タイパという言葉を知ったまえとあと / 望月大作(まえとあと編集人)

  • 望月大作まえとあと 編集人

執筆:望月大作

タイパに固執するべきなのだろうか

ある意味、いまフリーランスで仕事をする身としては、非常にこのタイパ(タイム・パフォーマンス)は意識しないといけないと思う。まず就業時間という概念がないかつ、複数の仕事を受け持っているケースが多いので、タイパを意識しないとなかなかフリーランスの場合は、仕事がままならないんじゃないかと思う。

その一方で気になることもある。

できれば最短距離を目指したい。シンプルに最短距離を取ることの美しさみたいなものは、僕は自動車教習所で学んだ。何を言っているかわからないかもしれないが、これは事実であり、当時の教官には本当にいろんなことを運転技術以上に学んだと思う。

急がば回れであったり、直線で進むよりも緩やかな曲線のほうがボールが速く到達するみたいな映像が示すように、「タイパ」というものは急ぐ近道であったり、直線なんじゃないかと思う。でも近道をシンプルに進みたいと思うのが人間の性なんだけど。

人間を便利にするプロダクトの性質は、便利さと不便利さの表裏一体だと思う。例えばオンラインミーティングは移動もしないで済むから非常に楽でありがたい一方、ひとつ画面で区切られている分、本来対面であれば届いていたはずの言語化できない情報をキャッチすることが難しい。だから個人的にアイデアを共有して考える場としては、やはりオンラインよりもオフラインで会うべきなんじゃないかと思っている。

個人的には、というか、もう完全にここは個人的に書いている場ではあるんだけど、30歳ぐらいまでに、どのぐらい無駄なことをしているかってこと、とっても大事なんじゃない?と思っていて。もちろん単純にお前が失敗ばかりしているだけやと思われても、それは否定しない。

かなり挫折をしていると思う。じゃないと履歴書に書けないぐらいの職歴になってないし、そもそもフリーランスを選んでもいない。自由になりたいからフリーランスをやっているわけではなく、結果的にフリーランスになっているだけで。フリーランスは素晴らしいと喧伝している人たちの言うことを信用するよりは、実直に会社員を続けるほうがコスパもタイパもいいはず(笑)。

いわゆるタイパの真逆を行く半生

先のことなんて分からないんだよね。十数年前にTwitterを知り、最初は何も分からず始めて、とりあえず流れに乗っかって。Twitterをやっていなかったら知り合ってなかった人がたくさんいることは事実で、そしてツブヤ大学なんかをやることで、また関わりしろが出来る人が加速度的に増えた。それは単純に面白かったらいいじゃん精神だけで進んできて。

単純に仕事をして稼いで家庭を作るって意味で言えば、これは無駄だと思う。どう考えても最短距離ではない。大きく曲がっている気がする(笑)。だから「タイパ」を意識していたら、SNSをやるのも本来タイムパフォーマンスは合わないと思う。そこまで「時間」を意識しているなら、僕よりも速くレスを返せよって思うでしょ普通は(笑)。

結局人間って言っていることとやっていることは一貫性がない。僕も含めて。それをどれだけ自覚しているかも大事で。自分が正しい、正義だと思っている人はそれは自覚的にはならないんだと思うけど。

自分の思っている正義の価値観なんて、みんな清く正しく同じものでも何でもなく、人間の数だけ正義のベクトルって違うわけで、わざわざベクトルがまったく違う方向に向いている人たちに合わせる必要はない。

だから「タイパ」も別に言っているのは良いんだけど、そこを意識し過ぎると、もっと本質的なことを見誤るような気もして。

タイパを追うことが「正解」なのか

全部正解正解で最短距離進む人生、正直おもろいですかね? ゲームをしているとそれを選択しがちなんだけど(笑)。ゲームはどれだけ良いチームやラインナップにできるかみたいなところを意識するので、正解を意識しちゃうのは余談だけど。

正解正解ばかり意識するから、企業のWebテストの替え玉受験の仕事も需要ができてしまう。今のほうが大企業に入りたい人が多いのかな。結局自分はいろいろな失敗ばかりだけど、それでも40歳までは生きてきているし、まあ本当に経験値はおかげさまでついたかな。

正解と思われることばかりをずっと続けていると、耐久性みたいなものってつくのだろうか。それこそドラマや映画を2倍速で見るみたいな人が増えているし、映画を2時間耐えられない人が増えていると言う。だからそれは耐久性みたいなものが失われている気がする。それだと葬式の坊主の読経にも耐えられないような気がするけど(笑)。

でもこれって鶏が先か卵が先かみたいな話と同じで、経験値があるから今こうやって言える部分も多くて、何も経験していない人たちにいくら言っても、さっきのベクトルの話と同じで、馬耳東風で終わってしまう可能性が高い。また年配者がのたまっているとなるし、お前とは違うと思われるし(笑)。

めちゃくちゃ真面目だと思っていた人が、何かしら失敗を大きくやってしまうと、そのギャップの落差が大きい。みたいな感じでめちゃくちゃまっすぐの道をずっと進んできた人がいきなり大きな壁にぶつかると大クラッシュになる。「え、そんなとこに壁あるなんて知らんねんけど」みたいな。脇道それまくっている人のほうがぶつかりまくった経験で大きな壁を察知しやすいはず。

若いうちにどれだけ無駄なことをするかが、人生のタイパにつながらないか

結局のところ、人生のほんとうの意味で「タイパ」を得るための最短距離を取るには、どれだけいろんな経験を無駄でもいいのでやっていくかに収斂していくはず。なんにも分かっていないと多少無敵な一方で、本当に無知だったな、、と思うことも多いわけで。

僕の場合、今でも即レスだと言われることが基本的にあるけど、学生時代はもっともっと即レスを相手に求めていて、いろいろと今以上に面倒な存在だったと思う。ただこれは完全に自分の交友範囲の問題だった。交友範囲が狭かった。今に至るまで多くの人たちとやり取りを重ねるうえで様々なパターンを経験した結果、現在はいろんなパターンを選びながら対応しているはず。

学歴も大学院までストレートで進学しているから順風満帆だと思われる可能性もあるけれど、実際はそうではない。高校受験では推薦で落ちて、適性試験は通ったので一般入試で再チャレンジして入っているし、大学受験も実際に入った同志社は一般入試は落ち、センター利用入試で入っているので、全然順風満帆でもない完全なる薄氷の上を滑るように歩いていて今がある。

社会人になる際も就活に全敗した結果、大学院を選択するという展開だし、実際に社会人になるタイミングも、入社前にM&Aで会社が買収される展開になったわけで。

ただこれだけは言えるのは、ここまでの過程がないと、現在の自分はおらず、これがもっと順風満帆ならこんなことにもなっておらず、きっとTwitterに出会うことももっと後だったに違いない。そうすると劇的に現在の状況は違うはずで、もっと味気ない人生になっていたかもしれない。

そういう意味では個人的な「タイパ」も「コスパ」もまったくダメダメだったかもしれない。しかし、今の状況は正直に言えば学生時代よりも楽しく過ごせていると思う。もちろん自己責任の度合いは学生時代の比ではないし、自分の判断で全てを決めていくことはヒリヒリはするが、いろんな経験をしている分、自分のベクトルをしっかり持てているんじゃないかと思っている。

もっと正解じゃないものを若いうちから知る重要性

で、ここまでは長い前フリで、40歳にもなると、今後どんなことに関心があるかなんてことを考える機会が増える。上ばかりではなく横や下にもどんどん目を向けていくようになる。そうすると、いろんな経験をしていることをうまく社会に還元できる術はないかを考えるようになってきた。

ある意味でこの「まえとあと」もいろんな人の「前と後」を紐解くようなメディアではあるので、ご覧いただいている方々に少しでも気づきを得てもらえるヒントがあったら嬉しいと思って個人メディアとして更新している。

最近よく思うのは、僕の場合はたまたま時代がそうだっただけではあるが、いろんなIT技術が発展していく過程が、ちょうど自分が子供から大人になっていく過程と一致していて、いわゆるリテラシー的なものも段階的にある意味でOJT的に学ぶことができた。

もちろん時代が先に行けば行くほど新しいテクノロジーが供給されていく。そしてもう既にそこにある状態でどんどん若者が”世界的には”増えていく。

今までだったら、井の中の蛙大海を知らずでも、ちょっとずつ広い世界を知り、例えば小学校から中学校、そして高校に大学と進むなかで、自分より何かに秀でた友人たちと切磋琢磨したりするんだけど、今はどんな田舎でもインターネットさえあれば、世界中の同年代のすごい人たちに若いころからアクセスできてしまう。

こんなすごいやつがいるなら無理だと若い頃から諦めてしまうこともあるはず。これについて先に別の道に進めるのだからコスパも合うじゃん、タイパにもなるじゃんではないはずで。

ちょうどいまサッカーが盛り上がりを見せているけど、ブラボー長友なんて明治大学サッカー部時代まで無名な存在だった。しかし、いま4大会連続でワールドカップに出場している。巨人やMLBで大活躍した上原浩治氏も大学生までまったく無名だったわけで。これって若い頃にクリスティアーノロナウドやメッシがいるから諦めようとか、大谷翔平にはなれないから諦めようみたいなことがあったら、絶対に今何もない話になるわけで。

だから、これが正解なんだよ。ではなくて、世の中にはこんなにいろんな生き方があるねんで。が大事やねんとさえ思ってきていて。正解っぽいものだけしか見せないから、その正解ではないものになった瞬間、それはイコール不正解となるから = 人生詰んだ、になってしまっている気がする。もちろんそんな単純な図式ではないかもしれないけど。

結局人間の人生って単純じゃないよね論

人間の生き方なんてRPGじゃないんだからリセットもできひんし、別に分岐ルートなんてスパコンでもきっと演算できないくらいあるわけで。だから全通りの生き方なんて誰も指し示すことはできひんでも、それだけ多様であることを若い子たちに示すだけでも、何かしら社会に貢献するようなことになるはずなんじゃないか。

10代、20代で人生詰むんだったら、もう40歳の自分は完全に詰んでいる状態のまま荒れたオフロードを進んでいることになっていると思うけど、まだ何とかしぶとくやっているわけで。効率のいい生き方みたいなものを選択すればするほど、そのルートから逸れた段階での反動がでかいわけで。

その反動のでかさを最小限にするんであれば、まずどこへ行くにもいろんな分岐点だらけだって認識を若いころから知っておくことがいいんじゃないかって考えている。

もともと自分はマスコミ志望だったけど、まったくマスコミは歯牙にも棒にも掛からず、半ば諦めも当時はあったけど、いろいろと一見無駄だと思うようなことや交友関係を広げた結果、テレビ局のグループ会社にも在籍したこともあるし、メディア関係者で一線で活躍してはるような面々と交流をすることが出来ている。

その瞬間、「こんな感じでつながるんや!」となるよね。別に意図をしているわけでもなく、結果的にそうなっているから人生って面白い。関西人の悪いくせで狙いに行った渾身のひとことが盛大にスベりまくるのと同じように、狙うことよりは、何も狙いにいかないことで、逆に最大の効果をもたらすことがたくさんあるはず。

どんな仕事をするのか何も考えていないという人が多いのであれば、こんな生き方が正解と図示するのではなく、こんな生き方もあるんやで!と示すほうが、それが結果的に人生の長い道のりで考えたときに、実は最短距離を走っていたってことになるんじゃないか、そんなことをいま「タイパ」という言葉から考えている。

ただ目の前だけのタイム・パフォーマンスに囚われていないか、もっと先の空間視野をどう働かせられるか、どう認識するか、どう活かすか、それが一番大事なことだと、自分も忘れがちなので意識している。

Profile

望月大作

同志社大学大学院修了。修士論文のテーマは「ガンダム」。さまざまな企業に勤める傍ら、十数年前にソーシャル系大学、「ツブヤ大学」を立ち上げる。直近ではWebメディア「十中八九」の編集長を退任後、Webマガジン「まえとあと」を立ち上げ、編集人となる。所持する資格は車の免許以外に、漢字能力検定2級/歴史能力検定世界史2級/知識検定1級。