「良い加減」に気付いたまえとあと / 石河陽一郎(ROUROU代表取締役社長)

  • 石河陽一郎ROUROU代表取締役社長

写真:平林克己
聞き手/編集/執筆:望月大作

目次

  • お金の使い方を考えるようになった。
  • 中華街のイメージ
  • #頑張れ中華街
  • 人とのつながりがやっぱり好き
  • なるべく営業中
  • 取材のあと
  • [New]まえとあとのあと
  • コロナは新しいチャレンジを始めるきっかけに
  • コロナ禍での中華街のチャレンジ
  • 横浜中華映画祭の開催
  • 正しい情報を発信し続けること
  • お金の使い方を考えるようになった。

    望月

    お店の形態にとらわれず、いま出来ることをどうやるかを考えていますか?

    石河陽一郎(ROUROU代表取締役社長)

    それもそうです。うちの店もそうなんですけど、お店をやっている人たちはみんなきっとお客様がお店に来てくれることに改めて特別なつながりを感じたと思うんです。大好きな店が持続できるように、買うことや食べることで応援してくれることを感じました。普段あまり頻繁にご利用がない方も頻繁に顔を出してくれたり、ご注文をいただいたりもありました。久しぶりの方や懐かしい方もたくさん戻って来ていただいて、中には15年ぶりという方もいらっしゃいました。

    通販で買い物される際も、いつもコメント欄は書かない人が多いんですけど、「スタッフの皆さんお元気ですか?」「いつも可愛いお洋服をありがとうございます」とか、そういう労いの言葉をかけていただいたりして、スタッフみんなそうしたひとこと一言に感激していました。今回コロナによって、今まで目に見えなかったお客様からの愛をよりリアルに感じましたね。

    僕自身もそうでした。たとえば、日中はめちゃめちゃ忙しいからお昼は食べないことが多いんですが、そんな僕もコロナ後は時間を作って必ず中華街で食べるようにして、お金を落とすようにしてます。もしかしたら800円〜1000円の世界なんだけど、食べたものをSNSにアップして、少しでも中華街のお店に行ってほしい。どうせお金を使うなら、知り合いの店で買い物したりテイクアウトしたりして、お金の使い方を考えるようになった。

    望月

    中華街の会議は、移動時間が無くなったりして?

    石河

    中華街の会議は話し合うべき議題が多く、付随する雑談も多いので、zoom会議が多くなり、会議が短くなってよかった部分もありますね(笑)。

    平林

    そうすると、人と人とのつながりが弱くなっちゃわない?

    石河

    弱くなっちゃいます。

    平林

    そっちが問題な気がするな。

    中華街のイメージ

    今回のコロナで中華街は忙しかった。街からは人が消えちゃったので店は暇なんですが、やることがとにかく多かったです。なぜかというと、コロナ報道の影響で、風評被害というか、誤解を招くような報道が多くあったんです。取材の度に修正をし、毎週のようにリリースを作ってはメディアに配ってました。2月から3月の1か月間くらいでメディアは多分200件以上来てました。状況も行政の対応も頻繁に変わるので、その度その対応や僕と理事長で決めてやってたので、もうめちゃくちゃ忙しかったですね。

    望月

    中華街に来る人は海外の人が多かったんですよね?

    石河

    いや、そもそも中華街に来る海外の人は5%しかいないんですよ。世界一のチャイナタウンとも言われるから中華街といえば世界中からお客さん来るイメージありますが、実際はインバウンドはすごく少ないんです。取りこぼしているとも言えるので、コロナ前には様々なアプローチを各方面に仕込んでいました。

    国内のお客さんだろうと海外からのお客さんだろうと、とにかく観光客は0になりました。イメージとして中華街は、特に大通りなどの観光客の消費で半分成り立っていて、もう半分は地元の人や近隣の人ですよね。

    望月

    海外の人は5%なんですね。

    石河

    はい。そもそも5%しかいないんですよ。

    望月

    圧倒的に他県からの人なんですか?

    石河

    いや、神奈川県が多いですね。

    平林

    近所の人とかでしょ?

    石河

    そうですね。

    望月

    それも他県だと思ってました。

    石河

    多い順だと、神奈川、その次に東京、3位が埼玉で、4位に千葉が来るかなと思ったら、4位はなぜか愛知なんですよね。

    望月

    この順位どうなんですかね? 神戸の中華街の人にも聞いてみたいですよね。

    石河

    いま神戸の南京町と長崎の新地中華街とは交流があるんですよ。年に1回僕らも行ったりしています。神戸に横浜チームが研修に行ったり、神戸のチームと横浜のチームが長崎で合流するみたいなことも先日ありました。そこからすごく仲良くなり、個人的にもつながったりしてます。

    今回コロナの疫病退散と街の復興を願って、獅子舞をやったんですけど、神戸の南京町とオンラインでつないで、2つの街でコロナの退散を同時にやったんですよ。もともと獅子舞は神の使いなので、本場中国では疫病が流行ったり、悪いことが続くと、爆竹で邪を払い、獅子舞の演舞によって疫病退散祈願をしたそうなんです。

    やっぱり横浜中華街と同じく、長崎の中華街も神戸の南京町も相当被害を受けてますね。南京町も横浜中華街と同じく、来街者数の九割ダウンの状態がしばらく続いたと言ってました。

    平林

    単純にみんな外食=ダメってそれだけでね。

    #頑張れ中華街

    中華街の「中華」の部分が、なんとなくあるようです。と言うのは中華街にあるお店だけじゃなくて、他の町の中華料理店もお客さまが減ったと言ってました。当然華僑の人が働いてるじゃないですか。でもそれは、もちろん最近来た人じゃなくて、もう何十年も前から、何だったら何世代も、しかも日本から一度も出たことが華僑もたくさんいるんですよ。それでも華僑イコール中国人、中華街イコール中国の街、みたいな連想なんでしょうね。

    ニュースで見たかも知れないですが、今回ヘイトレターもありました。中国人はゴミだクズだとか、早く本国に帰れみたいな手紙がもうあちこちにランダムで届いたんですね。郵便で送る暇な人がいるもんですよね。

    その事実は知っていたんですが公表せずに黙っていたんですね。相手にしてメディアにでも取り上げられようものなら、その犯人の自己顕示欲を満たす事になるので無視していたんです。

    結果的にメディアにも取り上げられることになってしまったんですが。(汗)

    そうしたら、ある店主がもう頭に来たんでしょうね。ツイッターにこんなのが届いたとアップした。気持ちはわからなくもないけど、なんか悲しい、でも今日もめげずに頑張ろうみたいな感じでツイッターに書いてました。確かそのオーナーは日本生まれだったと思いますよ。

    僕はツイッターでその書き込みを見たときに「あっ、書いちゃった!」と思ったんだけど、そのツイートがものすごい勢いでリツイートされて、コメントがもう何万件もリツイートされてコメントも数千件もついたんだけど、それは僕の心配をよそにほぼ応援のコメントだったんです。自然発生的に、#頑張れ中華街 のハッシュタグが出来たりして。

    それがものすごい勢いで拡散され、中華街もお店が1〜2割しか開いてなかったんですけど、開いてるお店にみんな来てランチをしてくれ光景を見たときに、本当にありがたかった。そういうヘイトが届いたときの中華街は、売上は下がるわ、店もどんどん日に日に閉まるわ、街もオーナーたちの顔もどんどん暗くなって行って、もう先行きも見えない中で、最後のとどめを刺すかのようにヘイトレターが届いたんで、街のみんな誰もが本当に傷ついていたんです。

    それが思わぬところで、そのヘイトレターのことがツイッター上で、たくさんの方々から前向きなコメントを多くいただき、有名人もたくさんコメントしてくれました。乙武さんはわざわざ忙しい合間を縫って応援の為にヘイトレターが届いたそのお店にプライベートで遊びに来てくれたりしました。

    平林

    普段は黙っている人たちが、口を開いた感じなのかなって思って。数少ないけど一部の人たちは普段からずっと言ってて、大部分の人はそうじゃないか、無関心かだった。今回のことは、そういうものに敢えて距離を置いていた人たちが、言ったり行動したんじゃないかな。

    石河

    そこはありがたかったです。お客さんを呼ぶ訳にはいかないけど、来ていただいてありがとうございますってことで、組合のみんなで考えて栞を作って街で配りました。栞に書いてある「多謝」って謝謝より丁寧な言い方で、「本当にありがとうございます」って意味なんですよ。

    人とのつながりがやっぱり好き

    望月

    石河さんは何重視で仕事しているんですか?

    石河

    僕はものづくりをしてるけど、人とのつながりがやっぱり好きですね。たとえば今回のマスクも、本当に工場は仕事がほとんどなくなっちゃったんですよ。それで電話が掛かってきて、「もうほんと何もないよね。全部キャンセルだよ」って。「うちの会社、多分このままじゃどうにかなっちゃうと思うよ」と言われて。それで「マスクって作れます?」と聞いたら、作った事ないけど、多分出来ると思うって。でも大変なのはまさに今で、締めの支払だと遅いんだと、なった。

    「じゃあ、入ってきた分、すぐ振り込みますよ」と言いました。

    うちも本音では大変だったけど、そういうことをさせてもらったら、すごい今回助けてくれたんです。じゃんじゃん作ってくれるからじゃんじゃん売れた(笑)そういう人のつながりがあってモノって出来てるんですよね。

    うちは滅多に会うことはないんだけど、全国にそういう取引先がいます。デニムは岡山で作っていて、先日もう辞められたんですけど、いっつも叱られるおじいちゃんがいたんですよ。あるとき電話かかってきたときが、朝礼だったんですよね。「小さい会社のくせに朝礼なんかやるな、ボケッ!すぐ働け!!」って(笑)。

    でも、ふつう生地ってオリジナルで織ったりするのは、10〜20反で織るんですよ。少なくても5反かな。5反はダブル幅のデニムだったら150本も作れちゃうんですね。うちは全然そこまで使わないから、1ロールだけ作りたいわけですよ。でも作る方からするとそんなのは面倒なだけで全然儲からないから、本当はやってくれないんですよ。

    でもそこのおじいちゃんはどういうわけか僕たちを気に入ってくれて、口座を開いてくれたんですよね。そこは世界中からオーダーが来るんですよ。例えば名だたる高級ブランドのデニムのシリーズもそこで作ってるんですよ。ふつうは工場のあいだには生地コンバーターがだいたい挟まっているんですが、うちは直接なんですよね。普段はどういうニュアンスで生地の組織の規格を組んだら良いのかわからなくてもデザイナーに直接聞けないじゃないですか。僕たちは直接話ができるから話が早いし、意思疎通もスムーズ。だから怒りながらも、名だたる高級ブランドのあいだにうちの仕事を入れてくれるんです。でも絶対面倒くさいと思うんですよね。ほんと感謝してます。

    京都にも電話すると1時間は喋らなきゃいけない社長がいるんですが、そこも着物で何十反とか何百ロール作って収めているところなんです。その社長からすると、うちの仕事はやってもやらなくてもいいどころか、きっとやらないほうがいい仕事だと思うんですけどね。でも、どんなに面倒な小さい仕事も楽しんでやってくれる。すごい大切にしてくれて付き合ってくれますね。

    僕らはそういうつながりが元々あったんですけど、今回の騒動でそのつながりをより一層強く感じました。ひとつ一つの人間関係があってこそ、モノは出来ているんだなぁと改めて認識し直しました。

    平林

    面白いですね。コロナで人を分離するような雰囲気が起こっているけど、一方では再確認するところもある。

    3.11の東日本震災のときも似たようなことがあって。あのときも中華街はお客さんが居なくなった。でも、あれはまだ街に人が0人になったのは一週間くらいだったんですね。今回みたいに2ヶ月、人が歩いてない時期があったのは、東日本大震災のときよりもすごかったですけど、でもあの時も絆を再確認しました。

    3.11のときも経営的にスゴく打撃があった。そのときに作った借金がなければ、うちはすごく楽だったんですよね。会社の借金を東日本大震災の時に作って、そろそろ払い終わるぐらいのタイミングで、また今回のコロナが来たから、また借金をたくさんしちゃったんですけど。(笑)

    3.11のときの経済的打撃はもちろんすごかったし、今回もすごかったんですけど。東日本大震災のときは、会社を作って10年目ぐらいだったかな。今は20年目。あのときより今回の方が気持ちが楽なんですよね。

    平林

    前に経験してるから?

    石河

    経験しているからですかね? なんでですかね?

    平林

    比べる対象としては違う要素がいっぱいあるんだけど、大変な中でも良かったことっていっぱいあったでしょ? それって今回も同じようなノリが起こってるから、再確認して結局大丈夫だと思う。もちろんヤバいこともいっぱいあるんだけど、それを覆うぐらい期待できるものがあるのかなと思ってる。

    石河

    そうかもしれないですね。

    平林

    東日本大震災を経験してなかったら、もっと慌てふためいていた気がするかな。見えない怖さがあるでしょ。だから単純にバタバタしていたかもしれない。

    石河

    あのときもやっぱり人が大事だと思ったんだけど、気付くのにちょっと時間かかったのかもしれない。でも今回はすぐに人が大事だ、できることすぐやらなきゃってなった。

    平林

    やっぱりって言葉がそこに付かないですか? 3.11のときは人が大事だと気がついたけど、今回はやっぱり人が大事だ。

    石河

    お客さんが商品を買って、うちを応援してくれる。もちろん商品を買ってくれることは、お金と商品を交換しているわけなんだけど、そこには商品を買うだけじゃない支援も含まれているような気がして。みんな、それぞれ大変なはずなのに。そういうのをひしひしと感じました。ありがたいなって注文受けてるマシンの画面に手を合わせたくなる。

    はじまって、半年が経過しました。

    なるべく営業中

    望月

    今後いろいろ新しいことを考えないといけないと思います。まだはっきりとはわかんないと思いますけど、色々考えることってありますか?

    石河

    今回のことで、とにかく何でも柔軟に考えようと思ったんです。3.11のときにはお店は絶対に開け続けなきゃいけないって思って頑張って開けてました。やっぱり続かなくて途中で締めて閉めたりしたんですね。でも今回は早々に締めて、すぐ予約制に切り替えました。感染防止のために、美容院みたいに予約が被らないようにして、1組1時間の制限をつけました。やって見て思ったけど、これなかなか評判良かったです。お客さんいないときにはお店にいなくても済みますし。

    またなかなかお店に来られない人向けにライブ配信をはじめました。それはコロナが終わってなくても、やってすごく良かったと思っているんです。お店の雰囲気やスタッフの声を目の前で接客している人だけじゃなくて、日本中に届けられる。今後たとえば第2波、第3波が来るのかもしれないし、それに対していかに備えられるか、準備するか、常にそういうときにより柔軟でいたいです。

    今回も商品をパッと変えて、出すはずだった商品をちょっと止めたり、ステイホームをオシャレに過ごすための部屋着を作ったら、それはすごい喜ばれたし、ニーズもあったんですよね。柔軟だったらしぶとく何とかなるかなって思うんですよね。転んだとき、体が硬いと怪我するけど、受け身が上手ければ怪我をしないじゃないですか。まあ、僕は転んでばっかりの人生なのでそれはそれで問題あるんですが(笑)。

    望月

    こうじゃなきゃいけないってことが、減ると良いですよね。

    石河

    だからお店の張り紙も、「なるべく営業中」と作って貼りました。電話かけてもらえれば、すぐ行きますって。そんなのもアリだなって。

    望月

    形にこだわるものが減る気がしていて。お店って書いてあるから、お店をやらなきゃいけないとか。飲食店だから飲食やらなきゃいけないとか。小売だから絶対小売をしなきゃいけないとか。べき論じゃないですよね。

    石河

    たしかに。

    平林

    べきとか言ってられなくなってるからね。何にもないときではなくて、新しいものとか良いものは、こういうときに生まれるんじゃないのかなって思いますよ。

    石河

    きっと戦国時代が明けたときや、文明開花のとき、あるいは戦後はきっとこういう環境が変わったところに、いっぱいチャンスが生まれて、そのチャンスをうまく手に入れた人が成功したんでしょうね。そういう意味ではワクワクしますね。

    平林

    戦争を経験した人はさ、60年代の高度成長期をよく引っ張っているってつながりがあるよね。

    望月

    そう考えると、この混乱期を経験した人たちが引っ張っていくのか、それとも初めてづくしすぎるから大変なのかみたいな。

    石河

    成功体験をしていると、それが邪魔するケースもありますよね。一回これでうまくいった体験をすると、なかなかそのクセが抜けない。常識を疑っていかないといけないですよね。

    望月

    また常識も変わるんでしょうけどね。でも大部分の人は戻ろうとするんで。どう戻らないか。

    石河

    なるほど。どう戻らないか。

    望月

    このインタビューを続けていると、みんな戻るわけないじゃんっていうのが多い。

    石河

    このコロナが一瞬だったら戻るかもしれないけど、ここまで長く続くと、なかなかもう染み付いてしまいますよね。afterコロナというけど、しばらくはwithコロナが続いていくんでしょうね。

    平林

    そのうちwithコロナで、慣れるんじゃないのかなって思うんだけど。

    望月

    お店を開ける開けないも含めて、その概念自体が別に臨機応変にできればいいと、石河さんのなかでは変わったので、そこはすごく今後の強みになり、別に店舗にこだわらなくてもいいわけで。

    石河

    僕は「適当」って言葉が好きなんですよ。「適当」って適度にちょうどいい様子のことじゃないですか?(笑)同じように「いい加減」も「良い加減」とも取れますよね。いい加減で適当でいいんじゃないですか。

    取材のあと

    音声配信アプリ Stand.fmを使って、取材後のインタビューをしています。

    [New]まえとあとのあと

    「カチッ」とスイッチが変わった気がした

    前回の取材の際は、コロナ前とコロナ後ということでお話させていただいたんですが、前回の取材時には、いま取材を受けている時期(2021年4月)にはコロナは終わってると思ったんですよね。だからコロナの発生から1年後には世の中が元に戻り、ある程度は平穏になっているはずと思っていたんですが、それは大きな計算違いでした。

    もう一つ感じたことは、コロナの騒動によってスイッチが「カチッ」と変わった気がしたんです。もちろん実際にカチっと音が聞こえたわけではないんですが、はっきりコロナの前と後で世の中が変わったような気がしました。なぜ買い物するのか、なぜ働くのかなどの価値観もそうですし、人間とのコミュニケーションもすっかり変わったような気がするんです。否応無しに環境が変わってしまった事で、それぞれが様々なことを見直さざるを得ない状況になった。

    一方で今まで気がつかなかったことに気が付いたり、当たり前だと思っていたことが実はそうでもないかもしれないぞ、ということにも気がついた気がします。コロナ禍により生活のあり方や価値観も変わったと思うので、だからスイッチがカチッと変わった感覚はやっぱり正しかったんじゃないかと思うんです。

    コロナは新しいチャレンジを始めるきっかけに

    僕の話をすると、自分が経営している会社(ROUROU)もコロナ禍でどうなるかわからない状況の中にありました。今だってそうです。だって服は買っても買わないでも死ぬものではないじゃないですか(笑)命が脅かされるときに不要普及の服など、本当に買ってもらえるものなのか自問自答しました。その不安と危機感はスタッフたちも皆同じ思いだったと思います。

    でも、悪いことばかりでもなかったように思うんです。コロナ禍の状況での危機を共有していることで、スタッフたちとのチームワークが強化された部分もあるのかなと思っています。ピンチをみんなで共有することによって、ものすごくみんなで協力し合い、チームワークが増しました。

    たとえばお店にお客様が来ないなら、通販での売上を伸ばすためにもっと動画を撮って、通販ページの商品がわかりやすくなりました。動画配信を通して素材感やサイズ感をお伝えする努力や、LINEで情報を配信したり、みんなでやったことないことを試行錯誤しながらチャレンジしました。

    この一連のチャレンジは会社にはものすごく資産になったし、コロナ禍も約一年経過しましたが、コロナ禍の危機が様々なチャレンジを通して、逆に宝になりました。そのおかげで予想された最悪のシナリオは防ぐことができました。

    コロナ禍での中華街のチャレンジ

    中華街の活動もまさにチャレンジの連続でした。例年であれば普段は決まったイベントを味付けを変えながら開催をして集客をし、それをメディアに取り上げていただき、人を集め今度はその混雑がニュースとして配信され、SNSで拡散されてさらに次のイベントまでの集客につなげていく、というのがこれまでの中華街のいわゆる勝ちパターンでした。しかしコロナ禍では普段のイベントは当然全く出来ず、人を集めることそのものが出来ません。

    コロナ禍の状況で中華街では何が出来るのかを考えたとき、今まで経験したことのないコロナ禍が来たわけだから、今までのやり方をそのままやるだけでは何も意味がないわけです。中華街では今までやったことないことに、どんどんチャレンジせざるを得ない状況が続きました。しかし髙橋理事長のリーダーシップのもとやっぱりそれらチャレンジを通して中華街がひとつになっていったように思います。

    コロナ禍でないと出来ないチャレンジ、たとえば「横浜中華映画祭」もそのひとつです。そして中華街の店舗を個別に取材して動画の撮影も行いました。今まで中華街では取材が年間約数百本ぐらいあり、毎日どこかでテレビ撮影がある状況があったんですが、コロナ禍では撮影が40~50件に激減してしまいました。

    だから組合を運営している理事たち自ら自分たちで仲間の店を取材をして、アピールをしていくことを始めました。この取材には組合員店舗400軒のうち約300軒以上が快諾してくれて取材に協力してくれました。こんなに多くの店舗が参加してくれたプロジェクトはいまだかつてありませんでした。編集してこれから少しずつYoutubeにアップする予定です。

    僕ら理事たちの取材もコロナ禍ではなかったら時間がなくて出来ていなかったし、取材される側も暇な時期だからこそ撮影に協力してくれました。

    今後僕らの取材が非常に生きていくと感じるのは、自分たちの街の取材を自分たちですることにより、もちろん一般のお客様が見ていただくことも大事ですが、番組や取材のロケハンにも動画を使ってもらえると思っています。

    どんなお店でオーナーがどんな思いで経営をしているのか実際に取材に行かないでも、全店舗のデータが載っていれば検索も簡単に出来るし、実際に見たいお店を取材前にチェックすることも出来ます。これまではメディアに一度でも取り上げられた店ばかりがまたメディアに取り上げられる現象がありました。

    ディレクターや記者が過去の番組や記事をチェックしてその中から取材対象を選ぶので当然そうなるわけです。 今までメディアに一度も出たことがない町中の小さい名店や、なかなか情報は出ていないけど味はすごいおいしいお店など、これまで光を当たることがなかった店に光をあてることができる試みになると思っています。

    自分たちが中華街の街を取材をする取り組みが出来たのは、コロナ禍での良かった点だと思います。実際コロナ禍にあっても、良いことも多い1年でした。ある部分ではものすごい苦しんでいる反面、苦しいながらも充実している部分が自分の会社や横浜中華街にもありました。その代わり僕自身、やらなきゃいけないことがすごく増えました。

    横浜中華映画祭の開催

    望月

    横浜中華映画祭」は初めて開催されたんですよね?

    石河

    はい。今年初めて「横浜中華映画祭」は開催したんですが、感触としては、良いか悪いかがまだ分かりません。もともと無料公開の催しなので、「横浜中華映画祭」の結果が出るのはもっと後になると思っています。「横浜中華映画祭」の目的の一つは、ズバリ横浜中華街のブランド力をアップすることです。見た人が複数の作品を通じて横浜中華街に良い印象を持っていただくには、公開した動画がさらに再生されないといけません。いま一番伸びているのが「滑板拳」です。(再生数:32,251)

    望月

    映画祭はオンライン上でやってるんですよね?

    石河

    オンライン上です。本当はリアルでも行い、YouTubeにもアップする両方のやり方を考えていました。このコロナ禍でリアルで映画祭が出来ない寂しさもありつつ、でもこういう時代だからこそ、オンライン公開も世の中に受け入れられる映画祭として開催しています。

    オンラインで無料公開するのが趣旨であるので、これが良いか悪いかは、もう少し時が経ってみんな中華街の印象が上がったり、中華街が良いイメージで行ってみたくなるような印象がつけば、それは成功と言えるでしょう。ただ「横浜中華映画祭」は中華街のブランド力アップには貢献したと思います。

    正しい情報を発信し続けること

    望月

    以前石河さんに取材するまでは、僕自身は中華街には海外の人が一番来ると思っていました。それぐらいイメージで、人間はわかりやすく考えると思います。だから、ちゃんと打ち出すことは大事だと痛感しました。自分が常識だと思っていることでも、ちゃんと打ち出すのは大事なコンセプトであると感じます。だからたとえば嘘とまでは言わないけど、メディアがちょっとグレーに近いことを記事を書いた人視点で書くときがあるじゃないですか。 そうするとメディアの力があるので、書かれた周りは「あんなバカなことを書いて」となるけど、全然僕たちの及ばないところの地方の人たちが、もしそれを見たときには、「そうなんだ」となる。まだ大手メディアは力があるので、「新聞がこう書いているから、正しいんだよね」と、自分たちを知らない遠い地方ではなりやすいと思います。

    石河

    これについては、僕も中華街の露出に関わっていて非常にデリケートな問題なので、慎重に対応しています。たとえばダイヤモンドプリンセス号が横浜沖に停泊していたとき、ひどい番組だとダイヤモンドプリンセス号からの映像のつなぎ方で、編集をうまくつないで中華街の東門があるような映像を作るところがありました。その映像を見た人は船と中華街はものすごい近いんだなと思ってしまいます。

    横浜に住んでいる人だと、大黒ふ頭には車じゃないといけないし、中華街とは全然近い距離じゃないことは分かります。むしろ大黒ふ頭は横浜と言えないような場所にあります。それがまるで山下公園に停泊している氷川丸がある距離ぐらいにダイヤモンドプリンセス号が止まっている印象で報道するところも多かった。例を挙げると枚挙に暇がないぐらい誤解を受けるような偏向報道がたくさんありました。

    僕らはその状況で何をやるかというと、正しい情報を隠さず発信し続けることです。たとえば今回緊急事態宣言が発令されたときには、発令されたときに何をやるか、解除された時には我々は何をやるのか。今回もしまん延防止等重点措置が発令されたとき、街としてどう対応するのか、もう全部どう対応するのか中にも外にも目に見える形で発表をし続けてきました。サイトのPVを見るとこうしたお知らせはすごくたくさん閲覧されています。

    街で決めた方針を組合員に対してお知らせし、「こんなように活動を律してください」、「政府はこういうことを言っています」と、日本語版・中国語版でお知らせしています。外から見たときに横浜中華街は何をやっているのか、ガラス張りで分かりやすい状況を常に作り続けることが大切だと思います。それでも誤解を受けるような報道があったときには、徹底的に番組には抗議することもあります。

    Profile

    石河陽一郎

    1972年茅ヶ崎生まれ。関東学院卒。シンガポールで育った経験を元にアジアンミックスな感性を培う。小・中・高と早園と同じ学校で過ごした。輸入雑貨屋、商社などを経て独立。株式会社ロウロウジャパン設立。横浜中華街では専務として、街作りの仕事にも携わる
    ROUROU