僕の指輪物語
Amazon Primeで指輪物語がはじまって、いろいろと賛否両論があるようなんですが、僕自身にも最近指輪物語な出来事がありました。
そこまで気にならないけど、少し不調かな?と感じることがしばしば起こっていたんです。一番顕著だったのが、左目のまぶたが自然と落ちてくるんです。右目は特になにもないんだけど、基本的に左目だけまぶたの重い人みたいな(笑)。逆に左目がしっかりと開くと最大の力が発揮されるみたいな(笑)。ちょっとマンガに影響されていますよね。
でも、そんなことがありました。
さらに左腕もほんとたまに痺れる?みたいなことが起こるようになっていて、何が原因なんだろうな、みたいなことをずっと抱えていました。
ところがです。左の重いまぶたよりも、左手の、いや左手の腕のしびれがひどくなってきて。。もしやこれが前厄というやつか、なんてことを思うぐらいの余裕はあったんですが。
もしかしてマッサージをすれば楽になるんじゃないか、とマッサージに行くとたしかに左腕は過去一のパンパンだと言われました(ちなみにそこでは過去に足裏も過去一でパンパンだと言われたことがある)。
多少はマシになったと感じる左腕だけれど、あまり感覚的には変わらず、むしろ悪化するような雰囲気もあったときに、もしや、うーん、でも、これ以外に原因が考えられない。
そう考えるものがありました。それが僕の薬指にハマっている指輪でした。まだこの指輪を付けた当初は60kg台前半だったと思われる体重も、もう齢が40に迫るころになると、あなおかしや、70kgに迫るぐらいまでサイズアップを果たしており、目視ではわからないまでも確実に左の薬指もサイズアップをしており、指輪も身動きが取れておりませんでした。
一か八かと思って、指輪に向き合ったものの、果たして本当に外せるのかは自信が持てず、そこで頼ったのがYou Tubeでした。こういうときにYou Tubeは役に立つんだという発見がありましたよね。
そこで自分が参考にした動画はこれでした。
何度か試すと外すことが出来たんですが、ちょっと内出血をするなど、影響がありました。しかし問題が起こったのはその後でした。
急に発熱をして焦りました。そりゃそうでしょ、この時期に。もしかしてコロナに罹患したのか、それが頭をよぎるのは無理もない話で。
後から考えるに、左の薬指にある指輪はある意味でトリガーであり、ある意味でパンドラの箱みたいなもので、それを強引に解き放った結果、たぶんつっかえていたものが一気に流れ出したんだろうと感じています。
その結果、全身の熱が上がったのではなく、上半身だけが特に熱が上がったようで、身を持って人体の神秘を学んだ経験でした。
翌日には熱も平熱に戻り、一時的に体がオーバーヒートした、という感じなんでしょうね。知らんけど。
そして、話はまだ続き、なんと左のまぶたが軽くなり始め、指輪をつけていたときよりも、現在のつけていない状況のほうが左目が開くようになり、微妙に続いていた左目の不調もかなり回復をするようになりました。
左腕のしびれを伴うような不調も最近では嘘のように収まりました。たかが指輪、されど指輪で、そもそも「お前が太ったからだろ問題」は今は横に置いておいたとしても、人間のメカニックはほんのささいなものでも何かのトリガーになるんだという経験は、今後いろいろと何かを考えるうえでの応用になると思った出来事でした。
自分の体の不調は「指輪」がトリガーになっていたので、そこは改善を劇的に迎えたんですが、地味に外的要因で、僕自身ではどうにもならんことがいくらか現在進行形で発生していて、改めてこれが厄年なのか、と状況を噛み締めていたりもします。
ちなみに僕の体重問題は、あるとき1食を豆腐に置き換える方法を思いつき実行に移したところ、見る間に効果がでて最大70kgあった体重が現在は67kg台で推移することが多く、最大増加しても68kg台で踏みとどまっている状況です。66kg台になることも多く、豆腐1丁と適度な運動を駆使することは体にいいのではないか、と思っているところです。ちなみに体脂肪も3%減(約3ヶ月ぐらいのできごと)。
40歳の抱負的なもの
突如はじめることになった、この「まえとあと」も、もう3年目を迎えました。これを続けているから築けている縁もあります。自分はフリーランスなんだろうか、と常に自問自答するぐらい常に自信は持てずに過ごしているなかで、それでもコツコツと地道に何かを作り上げることが自分は得意なことなんじゃないかと思い、ここまで続けていて、そのあいだに40歳をたまたま迎えたような感覚です。
みんな感じることなんだと思いますが、40歳になった瞬間思ったのは、自分が思い描いていた40歳はこんなだっただろうか、ということでした。全然40歳になった実感もないまま、時だけがムヤミヤタラに過ぎ去っていくような心持ちで10月までやってきました。
お世話になっている大先輩たちはまだまだこれからだと言ってくれるわけですが、やっぱりそこまで到達していない自分にとっては、これからどうなるだろうか、と思うことが多く、また父親も還暦を迎えられずに亡くなったことも、自分にとっては大きなウェイトを占めていることもたしかです。
まえとあとなどで取材をするなかで印象的だった言葉で、何をしたいかより誰としたいか、これは本当にそのとおりだと思っていて、特にフリーランスとなっている今では、さらにそれを実感しながら仕事をしています。
自分に才覚がないため、まえとあとは基本的には稼ぎを生まない状態で運営をしており、どちらかと言うと、ここから何かが新たに生まれるきっかけになればいい、という想い半分、いろんな人にいろんな人の価値観が伝わってほしい想い半分で運営しています。
もう40歳になってしまった。。と思っている自分がいないかと言えば嘘で、やっぱり何かモヤモヤとした自分を抱えながら、ここまできてしまったことも事実として存在しています。
自分にとって何が正しいんだろう、みたいなものは常にあって、でも誰しもが誰しも自分の正しさを信じる傾向が強くなっている世の中にあって、できるだけ自分の想いをブラさずに進むことがとりあえず正解なんだろう、という想いです。
自分には誇れるような何か業績を積み上げた自信がないなかで、でも何かしら若い世代に還元できるものがあれば、ちょっとでも還元したいという想いが芽生えてきました。
なんだろ、小さい世界のままで、これだけが世界なんだと思ってしまう感覚を早く持ってしまうと、あまりに狭小住宅よりも狭い視野を持った大人が出来上がってしまい、それこそ狭い価値観で子どもを縛り上げ、さらに視野が狭くなってしまう次の世代を生み出すスパイラルだけはしたくない想いが強い。
その狭い視野に付け込むから、いま言われているような様々な諸問題が起きていることも事実としてあると思います。いきなり広い視野も破綻をきたす恐れもあるなかで、僕の世代は比較的じゅんじゅんに視野を広げられたラッキーがあり、今も学び続けられるような環境にあるのも非常に恵まれていると思っています。
もちろん生きるためにはこれからも稼ぎ続けることは至上命題ではあるんですが、社会に何を還元できるか、みたいなことは常に持っていれるような40代になるといいなと思っています。お前に何が還元できるみたいなこともあるかもしれないけど、まえとあとも含めて、自分が聞いたこと、感じたこと、学んだこと、伝えたいことを少しずつでも次の世代のひとに伝えられる機会が増えることはあってほしい。
一気に書いているので、とりとめのない文章ですが、最後までご覧いただき、ありがとうございました。40歳にもなったし、ちょっとした抱負でした。
Text:Daisaku Mochizuki