ふらっと行くことが出来るフラットな関係性の酒屋を作ったまえとあと

岩田謙一
岩田屋商店 三代目

ニーチェは言った「神は死んだ」と。岩田さんは言った「僕は一回死んだ」と。

Profile

岩田謙一
東京下町の小さな酒屋の三代目として出生。幼少期に隅田川のホームレスが好きになり大学では福祉を専攻。21歳の時、4トントラックに飛ばされ意識不明となる。2週間後、奇跡的に目覚めて九死に一生を得るも価値観が540度変わる。社会福祉士として13年間働くが、使命感に駆られ2019年に実家の酒屋を事業継承。唎酒師となり角打ちを始めて2年で売り上げはV字回復。2022年の秋には、角打ち併設の酒屋としてリニューアル予定。

Index

人生を決めたまえとあと

岩田さんの価値観がいちばん変わった瞬間って、やっぱり生死をさまよったところですか?

岩田

はい。そこですね。一度死んで生まれ変わりました。でもそれまでの人生はそんなにダメな人生だったとは思いません。中学校受験をして、中学から大学まで一貫の学校へ行きました。結局大学は自分の意志でエスカレーターからは外れました。反逆心ではないけど、中高と進学する流れで大学に行くのが嫌だって想いが自分の中にありました。親に内緒で推薦権を破棄しました。福祉を専門的に学ぼうと思って、大学は自分で選んで進学しました

でも今思えばそれも何か中途半端な感じでした。もし事故に遭ってなければそのまんまの価値観で生活していたので、たぶん違和感はなかったのかもしれない。でも事故後に目が覚めたあと主治医からは「本当は死んでいるような交通事故だったよ」と言われました。

意識を取り戻しても寝たきりで記憶を喪失している可能性が高く、主治医から「これまで通りの生活に戻ることはできない」と言われていたことも後日聞きました。2週間の意識不明が続き、運良く目が覚めたら僕の体は磔でした。左脳が脳挫傷だったため、体が動かないように固定されていましたようです。この事故で一度死んだ経験から、もう本当にガラッと価値観が変わりました。

岩田さんの事故は本当に九死に一生の事故で、交通事故の現場にたまたま救命救急士がおり、その方が応急処置をしてくれて搬送先の選定もしました。通常一般的には現場から近い病院に搬送されます。がその方の判断で専門の救急病院に搬送されました。

後日主治医からはその救命救急士の判断がなかったら助かっていなかったと告げられたそうです。岩田さんは警察にも救命救急士に御礼をしたいと希望しましたが、名前も告げることなくその場を離れたということだった。

よく臨死体験で言われるような三途の川はありましたか?

岩田

真夏の事故だったのですが、春のようにずっと暖かったんです。2週間意識不明でしたが、最初の頃は夢を見ていました。すごく気持ちのいい夢で、あいにく三途の川はなかったんですがお花畑がありました。本当にあるんですね。事故の記憶は何も憶えてないんですが、家族が寝ずにずっと付き添ってくれて、僕の名前を呼び続けていたそうです。

後遺症は大丈夫なんですか?

岩田

脳挫傷で左脳が真っ黒だったので記憶障害が残ると言われていました。しかし僕の記憶は僕しかわからないことが多く、もしかしたら人として大事な何かを忘れてしまっているのかもしれません笑 全身打撲で右足のふくらはぎの筋肉が半分切れました。あとは顎を骨折していたのが事故後半年で発覚しました。毎日辛いリハビリをして今ではフルマラソン完走できるほどに回復しました。大学4年次での事故でしたが、卒業単位は取得していたので卒業しなければなりませんでした。

どうしても「社会福祉士」の国家資格は取りたかったので、科目等履修生という制度を使って、必要科目だけの再履修をすることにしました。やはり自分のエゴでエスカレーター進学を外れておきながら、取りたかった「社会福祉士」の資格を取らないってことは、親に対してもケジメがつきませんでした。

何としてでも「社会福祉士」は取りたくて、親に対しても成果として見せなきゃいけないという気持ちが強かったです。だから卒業後も1年間は学生を続け、その年の夏ごろには前職の社会福祉法人に就職しました。キリスト教の大学だったので、「いのち」についてチャペルで話をしたり、ゼミの先生に呼ばれて後輩の学生に熱くメッセージを伝えていました。

本当に事故って数ヶ月後だったので、顔は傷だらけでした。いろいろ出向いて「当たり前なことなんてないんだよ」「今を大事にしてください」って当時の私の胸の内を伝えました。価値観というか人生観が変わりましたね。

イラっとしなくなったんですか?

岩田

たとえイラっとしてムカついても、この人と出会えたのは、生きているから出会えたんだなと思うようになって。

ゼロベースで自分が出来ることを棚卸ししたこの1年

ここ1年ぐらいも、少し体調の優れない時期があったとか?

岩田

去年の夏、岩田屋を継いで1年間がむしゃらに働き、民生委員もやりました。保護司と成年後見人の話もあったんですが、それは断って。他にも推薦されたりいろいろあって。地域のNPOの理事やってくれとか、いくつか受けました。もう自分がスーパーマンだと勘違いしてたのかな。

手当り次第やりたいことをやって、酒屋も全力でやって、地域のこともやって。ちょうどコロナが流行ったときに、いろいろ活動が制限されて無くなったんですね。ふと我に返ったら、いろいろやりたいことと、やるべきことが溢れてしまった。

そこで自分は何なんだろう?って。去年の夏にだいぶストーンと気分が落ちてしまった。去年の夏に気分が落ちるまでは人づきあいが大好きだったんですが、落ちた時は本当に出勤するのもやっとなくらいで、電車に乗るとき突然涙が出たりして、これは危ないと感じました。

ある日、駅に立ち急行電車が入ってきたときに、ふと電車へ飛び込むことを一瞬考えちゃったんですよ。もうこれは危ないと思って。もう自分一人の力ではどうしようもないと思った。これまでたくさんの福祉の場面で相談を受けて、うつ病の人ともたくさん話をして、まさか自分がうつ病になるなんて思ってもいなかった。自分は違うってだいぶ目を背けてました。

岩田

でも飛び込もうと思ってしまったことで病院に行きました。そこから定期的に通院して薬を飲んで、今ではこうして普通に話が出来ます。去年の夏〜秋はもう話をするのも嫌で人が怖かった。

地域の活動もしていたので歩けば必ず誰かに会うんですよ。マスクをしていても絶対に手を振られるし、たぶん1分歩けば2〜3人に会ってしまう。商売している上ではすごく良いことなんですけど、当時の自分にとってみたらもう怖くてしょうがなかった。

お客さんの「こんにちは」とか「三代目!」に対してもうなんて返していいかも分からず、普通に会釈して「こんにちは」ができなかった。

かといって岩田屋はまったく私抜きでは商売ができなかったので、家族もいろいろフォローしてくれ、直近1年間は休み休みしながらでした。当時は頑張りすぎちゃったのかなって。今思えばすごくいろんなことやってました。

いまはだいぶ気楽な感じでやれてますか?

岩田

商売に専念する想いと建て替えのこともあったし、2年前のフルでやっている時の仕事量をそのまま5年も同じ状態だったらパンクするぐらいに、いろんなことに手を出してましたね。それこそフラット化してゼロベースで今何が自分に必要なのか、本当に必要なものをピックアップしました。それ以外のことは余裕ができたらやっていけばいいのかなって。

気づけたところが大きいですね。

岩田

そう。だから良かったなって。ずっと春ぐらいから辛かったんですけど、ごまかしごまかし自分は「大丈夫だ大丈夫だ」と思ってたけど、ふとした瞬間にうつ病になった。それまでは命を大事にして生かされた命がある2度目の人生だったから、気付けてよかった。

こういう経験があって人の気持ちも理解できるようになったし。何事も経験。

世の中見ても九死に一生スペシャルぐらいの事故をした人はいないだろうと思うし。

サードプレイスが作りたかった

社会福祉の仕事をされていたときから、家業を継いでからの「まえとあと」がありますよね。

岩田

結果的に「まえとあと」ということにはなりますが、私としてはすべてに連続性があり繋がっています。福祉の「まえ」が無ければ、酒屋の「あと」はありません。「結果的なまえとあと」ではなく、「意図的なまえとあと」をいかに作っていくかが重要だと思います。どうせ経験するなら次につながる実績にしないともったいないじゃないですか。

一番大きくそう思うところはどこですか?

岩田

接客ですよね。商売なんですが1円2円の単位で商売はしてないんです。利益は出さないと生活できないのは分かってますけど、自分としては利益は二の次な感じがあって、結局利益以前にお客さんが関与しないと商売は成り立ちません。お金の前にまず人、お酒を仕入れるときも原価じゃなくて、お客さんにどう飲んでもらうか、私なりの物事を考える優先順位があります。

きっと大学で経営や商売を学んでメーカーで働いていたら、本当にいかに利益を出していくか戦略考えますよね。もちろん考えることも必要だとはわかってます。でも自分はぶれずにお客さんに対してどう思うか、お客さんのことを考えないと商売が成り立たないのではないかと思っているので、お金は二の次でまず第一に人(お客さん)なのは、やはり福祉の仕事を約13年間やり続けてきて得られた価値観です。その価値観がないと、この酒屋の温かい入りやすい雰囲気を出すためにも、そういった価値観が影響していると思いますね。

サードプレイスですよね。

岩田

そうです。自分もサードプレイスが欲しかった。仕事で疲れたりして家に帰るんじゃなくて、職場でも居酒屋でもなく、ふと落ち着ける場所です。それは人それぞれいろんな場所があると思うんです。友だちの家でもいいと思うし、飲み屋でもいいし、家と職場の往復でストレスがあってもなかなか発散できなかったりする中で、ふと愚痴をこぼせたり、気が許せる場所、つまり人がフラットになれる場所って必要だと思うんです。フラットってすごく好きで、気を張らなかったり、下手に出たりするような場所じゃなくて、本当にフラットなところもすべてが落ち着ける場所、波がない場所が重要です。

福祉の経験でフラットな感覚を?

岩田

そうですね。福祉の相談現場で、相手と関係性を築くとき下手に出るとか上から高圧的にとかではありません。高齢者と話すときは、必ずしゃがんだりして目線を下げて、同じ目線で話します。フラットな姿勢だと気持ち的にも話しやすい雰囲気になります。フラットな姿勢は商売でもすごく大事です。

たとえばお客さんが来ても、ちょっと攻撃的な店員さんがいたらもう絶対行かないと思うし、この店の雰囲気は嫌だなと思ったら、お客さんは来なくなるじゃないですか。

これだけいろいろな店がある中で、初めて来てくれたお客さんにいい思いをさせることはできないかもしれませんが、岩田屋商店には面白いものがあるかもしれない。で次につながる。お客さんが心を開きやすく、フラットになれる場所・空間が自分は必要だと思う。接客もそうだし、お店のなかに角打ちのスペースを作るのもそういった目的です。

実は昨日すごく嬉しいことがありました。ここ最近、月に2回ぐらいの頻度で一升瓶の日本酒を買いに来る70歳ぐらいのおじいちゃんがいました。いつも自転車で買いに来てくれて、いつも決まった日本酒を買っていきいます。

岩田

そのおじいちゃんがここ数ヶ月来なくなってしまいました。「どうしたのかな?」「ケガでもしたのかな?」「違う酒屋さんを見つけたかな?」などと思っていました。そうしたら、昨日電話がかかってきて、「いつも日本酒買っている者だけど」と言われた瞬間、私はピンと来ました。「久しぶりです!」と話をして配達の依頼を受けました。いつもの日本酒など注文してくれた品を届けに行ったら、おじいちゃんは足を怪我したことで、自転車に乗れなくなってしまったようです。

これまでの数カ月を埋めるように世間話たくさんして、帰りに「これ持っていってくれよ」とおじいちゃんの庭で咲いているお花をくれました。そして「また来てくれるかな?」と言うから、「もちろんですよ」と伝えました。テレワークやネット社会の昨今、失われてしまいそうな「リアルなつながり」が商売をしているとすごく感じることができます。

つながりを作っていくところと、フラットなところが大事ですね。

岩田

そうですね。フラットになることでつながりが広がっていきます。つながりを作るなら、まずそこできっかけを作っておかないといけません。私の場合、洋服を買いに行って、店員さんにすごくガツガツ来られたら自分が引いてしまいます。

だからガツガツくるような接客は嫌だなと思っているので、私はしません。必要最低限の接客で、何か聞かれたらきちんとお話します。お客さんが来たからといって「このお酒美味しいのでどうですか」はしたくない。それこそフラットじゃないと思います。お客さんには平穏な気持ちで岩田屋を訪れてほしいのです。

つながりで作るオリジナルな価値を求めて

社会福祉士の資格を活かした生活相談もしますか?

岩田

5〜60代のお得意様が来店して、「うちのおばあちゃんが最近、認知症っぽいのだけど」と話があると、適切な社会資源につなげます。

目の見えない高齢者夫婦から突然の「いますぐ来て」の電話。理由も聞かずにダッシュで家に行ったところ、火災報知器が鳴り響いていました。焦がしてしまった鍋を見つけて一件落着。他にも電球の交換や、家電の修理は当たり前。駆け込み寺ならぬ何でも屋的な側面も、信頼関係をしっかりと築いてきた地域の酒店のあるべき姿があります。

いろんな世代の人が来ているなか、いわゆるサードプレイスの話の中で、そこから派生して何かやりたい今後やりたいことはあるんですか?

岩田

縦にも横にもつながりが広がっていく関係を築いていきたいです。今はお客さんと1対1でのつながりですけど、お客さんとの点と点がいずれ線になって、次に線になったお客さんが私を中心として円になり、その次は酒蔵などの縦の関係にも派生して立体的に考えていきます。具体的には岩田屋ファンクラブみたく、ただの会員サービスではなくて岩田屋だからできるようなファンクラブを作りたいです。

最近角打ちでお客さん同士が仲良くなることがあります。お客さん同士で連絡先を交換したり、この前は店のなかと外のスペースで飲んでいる人が一緒に飲もうと言って一緒に飲んだり、その日に会ったおじさんたちが夜まで飲んで、初めて会った人の家に泊まりに行ったり。なかなか今のご時世ですごいと思うんです。

お客さん同士のつながりも増え、たまにうれしいのはお客さんが角打ちで飲んでると、お客さん同士が「こんばんは」とか会話があって、ここで出会ったお客さん同士がつながってるのはすごい素敵だなって。

岩田屋が場所を提供してサードプレイスになり、そのサードプレイスでお客さん同士がまた相乗効果でつながりあう。そこで今度は岩田屋がもう少しアクションを起こして引っ張っていくものを作っていきたい。

つながりあって結婚する人が出てくると良いですね。

岩田

そうですね。岩田屋で出会った方同士が結婚なんてしたら、最高に嬉しいですね。そうなると岩田屋がキューピッドってことですね。人との出会いもそうだし、酒との出会い、何かとの出会いが岩田屋に行くとある、そんな店にしたいです。安売りのスーパーや便利なコンビニエンスストアには絶対ないものを提供できる酒屋で、岩田屋にしかできないことをやるのが目標です。三行でまとめると岩田屋は「出会いに溢れるふらっと行けるフラットなサードプレイス」ですね。

取材のあと

声配信アプリ Stand.fmを使って、取材後のインタビューをしています。

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi