インターバル期間でリフレッシュしながら歩んできた
そもそも、ずっとフリーで仕事されていたんですか?
長
いいえ。フリーの期間の方がまだ短いです。これまで、放送局の社員や放送局との直接契約、いわゆる出演者契約で、アナウンサーやリポーターの仕事をしてきました。最後に所属していたのがラジオの文化放送で、2020年9月末に退職してからフリーですね。
社会人、最初はどんなスタートだったんですか?
長
社会人1年目は私の地元福岡のKBCラジオのリポーターをしました。でも1年で辞めちゃって。当時はまだ若かったんでしょうね。詳細はあえて伏せますが、何だか私には向いていないなって思ってしまって、もう1つの夢であり30歳くらいになったら目指そうと思っていた小学校の先生になりました。
そうしたら赴任先の小学校がとてもいいところで、もちろん大変なことはたくさんあったんですけど「これは私の天職だ!」って。しかも保護者からも学校からも「長先生、来年もよろしくね」と言われていたこともあり、続ける気持ちでいました。ただ、そういう時に人生の岐路って訪れますよね。当時付き合ってた彼に「小学校の先生もいいけど、まだ20代でいろいろチャレンジできる年齢だし、もう一度、リポーターの仕事をやってみたら?前の仕事の方が輝いてみえたよ。」と言われて。
いつも一番そばにいる人にそう言われると、ちょっと悩むじゃないですか。それからは小学校の教壇に立つ時に、少し迷いを感じるようになって。そんな時に子どもたちに「先生の子どもの頃の夢はなんだったんですか?」と聞かれて、私は「小学校の先生だよ!」って自信を持って言えなかったんです。
しゃべる仕事の夢はすでに叶ったとはいえ、1年しかやらず道半ばでした。それはいかんと思い、知人に勧められた同じく地元福岡のRKBラジオのリポーターの仕事の試験を受けました。でも、あえて1社だけ受けたんです。もししゃべる仕事が本当に私に合っているなら運命が導いてくれる。ダメだったら合わないということだと。
それでも1次面接ではまだ迷いがありました。子どもたちの笑顔や保護者の方の「長先生がいてくれるから助かる」「うちの子、長先生がいるから学校に行きたいって言ってるんですよ」とか、周りのありがたい言葉に後ろ髪引かれる思いでした。でも突然スイッチが入ったんです。最終選考の1つ前の選考会場で、同じように試験を受けている人たちの中から、「あの人、KBCラジオのひまわり号のリポーターやってた長さんじゃない」って声が聞こえてきて。
「あぁ、やっぱりこの世界を目指している人は、業界の人の顔がわかるんだ。私、たった1年しかやってないんだけどな。」と思いつつも、気にしないふりをしてたら、「一度、別の放送局で仕事していた人が同じ福岡県内の、しかもライバル会社であるRKBに受かるわけないじゃん」と言っているのが全部聞こえて。
そこで急に「いや、そんなことない!負けたくない!」って、ちゃんと全力で採用面接に挑もうって気持ちが完全に切り替わったんですよ。意外と私って負けず嫌いなんだなっていうことにも気付きました。もちろん面接ではKBCラジオをたった1年で辞めた理由を聞かれましたし、間に小学校の先生という仕事を挟んでいるとはいえ、ライバル会社から来るわけだから、そこも納得のいくような理由や思いをちゃんと伝えました。確か、「リポーターなんて、どの会社も個性の強い人の集まりだから・・・。今度も1年で辞めるということにならないかな?」って聞かれて、「少しくらいベクトルの向きが違っていても、最終的には同じ目標に向かってみんなが進んでいくような職場だったら、以前のように途中で諦めることはないと思います」って言ったんですよね。おかげで合格できましたし、仲間と切磋琢磨できる環境で満期の3年間務めあげることができました。
RKBではラジオの基礎を学ばせていただきましたね。1年目はなかなか芽が出ず、いつになったら先輩方みたいに上手いリポートができるんだろうと悩みながら、先輩方のリポートを分析しノートにまとめる日々が続きましたが、その分析ノートが増えるごとに、だんだん上手いリポートの法則が分かるようになってきて、最後の年である3年目の後半は、どんな現場でもどんなネタでもリポートができるようになっていましたね、自分で言うのもなんですが。この辺りは自信があったからか、私の人生において珍しく気も強かった時期ですね(笑)。
RKBの3年間が終わった時点で28歳。そこで次の展開を考え、初めてアナウンススクールに通いました。一般的な人と比べると10年くらい遅いですよね。大体、アナウンサーを目指している人って大学生で通いますから。でも遅くなかったんです。そのスクールのおかげでNHKの契約キャスターのことを知りチャンスが広がりました。NHKって東京以外に、全国各地に50を超える放送局があり、その放送局ごとで契約キャスターを募集しています。しかも経験者だけじゃなくて、未経験者も採用されることがあると聞き、私にも可能性があるんじゃないかと思ったんです。
結局はNHKの全国各地の契約キャスターの試験を受けまくって、やっと採用が決まったのがNHK千葉放送局。28歳でテレビの経験がなく、ニュース読みもやったことがなかったから、なかなか合格できなくて。千葉放送局も最初は補欠合格だったらしいんです。でも千葉放送局はテレビ出演は月に1、2回でラジオがメインの放送局ということ、それから後日聞いたんですけど、試験でのフリートークがダントツでラジオで話しているイメージができたと。KBCやRKBでの経験、ひいては小学校の先生として授業の時に話していたフリートークの経験が活きたのかもしれません。
実際に仕事が始まってみると、(ニュース読みには苦戦しましたが、)ラジオ時代の取材力と構成力が活きました。ラジオもテレビも人や事象と向き合うのは同じ。ラジオのリポートやスタジオトークも楽しかったんですけど、そこでテレビの、映像があるリポート制作の面白さにハマりました。
千葉放送局での仕事に慣れてきた2年目の終わりごろ、また他人の言葉によって人生が変わるんです。当時30歳。たまにテレビに出る程度でも満足していたんですけど、先輩キャスターたちに「長さんは外見が若いからまだまだテレビも行けるのに、ラジオだけだともったいないよ。何だかんだ言って、この業界は見た目年齢!NHKの地方局に行けば、たくさんテレビに出られるし、経験が積めるから行ってみたら」とアドバイスをもらったんです。
その時も、私は千葉放送局の居心地がいいから、よそへ行く気持ちは控えめで、たくさんの放送局に応募書類を送るんじゃなくて、地元のNHK福岡放送局だけに応募しようと思って。でもちょうど福岡放送局の試験日の1週間前に、採用試験の練習のつもりで受けたNHK山口放送局の試験で出会いがありました。
今も人生相談などにのってもらっている当時のアナウンス副部長が、私のアナウンサーっぽくない自然なしゃべりを気に入ってくださり、試験が終わって30分後に電話で「山口に絶対来てほしい」と言われ採用されました。まだ福岡放送局の採用試験を受けてなかったので、即答できなかったんですけど、直感でよさそうな気がしたんです。この人のもとで働いてみたいなって。それは大当たりで、この人からは、いい意味での「適当」という、これまでの私にはなかった武器を貰いました。この山口局で3年間、新しい考え方・生き方と、テレビの面白さを知った経験は今振り返っても大変ありがたくよいものでしたし、実際3年間本当に楽しかったですね。
その経験と思いを持って、満を持してNHK福岡放送局を受験。そして順調に福岡で働きはじめたわけなんですが、そこでちょっと信じられないことが起き、再び1年で辞めよう・もう無理だとなって。社会人1年目の時よりも辛いことがありました。
本当は福岡で2年ぐらい働いたら喋りの仕事は辞めて、地元で私なりの有終の美を飾り、結婚をして家庭を持とうと思っていたんですが、そこで起きたことにより、1年しかいられなかった。不完全燃焼だなって。じゃあこのモヤモヤどうしようと次の展開を考える。そこで目に留まったのが文化放送のアナウンサーの採用試験だったんです。
契約アナウンサーを募集している放送局にしては珍しく、応募条件に年齢制限が無かったんですよ。「きっとここは年齢に関係なく働ける会社なのかもしれない」という期待と、「NHKでは6年お世話になったから、別の放送局で学んでみたいな」とか、正直、福岡で嫌な思いをし、「私にとっては地元だけど、福岡からは一度離れたい」って気持ちがあったので、それが次の文化放送に行くことにつながったんだろうと。思い切って福岡を離れ、東京に来て、新しい環境で働けてよかったです。
文化放送は10月採用だったので、NHK福岡を3月で辞めた後、働きはじめるまでに半年空きました。そこで自分を見つめ直し、気持ちのリセットができたのも人生にとってプラスになっている気がします。振り返ると、これまでも仕事を辞めた後って、次の採用の時期がズレたりしていて、3か月とか半年空いていることが多いんです。仕事をしていない罪悪感はありましたけど、その期間がリフレッシュになっていたのかも。
僕も同じ職場での仕事が3年続かないんですよね。(フリーランスは4年目に突入)
長
でも最近はそっちの方が当たり前、スタンダードになってきていませんか? 若い世代やスタートアップ界隈は特に。シンプルに考えて、人生としてもそっちの方が面白くないですか? 私自身もひとつの企業にずっといるより良かったと思います。人が変わる・成長するためには、時間の使い方を変える、場所を変える、付き合う人を変えるといいって言いますよね。転職って、まさにそういうことじゃないですかね。あと、今は前にいたところよりも条件や仕事内容がいいところに行く!っていう前向きな転職が増えましたよね。
きっかけはラジオから
いま広報で働いている会社は普通に受けたんですか?
長
あー、ちょっと説明に悩みますけど、普通といえば普通です。履歴書を送って、面接をして、採用いただいて。実は、第一志望の会社だったんです。私が文化放送にいた頃、アシスタントを務めていた番組『村上信五くんと経済クン』に今の会社の社長がゲストでいらっしゃったんです。そこで会社の創業のきっかけとなったバングラデシュの栄養問題を解決したいという話、今の事業内容やサステナビリティを1番に考えてすべての事柄が進んでいる話などを聞いているうちに、「社会課題を解決しようという強い思いで、真っすぐに進んでいる会社があるんだ。なんて素敵な会社なんだろう」って。当時はまだ文化放送の社員だったのに「次はそんな会社で働いてみたい!」って思ったんです。
私は文化放送の有期雇用の社員だったので、正直、先のことを考えながら働いていました。会社を辞めてフリーアナウンサーになったとしても、この仕事はこれから先一生は続けられないと思っていたんですね。言葉は悪いですが、フリーアナウンサーなんてごまんといますから。正直、もう若さで売れる年齢でもないですし。この先、自分の残りの人生をどう過ごしたいか、何に自分の力を使いたいか、と考えた結果、今の会社の方に連絡しました。
でも一番のきっかけは今の会社の人から誘われた「野球観戦」かも。埼玉西武ライオンズの試合前に球場で当社のイベントをやるから見に来ないかって。私はSNSなどでライオンズファンであることを公表しているので、それを見て声をかけてくださったみたいで。会社のイベントを見させてもらった後、社員のみなさんと一緒に野球観戦をしました。今、まさに一緒に仕事をしている広報のみんなと他の部署の方々と初めて過ごしたんですけど、その時間がすごく楽しかったんです。何というか・・・癒されたんですよね。
サステナビリティとか、世の中にとって良いことをしようと思っている、社会課題を解決しようとしている会社に入る人たちは、本当に心も優しいし、意識も高いし、他人と比べてどうこうっていう世界じゃないから、わざわざ他人の足を引っ張るようなこともしない人たちなんだと肌感覚で感じて。抽象的で申し訳ないですけど、ほわほわ、キラキラしているように見えたんですよね。こういう人たちと一緒に働きたい、こんな仲間が欲しいと思って。
そう思いながら野球を観戦していたら、当時、番組の取材関係でやり取りをしていた広報の女性に「私、9月いっぱいで異動するんですよ」と打ち明けられました。それで「あ、私も9月いっぱいで文化放送の契約が終わるんです」と言ったら、「えっ、じゃあ、うちに来たらどうですか?」と、その部署異動する女性と、もう1人、こちらも番組の取材関係でやり取りした経験のある、いま私の上司で課長にあたる人なんですけど、その女性がサラっと「仲間になりませんか?」誘ってくれたんですよ。私も「え、じゃあいいんですか」なんて即答しちゃって。
で「そういうチャンスがあるんですか?」と聞くと、いま会社で広報を募集してるからぜひと。そこで部長の面接を経て入社しました。だから、ちゃんと入社試験は受けてます(笑)。
でも広報の仕事は私にとって初めての経験。広報初心者の38歳の新人に何ができるのか、応募書類の職務経歴書に何を書いたらいいか分からなかったんですよね。しかも、私って自分のいいところをアピールするのが苦手なんです。そんな過小評価しやすい自分の性格的な部分も今の上司・部長は見抜いてくれていて、採用試験前に、職務経歴書の書き方にもアドバイスをもらいました。
たとえば、○○を企画したおかげで担当していたテレビ番組の視聴率が上がった話とか、リポートは出演してしゃべるだけではなくて、自分で取材をして、原稿を書いて、映像編集までやってましたとか。それが全部広報の仕事に繋がると言われました。こうした人とのありがたい出会いがラジオによって、この他にも語りつくせないくらい多くもたらされたので、あらためて、文化放送で働けて良かったと思っています。
型を型のままにするのか、自分なりの解釈を溶け込ますのか
僕は別にプロの編集者でも書き手でもないと思っていて。整地された文章がいいと言われる時代はわかると思うんですけど、今後は無くなってくるんですよ。なぜかというと、Chat GPTなどAIもあるし、生っぽさみたいなものを、この文章を読んだ人が、もしその人に会ってみたいと思って、実際に会ったらここに書かれているものが「あ、ほんまやみたいな」。
長
あ、めっちゃ近い。それはわかります。アナウンサーも同じかなって思っていて、しゃべり手も綺麗にうまくしゃべれるのはAIに任せておけばいいと思っているんです。たとえばニュースや株価とかの情報みたいなものは特に。でも、人の感情が乗った方がいいもの、例えば、オリンピックで○○選手が金メダル獲得!とかの嬉しい速報もその1つですかね。むしろ感情が乗ることで少し言いよどんだり、涙声になったり、極論ですけど、かんだりした方が親しみが合っていい場合もあるはずで。まぁ、アナウンスメントの基礎からは外れているかもしれないけど、綺麗な喋りって聞いていて「面白い」ですかね?
アナウンサーとして活躍してる人は、もちろんみんなアナウンス系の基礎はきちんとありますが、個性が出ていていいなって思うアナウンサー、実際、人気のあるアナウンサーの方々は、アナウンススクールや放送局の最初の頃の研修で習ったような「ザ・基礎」って読みやしゃべりではないんですよね。基礎的な読み方の1つに、水が滝の上から落ちるように、読み始めの音は高いところからスタートし、文の終わりに向かって、徐々に音を下げていくというのがあるんですよ。文の途中で、急に音を上げない、しゃくらない、変な癖はつけないようにって言われます。
でも、歌と一緒で、しゃくったり、癖があったりした方が印象に残ることもあるし、ニュースの読みの出だしの部分の音の高さを毎回高くする必要はない。わざと低くして読み始めた方がいい場合もある。結構、重めのニュースはそんな感じでみなさん読んでますよね。結局、自分で考えた上で、自分の好きなようにすればいいんじゃないかって思っています。
時代にあったしゃべり方もあるから、アナウンサーも、ひと昔前の放送を何かで耳にしたりすると、しゃべり方って違いますよね? 今のものがずっとスタンダードじゃない。最近、私は司会の仕事の依頼が「アナウンサー」として自分に来たときも、「このイベントの司会って、いわゆるアナウンサーがやる司会でいいのか? それよりもこのイベントのことを熟知している担当者の人や、このイベントに対する思いが強い人がやった方がいいんじゃないか? イベントの思いも届くんじゃないか?」とか考えるようになってきました。いわゆるアナウンサーのようなしゃべりじゃない方が、合ってる場合・場面もあると思っていて。
実際にYouTubeやTikTokなどでは、”THE・アナウンサー”のしゃべりではないものも多くの方に視聴されていますよね。昔ながらのしゃべりのプロばかりが世の中に求められているわけではない。アナウンサーじゃなくて、芸人さんが司会を務めることも多くありますけど、芸人さんはしゃべりのプロだと思っていますから、ちょっと今回は別だと考えて。最近、本当に求められているものは何かをまず考え、仕事をいただいても、誰が司会をやるのが最適なのか、そもそも司会が必要な現場なのかとか、そのあたりが気になるようになってきました。自分の仕事を減らすような考え方かもしれないですけど。
全然いいんじゃないですか。
長
実際、言っちゃったこともあって。リオデジャネイロ五輪金メダリスト、バドミントン選手だった高橋礼華さんが引退される前に、高橋礼華さんのファン向けのオンラインイベントのアシスタントを務めたことがありました。そのときも私はイベント全体を見て、「このイベント、今後やるとしたら高橋さんが1人で喋った方がファンの方は喜ぶんじゃないでしょうか?」と提案してしまいました。
高橋さんが「1人で喋るのが不安だから」ということと、イベント初回ということで、「アシスタントとしてアシストに専念します!頑張ります!」とご依頼をお受けしましたが、よくよく考えると高橋さんがひとりで話したほうが私の費用、つまり司会料もかからないし、高橋さんが私と会話しているところを見せるんじゃなくて、髙橋さんが直接ファンの方としゃべった方が、イベントの参加者の皆さんも嬉しいんじゃないかなと思ったんですよね。どちらがいいかはイベント内容にもよりますけど、その時のイベントは少人数のクローズドなファンクラブ的なイベントだったのもあって。
普通は「私がいた方が話が盛り上がります!アシストしてイベントをもっと面白くできます!」と言えばいいんでしょうけどね(笑)。いまの世の中が求めている「しゃべり」ってなんだろうって、ここ数年、すごく考えています。
まわりに気兼ねせずに動く意味
長さんの広報の仕事は週4日で、あと3日や休みや他の仕事をやる感じなんですか?
長
一応、そんな感じです。それほど多くの仕事はありませんが、ラジオのリポーターやイベントの司会の仕事をしています。今いる会社は副業を認めている、むしろ積極的にすすめている会社だからか、この前、社長に「アナウンサーの仕事ももっとやっていいんだよ。最近、アナウンサーの仕事、セーブしているでしょ?周りの目の気にせず、どんどんやっていいんだからね。」って声をかけられました。
普通に周りの皆さんと同じように週5日会社で働いて、アナウンサーの仕事はもうしないでおこうと思った時期もありましたが、週4日で働いて、これだけの成果を出せる人がいるっていうのが長さんの良さで、さらにこういう働き方ができる会社であるという1つのモデルになるから、そのままがいいと言われました。
そういう人をどんどん増やしたいと。私が先頭を走っているわけじゃないけど、先頭を走って楽しくやってほしいと言われて、また「うちの会社って面白いな」って思っちゃいましたね。
社長の「どんどんやって!」という声かけもあって、最近、気持ちが変わりました。私が今まで苦手だったというか、今までセーブしていた喋りの仕事に関する営業とか、人と会うこととかも気にせずやるぞって。私、変わるぞって。。それもあって、今回望月さんにも連絡しちゃいました。会ってくださりありがとうございます。あ、別に苦手だったわけじゃないですからね。
今後のライフワーク的にはどんなことをやっていきたいんですか?
長
ずっと学校教育に関する部分、子どもに対して興味があったので、教育分野で何かできないかなと思っていて。小学校教諭の資格は持っていますけど、教育者として子どもたちと接するわけではなく、例えばレベル1で言ったら、週に1回学校に行って何かできたらいいな、くらいの感覚です。
知り合いには学校や先生を取材して、NHK千葉放送局でやったみたいに、ラジオで喋ったり、文章にして、noteに書いてためていったりしたらいいんじゃないって言われましたけど、まだ本当に何も考えていないんです。まずは時間の使い方と、場所と、付き合う人を変える。そこからはじめてみようかなって思っています。
Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi