スカイツリーが建ったまえとあと[拡張論] 米山勇(建築史家)×中川大地(評論家/編集者)【後編】

  • 米山勇建築史家
  • 中川大地評論家/編集者

写真:平林克己
聞き手/編集/執筆:望月大作

目次

  • 前編
  • ノスタルジーとリフレインから感じる違和感
  • アトリエ建築家とゼネラルデベロッパーの奇妙な棲み分け
  • スカイツリーはできるだけ主張しないようなデザインという矛盾
  • 2つのタワーがもたらす東京の重層性について
  • ノスタルジーとリフレインから感じる違和感

    中川

    東京タワーについては、東京のランドマークとして廃れかけては何度もリバイバルが起きてますよね。

    米山

    ありますよね。レトロ感があるんじゃないですか。

    平林

    僕も上海から人が来て、スカイツリー見てるより、東京タワーを見てるほうが盛り上がって。

    米山

    僕はそれを感じていて、それは東京タワー特有のことじゃなくて、日本の文化全体に共通するベクトルを感じるんですよ。レトロ的なものに対する安心感と共同意識。例えば東京駅を竣工当時の姿に戻したじゃないですか。三菱一号館も復元されたし、 首都高を地下に埋めて日本橋の景観を取り戻す。「昔の姿を取り戻します」ってことは非常に歓迎される。

    中川

    21世紀に入ってからは特にそうですね。わかりやすい兆候としては山崎貴監督の『ALWAYS 三丁目の夕日』の中に出てくる「建ちかけの東京タワーへのノスタルジー」があって、東京の景観づくり、街づくりへのみんなのイメージを可視化したと思います。

    望月

    あれは本当に象徴してますね。

    米山

    建ちかけの東京タワーのあの風景……建ちかけの姿って本来は前向きのものだと思うんですよ。だってどんどん建っていくんだから。でもそれをレトロ的に見ていたことが、なかなか歪んでいる(笑) 建築途中の風景を懐かしがる。これはなかなか僕は歪んでいると思うんですよ。

    中川

    しかもスカイツリーが建っていく2000年代後半は、その時点で『ALWAYS 三丁目の夕日』の建ちかけの風景への先行したノスタルジーがあって、いま目の前で起きている建設風景に対して、「かつて『ALWAYS 三丁目の夕日』で東京タワーを見ていた人たちと同じような体験を、いま私たちがしてるんだ」というように、あらかじめノスタルジックな姿勢が埋め込まれているというねじれをすごい感じました。

    米山

    面白いですね。

    中川

    「日本はもうこれ以上は発展し得ない」とみんなどこか無意識ではわかっていて、良かったものは過去にしかないという諦めが共有されているというか。

    米山

    本当にそういう意識を共有している印象がありますね。

    中川

    そもそも「新東京タワーを建てて下町を盛り上げよう」という姿勢自体が、本当の意味で新しい未来というよりは、高度成長できたあの頃の夢をもう一度見たい、という後ろ向きな欲望だったじゃないですか。

    米山

    オリンピックもそうだったですもんね。

    中川

    そうなんです。スカイツリーが2012年に建ってからこちら、コロナ禍でずれたけど2020年に東京オリンピックがあって、さらに大阪万博まで2025年にあってというふうに、アホみたいなリフレインが起こったじゃないですか。その空々しい「夢」のループ感が、この十数年本当に嫌でした。

    米山

    わかります。スカイツリーを今一生懸命建設してるのに、「東京タワーは良かった」って論調も、かなり気持ち悪かったです。

    平林

    アニメとかあんまり見ないけど、昔のアニメの焼き直し、すごく多くないですか?

    中川

    『うる星やつら』とかやってますもんね。

    平林

    僕が小さい頃に放送していた作品がまたやっていて。ぐるぐる回る、サイクルになっちゃってるのが怖い。

    中川

    ただ、一方ではこうも思うんですよ。 絶えず新しいものが出てきて無限に発展していくことが正しいと思うのは、人類史を通じて近代という一時期の特殊な文明形態のメンタリティでもあって。だから藤森照信さんがたしか『建築と人類の歴史』とかで書かれていた建築史観に則ると、近代までの伝統建築はローカルな風土に即した建材や文化様式に規定されながら発展していったのに対し、近現代のグローバリズムの時代が訪れると建築はどんどんローカリティを剥ぎ取り、機能性だけを追求して鉄とコンクリートとガラスだけのモダニズム建築の世界になっていった。

    しかし20世紀の後半からは、ポストモダン建築などで近代への反省的な意識から、そこから再びローカリティのある地域性に即した方向にUターンしていくみたいなことを藤森さんは説かれていたと思います。

    だから、大筋として近代主義的な都市文明への見直しという水準では、ある種の回帰的な志向はあるべき変化ではあると思います。ただ、それと平成末期からの日本を覆う高度成長ノスタルジーはちょっと違う。要は右肩上がりの近代主義へのノスタルジーなんで、それはちょっと捻れたものがありますよね。

    米山

    ただ、藤森さんが言ってることには多分に新しさもあるんですよ。確かに藤森さんの建築には懐かしさがあり、特に緑と一体化した原点回帰みたいなものがある。でもそこには過去にはなかったものを作るっていう強烈な意志がある。今話題にのぼっているレトロ思考は、一様に「昔に戻す」ことにすがっている気がしてならない。

    中川

    それは単純にすごい短いスパンでの成功体験への執着ですからね。

    アトリエ建築家とゼネラルデベロッパーの奇妙な棲み分け

    平林

    あの時代を知らない世代の人たちは、そのレトロ思考やリバイバルをどう見るんですかね?

    望月

    新しいと見るんじゃないんですか?

    平林

    例えば東京駅は昔の姿を再現して、僕らが生まれる前の姿になったでしょ。いま20歳ぐらいの子たちが東京駅舎を見ても全然違って見えるんですかね?

    米山

    新鮮に見てとるかもしれませんね。

    中川

    レンガ造りがってことですよね。それはそれでオシャレに感じるんじゃないですかね。

    望月

    古いとは思わないんじゃないですかね。

    中川

    だから東京駅のあのレンガ造りの駅舎を、八重洲口の近代的なビル群の前に『ちいさいおうち』の絵本ばりにぽつんと置いたミスマッチな景観の再開発のセンスがいいのか悪いのかということは、よく議論が交わされていますよね。僕は個人的には嫌いじゃないんですが。

    平林

    僕も好きだけど。

    望月

    駅舎よりも、僕は駅舎の前が広場になったのが大きいですね。

    米山

    結婚式の「前撮り」もやったりしてますよね。僕も広場になったのは悪いとは思わない。

    中川

    新丸ビルあたりからのここ十数年ぐらいの再開発で、丸の内一帯のエリアのオフィス街に文化や生活との近接性をもたらそうという整備の方向性になってますよね。それは高度成長期とかバブル期のビジネス観を見直そうという意味で、わりと肯定的に見ている感じです。

    米山

    東京駅を復原したのはいいんだけど、周辺の建物がそろって、低層建築の上に超高層ビルが立っているあの風景を見ると、ときどき恐ろしくなりますよ。

    平林

    歌舞伎座はどうですか?

    米山

    あれも同様ですね。まさにあのタイプのものがいっぱい建ってる。

    平林

    東京駅前の広場、丸の内の南にKITTEがあるじゃないですか。正面のガワは一緒じゃないですか。

    中川

    ファサードだけ一緒ですよね。

    平林

    やったなと思うけど、あれって人間で言えば、顔の皮だけ残して、何かに張り付けたようなもんですよね。

    米山

    そうです。それをみんなやっている。ちょっと恐ろしいですよ。

    中川

    そうですね、キメラチックで。

    平林

    気が付かない人はもっと怖いけど。どう怖いですか?

    米山

    書割がいっぱい立っているような感じ。下だけ見てれば気が付かないけど、ちょっと見上げると気づいてしまう。「あれ、これって本体はあっちじゃん。 ここにあるのはパッケージだ」と。それがいっぱい建っているわけですよ。

    平林

    ヨーロッパの古い建物の使い方と全然違いますよね。

    中川

    うん。

    平林

    ヨーロッパで見る古い建物は、今も使えるように使ってるところだけど。日本のそれは表面的にやりましたよってアピールですよね。

    望月

    日本が得意なやつじゃないですか。

    米山

    僕は講演とかでも話すんだけど、海外の人が東京駅の丸の内に立ったとき、まわりの風景を見て「ここは遊園地か」と思うんじゃないかって。

    中川

    そうですね、テーマパーク的な感じですよね。1983年の東京ディズニーランド開業以来、そういう方法論が実際の建築や複合商業施設の街区などいろいろな場所に応用されてるのが日本の歪なところっていうか、面白いところで。

    米山

    もしあれを変だと思わないとしたら、相当すごいところに来てるね。

    中川

    表参道ヒルズもそうじゃないですか。やっぱり同潤会アパートのガワだけ貼り付けて。

    米山

    ただ表参道ヒルズはまだ超高層ビルが立ってないだけマシですよね。

    平林

    なんか短落的に「混ぜました」みたいな感じで。

    米山

    そうですね。

    望月

    でもそれが日本では大衆に喜ばれちゃうんですよね。

    平林

    でもKITTEにしろ一度全部ぶっ壊して、ガラスとコンクリートの建物を建てるのと、表面だけ残ったのとどっちがいいですか?

    米山

    表面だけでも残ったし、中に新しい空間を隈研吾さんが作ってるしね。 そのことはいいと思うんだけど、後ろに超高層ビルを建てることは、それとは別だと思うんですよ。

    平林

    例えば元々の建物が7階建てだとしたら、表面だけ残して後ろに7階建ての同じ高さの中身を再構築したら、まだよかった?

    米山

    全然いいです。

    中川

    それって言い換えれば、高層化して床面積と賃料収入を確保しなければいけない機能主義的・商業主義的な本音と、文化を大切にしてますよっていうアピールの野合が、要は現代の帝冠様式みたいなものになっているということですよね。

    帝冠様式は明治から昭和初期ぐらいにかけて、 実質は西洋建築なんだけれど、あたかも由緒正しい伝統建築の系譜を継ぐかのようなナショナリスティックな意匠の誇示として、いかにも日本風です、という瓦屋根だけコスプレ的に付けるものなんだけど、要はそういう発想が今は明治近代から昭和高度成長期までの古き良き日本近代建築そのものへのノスタルジーに向かっている。

    望月

    そういう意味で隈研吾さんも安藤忠雄さんも同じようなことをやってる意味では(帝冠様式然としたものが)続いているってことですよね。

    米山

    そうですね。ズルいのは、例えば隈研吾さんとか安藤忠雄さんに超高層を重点的に設計してとは言わないわけですよ。ちゃんと文化を残すから、そこの部分をしっかりやってくださいと。超高層の方はデベロッパーである私たちが中心となってやりますからと。基本的にはそうですよ。

    中川

    基本的にそうですよね。アトリエ建築家とゼネラルデベロッパーの奇妙な棲み分けが、ここ2〜30年ぐらいの公共建築のトレンドになっているというのはよく言われていて。

    米山

    (デベロッパーサイドである)悪いイメージの方は、私たちで責任を持って負いますから、先生は良いイメージをしっかりと。そういいながら、実は共同設計者の名目で、「私たちも良いことやってるでしょ」って感じ。

    中川

    スカイツリーもそれなんですよ。基本的には日建設計が構造設計を握っているんだけど、彫刻家の澄川喜一さんにデザイン監修をお願いしていて、スカイツリーの鉄骨のフォルムが正三角の底面から上に行くにつれてだんだん丸くなっていくあたり、日本刀のような「反り」とか「むくり」を表現しているんだなどという、いかにも日本の伝統工芸っぽいものとの繋がりを取って付けたかのようなストーリー付けがされている。だからあの塔が、そういうくそダサい現代型の帝冠様式トレンドの最大の象徴の一つになっていることは否定できないですね。

    スカイツリーはできるだけ主張しないようなデザインという矛盾

    中川

    一方で、高度成長ノスタルジーの象徴としての東京タワーが、スカイツリー以後はどういう存在になったのか。スカイツリーの 450メートルの高さにある第2展望台は「天望回廊」と言うんですが、これは正確には445メートル地点から最高到達点の451.2メートルまで少し傾斜がついていて、ちょっどだけ人が歩いて登っていくつくりになっているんですよ。

    そこで最高到達点に辿り着くと一番正面に何があるかと言うと、東京タワー先輩が見えるんです。東京タワーの展望台から見える景色は、六本木ヒルズの森ビルとか新宿の高層ビル街とかベイエリアとか、近くに起伏に富んだ構造物が沢山あるので、特に夜景については東京タワーからの方が圧倒的にオシャレでアーバンで価値が高いんだけれど、スカイツリー周辺は平坦な古い住宅地でそういうものがないから、すごく味気ない。むしろスカイツリーにとっては、東京タワーの暖かなライトアップこそが、いちばん綺麗に見える最大の景観コンテンツになってるんですよ。

    自らのライトアップも東京タワーの赤や橙の暖色系に対して、基本は青とか紫のLEDらしい寒色系の硬質な灯りなので明確にキャラ分けがされていて、開業当初から東京タワー先輩を立てるコンセプトを意識している感じがします。

    平林

    スカイツリーが出来たときは建ったんだけど、大きいわりに存在感がないと感じて。

    中川

    存在感に関してはあえて草食的なイメージで行こうみたいな印象を受けましたね。スカイツリーのライトアップ時間は、当初は東京タワーよりも1時間早く終わってました。ライティングデザインを担当した戸恒浩人氏のインタビュー等でも、なるべく下町らしい雰囲気を邪魔しないため、ちょっと寂しげな色にしているのも敢えてだと語られていたと記憶してます。

    みたいなことで、もともと『ALWAYS 三丁目の夕日』で東京タワーノスタルジーみたいなものが高まっている時期に設計された塔ということもあって、なるべく主張しすぎないようにしようという意識はあったみたいです。

    平林

    そうなんだ。

    米山

    なんというか不思議な感覚ですね。634メートルの塔を建てるのに、「主張しないようにしよう」。

    一同

    (笑)

    米山

    その論理構造自体が不思議ですね。

    中川

    まあ、それは僕らが住民の会で要望書を出すときにも「お前は新参者なんだから、あんま調子に乗んなよ」的なことはさんざん書いてましたから(笑)。

    米山

    その結果スカイツリーは主張しないようになってしまった(笑)

    平林

    スカイツリーの高さ634メートルは、何の根拠であの高さなんですか?

    中川

    600メートル以上の高さが必要なのは、基本的には地デジの電波塔だからです。

    平林

    機能面で?

    中川

    地デジの電波は波長の短いUHF波だから、アナログ時代のVHF波に比べて直進性が高いんですよ。だから機能面で都心の高層建築の遮蔽を避けるために高さが600メートルないといけないので、東京タワーの高さでは足らず、それで新タワーを立てることになった。逆にその当時、東京タワーの方にも延伸計画があったんですよ。もう100メートルくらい高くしようと。

    平林

    どうやって延伸するんですか?

    中川

    現状の塔体に被せて伸ばすみたいなプランを日本電波塔も持っていて、新タワーの誘致合戦の時に僕も取材したりしました。そのときのパース図ももらったので、実家を探せば出てくると思うんですけど。

    2つのタワーがもたらす東京の重層性について

    中川

    まあ、そんなこんなで「2つの塔」が東京にできたことによって、僕は東京の重層性みたいなものがより出てくるようになったと思っています。特にそれを感じたのは新海誠の『天気の子』で、あの映画で象徴的に東京タワーを見ている人たちと、それからスカイツリーが見える風景のもとに暮らしている人たちとで世界観が分かれているんですよ。 

    『天気の子』に出てくる大人たちの世代は、主人公の帆高が身を寄せる中年のおじさんたちで、東京タワーのふもとで増上寺のある芝公園で離別した元妻との娘とかと団らんしている姿が描かれる一方で、ヒロインの陽菜ちゃんたちが貧乏生活する場所が上野台地の端側にあたる田端とかになっていて、スカイツリーの見える東京の北側・東側のエリアになっているんですよ。

    つまり、前編の最初に「タワー的公共性」の話をしましたが、東京タワーのタワー的公共性を共有するエリアは1964年の東京オリンピックの記憶が残るような東京の西側・南側の高度成長期的なパラダイムを引きずった古い東京で、スカイツリーのタワー的公共性の範囲下にあるのが、これまで開発から取り残されてきた低所得者層が暮らす新世代の東京の象徴みたいな感じで描き分けられている。

    東京タワーが立った増上寺のエリアは、かつての日比谷入江の突端に近い山の手側の岬にあたるわけですが、それに対してスカイツリーはもともと海の底だったところにできた。で、映画の最後ではその一帯が縄文海進期に回帰したように水沈してしまうことの象徴としてスカイツリーが立っていて、これも東京が持っているZ軸の表現ですよね。

    ここ十数年の東京論のトレンドとして、陣内秀信さんとかが先駆した東京の高低差を再発見するタイプの都市論が注目を浴びていたじゃないですか。最近だと『東京スリバチ地形散歩』あたりとか。

    米山

    (東京スリバチ学会の)皆川さんですね。

    中川

    あとブラタモリもそうだし、『アースダイバー』で中沢新一さんが縄文のときには海だったところと陸だったところの文化論的な対比をやっていたのもそう。『天気の子』はそういう地形の高低差というZ軸にフィーチャーした最近の東京論の動向を踏まえながら、東京タワーとスカイツリーという2つのタワーが象徴するそれぞれの生活圏を対比的に描きつつ、雨と水のアニメイトによってその構造を浮き彫りにするという表現論的な挑戦がされていて、その部分についてはこれはスカイツリー文学として非常に秀逸だと感じました。物語やテーマ性には不満だらけなんですけどね、スカイツリーに対しての気持ちとおんなじで(笑)。

    Profile

    米山勇

    1965年東京都生まれ 建築史家 東京都江戸東京博物館研究員
    早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。早稲田大学非常勤講師、日本女子大学非常勤講師などを経て現職。著書に『写真と歴史でたどる日本近代建築大観』(全3巻)(監修、国書刊行会)、『世界がうらやむニッポンのモダニズム建築』(監修、地球丸)、『日本近代建築大全 東日本編』『同西日本編』(監修、講談社)、『米山勇の名住宅鑑賞術』(TOTO出版)、『時代の地図で巡る東京建築マップ』(共著、エクスナレッジ)、『けんちく体操』(共著、エクスナレッジ)など。
    「日本建築家協会ゴールデンキューブ賞特別賞」(2011年)、「日本建築学会教育賞(教育貢献)」(2013年)受賞。

    中川大地

    1974年東京都墨田区生まれ。評論家/編集者。批評誌「PLANETS」副編集長。文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門審査委員(第21~23回)。ゲーム、アニメーション、テレビドラマなどのポップカルチャー全般をホームに、日本思想や都市論、人類学、情報技術などを渉猟して現実と虚構を架橋する各種評論などを執筆。著書に『東京スカイツリー論』『現代ゲーム全史』など。