意識高い人に出会ったまえとあと

望月大作
まえとあと 編集人

いろんな諸事情も相まって、なかなかコンテンツを更新できない状況もあり、今回はコラムを書いてみました。

Profile

望月大作
同志社大学大学院修了。修士論文のテーマは「ガンダム」。さまざまな企業に勤める傍ら、十数年前にソーシャル系大学、「ツブヤ大学」を立ち上げる。直近ではWebメディア「十中八九」の編集長を退任後、Webマガジン「まえとあと」を立ち上げ、編集人となる。所持する資格は車の免許以外に、漢字能力検定2級/歴史能力検定世界史2級/知識検定1級。

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意識高い人と意識高い系の人

そもそも久しぶりにコラムを書いている時点で、僕は意識が高いわけではないのだが。そして、”意識高い”人と”意識高い系”の人は明確に違う。と思う。

本来はもっとコンスタントに記事をアップしているはずだった。しかし、のっぴきならない理由でここまで1ヶ月あまり掲載が出来ていない事実はある。

意識の高い人は常にコンスタントに更新をするだろう。そしてそれは無理を呼び、もしかすると、どこかで破綻を迎える可能性もある。僕は「まえとあと」に関してガツガツやるつもりはない。自分のペースでやることがこういった試みに対しては大事である。

自分は意識の高い人が苦手だと思っていたが、もしかしたらとんでもない思い違いをしているのではないか、と最近思うようになった。それは意識高い人ではなく意識高い系の人がきっと嫌いなんだろうと思ったからだ。

意識高い系の人は風なのだ。消防署のほうから来ましたみたいな感じで、やってくる。消防署からはやってこない。でも信じるひとは信じる、方角だけで。

信じるものは救われるとは言葉のままで、でもそれは本当にそうなのか、を盲目にさせる言葉でもあるわけで。

何でもそれっぽいのが一番厄介なんだけど、最近はSNSなど含め、うまい具合にやる人がいる。人前でだけそれっぽく振る舞うことがうまい人種が確実に存在し、その人種はただただそれに長けているだけで、実際のところの能力は見せかけである場合も多い。

人材も不動産もそうだけど、仲介的な生業をする人たちは、リストがほしいだけなんじゃないか、なんてことを思うことがこれまでの経験上あった。

それこそ人材業界のエージェントにブッチされることさえあった。(これはこっちが舐められただけかもしれんけど)だから、それからCMでよくやっているハイクラスエージェント的なものは何分信用を置いていない。

まさにハイエナが肉にたかるように、スカウトメールを寄越しては、食い散らかしては去っていくそんな繰り返しのような気さえする。結局仕事はそういったエージェント的なもので決まるのではなく、結局これまでのつながりから決まることが圧倒的に多かった。

いま不動産に関わるような仕事をする機会があり、本当にゼロスタートから学ぶわけだけど、不動産や投資こそ若いうちからしっかり学んでおくべきもんじゃないの。と知れば知るほど思う。そもそもホームインスペクションなんて知らんまま契約してるでしょ。もそうだけど、それこそ新築は新築なんだから欠陥なんてあるわけない、から間違っているなんて知らなかったよ絶対的な展開もある。

単純に人生で一番高い買い物がだいたい「家を買う」だと思うわけで、それを何も知らんまま買うって本当にヤバいなと。

ちゃんと知っていないとヤバいところに、意識高い系の人はそれらしくやってくる。しかもちゃんと調べると、どう転んでもヤバい方向にしかいかんやろ、それ、みたいなことになると予言出来てしまうぐらい杜撰だったりもする。

矛盾を抱えながら、人は生きている

なぜ、そこに行ってしまうのか、もちろん自分にもそのリスクが有る。個人的に大事にしていることはアリストテレスが言ったように「無知の知」を自覚することが大事で、こんなに情報が氾濫する時代に、それはより大事になっている気がする。

知らないことのほうが圧倒的に多いことを自覚して、でも多くのことを知っていないとリスクが高まる。これは一見すると矛盾をはらんでいる。

情報の洪水をうまくキュレーションする力を身に着けないといけない一方で、情報を見極める力はある程度失敗から学ばないといけない。でも失敗したくない。

常に大きな矛盾を抱えながら、ずっと人は生きている。

すべてはバタフライエフェクト

ちょうどこの文章を途中まで書いているときに、『映像の世紀』ではフラーとジョブズの話がやっていた。その裏側では話題のドラマがやっていた。『映像の世紀』で言われるバタフライエフェクトとはまさにちょっとしたきっかけで物事が動き出すことを指している。裏でやっているドラマもちょっとしたことがきっかけで冤罪かもしれないものが動く。そもそもそのドラマが生まれたきっかけでさえ、プロデューサーと脚本家のちょっとした会話からスタートをしている。

元をたどると、このメディアを個人で始めたのも、何らかのきっかけ要因だし、そもそも今大いに揺れているTwitterというサービスに出会ってなければ、自分は今どんな人生を送っていたのかも分からない。それぐらいちょっとしたきっかけで物事が動くことに個人的にも大きく影響を受けている。

そういう意味では人生はなるようにしかならないとも言えるんだけど、その結論は味気ないでしょ。

メンターみたいな存在には大いに出会うべきだと思うし、僕も節目では大きな出会いもあるわけで、でもそれっぽいものには注意しないといけないし、それっぽい人ほど本物以上に本物っぽいことを言うから、そのときにどれだけの精度でその真偽を見極められる力を持っているかは、どこまで世にある情報を自分のなかでキュレーションしているかどうかに掛かっている。

ちょっと調べたらわかるんだけど、そのちょっとの手間が明暗を分けることも多くなっているので、人生はチリツモでしかないので、ちょっとの手間を惜しまない努力をひたすら続けていこうと思う。

新作記事、もう少しお待ちください。

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi