何十年ぶりに話しても、あのころみたく絶妙な間で話せるまえとあと【後編】

中井敦子
イラストレーター、こどもアトリエの人、アレクサンダー・テクニーク教師

何が心地よいか、という問いは、みんな育ってきた環境で違ってくるわけで。だからこそ、自分のタイムラインだけを押し付けても意味がなく、それぞれのタイムラインを持ち寄ることが大事なんだと、そう感じませんか?

Profile

中井敦子
京都生まれ。こどもの造形・絵画のアトリエを営む。心身とことばのつながりに興味を持ち、アレクサンダー・アライアンス・ジャパン教師養成トレーニングコースを修了。主な本の装画・挿画仕事に『海女たち』(新泉社)、『神戸・長田のちいさな子守唄』(dancebox)、『ち・お』(ジャパンマシニスト社)など。ひとりひとりの表現が生まれでる場をテーマに、こどもアトリエの人、アレクサンダー・テクニーク教師、イラストレーターとして京都を拠点に活動。

Index

家で小さな図書館を始めてみた

中井

文字も、本というメディアと、ソーシャルメディアの文字で、それもまた受け取りが全然違うなって改めて思うよね。本ってメディアは古いけど、個人的にはすごい好きなメディアなんだよね。静かだけどアライブな感じっていうか、ずっと生きてる感じのこの魅力は何かなとずっと思ってるかな。

この春、うちの庭先で「ちいさなじゆうとしょかん灯(ひ)トモス」というリトル・フリー・ライブラリーを始めました。どれぐらい地域社会に貢献できてるかは、まだまだ謎なところがあるんですけど、この場所って坂道の上にあって、坂の上を通っていくと、私が子どもの時と違って、新しいお家もたくさんできてるんですよね。だからここを通りすがる人はいっぱいいるわけ。子どももいっぱい増えてるんですよ。私が子どもの時なんか、町内別で集まる日とかなかった?

ーうちはマンションだったから、なかった。

中井

うちは町内別で集まる日が小学校の時にあって、そのときは5〜6人の時代だったんだけど、今はもう数十人いるらしくって。

ーいま逆に増えてるのはすごいね。

中井

この場所から上が新興住宅地になってるって感じかな。登下校の子どもたちの視界の片隅に、よくわからない存在として小さな図書館がちらっと目に入るのが、いいかなと思っていて。さらに本を借りてくれたらなお嬉しいけど、なんか変なスポットがあるのを、ちょっとでも感受してくれていたら、どういい気がするかはわかりませんけど、なんかいい気がすると思って(笑)。

開いたら本っていうメディアがそこにはたくさん並んでいて、気に入るものも、気に入らないものも、何の引っかかりも持たないものも、もちろんそこにはあるんだけど、知らない誰かが、何かの意図で集めた本のコレクションがそこにはあって、そこに触ろうかな、触らないでいこうかなみたいな、時間があるのもいい気がして、小さな図書館を始めてみたんだけどね。

ー近しいことをやってる人、周りによくいる(笑)

中井

あ、ほんとに!

ー「まえとあと」でも記事にもしたけど、東京・根津の内海くんも、長屋の家に、勝手に隣の小学生が入ってきたりするらしい。

中井

へー、素敵!

ーシェアブックスじゃないけど、棚ごとの本屋をやっている和氣くんなんかもいる。最近大きな本屋は減ってると思うんだけど、セレクトショップ的な小さな独立書店は、全国結構増えていて。

中井

そうだよね。それって、すごくいいなと思ってる。たまにWebで知ったり、実際行ったことがある人に話を聞いて、いつか行ってみたいなとか、小さいサイズの本当に日常生活の中にスポッと空いている場がいくつもあるのは、とってもいいことだなと思って。うちもその一端になれたら楽しいし、まず自分たちが楽しいし。

世の中のタイムライン、中井さんたちのタイムライン

ー僕の知ってるなかでは、たまたま子どもがいなくて、夫婦だけみたいな人は、うちも含めて増えてるかな。

中井

それも選択だったり、その人たちのプロセスの一部だから、私たちも、そうなるかもしれなかった。Facebookを見てくれているから知っていると思うけど、うちの子どもは精子提供で生まれた子どもで、相方も体は女性として生まれついた人なんだけど、そういう家族もLGBTファミリーって言えば簡単なんだけど、 そのカテゴリーだけで語るのも、ちょっと違うなっていうか。

ー中井さんたちの生活については、「あ、そうなんだ」とは思いつつ、偏見もなく、でも単純に、中井さん的にはそういうカテゴリーじゃないんだろうな感はあった。

中井

Facebookを見ていたら、わかるんだろうなとは思うんだけど、そうなんだよね、活動家じゃないからさ。

ー結果的に、たまたまって感じだよね?

中井

そうだね。まさにそんな感じだし、それがもたらしてくれることはあるよね。私たちに子どもがやってきたのは意識的な選択の結果で、意識的な選択とラッキーにも恵まれたところが合わさっているんだけれども。

ー日本っていう社会は社会的なバッファーとか、ラグがある程度起こりうるものなので、日本のタイムラインと中井さんたちのタイムラインが微妙に噛み合わない部分も、多少はあるとは思う。それでも傍から見たらそうじゃん!みたいなことは、ないとは絶対言えない中で、それをちゃんと自分たちの意思として選んでやってるのは、尊敬できるというか、僕は無理なところが確実にある。

中井

そうか。そういうことを思ってやったわけじゃないし、ある1人の人をこの世に生み出すってことについては、非常に責任を感じる。でもそれ以外のところでは、そんなにスペシャルなことだとも思ってなくて。私たちが特別なわけじゃないっていう気もするけど、その辺がなかなか言語化しづらいところで。でも少しずつ言葉にしながら、自分たちの言葉も訂正しながら、そこも伝えたいとも思い始めている。別に秘密のことではないからね。

秘密にはしたくないし、それこそもっくんのさっきの言い方に「おお、なるほど」と思ったんだけど、世の中的にタイムラインが揃ってくるようになれば、もっともっとナチュラルになるんだとは思う。いま多くの人のタイムラインと、私たちの考えているタイムラインが、ちょっとずつずれてるから、そこでも行き来しながら表現を模索するのはすごく大事やなって、子どもが生まれてから、よりそう感じるようになった。

ー以前から思うことで、例えが少し違うかもしれないけど、こうやって個別具体的に1対1で会うと全然話もわかり合えるし、いい人なんだけど、それが殊更集団になると変わることってあるじゃない。これが日本の中でいちばん僕は嫌いなことなんだけど、中学校ぐらいから、そういうことは感じてて。なんで個人ではいいやつなのに、徒党になった瞬間、お前なんなん。みたいなのがあるわけですよ。

中井

失われるものがあるんだろうね。

ー結局そんな空気の慣れの果てが戦争に突き進んでしまう日本の国民性なんだろうなって理解してはいるんだけど、だから、いま話していることも、中井さんが個別に伝える部分では、理解してもらえる部分があるとは思うんだけど、これが聴衆が大きくなればなるほど、変なノイズが出てくるのって嫌やなって。

中井

そうやろうね。私たちは幸いにそんなダイレクトに大きな中に放り込まれるって経験があんまりない。2年前の冬『暮らしの手帖』の記事として書いていただいたのが今までの中で最も大きいところで、そこには『暮らしの手帖』の読者層があるでしょ、だから守られてるよね。ある一定の考えというか、内実いろんなことを思う人はいるやろうけど、それが表だって何かに乗っかって攻撃されることは今のところないから、いろんな形で守られてもいるよな、とは感じる。

だから自分たちが生身で出会う範囲から、交わしていけたらいいし、存在感も交わしていけたらいいなって思ってる。

僕個人は中井さんが自然な形でFacebookに書いていて、それについて新鮮な驚きはあったんだけど、それを読んで何で相方って言ってるのかが理解出来て、何で相方なんだろうなって、ふと思っていたところにアンサーが来て、答え合わせができた。

中井

パズルがハマったみたいな感じやね。

直感も大事じゃない?

中井

各々、ちょっとだけ活動家の部分と、そうじゃない部分と、それを秘めたまま行きたい人と、そこはグラデーションがたくさんあるんだと思うんだけど。普通って言葉がすごく難しいんだよ。

ー普通とか常識って、その時その時の社会状況なりなんなりで規定されてるものでしかないので、 10年後はそれは違うでしょうみたいな話になるわけじゃない、歴史的にもね。

中井

10年前だったら、きっとこういう決断してなかったなってことはあるよね、タイムラインがずれながらも、ときどき一瞬重なる萌芽を無意識的に見たのもあるかもしれない。

ー意識的には難しいよね。意識的に考えれば考えると、無理になるから。

中井

だから最後は直感ですね。でも直感も、すごくいい加減なことではなくて、総合判断じゃん。

ー今までの人生は直感の方が正しいことの方が多いかな。考えすぎてミスったこともあるっちゃあるし。

中井

そうだよね。自分の考える範囲は基本的には自分の習慣とか傾向にすごく左右されるから、それを超えたようなところで、外界のインフォメーションをたくさん実は受け取っていて。それをこの小さなスペースだけじゃなく、一瞬把握して、一瞬何か兆してきたものに対してどう応答するかみたいなのがあるはずで。だから人生的にも選択が必要な場面の最後はいつも、そういう総合的な意味での直感によってきたと言えるかも。だから自分が絵が描けるとか、描けないとか思わなかったわけ。

「やってみる?」と納谷さんに言われて、「うん、描いてみる」って、それだけでずっといるようなところもあるし。

ーでも、それがなかったら、中井さんの「今」はないわけだから、大きな転換点というか、それこそ「前」と「後」じゃないけど。

中井

ずっと本ってメディアを好きだったことは幸いしていて、私の描く仕事は、文字に残ってる、載せられてる言葉を読み解いて描くことに結びつける仕事なわけ。絵だけ単体で描く仕事じゃないからさ。

ー読み込んで落とし込む?

中井

うん。必ず私は編集チームの中に入ってるんだよね。本を作るってことは、デザイナーの方がいて、もちろんテキストを書いた著者、編集者がいて。 で、フォトグラファーがいたり、そういう編集チームの中で仕事させてもらっていることが、私にはすごく向いてたんだと思う。

テキストがあって、詩集だったら詩のテキストがあって、そこから自分を通過したものを、絵にして出すのが私の仕事。納谷さんとの仕事の場合は、 こういう感じの本にしたいから、こういう感じのタッチだったら、どんな感じかなみたいな打ち合わせをするんだよね。

その人の言葉を聞き取ったり、言葉の中を読み取るのが好きで、言葉としては見えないものをそこからビジュアライズするのがマッチしたんだろうね。そこが合ったんじゃないかな。私は0から表現したいものがあってどんどん描くっていう人じゃないから。出会っていく感じが好きなんだろうと思う。自分でも見たことのないものが見たいから。

いろんな出会いと、答え合わせと

中井さんは、いい意味で変わってない部分みたいなところと、仕事の話とか、諸々の答え合わせが今回できたかな。

中井

そうね。コアなところは、案外10歳ぐらいのときから変わってないかもと思うときもある。

ー芯があるな、と思う。

中井

ありがとう。だから今子どもたちと関わっていても、10歳ぐらいの子たちはすごく面白いけど、こういう面白いところをずっと持っていくんやろうなとか、何かしら形は変えつつ、コアなものは、もうこの人の中である程度持ってるような気もするなって思って眺めてる。

本当に子どもって面白い。 一瞬の表情にすごい大人を見たりすることもあって、ちょっと大きくなったら、こんな顔するのかな、みたいな一瞬がある。

ーでも、本当にどうなるかわかんない時代であるし、子どもがいない身で言うのはあれやけど、親が時代についていけなくなるとダメじゃない。

これからもいろんなものが出てくるわけだから、どんどん置いていかれると思う。そこなんだよね。そこでギャップがかなり出ちゃうし、あとは、いいか悪いかは別にして、世の中にいろんなツールがあるので、子どもには早めから広い世界を見て、変な大人がいっぱいいるのを見せるのも大事なのかなって。

中井

それは同感。いろんな大人に会ったほうがいいと思っている。 だから、さっき写真を撮ってくださったフォトグラファーの平林さんとも話してたのだけど、もともとアトリエをやっているから人が来る家ではあるのね。ここからさらにいろんな人が来ている場になって、こどもも大人も本当にいろんな人に会ったらいいなと思っている。世の中にはいろんな仕事があるし。いろんなあり方をしている人がいるし。

「あなたの仕事はなんですか?」と聞かれたら、困らない?

ー困るっちゃ困る。よく「仕事は何してんの?」と周りからも言われるからさ。

中井

でしょ。私も言われるんだよね。それで一言で言えないものもいっぱいあるし。

ーそもそも「まえとあと」で別に稼いでるわけじゃないからさ。趣味って言ってる(笑)。

中井

趣味ね。でも趣味と仕事と好きなことと自分の人生が入り交じってるような、そういう面白いことをしてる人はたくさんいるから。私たちもたまたま親という役割をもらってるけど、それを超えていろんな人に会えたらいいなって思ってて。それは他の子についても思うし、うちの子だけじゃなくて、いろんな家族がいるってことを知ったらいいなと思うし、家族っていう枠も超えて、この人は面白いみたいな。例えば保育園でも、◯◯ちゃんのお母さん、◯◯ちゃんのお父さんだけじゃない、◯◯さんに出会った方がいいなって思ってる。

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi