然保てなかった。師匠にも「そんなにやりたいわけじゃないんだったら、辞めたらいいんじゃないの?」と言われたこともあって。

今は音楽だけではお金が稼げていないんで会社員としても仕事をしていますが、この生活をずっと続けたいとは思っていないです。正直今の仕事のおかげでお金には困ってないんですけど、じゃあ別にだからと言ってこの仕事をずっとやりたいかと言ったらそうじゃない。やっぱり自分は音楽をやっていきたい。

今まで音楽の仕事に関しては、結局「待ち」だった。ずっと待っていれば何かしら話は来るし、いいよみたいな感じでやっていたので、それだと何もしなければ話は来なくなりますよね。だから2022年はもう本当に何もなくなって、これはさすがに自分で探して掴まないと何もないと気づいて。

正直30代後半になると、そこからまたデビューするのはなかなか難しいじゃないですか。20代でデビューして、30代でどうやっていくかってなかで、30代後半から新しく始めますと言っても無理だなって。だから行動を起こして、バンド活動しているところに対してドラムサポートができますってアプローチをしたり、自分から働きかけていかないことには話も絶対来ないから、本当に手当たり次第、それこそWebにあるメンバー募集じゃないですけど、そういうところにも声をかけたりしました。

そのときすぐには結果も出ないんで泣かず飛ばずでしたけど、その中でも声をかけてくれるところがチラホラと出てきた。2023年春ぐらいから話も来るようになり、9月にはカラーボトルも活動を再開して、今がいちばん充実してます。2024年2月も4現場で6本ライブの現場が決まってます。今になってこれまでの仕込みが結びついてきた。

やっと1歩踏み出せたかなって感触が今あります。じゃあここからはより大きくというか、今はまだ規模の小さい現場が多いんで、そこをしっかりお金につなげていくことを今後頑張っていかないといけないですけどね。

カラーボトルもカラーボトルで活動していくのであれば、もちろんもっと大きくしていきたいし、これからが勝負なんで、自分の中で今のモチベーションになってます。やっぱりやることがいっぱいあると、その分頑張らなきゃって気持ちにもなります。2024年に入ってから3月ぐらいまでは休みがないんですけど、それでも全然しんどいとは思わないですね。

久しぶりの音合わせ、今が一番楽しい

ー久しぶりにメンバーと再会して、バンドの音合わせはすぐハマった?

大川

それはすごく不思議な感じがしました。でもお互いバンドの活動休止中にはそれぞれで活動をやってきたんで、 「そういう感じか!」という新鮮さはありました。 「こうだと思っていたら、あ、そっちなんだ!」という新しい感じが。

ー連絡を取らなかったあいだにそれぞれが進化したみたいな感じ?

大川

自分も自分で活動をやってきたんで、昔とは違う音楽の向き合い方ができるし、同じ曲でも今だったらこういう解釈をするっていうものが自分の中にはあります。 だからすごく面白いですね。

ーじゃあ、向こうもやっぱり同じことみたいなこと感じてるのかな?

大川

じゃないですか? だから単純に面白いです。

ーそういう意味では良かったね。前向きに進んでるし、逆にそうじゃないパターンもあるわけじゃないですか。

大川

なんだかんだ今が1番楽しいです。

平林

その言葉を言える人たちって貴重ですよ。今後は音楽の割合を増やすんですか?

大川

そうですね。結局今は収入のベースが会社になっているので音楽でどうお金を作っていくか、そこはもっとスキルを磨き、大きな現場にできるようにがんばっていかないといけません。

平林

音楽をやっているとお金にしやすい音楽と、お金にしづらい音楽があって、それは曲調とかその音楽にもよるし、あとスタイル、例えばライブをいっぱいやるってことも含めて、やりやすいのとやりづらいものがあるじゃないですか。そのバランスは?

大川

自分たちカラーボトルで言ったら、いまレーベルとは契約してないんで、ある程度自分たち主導でやっていける環境にあります。でも正直音楽というコンテンツだけでお金を稼ぐのが難しい時代じゃないですか。それこそストリーミングやダウンロードが主流でCDが売れない中で、じゃあどこでお金を稼ぐかって言ったら、ライブやグッズを売るってことになると思うんで。もちろん気に入ってもらえる音楽を作る必要はあるんですけど、自分よがりになってしまったら、それは別にもう趣味でやればいいじゃんって話になってくるし。

最後に

カラーボトルは2024年2月23日、仙台にて活動再開後、はじめてのワンマンライブを開催した。

大川

休止前の最後のワンマンから7年が経過してしまっていたので、実際に会場に足を運んでくれる人がどれくらいいるのかっていうのは正直不安もあったんですが、実際にステージに立ったら会場の奥までたくさんの方が僕たちのことを待っていてくれて、それが本当に嬉しかったですね。

本当に待たせすぎてしまった意識もあったので、今回は意図して過去のライブよりもボリュームも多めに作ったつもりだったんですが、それでも全然あっという間の時間でした。

6月からのワンマンツアーも新たに発表になったので、ずっと応援してくださっている皆さんに、また「カラーボトル」として会いに行くことができるのが楽しみです。

カラーボトルのLIVE情報

COLOR BOTTLE IS HERE!! 20th Anniversary〜ただいま!おかえり!〜

6/9(日)東京Shibuya eggman  OPEN 16:30 / START 17:00

7/6(土)福岡LIVE HOUSE CB  OPEN 16:30 / START 17:00

7/7(日)大阪LIVE SQUARE 2nd LINE  OPEN 16:30 / START 17:00

9/29(日)宮城Sendai PIT  OPEN 16:30 / START 17:30

カラーボトル公式X

@colorbottle_x

写真:平林克己
聞き手/編集/執筆:望月大作