街の面白さを再発見したまえとあと

皆川典久
東京スリバチ学会 会長
武田憲人
散歩の達人編集人 兼 Webメディア「さんたつ」編集長
古川誠
元オズマガジン編集長

三人あつまれば文殊の知恵と言うけれど、いろんな街に詳しい3人が集まれば、もちろん街に関する話がはじまっていく。いまこんな時代にこの3人が何を考えるのか。大いに語っていただいた。

Profile

皆川典久
2003年に東京スリバチ学会を設立し凹凸地形に着目したフィールドワークで観察と記録を続けている。2012年に『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(洋泉社)を上梓、翌年には続編を刊行。2015年、町の魅力を発掘する手法と取組みが評価され東京スリバチ学会としてグッドデザイン賞を受賞。タモリ倶楽部やブラタモリなどのTV番組に出演。専門は建築設計・インテリア設計。
東京スリバチ学会
武田憲人
1964年、大阪府生まれ。武蔵大学人文学部社会学科卒。広告代理店NKB、㈱扶桑社「週刊SPA!」編集部を経て、1996年、㈱弘済出版社(現・交通新聞社)入社、「散歩の達人」編集部所属となる。2000年、編集長就任。現在は散歩の達人編集人兼Webメディア「さんたつ」編集長。プライベートでは、10歳から品川区(戸越銀座のはずれ)で育ち、現在は怪しい西川口在住。
さんたつ
古川誠
元オズマガジン編集長であり、小説家として「りんどう珈琲」(クルミド出版)「ハイツひなげし」(センジュ出版)と、2冊の小説を発売。2020年にローンチしたTシャツブランドSENTIMENTAL PUNKS主宰。本人の日常を綴ったメールマガジン(無料)は毎週金曜日配信。購読希望はFBのメッセージまで。
OZmall
SENTIMENTAL PUNKS:https://maboroshibookmakers.stores.jp/

Index

離れている人たちと、これからどうつながるか

古川

今回2ヶ月間 stay homeで、ある意味で強制的にみんなが家に閉じ込められたじゃないですか。それがいま開けた時に感じたことは、こんなに同調圧力が利いた2ヶ月ってみんな初体験で、家にいれば正しいことをやっている感覚をつかめ、ある意味では思考停止状態だったと思うんですよね。この思考停止でルールをただ守っていればいいって感覚、何か決めてもらうことで人は随分楽になるって感覚を個人的には持ちました。多様な価値観と正解がみつけづらい世の中の風潮のエアポケットに入ったみたいな2ヶ月だった。

皆川

何か新しい構想とか、やりたいことが見つかるとか、そんなことはありましたか?

古川

僕はいま地域の仕事をしています。オズマガジンオズモールを使って、日本中の観光の予算を頂きながら、人が地域に足を運ぶきっかけをつくる仕事をこの2年間ぐらいずっとやっているんです。でもこの状況で今、それが完全に分断されている状態なんですよね。これから何が起こるかというと、おそらく東京の人間や外部の人間に対する受け入れる側の拒否反応が起こると思うんですよね。

そしてそれは既に起こっているじゃないですか。車のナンバーを見て勝手に取り締まってしまっているような人がいるように、観光客が「おらが街」にウイルスを持ってくるかもしれないという警戒心があるので、観光を推し進めたい自治体と、観光を推し進めたい自治体に対して、ネガティブな意識を持つ住んでいる人たちの対立構造が起こるはずなんですよね。そこに対して新しい観光のカタチを提示しなきゃいけない。

逆にこの何年も国が関係人口と言っていましたけど、今こそ関係人口となりうる人たちを地域に作らないと、本当に一見さんはとにかくお断りされる観光時代がやってくる。つまり観光地以外は一見さんが歓迎されづらい時代になりつつあるんですね。

皆川

そういう形で、現地の人と繋がれるような場を、雑誌で提供する可能性ってありますか?

古川

そうですね。こういうときやっぱりメディアって大きいと思います。望月さんがメディアを持ちたいと思い続けているのも、たぶん発信する場所やベースを持ちたいと思っているからだと思うんですけど、その気持ちは本当によくわかります。僕はずっと雑誌をやってきたので、そうやって世の中と繋がっている場所はちゃんと持ってたいなって感覚が今また強くありますね。

皆川

でも古川さんと武田さんは、地方の方々の知り合いもあちこちにいらっしゃるわけですよね?

古川

はい。

武田

私はあんまりいないですね(笑)

皆川

都内が多いですかね?

武田

都内ならまあまあ(笑)

皆川

そのつながりをこれを機会に上手くビジネスにつなげる展開はないんでしょうか?

古川

それが腕の問われているところです。今回は離れていてもコミュニケーションを取る手段が、テクノロジーも含めてみんなに明らかにされたじゃないですか。それによって働き方もきっと変わるので、観光や旅の考え方、関係人口の考え方も一段変わるんじゃないかと思います。それを仕組み化し、みんなの課題を解決するようなプラットフォームを作ることが出来れば、優位性が持てると思います。

雑誌のまえとあと

皆川

たとえば地元から是非うちで散歩の達人の特集を組んで欲しいとか、オファーがありそうですが?

武田

地方はあまりないですかね。

皆川

どんな町にも地元を自慢したい人はいるはず。持ち込み企画で雑誌化するって実現できるものなのですか?

武田

やってみたいですけどね。

皆川

武田さんの持っている雑誌化のノウハウに期待する人は多いのでは。地方特有の情報は地元の方が一番知っているはずなので、それを上手く引き出して、散歩の達人のテイストにすれば、地元の人たちも喜ぶはずです。

武田

そうですね。何かやりたいんですけどね。やり方が今一つ分かってないんですよね。

皆川

そういう意味で僕は地方の人なら色々紹介できますよ。

古川

本当ですか?

皆川

新潟や秋田に名古屋など。もちろん仙台もそうだし。

武田

是非お願いします。

皆川

本当に街歩きが好きな人たちがたくさんいるんです。「散歩の達人」みたいなマニアックなガイドブックって地方だけではなかなか世に送り出せない。

古川

散歩の達人は作り方がイケてますよね。

皆川

他の雑誌にはない独特な世界観を持ってます。

武田

本当にそう言われるとありがたいです。そんなに売れてないんで(笑)。

皆川

そうか、地方だと部数の問題が出ちゃうんですかね。

武田

それは出るでしょうね。

古川

散歩の達人は作り方が世の中に評価されていないんじゃない。いま本屋さんに行く人が圧倒的に少ないんで、散歩の達人みたいな本があることを知る機会が減っているんですよね。この課題で雑誌ビジネス全体が本当に苦しくなっている。だから散歩の達人の価値観を、どういった形で世の中の人と接点を持たせるかがより問われていると思うんです。

皆川

オズマガジンも散歩の達人もみんなブランド名としては十分知られているはず。東京に出てきて一度は目にしているはずだし。

武田

今は本当に本屋さんには人が行かないですよね。コロナ後は本が売れるのかと言えば、逆になる気がしてます。

古川

コロナ禍の前と後で言うと、雑誌業界の中でもお出かけ系の雑誌は、前を100としたら、しばらく部数は70ぐらいなんじゃないかと思います。本屋さんが開いてなかったから緊急事態宣言下では納品部数も極端に下げました。武田さんや僕らはお出かけを誘発しているメディアなんで、ここ数ヶ月はとにかく苦しい戦いが続きましたね。

武田

そうですね。これからどうなるんでしょうかね。

これからの仕事の仕方

皆川

生活のスタイルも変わりそうですか。在宅勤務やテレワークで全てをこなすって、難しいですかね?

古川

そうですね。まだ慣れないですね。

武田

会社に行かなくても取材は出来るかもしれないから、そういう意味ではテレワークは出来ます。ただ慣れの問題なんでしょうが、何十年も編集部は顔を合わせてやっている仕事なので、どうもなかなか理屈では出来ても、一番基本的な心の部分で、私はきっとうまくシフト出来ていないところがあるんでしょうね。

皆川

たぶん職種によりますよね。自分はオフィスの供給にかかわっているんで、今後オフィスの需要がどんどん減っていくじゃないのかと考えてます。経営者はオフィスを借りる時、1人当たり6〜10平米ぐらいの床を確保するとされています。あるいは会社として1人あたり月に6〜10万円の賃料を払っているとも言われます。その固定費が削減できるのは経営者にとってはメリットがあるはずでしょうし、逆に今のようなテレワークの方が生産性が上がる職種の人もいるんでしょうね。

古川

僕はいま12人の仲間とチームを組んでいるんですが、営業もクリエイティブの編集チームもいるし、企画を立てるチームなど、いろんな職種のメンバーが集まっている部署で。この2ヶ月のテレワークでは朝と夕方にその全員にメッセージを送り、こうなる前からずっとやっていた全員と週に1回、30分の1on1でおしゃべりする時間を、テレワークでも続けていました。

他にも2週間に1回やっていた会議を週に1回にしたり、コミュニケーションをとる目的も兼ねてチームを3つに分けて違うことを考える機会を作ったり、マネジメントのやり方で最初に苦労はしましたが、テレワークで一体感が生まれたんですよね。モノを作っているだけの編集部だったら、武田さんみたいに僕も違う意見だったかも知れないんですけど、組織をまとめてマネジメントしていく立場としては、案外このテレワークは悪くなかった。

会社にいると顔を合わせているようで、精神的には向き合いきれていない状況もあったのかもしれないなぁって思いました。

皆川

意外と向かい合って話す状況って少ないかも。

武田

確かにそう。意外にもWebで対面する会議がいいんですよね。

古川

すこし距離があることで逆に、心を寄せようとするみたいで、この動きが心理的に全員に起こりました。そして献身性や思いやりが、全員で顔を合わせているときよりも、制約がある状況の中の2〜3週間でどんどん顕在化し、成熟していった感覚がありました。それはチームリーダーとして頼もしかったですよね。

武田

その12人はオズマガジンの編集部も含むんですか?

古川

含んでいません。地域の仕事だけをすることでいうと、オズマガジンとオズモールの中で、旅の部分だけは自分がやっているところなんですよね。そういう意味では、オズマガジントリップとオズモールの旅のコンテンツを作る部隊と、自治体の旅関係の仕事を提案する営業と、そのすべてを束ねて動かす企画の4チームに分かれています。

武田

なるほど、うちは雑誌編集部とWebの編集部が隣り合って座ってます。私はWeb の方の編集長ですが、今回はWebも雑誌も関係なく、その都度みんなで対応を考えている状態です。以前にはない種類のチームワークを感じることはありますね。

皆川

古川さんのマネージャーとしてのやり方は、ついていく人たちも良い経験をしたんじゃないんですか?

古川

だといいなとは思いますけどね。

皆川

同じような考え方を持っているマネージャーなり、経営者はけっこういます。オフィスの在り方も変わるでしょうし、街のあり方も変わるのかなと思いながら、ではどういう方向に向かっていくのか、模索をしているところです。

武田

テレワークが増えると、オフィス需要が減るんですか? 

皆川

たとえば交代性にして半々で出社すれば、オフィススペースは半分ですむはず。賃貸する面積を減らせるわけです。

望月

ベンチャー企業がもう解約して、テレワーク中心だって会社もあるみたいですね。

皆川

職種によりますが、画面で同じ資料を眺めながらの会議って意外とやりやすいんですよ。今までのように大量の紙をコピーする必要もないし、「ここはこうだね!」と、みんなで同じ個所に注視できる。職種によっては意外と仕事出来ると感じる人もいますよね。

望月

簡単なミーティングならテレワークでいいと思うんですけどね。ただ重い話を画面越しでやると疲れますよね。

皆川

そうなんです。相手の顔色を伺いながら、その場の空気を読み取り、話しを引き出す会議は、なかなかオンラインだと難しいですよね。

望月

だから疲れている人も多いですよね。移動時間がなくなり逆に会議が増えている人の話も聞くんで。

皆川

PCを複数台駆使して、会議を同時に二つか三つ掛け持ちでやっているツワモノもいるらしいですからね。

対物関係と散歩

古川

僕はいま会社に提案していることが1つあります。僕らの会社はビルの2フロアを借りていて、そこに200人ぐらいが入ってるんですよね。いま皆川さんがおっしゃった通りで、テレワークで半分にすれば1フロアがいらなくなる。家賃は究極の固定費じゃないですか。その1フロアの部分をまずは取っ払いましょうと。

いま僕は地域の仕事をしているんで、僕らのチームはフリースペースだけでいいんです。だからチーム12人分を20万円/月でいいから家賃補助して欲しいと。東京にサテライトを構え、そこに僕らは行くようにしたい。

その場をオープンにして、地域のPRに使えるようにする。たとえば野菜を売ってもいい、僕らが伺っている地域の人たちが、東京でのPRの場に使えるローカル産の場としてもセットにして活動したい。そうすることで、そこで東京で地域のことが知りたい人を集めてイベントも出来るし、美味しいコーヒーも提供出来るし、そんなコミュニケーションハブを作りたいと会社に提案しているんですよね。

皆川

都心の必要性は特にないですもんね。

古川

拠点があると場所がメディアになるんで、主導権を持ってそれを引っ張ってこれて、運用までできる場所を作ると、仕事がもっと面白くなるはずなんです。「前」と「後」の部分でいうと、前が与えられた仕事だとしたら、後の部分は、自分の仕事は自分で作ること。それを会社の中でもやらないと、なかなかただ与えられた仕事をやっていても苦しいし、面白くない。

皆川

オフィスを設計する側からすると、今までのような巨大なオフィスではなく、もっと住宅スケールの小さなオフィスで、空調をガンガンきかせる閉鎖的な場所ではなく、窓が開いて風が取り入れられるような、換気が自由にできて気持ちのよい場所が求められるのかと。

古川

そういう意味で、僕らはより身軽なものになっていくべきなんだと思いますよね。

皆川

色々と言われてますけど、CO2の排出もこの期間に減ったし、自然の生態系がまた元の姿に戻った例もある。ちょっとコロナ禍前は、ある意味無理をしていた世界だったのかも知れない。

武田

先日養老孟司さんが書いている記事を読んで思ったことがあります。要するに若い子たちはいま大変だと思うけど、それは今まで対人関係ばっかりで来たから大変なんであって、対物というものをあまり深く考えてなかったでしょうと。対物もそれはそれで大事なんですよという記事でした。たとえば虫と遊ぶとか。

今年の5月21日に発売した散歩の達人6月号は、「ご近所散歩を楽しむ15の方法」ってすごくマニアックな特集だったんです。樹木を擬人化して楽しむとか、電線をめでるとか、和歌を詠みながら散歩するとか。それぞれのエキスパートが案内するという。この特集、私も面白いなと思いながら読んでいましたが、実は評判がいいんです。人と会って、喋って、コミュニケーションするのも散歩なんですけど、もしかしたらそっちばかりに行き過ぎていたのかなと、ここ数日少し考えていたんですね。コロナ禍後は少しそこ反省していきたいなと。

皆川

私の友だちはどっちかと言うと、人と接するよりモノと接するのが好きな人たちが多いのかなって感じがありますね。たとえば暗渠マニアの人は、あらためて暗渠を歩き、疑問に思ったことを自分で調べてその暗渠からの人の営みの物語を引き出します。結局また人のつながりに帰ってくるんですけどね。

でもそういうことを好きでやるあいだは、今回のコロナ禍もそんなに辛い時期じゃなかったのかなって感じがするんでしょうね。

武田

対人ばっかりでずっと来ているから、今回のコロナ禍みたいなことがあると辛いんだと養老さんんは書いてたわけですが、散歩ってもしかしたら本来一人でするものかもしれない。

古川

でもその考え方はすごく興味深いです。コミュニケーション強迫観念というか、「人とつながるべき」みたいな強迫性が、いま度を越してきたところがあった。そこに疲れてる人は気分としてはかなり多いはずじゃないですか。そうなったとき、何かに没頭したり、看板を探して歩く作業は、あまり今まではやる時間がなかったですよね。

皆川

たぶん暗渠や看板だけではなくて、いろんなテーマが作れると思います。街中にあるものは建物の他にも植木や電柱、または猫など、普通だと変人みたいに言われるような人たちが、実は楽しくいろいろ収集しているんでしょうね。

自分たちのライフスタイルとか社会のありようが、経済本位でちょっと行き過ぎていたところもきっとあったと感じます。そういうのを振り返る良い機会にはなるんじゃないのかな。

街を歩く僕らからすると、東京はどんどん古い建物が壊され再開発が進み、街の記憶がなくなっていく経済優先の圧力があったんです。でもそれが少し弱まってくれるといいのかなって。

武田

東京の開発の速さは異常ですよね。

皆川

特に東京のこの4〜5年は異常でしたね。

武田

オリンピックに向けて異常だったんですか?

皆川

不動産や建設の世界では、完全にオリンピック後を見据えてなんですよね。オリンピック後も再開発は止まらないじゃないですか。自分は着工まで2〜3年後の仕事が多いのですが、今のペースでずっと大規模都市開発が続くんですよ。設計する側からすると、こんなにオフィスを作ってもいいのかなってぐらいで。

旧道のおもしろさ

古川

僕は神奈川の辻堂という小さな町に住んでいるんですけど、むかしの鎌倉街道の旧道があるんです。藤沢市のホームページで見たいくつかの古道にはウォーキングコースがあり、今回暇になった2ヶ月間の週末に、ご年配の方が楽しむような2コースを周ってみたんです。そうしたら、戦争で焼けてない場所がけっこうあった。道が複雑で古くから駅から離れた鎌倉街道沿いには、本当に今でもお金持ちのお屋敷がある場所が残っていたり、庚申塚が残っていたり。

そういう古いものがいっぱい残っているところを巡り、4時間ぐらいのコースを2つ歩いたんです。15年ぐらい辻堂に住んでるんですけど、知らないことしかなく、それが本当に楽しかったんですよね。それも対人とはまた別の地元を知る体験で、もう次はどこを歩こうかなって考えています。

地図上にはマーキングされているんですけど、もう石碑が無くなっているものとか、そういう新しい気付きがあったんで、それも自分の仕事に活かしていきたいと思いました。地図を見て歩くことが最高に楽しかったです。

皆川

そうなんですよね。古い道を歩いていると、お地蔵さんや庚申塔、あとは道標やお寺ですね。

古川

そうですね。お寺はいっぱいあった。

皆川

古い道なりの記憶を伝えるものが必ずあって、それって地図を見ていると、これいにしえの道なのかなと何となく見えてくるんですよね。

古川

近所で、看板もちゃんと立っているのに、通り過ぎるだけだと見落としていたものがいっぱいあって。その看板を読むと「ここは源頼朝が落馬した場所です」って書いてあったり(笑)。

皆川

マニアにとってはきっとはたまらない場所ですね。

古川

看板には大まじめに源頼朝が馬から落ちたってことが書いてあって、その場所に立ってその看板を読んでいると、不思議な気になってくるというか。そういう新しい楽しみ方を自分自身が出来たので、そういうことも価値だし面白いと思ったし、メディアを使ってもっとみんなに伝えたいなって思いましたね。

皆川さんも地図の仕事をしているし、武田さんも散歩の仕事しているし、会社を離れて一緒に何かやってみたいですね。

皆川

はい。よろこんで!

武田

是非。ところで、新しい道ができるとそっちがメインになるから、古い道は目だたくなるんだけど、それでも存在価値がちゃんとある道はけっこうありますよね。古い道沿いには古い風景がタイムカプセルみたいに残っていたりしする。

私も最近まで家の近くで知らなかった道が1本ありました。このコロナの自粛期間中にとぼとぼ歩いてて、「この道知らいない!」っていうのを見つけたんです。しかもそこは意外と人が歩いている道でした。全然分かってないんだなって。これで散歩の達人とか言ってるんだからひどいもんです笑。でも、これだから旧道は面白い。

皆川

都内に実はあちこちにあるんですよね。鎌倉街道だけじゃなく本当に古代の道がね。そこを歩くと、いま古川さんが言われたように、確かに石像などのコンセキが残っていたりして。

古川

花もいっぱい咲いていました。僕は週末も含めずっと地方に出張ばかりしてたから、家の近所を歩くなんてことが無く、それが本当に面白かったです。

街を好きになるきっかけを作る

古川

編集者を卒業したわけではないんですが、営業活動も多いので、そっちの目線も強くなってしまっているのかも。それが良いと思うときと、嫌だと思うときが半々です。

武田

でも頼もしいですよね。そういう人がいないとね。

古川

これまで作ることを随分やらせてもらっていたんで、会社の中にいるうちは、そうやって任されてる以上は、それを一生懸命覚えて学ばなくちゃいけないと思ってやってます。でも本当はもしかしたら作りたいのかなと思ったり、でも武田さんの話を聞いて、散歩の達人の広告を売りたいと本気で思ったから、作ることだけにこだわってなくて、まっとうなことをやりたいのかも知れないですね。

武田

本当に古川さんはいろんなことをやりたい人ですよね。小説も書いているし。

古川

たしかに。小さい船に乗って、シンプルなことが、ちゃんとダイレクトに届く仕事に携わりたいとは思っています。

シンプルなのが一番です。

皆川

そうですよね。動きやすいし。コンテンツそのものは僕らみたいなオタクがいろいろ持っていますよ(笑)。目からウロコの収集をしている人もいるし、地形マニアは全国的に必ずいるんですよね。そういう人たちがいろいろと深堀りしているんで、そういう発表の場を提供したりもしています。

武田

全国にそういうネットワークがあるんですか?

皆川

そうですね、全国は言いすぎかも知れないですが、地方にも仲間がいて、声をかけてくれるんですね。秋田スリバチ学会など地元主体で活動しているんです。その土地特有の地形があり、その地形が歴史や文化にすごく関係していて。それを発掘する楽しみ方を知ると、自分の住んでいる街がもっと好きになるはずです。

武田

皆さん集まってスリバチサミットみたいなことはされるんですか?

皆川

年に2回ぐらいは発表会をやっています。そのときは自分の町のこれが面白いんだよと自慢話をしてもらいます。どこの街も面白いんですよ。「自分の街には何もない」なんて言っていた街だって(笑)。

古川

それは本当に面白そうですね。それが本質ですよね。

皆川

僕らからすると、もっと街を好きになるきっかけがあることを提供できるといいと思います。そういう意味では、お二人のメディアのネームバリューとプラットホームを活かせるといいなと思っています。

伏見にもどったまえとあと / 北澤雅彦+高本昌宏

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi