「縁」を感じるまえとあと

望月大作
まえとあと 編集人

最近「縁」を感じることが多いんです。今回はそんなコラム。

Profile

望月大作
同志社大学大学院修了。修士論文のテーマは「ガンダム」。さまざまな企業に勤める傍ら、十数年前にソーシャル系大学、「ツブヤ大学」を立ち上げる。直近ではWebメディア「十中八九」の編集長を退任後、Webマガジン「まえとあと」を立ち上げ、編集人となる。所持する資格は車の免許以外に、漢字能力検定2級/歴史能力検定世界史2級/知識検定1級。

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暴太郎戦隊ドンブラーズがはじまった。
いろいろ初回からぶっ飛んでると感じた。

この新しい戦隊ヒーローでは、しきりと「縁」という言葉が登場する。自分は最近特に「縁」について感じることや考えることが多い。

Twitterが出来たことで人生がぐるぐると流転している話は、まえとあとでもちょくちょく書いている。Twitterのまえとあとでは、本当に人生のダイナミックさが増している気がする。

個人的にはSNSで「縁」は大幅に増えた。当社比10倍以上みたいな感じで。絶対に出会えていない人たちとの交流も増えた。増えたからこそ、こうやって、まえとあとも出来ている部分は間違いなくある。

どこにでもバタフライエフェクトは存在していて、それは人間関係においても同じだ。ちょっとした機微で大幅に歯車の噛み合わせが変わってくる。

歯車はタイミングによっても変わってくる。ちょっとした誤解、ちょっとした行動、何気なく発したひとこと、それ自体はなんの意味を持たないと思われたことも、何かの伏線や導火線となって、突如目に見えなかったリスクが露わになる場合もある。

ずーっとずっと潜り続けているバサロ泳法みたいなものが、突然何かぷよぷよの連鎖みたく、一気に押し寄せてくることもある。それはいいことも悪いことも然りで。

問題はそのタイミングをしっかり取りに行くことが大切だということ。チャンスの神様の前髪は短いらしい。そして突然現れたときに対応できる準備を怠らないことが大事になってくる。

「縁」も連鎖することがある。だから「ぷよぷよ」みたく、その連鎖をどう積み上げるのかは、あなた次第というか。かつどこで連鎖を始めるか、みたいな感じなのかもしれない。

40歳を前にしてようやく理解できたのは、石の上に3年という言葉。きっと年功序列かつ終身雇用が当たり前の時代では、それは3年でようやく一人前になるってことと同義だった。

そもそも名刺交換さえうまく出来るのか怪しい社会人デビューだった男が、今ではもう何枚配ったか分からないぐらい名刺交換をしているだけでも成長したな、とか感じてしまうだけど(笑)。

いまフリーランスをなし崩し的に始めることになって3年目に入りそうなところで感じるのは、「縁」の連鎖が起きている実感。このタイミングで、僕自身の連鎖ははじまった。

きっかけはバタフライエフェクトみたく、ちょっとしたことから始まる。だから運なのか、といえば、そうだ、としか言えないけど、意外と運自体は手許に手繰り寄せるぐらいまでのことは出来るらしい。

手繰り寄せたあと、どこまでそれをずっと持っていけるかは文字通り運次第なのかもしれない。いずれにしても、去るものも追うぐらいだった男がステージのよって付き合いも変わっていくことを学んでからは、ほんとうに心は平穏になることが多くなった。濃く太い「縁」も大事ではあるけれど、ソーシャルネットワークの良さというのは、ゆるく細く広くつながることだし、何かのタイミングであの人と仕事ができるみたいなことをいくつ持つことが出来るか、が「縁」には大事な要素になってくるはずだ。

常にどこか大変なことがあるし、今年は前厄だし、そもそも自分の人生どうなるか分からないし、な状況のなか、ほんとうに財産なのは、まわりにいる人たちで、自分が何歳まで生きるかなんて父親が60歳になる前に亡くなった経験をしていると、全然分からないけど、環境が変わると関わる人たちの陣容も移り変わっていくことをある意味で「旅」のように捉えるとすると、人生はキャラバンなのかな。と思う。

その時々で出会う人や一緒に旅するひとも変わりながら、人生は続いていくのかなと。

だからこそひとりでは何もできないので「縁」は大事になってくるし、思いがけないところで力を発揮するんだと思う。いま世界は大変な状況だけど、そういえばウクライナ人の留学生と大学院生のときに机を一緒にしたことがあるな、なんてことも思い出した。

延々「縁」を語る男の爆誕感もあるけど、今後公開する記事も「縁」を感じるような記事を多く公開する予定で準備を進めていて、いろんなつながりの連鎖のなかで物事が進んでいることを実感する今日このごろで。

ほんとうに何がどんなところでつながるか分からないことが面白い。だからいろんな出会いを大切にして、近づくこともあれば離れることもあるし、時間と場所とタイミングで引き合わせてくれるものだと思う。

もちろんすべての出会いを大事にするなんてことはキャパオーバーにしかならん。ピュアすぎると汚い大人たちが寄ってきてかすめ取るみたいなこともあるんだ、と社会人になって痛いほど実感した。これは僕自身がピュアという意味ではないけど、純粋すぎるとそこに平気でつけこむ大人がいるんだとはっきりと知った。

陰謀論・反ワクチン・ネットワークビジネスの3点セットみたいな地獄もインターネット上で見たり、本当に「ご苦労さまです」なんて思っているなかで、さらにそれがヨーロッパで起こっていることにも微妙にリンクしているのも何だかな。。と思いつつ。

世界中で情報量が増えると、必ず同じような事象が世界中で起こり、それは興味深いと思いつつ、できるだけ自分が中庸でいられるのかどうかが試されているなかで、どう振る舞っていけるかも一方では大事になってくるわけで。

意外と他者が自分をどう思っているのかを知らない自分もいて。でもきっと「縁」の連鎖はこれまでの自分の結果で起きていることは確実にあるので、そこはこれまでの自分の証左としてちょっとは誇ってもいいのかもしれない。

新しい記事ができていないから、コラムを書いているんだろうと思っている人。それはきっと正解。もうひとつはどれだけ短時間で自分が考えていることを少しでもアウトプットできるかも大事なことで、SNSではないところで、ちょっとは感じていることをまとめて書く機会は作っていかないといけないと感じている。

Peeeeeaaaace!!!!

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi