思わずわたしは、イスを後ろに倒してこけそうになってしまった。そんなことを真奈美に言われて、わたしがビックリしたのは言うまでもない。羨ましいのはわたしのほうだったんだから。
昨日の信じられないような大雨といい、今の真奈美の言葉といい、これはホントはとってもリアルな夢なんじゃないのかと、軽く頬をつねってみる。
イタッ、わたしの頬に軽い痛みが走る。
夢じゃない、やっぱり夢じゃないんだ。でも、わたしはまだ半信半疑で信じられなかった。
「わたしが羨ましかった?」
「うん。だって、恵理には夢があるんだもん。ほら言ってたでしょ、高校のときに。わたしにはそんな夢なんか全然なくて、大学に入れば、わたしもそれが見つかるんじゃないかって思ってた。
でも実際は違ってた。そんなの全然見つからなくて。それで何となく過ごしてたら、あっという間に四年間が経ってしまっていて、今度もまた何となく決まってしまった未来に向かって歩いていこうとしてる。
そう思うと、内定ブルーって言葉が当てはまるとは思わないんだけど、このままでいいのかって思ってしまうときがあって……。
何だか、ただ流されているだけのような気がして――だから、すごく羨ましいの! 夢を持っているって人が。
だって人ってそうでしょ、ずっと無いものを欲しがろうとして生きているんだもん。
だからね、恵理のこと心配してたんだ。就職活動をしてるって聞いたときから、夢のこと諦めたのかなって。ただのお節介だとは思うんだけど、わたしは恵理に夢を実現してもらいたいんだ。いや、してもらわなきゃ困るの!」
そういう真奈美の真剣な眼差しは、微かに潤んでいるようにも見えた。真剣な目で話してくれた親友を前に、わたしは少し恥ずかしくもあった。
たしかにわたしは夢を諦めかけていた。
就職活動を始めた理由も、自分自身が何をしていいのか分からなくなって、就職活動をすれば何か分かるんじゃないかって、そんな期待からだった。
でも結果は全然違っていて、やればやるほど何をやっていいのか分からなくなって、周りに負けたくないってだけで、ネームバリューで会社を選んで、面接に落ちるたびに傷ついて。何か大切なものさえ見失いそうになっていた。
真奈美の言うとおりだ。さっきわたしの奥底で起きたのはそれだったのかもしれない。まだ何とか間に合う。
まだ遅くない、あの人ならきっとそう言ってくれるに違いない。
夢は一つ叶えれば、また一つ新しい夢が生まれるって高校のころに聞いた。夢は叶わないからの夢だって言う人もいうけど、わたしは叶えてこその夢だと思う。だってそんな世界平和だとか、そんな大それた夢をわたしは持っているわけじゃないんだし(誤解がないように言っておくと、もちろん世界平和が叶ってくれるに越したことはないけど)。
叶えてこその夢っていうのもあの人の受け売り。夢に関してのほとんどが、あの人からの受け売りだけど。わたしの意見がパクられたこともあったような。
「夢を叶えて欲しいって言ってくれるってことは、まだ高校のときのこと憶えてるんだ?」
わたしは真奈美に問いかける。
「当たり前でしょ! 親友の大事な大事な夢の話なんだから」
そう話す真奈美の眼差しは真剣なもののままだったけど、表情は昔からとっても嬉しいときに見せてくれる、すっごく人懐っこい笑顔だった。
2
高校時代、わたしは教師になろうと決めた。それがわたしの夢になった。
いや、正確に言うと最初から決めていたっていうわけじゃない。最初は教師になんてなりたいだなんて考えもしなかった。教師といえば、思春期なわたしにとっては、十分に憎悪の対象となりうるものだった。
やっぱり何か夢や目標が決まるっていうことには、それなりの理由が存在するわけで。
そんなわたしが、憎むべき対象のはずだった教師になろうって決めた理由はいたってシンプルなことだった。
高校生っていえば、物事を若干冷めた目で見たりする時期でもあるけど、その反面いろんなものに対する好奇心や憧れみたいなものが、一日一日を動かす推進力になってくれたりする時期でもある。わたしもその例にもれず、毎日の推進力になってくれるような、そんな大きな憧れみたいな存在がいた。
そう、わたしが教師になりたいって決めた理由、それはわたしがすごく憧れていて、好きだった先生がいたからに他ならない。ただし、その好きっていう気持ちは、愛してるとか、恋してるとか、そういうものじゃなくて、どっちかというと、尊敬するとか、憧れから来る感情によるものだった。
ほら、よく好きな芸能人は誰ですかって聞かれて、あんな風になりたいって答えるようなそういう感じ。その人はわたしにとって、最も身近にいる憧れの存在であり、学校で一番尊敬できる先生だった。でも、初めからそんな存在だったわけではなかった。
高校の頃のわたしはというと、そこそこクラスの中では目立つ、そんな存在だった。
この『そこそこ』が、クラスの中でどのくらいな位置のものかというと、真ん中よりはちょい上だけど、トップ集団というわけでもなく、かといって、そんなに中途半端でもない存在だった(自分で言っても分かりづらいかも)。
国を動かしてるお偉いさんの人が、中二階なんて言葉で流行語大賞にノミネートされていたけど、クラスにおけるわたしのポジションは、そんなおじ様たちのそれよりは立派な存在だったと思う。
わたしのクラスで授業中に発言するような人は、ホントに勉強の出来るメガネが似合った典型的な優等生タイプか、面白い解答や発言で、笑いと人気を取りにいこうとする男子がほとんどだったけど、わたしも時折、クラスのみんなが「おっ」と思わず唸るような発言をすることもあった。
それを例えるなら、サッカーで試合を決定付けるゴールを演出する一撃必殺のスルーパスみたいな威力があったらしく(真奈美談)、わたしの発言は、クラスの雰囲気を瞬時に変える決定的な効果があった。そのおかげもあってか、クラスでは一目置かれる存在であったことも事実だった(かといって出しゃばりもしなかった)。
だから、そんな人材は何もしないままだったらもったいないという勢力によって、わたしは学級委員に担ぎ出されて、クラスが進学クラスで三年間持ち上がりだったことも重なって、三年間ずっと学級委員になるはめになってしまった。それにはわたしのクラスの特別な事情もあったわけだけど。
――でも今のわたしから考えてみれば、最初は嫌々でやっていた学級委員に三年間なったことは、とってもプラスで幸運なことだった。のかも知れない。
わたしが今でも尊敬できる先生を初めて知ったのは、学級委員として何だかんだと職員室に出入りする機会が多くあったからだった。
その先生は、職員室のドアに一番近い場所に自分のテリトリーを持っており、職員室に行くたびに自然に顔を合わせる機会が多かったから、一年も後半のころには、
「何や、またお前か」
と、職員室のドアを開けるたび、一種の条件反射のように突っ込まれるまでに顔を覚えられるようになった。
もっとも、覚えられていたのは顔だけだった。一年近く通っていたのに、この先生がわたしの名前を呼んだことは一度もない。お前、お前、お前。まるで名字なんてこの世に存在しないみたいに。
でも、そのころのわたしは、その人が何を教えている先生なのか興味もなくて、その四〇代前半だろう先生には全く尊敬の欠片も抱いていなかった。逆に職員室で顔を合わせるたびに、必ず何か言ってくるから、ホントうっとうしい存在、ぐらいにしか思うことはなかった。
高校時代、わたしは年に軽く五〇回以上は職員室に通っていたと思う。別に髪をいじったとか、何か悪さをしたから行っていたというわけではなくて、これは一種、わたしのクラスの担任の自己満足であり、趣味によるものだった。
三年間わたしのクラスの担任だった蓬田は、四〇代という割には若く見える顔だったけど、それに反比例するかのように、服は同じスーツを何日も着まわしたりするなど、ダサさ極まるものだった。本人は面倒くさいだけだと強がっていたが、担任の服装に対する無頓着さには呆れると、クラスの皆の意見は一致しているところだった。
そんな蓬田は、ほぼ毎日クラスの二、三人を朝のショートホームルームの時間に指名しては、休み時間や放課後に職員室に呼んで、あれこれと話すのが好きな人だった。もちろんその行為に、ダサい格好同様、わたしたちクラスメートのほとんどがうんざりしていたのは言うまでもない。
それをわたしたちは、地獄の職員室・蓬田詣でと担任のいないところで呼んでいたし、そんな評判はきっと回りまわって蓬田の耳にも入っていたはずだった。
でも、蓬田は一向にそんな評判を気にすることもなく、いつも職員室では、当たり前のようにわたしたちには笑顔を振りまき、ついにその習慣を三年間やり通してしまったのだった。
まあ、高校生活も最後の一年くらいになると、こっちももうすっかり免疫が出来上がってしまっていて、蓬田の自己満足に完全な付き合いでやっていたようなものだった。
その蓬田の行為が始まったときには、まさか三年間も続くとはクラスメートの誰も想像していなかっただろう。もちろんわたしも。
卒業してから聞いた話だと、蓬田はもうずっと教師になってからその行為をやり通しているってことを、たまたま蓬田に習ったことがあるという大学の先輩から聞いた。
わたしは学級委員だったせいもあって、連絡事項があるからと他のクラスメートよりさらに蓬田詣での回数が多かったのだ(たぶんこれも三年間わたしが学級委員にされた理由に違いなかった。高校二年の時には、軽い生贄じゃないのかとさえ思ってしまったほどで)。
そんなわけで、わたしは年に五〇回以上は、職員室に足を運ぶことになっていた。
何だかわたしにとっては、高校で起きる出来事の全てが災いのように感じながら、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、高校一年目は過ぎていったと思う。
やっぱり二年になっても状況は現状維持のままで、わたしは相変わらず職員室に行くことが多かった。
いや、むしろ始まって一週間くらいは、状況は悪化していくのではないかと本気で悩み、感じたくらいだった。
それは、職員室のドア近くにテリトリーを持っているあの先生が原因だった。
一年のころは、何かと突っ込んでくる嫌なイメージでしかなかった先生が、世界史を教えている教師だと知ったのは、高二になったころだった。それはもちろん、高二になって世界史が新たな勉強科目として登場したからに他ならなかった。
さほど勉強が苦手なわけでもなかったわたしは、世界史を勉強することに少しワクワクしていた。何でもそうなんだけど、新番組や新製品など、わたしは新しいものにワクワクしてしまう単純なミーハーなのだ。わたしにとって世界史は新しく勉強するもので、ワクワクする対象だった。
でも、そんなワクワク感はすぐに吹き飛んで、思いっきりヘビー級のボクサーに殴られたような衝撃がわたしを襲うことになる。
初めての世界史の授業が始まる日、その日は朝から雨が降っていた。昨日までの快晴が嘘だったみたいに、雨は朝からずっと降っている。
チャイムが鳴って教室に向かってくる教師の窓に映ったシルエットに、わたしの不快感を感知するセンサーがすぐに反応した。
『ま、まずい!』
そう思ったときには手遅れで、あいつはすでに教壇の前に立っていた。かといって、わたしにはどうすることも出来なかったんだけど。
「何や、お前ここのクラスやったんか」
相変わらずの軽いのりで話しかけてきたあいつの目は、獲物を見つけた捕食者のように、一直線にわたしを捉えていた。
初めての授業の、しかも第一声がそれだったので、あいつの視線と同時に、クラス中の視線がわたしに集まっているのを否が応でも感じてしまう。
クモの巣に貼り付けられてしまった小動物のように、心の中でもがけばもがくほど、周りからの視線が、わたしをがんじがらめにしていき、逃れるべき場所をわたしには用意してくれなかった。
「先生、山下のこと知ってるんですか?」
「まあな」とあいつは、少しわざとらしく答えたように聞こえた。
たぶん、あいつに質問をしたのはクラス一のお調子者を自認している田中に違いない。好奇の視線がわたしの周りを相変わらず取り囲んでいて、わたしは少し首を動かすのですら億劫になってしまうありさまで、声でしかそれを確認することが出来なかった。
そこからが本番だった。わざと意味ありげなように、「まあな」と答えた目の前にいる憎むべき教師の発言で、すぐに教室の中がざわめき始める。
「もしかして、先生の愛人じゃねえの?」

