丹所さんが編集者になったきっかけ
もともとめっちゃ編集者やりたかったんですか?
丹所
そういうわけでもなかったんです。大学では美術史を専攻してまして、もともとは高校のときに美術史とか美学に関心を持って進学先を選んだこともあり、当初は大学院に進むことも選択肢にはありました。でも、実際に大学に入って、さらに3年で文学部の美術史学に進むと、自分にはあまり院は向いてないかもとなんとなく思うようになったんですよね。なのでまあ、卒業したら働こうと思って。普通に就活の時期が来て就活しました。
うちの代は氷河期で、ね。
丹所
望月さんは私の1学年上ですよね。私は2006年卒なんですが、その何年かは新卒採用が増えたみたいで。2008年のリーマンショックでまた就職難になるわけですが、1年違うだけで状況がずいぶん変わってしまいますよね…私の少し下の学年だと就職浪人した子もいますし。
そんなわけで、私が就活したときはたまたま新卒採用が増えた年だったこともあり、金融やメーカーなど、あまりこだわらずにいろいろな業種や会社を受けました。とはいえ第一志望は出版関係でした。
編集者の仕事に最初に興味を持ったきっかけは、絵本だったんです。学生時代にアルバイトをしていたのが吉祥寺の紅茶店だったんですが、オーナーが絵本作家でもあって、いろいろ話を聞かせてもらう機会がありました。
面白いですね。
丹所
あと、お店の隣に、いまは西荻にある「トムズボックス」という絵本のお店があったんです。小さいお店だったんですがたくさんの絵本や絵本にまつわる本があって。店主さんが出版もされていました。そこはギャラリーも兼ねていたので、原画を見る機会も多く、作家の方が来られたりもしていました。和田誠さんと平野レミさんが一緒にいらっしゃっていたり。
そのころに堀内誠一さんのことを知って、絵本の編集に興味がわきました。なので当初は福音館や偕成社が第一志望という感じで。でもいろいろな会社を受けるうちに、ジャンルにこだわらなくてもいいかなという気持ちになってきました。選考の進み具合やなんかもあって、最終的にいまの会社に入ることになりましたね。
なるほど、PHP研究所に入社して最初の配属先は東京だったんですか?
丹所
はい。東京には3年ほどいまして、新書の部署にいました。当時は新書の編集はもう少しやるつもりというかやりたかったですし、異動の希望を出していたわけではないのですが、2009年に京都の雑誌の部署に転勤になりまして。それからはずっと雑誌を担当しています。
そこからずっと京都にいらっしゃるんですね。いまも実家なんですか?
丹所
実家は大学進学のときに出たきりですね。実家は高校に近くて、自転車で飛ばせば10〜15分くらい。近いからこそ、朝はいつもギリギリでした。
平林
ですよね。
僕は嵯峨野高校まではドア・ツー・ドアで1時間半かけてきてたので。
平林
遠いとバッファがあるから、頑張り次第でなんとかなるんだけど、逆に家から近いとバッファがないから、信号に捕まってみたいな理由で、遅刻でしたよね。
丹所
学校の前の通りの信号に引っかかるか引っかからないかが死活問題でしたね。そこでギリギリセーフかアウトかが決まる。
平林
なんで遅刻するのか聞かれて、当時ってだいたい1〜2分の遅刻じゃないですか
丹所
そうなんです。だったら1〜2分早く出ればいいんですけど、それができないんですよね。とにかくギリギリまで寝ていたい。
月刊誌『PHP』の作り方
今は月刊誌『PHP』の編集長をやってるんですよね?
丹所
はい、去年の秋から編集長としてやっています。
その前も雑誌を?
丹所
それまでは姉妹誌にあたる『PHPスペシャル』という雑誌を担当していました。
平林
PHPでは何種類も雑誌を出されているんですか?
丹所
そうですね、この小さい判型の月刊誌はいま全部で4誌あります。その中でも『PHP』は一番ページ数が少ないんですが、記事の本数は多いほうかも。
平林
それだとインタビューをいっぱいしなきゃならないでしょ?
どのぐらいの期間で企画を立てて、どれぐらいの間隔で発行しているんですか?
丹所
たぶん他社の雑誌よりも進行がかなり前倒しみたいで、いま5月末ですけど、6月早々に入稿するのが7月10日発売の8月号という感じです。
刊行はだいぶ先ですね。
丹所
編集会議の時点で半年先ぐらいの企画を考えることになります。
そうですよね。アパレルみたいな先取り感ですね
丹所
あー、冬にもうSSコレクションとか、そういう。言われてみたらそうですね。あんまり意識したことなかった。
もう時期的には、秋のことを考えなきゃいけないの?
丹所
そうですね。ここ2年くらいはコロナの状況も読めなくて、その難しさもあります。
1クオーター先はどうなのかわかんないですよね。
平林
明日もどうなるかわかんない(笑)
丹所
最初の緊急事態宣言のときなんかは、まだ前の編集部でしたけど、そのとき出た号の特集のテーマが「人づきあい」で、当時の世の中の雰囲気に合わなかったということがありました。そもそも人に会えないよ、と。
確かに雑誌だから後から変更できないし難しいですよね。WEBであれば差し替えたりもしやすいけど。
丹所
タイトルだけでもちょっと変えられたら違ったかもしれませんが、全体の方向性までは難しいですよね。編集後記なんかはそれを逆手にとるというか、「先のことはわからないからこそ紙で残る意味」みたいなことを考えて書いたりもしていました。
大変ですね。そう考えたら先を読む力みたいな。
丹所
いや、でも読めないですよ。
平林
コロナが最初に盛り上がったころに、いろんな学者さんが秋に収まるとかみんな言ってたけど、何1つ当たらなかった。ウクライナもまだ現在進行形だし。
丹所
ですよね。
平林
偉そうに言ってたけど、もう結果論でしかないかなって。
丹所
何が起こるかわからない時代に生きているんだってことを実感します。本当はいままでもずっとそうだったんでしょうけど。
平林
でも、いろんなことが起こるけど、その中でもこうやって普通に生きてるんだから、すごいですよね。
雑誌にもお寺にも似たような課題が存在している
月刊誌『PHP』に載せるためのネタって、どういうところで拾うんですか?
丹所
毎回悩ましいんですけど、基本的には編集部員一人ひとりが持ち寄って会議をします。それぞれが日々感じていることや世相への問題意識だったりを話し合う。身近な人の話がヒントになったり、読者からのハガキもたくさん来るので、それを参考にすることもあります。
平林
月刊『PHP』の読者層はどんな感じなんですか?
丹所
老若男女ではあるんですけど、読者層の高齢化が進んでいますね。販売チャネルが多いので正確な数字で把握しきれないところもありますが、主には60~70代なのかなと。80代、90代の方もいらっしゃいます。今年で創刊75周年なんですけど、ずっと読んでくださっている方もいて、歴史を感じますね。
平林
75年間、いつの時代もだいたい同じ層ですか?
丹所
それが、昔の読者層は若かったみたいで。当時の人口構成比率もあるのかもしれませんが、たとえば集団就職とかがあった時代に、都会に一人で出てきた若い人への励ましというスタンスでやっていたりもしたようです。
平林
20代から読んでいて、50年間も読んでる人もいるんですか?
丹所
はい。ありがたいですよね。50年、60年愛読しているという声もめずらしくありません。
平林
75年間もやっていれば、編集長さんもいっぱいいるわけですよね? その、いま一時代を丹所さんは任されてるわけだからすごいことですよ。
丹所
私で16代目の編集長になるようです。前に10年ほどいた雑誌とは、勝手というかノリが違うところは感じますね。歴史的な重みみたいなもの、「この雑誌をまた次へ繋がなければ」という意識が強くならざるをえません。
平林
60代より上の方たちが読者として読んでいたとしても、丹所さんの年齢は60歳には全然達してないじゃないですか。
丹所
はい。
平林
感覚的なものはどうですか?
丹所
会社としてもリニューアルの必要性を特にここ数年は感じていたんだと思います。私が来年40ですが、前任者は50代後半で、歴代編集長も長らくはおそらく50代だったんじゃないのかな。私が指名されたのは、「若返り」を図る狙いもあると思っています。いま読んでくださっている方を大切にしつつ、もう1,2世代下の方たち、さらには10代の方々にも、もっと『PHP』を読んでもらえるようにしたいです。
平林
僕はお寺との付き合いがあるんだけど、意外とお寺で励んでいるお坊さんたちは20代や30代もいるし若いんですよ。だけどお寺と関係する人たちの年齢は、60代〜70代と高齢化が目立つわけですね。
お寺としては若い人たちにもっと近づいてもらいたいと思うんだけど、来る人たちはどうしても60代〜70代になる。その60代〜70代の人たちは10年後には70〜80代になるわけで。
次に新しくお寺に次の世代が来るとしても、また60代が来るんですよ。中には仏教マニアみたいな若い人たちも来るけど、それはお寺の望んでいることとは違うんですよ。
だから、普通に禅や仏教に対して、若いうちからマニアではない、自然な環境下で禅や仏教に触れているような人が来たらいいと思っていて。お寺で励んでいるお坊さんは20〜80代までいて幅広いのに、対応するカウンターパートの高齢化によって、若いお坊さんたちが活躍しきれてないんですよね。
なかなかな課題ですね。
丹所
たしかにお寺って対象年齢を問うものではないですね。若いお坊さんだって多いでしょうし、若い人たちだって観光したりするし。
平林
お寺の場合、若い人にとってはとっつきにくいイメージがありますよね。そこは『PHP』と似てるのかな。
若いころ、必ず悩むのは自分の行きたいところ(進路)
平林
人生って言葉が響くようになるのは、ある程度年齢になってからでしょ?
でも今は響くかもしれない。コロナ禍があったから。
平林
そっか、みんな考えるか。
それこそ20代でも、高校生でも考える可能性があります。
丹所
高校生も進路って意味ではすごく考える。
うん。いま僕らがいるこの嵯峨野高校の子たちは、進路で悩むと思う。うちらも色々そういう時期を経て今があるわけで。
平林
僕も学生と話してると、特に大学生はみんなすごい悩んでますよね。
丹所
やっぱりそうなんですね。
だって行きたいところが明確にはない人の方が多いよね。
平林
やりたいことが見つからないって言ってる人が多いでしょう。それが当たり前なのかな?
高校生も多くはそうだと思いますけどね。
丹所
そもそも職業の種類がわかんないですよね。自分もそうでしたけど、どういう仕事があるのかなんて知らなかった。
平林
その時点でやりたいことがわかってるのは、学年に2人ぐらいだったりしますよね。
丹所
その時点でやりたいことがはっきりしているってすごい。
平林
大学生、3年生になってくると、もう就活が切羽詰まって目前に迫ってくるじゃない。
丹所
就活を否が応でもやらざるを得ないみたいな雰囲気ですよね。
後から考えると、絶対にそこで決める必要はなかったなと思いますよね。
平林
そうなんだよね。
丹所
ほんとそうですね。
平林
もし悩んでる子がいたら、嫌だったら辞めちゃえばいいと言いたくなるよね。
でも、難しかったりもするから、いろんなところで、お手伝いがしたいんですけどね。
平林
年取ってくるとそうなるんだよね。余計なお世話なんだけど、勝手にお手伝いしたくなるのね。
不思議と縁がつながっていく
平林
(『PHP』を見ていて)横田南嶺老師じゃないですか。
丹所
ご存じですか?
平林
よく会いしますよ。すごくお世話になってる。鎌倉の円覚寺の管長ですよ。
丹所
そうなんですね。担当編集から「すごい方」というのはよく聞きます。
平林
横田老師は見ている世界が広いのと、わけのわかんないこと言うようなお坊さんじゃなくて、お話もみんなの心を掴むような話し方だったり、柔らかい雰囲気だったり、一般的なことに即してバランスがすごくいいんですよ。
なんだかんだ繋がりますね。
平林
繋がりますね。
Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi