嵯峨野高校で出会ったまえとあと【後編】

丹所千佳
月刊誌『PHP』編集長
飯島柳子
高校教諭

母校である嵯峨野高校での取材。自分の高校時代の恩師からのひょんなご縁で、高校の後輩にあたる丹所さんを取材した取材の後編。後編は今回のきっかけでもある高校の恩師も加わり盛り上がった。

Profile

丹所千佳
1983年、京都生まれ。2002年、京都府立嵯峨野高校京都こすもす科人文芸術系統を卒業(4期生)。2006年、東京大学文学部卒業。専攻は美術史学。同年、株式会社PHP研究所入社。PHP新書出版部に配属。2009年にPHPスペシャル編集部に異動となり、京都に転勤。2014年より同誌編集長。2021年秋より月刊誌『PHP』編集長。単著に『京をあつめて』(ミシマ社)がある。2019年より、京都新聞のリレーコラム「現代のことば」を担当中。
飯島柳子
1954年東京生まれ、6歳から京都で育つ。奈良女子大学文学研究科英米文学専攻修了。元京都府立山城高校指導教諭。40年以上主に京都府立高校の教壇に立つ。定年退職を機に「イイジマ・エデュ・ステーション -子育・教育と生き方と国際の語り場-」を設立し、様々な交流の場を主宰。

Index

みんなの前で褒められるのも怒られるのも嫌な学生たち

平林

さっき聞いたんだけど、いま学生ってみんなの前で褒められるのが得意じゃないらしい

丹所

まさにそのまんまのタイトルの本を最近見かけて、気になってました。金沢大学の研究者の金間大介さんの『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』という本。

平林

ふつうは褒められたら嬉しいじゃないですか。

先生、みんなの前で叱らないでください。は、めっちゃあったけどね

丹所

人前で褒められる気恥ずかしさはあるかもしれないけど、「ほめないで下さい」とまでになるんですね。

平林

いま目立ちたくないのかな?

丹所

高校生もなんですかね。

より顕著にそうなのかもしれないですね。

平林

じゃあ、みんなの前で怒られるのがいいの?

ダメでしょ!

平林

じゃあ、みんなの前では?

何もしないでください。

平林

メンションされたらダメってこと?

丹所

そういうことなのかも。じゃあ先生に当てられるのもダメなんですかね。

平林

でも先日同志社で講義をやらせてもらったときに、僕は一方通行で話すのは嫌だから、「じゃあ◯◯さんどう思う?」「◯◯さんはどう?」と聞きに行くと、友だちと「どうしよう」と顔を見合わせるみたいになってね。

でも僕もあんまりそれが好きではないかな。大教室とか教室で指されることがあんまり好きじゃない。嫌なんですよ。答えを間違えたらどうしようが先に来るから。

平林

僕はスポットライトがこっち向いたと思っちゃう。

マジョリティは指されるのが嫌だから、そのまま先生喋っといてくれって思うはずです。

平林

「人生とはなんですか?」と先生から聞かれたら嫌だけどさ、「その本いくらですか」みたいなライトなことを聞かれても答えられない人がいるの。まあ最終的には答えるけど。

英語とシャイと国民性

ーここで飯島先生が戻ってくるー

(飯島先生へ)学生は授業で先生に指されるのってあんまり好きじゃないですよね?

飯島

ん? 生徒が? そうなんかな。

平林

今その話をしてたんですよ。

飯島

でも私はなるべくいろんな子を当てて意見を言わせるよ。で、それに慣れてもらう。

慣れたらオッケーなのかもしれないですね。

平林

みんなそうだけど、最初はシャイだからダメなのに、慣れてくると全然大丈夫になる人は多いけどさ。

丹所

慣れはあるのかも。

飯島

でも結局それは教師と生徒のインタラクションだから、教師と生徒たちとの関係をどうやって構築するかは私たち教師の課題ですよね。

私は英語の教師だからだけど、生徒がちょっと変わったことを言うと、私が「What?」と聞き返すと「何?」みたいに生徒たちが笑ってくれる。こんなキャッチボールのやり取りのことを「ラポール」と言って、相互に良き関係を作ることかなって思うんだけどね。私が言ってることは趣旨からずれてる?

平林

超納得できる。僕は生徒さんの前で話すことがたまにあるけど、レギュラーでやっていることではなく、突然生徒の前に現れるから、 僕自身慣れ慣れしいからこっちは大丈夫なんだけど、学生側がそうではないことが多いかな。

でも学生だけじゃなくて、一般企業の社会人の場合でも最初は距離感がある。たとえばイタリアみたいな異文化に慣れちゃってくると、日本人のシャイさ加減はさすがにシャイにもほどがあるわってなるよね。「自分の名前も言えないのか、あんたは!」って話をしていました。でもしょうがないよね、昔から日本人はずっと変わらんもんね。

飯島

でも私はシャイな子を仲間外れにしないよう心がけています。だから別にもし生徒がシャイで答えづらいようであれば、それ以上は追求もしない。

平林

シャイな子を無理やり引っ張り出すことは?

飯島

それはしない。

丹所

シャイなことが個性という場合はもちろんありますよね。個々で見ればそうでも、みんなで全体的にモジモジする空気はなんなんだろう。

飯島

英語を教えることは、アウトカミングしてフレンドリーになろうって文化にどうしても染まりやすいし、それを美徳とすることにまみれそうになる。

でも日本人は積極的に言わなくても(アウトカミングしなくても)、暗黙知でこの人は考えを持ってるんだとか、いつか機が熟したらとか、言える環境になったら言うんだってことを信じている。だから私は別に言わないだけだと思っている。

嵯峨野高校を卒業した望月くんの同級生も「英語教師として自分はシャイだ」と私に悩みを打ち明けたときに「あなたがそうなら、みんなもそうなんだから、それでいいじゃない」と私は言った。別に英語の教師は典型的な英会話教室の先生でなければならないってことはない。

そうですね。

飯島

ですよね。アメリカやイギリス人、他の国から日本に来るネイティブのイングリッシュ・スピーカーも、典型的なタイプの人ほど雇ってもらいやすいかもしれないけど、各都道府県で働いてるAET(英語指導助手)は、それぞれ個性ってあるよね。

たとえば私にはもう20年の付き合いになるアメリカ人がいるけど、彼はアメリカ人としてはすごくシャイで、アメリカに帰りたくないから、日本に住んでます。

平林

僕はこの前、真面目なインド人にあって感動し、声の小さな中国人にも会ったことがあります。

飯島

民族がそれぞれステレオタイプ化される。日本人のイメージとしてステレオタイプ化されていないような日本人も世界中にはいるけど、でも一般論が全くないかってことはないと思うんですね。

たとえばイギリスに行って売店でモノを買う時にちゃんと並んでいたら、その売店のおばちゃんが「だから私、日本人好きなんだよね」と言ったんです。

「なんで?」と聞いたら、日本人は礼儀正しいと。「イタリア人とか絶対並ばないから」とそのイギリス人のおばちゃんは褒めてくれるわけです。

平林

たしかに日本人はお行儀がいいと思われてる感じがしますよね。

飯島

それは必ずしも間違いでもないし、でも完全に当たってなくもないし、大事にしたらいい感覚だよね。

英語をなぜ学ぶのか。手段と目的のはなし

平林

英語って言葉が持つものと、日本人のメンタリティーは随分ずれてる気がしています。

飯島

そうですね

平林

だからこそ英語の表現の仕方と日本人の性格のギャップがまた面白いのかな。

飯島

そうですね。そのギャップがあるから、我々は苦労して英語を学んでると思う。

平林

学校でも距離の遠いところから英語を学んでいますよね。

飯島

それはもう英語が世界言語になってしまった宿命です。

今は小学校から英語を習っていますもんね。

丹所

そうなんですか! 完全に、義務教育で?

飯島

もう小学校からですね。

丹所

知らなかった…

飯島

小学校での英語教育の是非は英語教育の専門家の中でも割れてます。意味がないって言っている人もいます。小学校からの英語教育って当初は全然資格のない人が教えてたわけだから。

丹所

え、そうなんですか?

飯島

英語では「Early education」と言って、英語も中学生から教える場合と、小学校から教えるんだったら方法が違うと思います。だから最初小学校は資格のない人が教えていたわけですよ。最近は小学校の免許を取る時に英語教育法は学んでいると思います。

平林

日本人は昔から英語の読み書きはできるけど、会ってリアルなコミュニケーション(会話)がダメだと僕が中学生の頃から言われてますが、改善された雰囲気がないんです。

飯島

だけど日本人が英語で会話したくないせいじゃないかな。だからコミュニケーションが出来ないことを英語教師のせいにしないでほしいんです。

一同

平林

教師のせいよりも、もっと上流の話なのかなって。個人の先生の話ではなくて。

飯島

もし国家戦略として会話ができるような英語教育をする場合、たとえば入試を変えないといけないですよね。

平林

入試に会話が出ますよと?

飯島

そうです。でも、会話で試験をする方法があるのかどうか。

平林

きっと難しいんでしょうね。

飯島

はい、公平性が保てるのか。

平林

世の中がなかなか変わらない理由が分かった気がします。

飯島

でも、もし会話が苦手でも英語の読み書きができる人は、その場に行って環境に慣れたら、すごく信頼されるスピーカーだと思われるはずです。だから、ペラペラと喋ることが出来るけど中身のない人を選ぶか、そうではないか。

丹所

それを言ったら、ネイティブなら誰でもペラペラと喋れるわけですもんね。

飯島

はたしてお気楽なネイティブの人と同じになりたいのかどうか。

平林

逆に日本だと英語がペラペラだとすごくデキる感じがするじゃないですか。どんなにバカだとしてもアメリカで生まれたら英語は話せますもんね。

飯島

そういうことですね。でも”デキる感じ”を目指すのかってことですよね。

平林

僕は大学で外国語学部にいたんですよ。語学ができるようになると嬉しいじゃないですか。でも、あるタイミングで突然気が付いたのが、ドイツに行った際、隣のドイツの子どものほうがドイツ語できるじゃんと思ったときに、自分の目指す方向が間違ってる気がしたんです。

イチローが海外で活躍していたじゃないですか。彼は英語云々じゃなくて、もともと”野球”で活躍していて、野球は言語に関係せず、世界中どこでも通じるから、言葉にだけ頼るのは良くないと思います。

飯島

いや、英語はできた方がいいんだけど何のためにやるのかですよね。だから、私も「先生、英語できるようになるには、どうしたらいい?」と聞かれるけど、「何のために?」と聞きますね。

手段と目的が変わるのは、日本人のお家芸ですからね。

平林 

仕事で手段と目的が入れ替わるような仕事をする人もいるもんね。

飯島

だから、グローバル化をどう捉えるかでも価値観は大きく分かれると思います。自分の中で何をグローバル化と捉えるか。そのグローバル化の意味が、1人1人が物を売ったり買ったりするものなのか、文化の交流を言うのか、 海外へ移住してしまう意味なのか、国際結婚するって意味なのかとさまざまだけど、要は目的ですよね。

「とりあえず喋れるようになりたい」が、日本人には欲求としてくっついているんですよ。だから英会話学校に通いたがる。

平林

英会話学校に通っても結局習った英語を使う場所が全然ないこともありますよね。そこでよく思うんだけど、たとえばカレーが食べたいから、スーパーへカレーの材料を買いに行きますよね。だけど人参を買いたいって理由だけでスーパー行く行為と、とりあえず喋りたいから英会話学校に通いたがる話は似てるんです。

飯島

日本人はできない自分をすごく低く評価する傾向がありますよね。

ありますね。

飯島

できない人はダメだと。じゃあ英語ができるだけで偉い人なのか?

平林

アメリカのアクセントで喋ってる人がかっこよく見えたりするんですよ。

飯島

私もかっこよく見えます。アメリカナイズした英語ができるようになっている自分をちょっと褒めたたえる時期を通り過ぎて、じゃあどうなのかって。話ができるのはいいと思うんですよね。

京都の良さとは

丹所さん、著書出されてますよね?

丹所

はい、ミシマ社さんから2018年に『京をあつめて』という本が出ています。

「京都」の人が思う「京都の良さ」を丹所さん的にはどう捉えてますか?

丹所

そうですね。私の場合、一度京都を離れてまた戻ってきてるので、だからこそ良さがわかったところがあるかもしれないですね。高校生まではそんなに京都の良さってわからなかった。わからないというか、そこまで意識することがなかった。京都以外を知らないからだと思うんですけど。

大人になって京都の外に出てみると、京都って面白いんだなって、帰省をするたびに思っていました。それから転勤で京都に戻ってきて住むようになると、また良さがわかりました。

なるほど。一番の「京都の良さ」の気づきはどこですか?

丹所

季節を感じるところでしょうか。もちろんどこにでも季節の移ろいはあるでしょうけど、よりこまやかに、鮮やかに体感できる気がします。夏の過酷さとか冬の非人道的な寒さとか、いいものばかりでもないですけど(笑)。

たとえば5月の新緑なんてものすごく綺麗です。桜や紅葉の時期が有名ですけど、それが初夏に新緑になるわけですから。私は新緑の季節の京都がいちばん好きです。ほかにも、たとえば和菓子も折々にたくさんの種類があって、それで風情を感じたりとか。あと空が広いですよね。どこからでも山が見える。

それから私の場合は祇園祭ですね。大人になって京都に戻ってきてからその魅力に目覚めて、京都の底力を感じました。

嵯峨野高校1年のとき、祇園祭のフィールドワークには行きました?

丹所

ありましたね。でも、全然その時のことは覚えてないんです(笑)。

あら、そうなんですか。

丹所

望月さん、覚えてますか? 葵祭のフィールドワークもありましたよね。

僕は太子山担当だったんです。

丹所

たしかグループで鉾か山のどれかを調べたんですよね。私は何を担当したのかも思い出せない。

今の嵯峨野高校には「京都文化論」なんてもうないですよね? あとから考えるとあの頃は良かった。

飯島

あのころ、京都文化論は全員選択だったもんね

京都文化論は良かったですね。

飯島

そうだね。京都文化論は、創設当時の嵯峨野高校京都こすもす科の1つの売りだったから。

丹所

京都文化論に惹かれて入ったという同級生もいました。祇園祭のフィールドワークを覚えてない人間が言っても説得力ないかもしれませんが、いま思えば、京都文化論みたいな授業はすごく良かった。でも高校生当時はあまりありがたさを感じていなかった。

そうですね。

丹所

あまりそこまで意味をわかってなかったかも。

今思うと、京都文化論みたいな授業が多くあるとよかったのかな。

飯島

あと、卒業前に課題研究があったでしょ?

ありましたっけ。

飯島

あったでしょうね。

丹所

きっと、あったんだと思います。

でも、高校生活が終わってから、高校生活がよかったと思うことはたくさんあります。

丹所

ありますよね。

あの当時の「今がいいんだよ」って話が、高校生に伝わるといいなって感じるのは、後悔先に立たずで、当時のその時点じゃわかんないんですよね。

丹所

そうですね。でも、それをいま「わかれよ」と言っても、わかってもらえないのはしょうがない。

そうなんです。

飯島

先輩たちが「自分はこう思ってるから、あんたらちゃんと話を聞いときや」と言っても、それを聴いた後輩は「はー?」みたいになるからね。でも先輩も体験談や教訓を言いたくなるのも真実ですね。後輩も「そうなんだ」と思うかもしれないし、でもそれで人生が変わったりはしない。

でも話を聞いた後輩たちが「あのとき先輩があんなこと言ってたよな」と、またそのうちわかるんだろうね。時差があってわかるということが 教育の1つの特性だと思う。

今日は母校で取材ができてよかったです。ありがとうございました。

一同

ありがとうございました。

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi