平坦な墨田区で敢えて高低差の話をしたまえとあと【前編】

皆川典久
東京スリバチ学会 会長
かつしかけいた
マンガ家

記事のなかでも触れている部分がありますが、まえとあとには東東京の話題がたくさん出てきます。今回はそんな東東京にあるリニューアルされた岩田屋商店で地形に詳しい皆川典久さんと東東京にまつわるマンガ『東東京区区』を描かれているかつしかけいたさんの対談です。(取材協力:岩田屋商店)

Profile

皆川典久
2003年に東京スリバチ学会を設立し凹凸地形に着目したフィールドワークで観察と記録を続けている。2012年に『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(洋泉社)を上梓、翌年には続編を刊行。2015年、町の魅力を発掘する手法と取組みが評価され東京スリバチ学会としてグッドデザイン賞を受賞。タモリ倶楽部やブラタモリなどのTV番組に出演。専門は建築設計・インテリア設計。
かつしかけいた
葛飾区出身、在住。2010年頃より地元葛飾周辺の風景を描いたマンガ作品を発表、自主制作マンガ誌『ユースカ』『蓬莱』に参加。イラストレーターとして雑誌や書籍の挿画なども手がける。現在WEBコミックメディア「路草」にて漫画『東東京区区』を連載中。

Index

リニューアルした岩田屋商店にて対談スタート

皆川

(店内を見渡し)街中にこうやってふらっと入れるカジュアルな雰囲気がいいですね。

ーここはリニューアルされてちょうど一年ぐらいですね。

かつしか

新しいですね。夏ぐらいにこの前を通りかかったときに「こんな場所あったかな」と思いました。リニューアルされたんですね。

なぜ、東東京で対談?

皆川

岩田屋商店前の)この通り沿いには古いものが残ってますね。八百屋さんがあったり、街灯が昭和のボール級になってるから、高度成長期のころとか、あるいはその前ぐらいに流行ってたんですかね。

私もどっちかというと、この場所のようなちょっと古い街が好きで、東京の凸凹地形を歩き始めたひとつのきっかけを話すと、東京や山の手は谷間にこういう下町が多いんですよ。下町好きなので、東京の谷間を探せば、ちょっと懐かしい風景に会える。それがスリバチ学会のはじまりなんです。

かつしか

皆川さんのその辺の経緯は著作などで存じ上げております。でも、そもそもなぜ望月さんは、この平坦な土地で皆川さんと私の対談をセッティングしたんですか?

ー以前、皆川さんと武田さんと古川さんの鼎談をやったとき「東東京が熱い」みたいな話もあって。

皆川

そのときポロポロっと出ましたね。

ーその後も「まえとあと」では東東京の話題がでることが多く、東東京に意外と縁があるんで、今回ちょうどいい塩梅だし、岩田屋商店があるのも東東京だったので。なんか面白いこと起きるかな、みたいな。

皆川

(東東京は)街として僕らが懐かしくも思い、あるいは居心地がいい街が、ちゃんと作り上げられているし、育てられているところがありますよね。

いわゆる東京の山の手のほうは、どんどん新しい街へ更新され、キラキラしていて、便利は便利なんですよ。でも、なんとなく居場所がないってこともなくはない。そういう意味で東東京はそういう居場所がきちんと息づいてるイメージがあります。

ーこの岩田屋商店さんは、現にそういう感じの居場所づくりにもなっていると思います。

皆川

もともとは東東京が東京の中心だったわけで。関東大震災が1つの契機で、下町が被害を受け、被害を受けた人たちが、みんな山の手沿いに引っ越した。渋谷から西の「杉並」や「世田谷」ですね。それで東京の中心は、だんだん西に移っていた。この10年でまた東の方へちょっとずつ中心が移りつつありますけど。

この間まで、「東京ビエンナーレ2023」ってアートイベントがやっていました。そのイベントのテーマが「 東東京」だったので、会場自体は馬喰町でした。

かつしか

私も「東京ビエンナーレ2023」は、いくつか見て回りました。

皆川

「東京ビエンナーレ2023」は古いビルをギャラリーとして使っていろいろ展示するスタイルで、出来合いの美術館やギャラリーでやるんじゃなくて、その場のポテンシャルを活かし、イメージが膨らむようなものをみんなでやっていて、今回で2回目だったんですよ。東京ビエンナーレはまだ歴史が浅いんです。

ー横浜は長いですよね?

皆川

そうですね。横浜はずっとやってますね。他の都市にもビエンナーレやトリエンナーレがあるんですが、東京はなぜか無かったんですね。それを東京芸大の中村先生が仕掛け、そういうアートイベントをやるなら、東東京周辺でやろうってことで。

東東京を題材にしたマンガがベルリンで売れるわけ

かつしか

最近、清澄白河周辺だったり、若い人も来るような、ちょっとオシャレな感じで、特に蔵前なども個人店が増えていて。

皆川

外国の方にも蔵前の周辺が人気らしくて、皆さんネットで調べて、場所とかお店を目当てに来るようですね。

かつしか

葛飾も全然ホテルはないんですけど、おそらく外国から来た観光客と思しき人たちが、、

皆川

大きなスーツケースを転がしてますか?

かつしか

Airbnb的なもので泊まっている方がいらっしゃるんでしょうね。「何でこんなところでこんな大きなスーツケースを持った人たちが?」と思うんですけど、見かけます。

皆川

彼らはいわゆるガイドブックに載っているありきたりな観光地よりも、東京のリアルな営み、人々の生活・文化をまさに体験したいっていう感じで来るんでしょうね。

かつしか

私がこの夏に出した漫画『東東京区区(ひがしとうきょうまちまち)』を、ドイツのベルリンにあるコミック専門店の人が、僕のマンガの表紙を見てちょっと気になったのか仕入れてくれて、「何冊か出たよ」とinstagramで連絡をくれました。「売り切れちゃったから、また仕入れたよ」とも連絡をくれました。

「何でベルリンで東京の東のことを書いた本を買ってくれるんですか?」とInstagram経由で聴いたら、その店は日本の漫画もたくさん置いてるので、基本的には日本の漫画と日本文化に興味のあるお客さんたちが多いんですが、そこに集う人たちは東京でも、渋谷とか新宿はもうすでに知ってるから、それ以外のエリアだったり地域について知りたいと。そんな人たちが買ってくれてるんだと知り、「そうなんだ」と思って。

皆川

海外の人がそこまで東京を深掘りしてくれると嬉しいね。最初は浅草みたいな観光地へ行くんでしょうね。実は東京ってこれだけ広くて、いろんなカルチャーがミックスされ、どの街も個性がある分、混じり合わずに隣り合ってるところが面白いですね。そういう意味では、好きな人にとっては何度も何度も研究して、自分の行くところを探す楽しみを提供できる街です。

かつしか

私も40年ぐらいずっと東京に住んでいますが、やっぱり知らないところばっかりです。まだまだ知らないです。

皆川

そうですよね。だって東京の西もあれだけ広いエリアですから。

かつしか

普段都内で生活してても、通勤や通学のルート、それプラス主だった繁華街へ行くぐらいだから、それ以外のところだと本当に行くことがあまりないでしょうね。

皆川

地形に着目して街歩きを始めて面白いのは、とにかく満遍なく見てやろうと、とにかく地形をなめ回すように見て歩く。そうすると、まず降りることもないようなところに行く機会があり、そこはちゃんと地元の人たちで1つの社会が成り立ってるわけだから、そこなりの街があるんだよね。

そこで体験することは、まさに旅になるよね。それを楽しめる東京って、そういう意味ではすっごい贅沢な街だよ。

ほとんどの人は東京で、そんなにあちこち知ってる人なんておらず、だいたい職場と学校と知人のいる街ぐらいでしょ。降りたことないような街が8割とか7割ぐらいある。

暗渠マニアは暗渠にしか興味がない

かつしか

8月に暗渠マニアックスさんとイベントでご一緒したことがあって。とにかく暗渠のあるところに行く視点が面白かったです。

皆川

彼らはとにかく暗渠のあるところに必ず行くし、東京だけじゃなくて地方にも行く。あの暗渠のマニアックな追いかけ方がすごく好きで、暗渠界も、非常に学術的に調べる方、あるいは吉村生さんみたいな、そこにいる人にインタビューや話しかけながら、歴史を引き出すみたいな方法もある。あるいは高山さんみたいにエンターテインメント的に暗渠を面白く伝える人もいます。

そういう意味では暗渠の人たちはなかなか皆さん個性派揃いで、でも、あの視点があるとどこへ行っても楽しめますね。

かつしか

そうなんですよ!

皆川

東京だけじゃなくて、全国どの都市にももともと川がたくさんあり、それが高度成長期に川たちの上に蓋をされて暗渠化されたことが結構あって、その痕跡がまたいいんですよ。

かつしか

開渠には興味がなく、暗渠にしか興味がないんですよね(笑)。

皆川

それはタモリさんも同じことを言ってました。タモリさんも水が流れている川には別に興味ないんだって(笑)。「水が見えない川にすごく萌えるんだ」と言ってました。

平らなところで歴史の痕跡を見つける行為は、地形マニア上級者

かつしか

いつもタモリさんの坂道の本やスリバチ学会の本を拝見していて、どうしても自分が住んでる土地が平たいところで、面白さを分かち合えず、もどかしさがあります。

皆川

でも平らなところは、平らなところで、50cmから1mぐらいの微妙な高低差があって、それが歴史に関係してる場合があるんですよ。

かつしか

微高地はあります。

皆川 

歴史は絶対潜んでたりしますよね。だからきっかけやとっかかりを作るのに、土地の高低差に着目して、まさに深掘りすると、山の手の凸凹地形と同じような下町の地形があります。

かつしか

普段なかなか傾斜を意識する機会が本当に少ないんです。土手か橋かそれぐらいで、この辺だと墨堤通りは、若干高く段差がありますけど、それぐらいで。

皆川

一見平らなところに、なんとなく歴史の痕跡を見つけるのが、もうたまらなく面白いんです。それは暗渠マニアの人たちと同じなんですよね。実はこの辺も歴史は古いから何か残ってるんじゃないかって楽しみがあって、これは地形マニアの間ではかなり上級者編です。

一同

東向島の由来

皆川

この辺はもともと自然堤防で、少し高いところだから、集落があったところです。

かつしか

向島ってなんで島なんだみたいなことですよね。

皆川

ちゃんと「向島」の意味を知ってますか?

かつしか

島だったんですよね?

皆川

島のように見えたんだと思います。「向島」は浅草から見て、向かい側の島っていうことで、牛島は「牛島」と言っていたそうです。品川の自然堤防みたいな、少し高まりなんですよね。 そういう湿地みたいなところは、雨が降れば少し水に浸かるでしょうし、そこから顔を出すような土地があって、そこが「牛島」であり、あるいは「東向島」だと言われて来たんですね。

でも江戸の街が拡大をしていくときに、隅田川の反対側に人をどんどん住まわせた。それが本所で、東向島は農村集落のまんま都市化の中に取り込まれていったところが、また向島の個性になってます。

かつしか

歩いていてもすぐ迷ってしまいます。路地がそのままあぜ道が残っている感じで。

皆川

それがどこの街も個性だし、これを区画整理して、車の走りやすい道にしちゃうと歴史も消えちゃいます。

かつしか

今でも旧本所区と旧向島区のところで全然違っていて。

皆川

違いますよね。本所は江戸時代の都市計画だから、あれはもう江戸の痕跡としてそれはそれで面白いし、(向島は)その対比です。そこの境界部分には川が流れていたそうです。

かつしか

武蔵と下総の境だから、隅田川ですかね?

皆川

隅田川です。当時は大川。本所と東向島の間にもやっぱり川があったらしいんですよ。そこが街のまさに端っこの境界部分で、当時は江戸の都市開発もここまでで、本所周辺を開発したんだけど、こっから先は農地だからと残したのが、東向島の辺りですね。

平坦な墨田区で敢えて高低差の話をしたまえとあと【中編】

平坦な墨田区で敢えて高低差の話をしたまえとあと【後編】

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi