伊勢うどん大使のきっかけ
石原さんの中で、象徴的な「まえとあと」な出来事があれば教えてください!
石原
伊勢うどん大使の前と後でしょうか。
僕も石原さんのおかげで「伊勢うどん」をちゃんと知ったひとりですから。そういえば伊勢に行ったときも伊勢うどんを食べました。
石原
2012年に、ふと思い立って「伊勢うどん友の会」を作ったんですよ。コラムニストになったのが1993年だったので、だいたい20年経つか経たないかぐらいのときですね。伊勢うどん活動をはじめて、その後1年ぐらいで伊勢うどん大使にしてもらいました。でも最初始めたときは、大使になることなんて全く考えてないわけですよ。
伊勢うどんの応援は、関東であまりに「コシがない伊勢うどん」が虐げられている状況を何とかしたいと思ったのがきっかけです。「うどんはコシが命」という偏った決めつけが広まっていることへの反発もありました。いざ始めてみると、思った以上に世の中のコシ信仰は根強かったですね。
今もありますよね(笑)。
石原
これは本腰を入れて応援した方が面白いと思い、誰から頼まれたわけでもなく仕事でもないのに、先が見えない活動を手探りで始めました。いざやってみると、次々と思いがけない展開があったり、予想もしてなかった楽しさを味わったり、知らない世界を覗いて勉強になったりと、ワクワクすることの連続でした。それまでに経験したことのない感覚でしたね。
やっぱり「世界が広がった」という気持ちが、大使の前と後ではありますね。コラムニストを20年やってましたが、それまでも出版社で雑誌を作っていて、出版の世界のことしか知らないんですよね。で、『大人養成講座』や『大人力検定』がまあまあ話題になって、業界内では一応名前を知ってもらい、こういう本を書いてると言えば、読みましたよと言ってもらって、いい気になっていたわけですね(笑)。でも、それはしょせんコップの中の話だったんだと、別の世界の人と接することであらためてわかりました。
そのころfacebookも広まり始めていて、最初は「試しに」ぐらいの気持ちで「伊勢うどん友の会」というfacebookページを作って、とりあえず東京のこういうお店で伊勢うどんを食べましたとか、テレビに伊勢うどんが出てきましたといった「伊勢うどん情報」を書き込んでいました。でも、先がぜんぜん見えていなくても、やり続けているとそれなりに手応えみたいなのが感じられたり、次はこれをしたいとか、何とかなっていくもんですね。身をもって体験しました。
僕もそうですからね(笑)。
石原
ツブヤ大学も何をどうしようかって展望があったわけでは
全くないですね(笑)。
石原
でも大きなものに育ってきましたもんね。
本当にツブヤのおかげでいろんな人に知り合えてますし、おかげさまでよく思ってくれる人が多いので大変ありがたい感じです。
地元をより知るようになった
伊勢うどん伊勢うどんと言ってたおかげで、食べ物を取材する仕事が増えたり、伊勢うどんについて、いろんな公的な集まりや商工会議所で話したり。まさかそんなことになるとはって。聞いた方が満足かどうかは別として(笑)。
三重県についてはそれなりに詳しいつもりでいたんですけど、考えてみたら高校卒業後に地元で浪人して、そのあと埼玉の大学に来たので、三重県のことは実はほとんど知らなかったんですよ。伊勢うどんについて色々調べたり活動したり、応援したりしてるうちに、あらためて地元のことを知ることができました。
高校生の行動範囲や興味の範囲なんて知れてますからね。この4〜5年で初めて得た知識や初めて食べた三重の名物がいっぱいあります。
「こんなところもあるのか」と知って初めて行った場所もいっぱいあるし、伊勢神宮も遷宮が20年に1回という超基本の知識すらなかったですからね。
隣りの松阪市にいた子どものころは「伊勢で今年は何かやってるらしい」ぐらいの感じでした。そんなヤツが、伊勢神宮が発行している冊子や三重県庁がやってるサイトで記事を書かせてもらうことになるなんて、申し訳ないというか図々しいというか……。
でもいい話ですよね、それは。伊勢うどんを応援しようからそこまで行くのは。
石原
最初からそういう下心があったわけではないんですよね。伊勢うどん活動を始めた初期の頃、三重県が観光に力入れようと首都圏でパーティーを開いて、東京のメディアを招いたり、三重県からいっぱい要人が来たりする会があったんですけど、そこに潜り込んで名刺と友の会のチラシを配りまくりました。でも、今ここで知事とか市長とか地元の有力者と知り合いになっておけば、何か得があるんじゃないかと思ったわけじゃない。「誰だこいつ?」と怪訝な目で見られながら、伊勢うどんを応援してますって言いまくるのが楽しかったんです。久しぶりに何かに熱中した体験でしたね。
でも伊勢うどんの認知度も上がったような気もしていて。
石原
だとしたら嬉しいんですけど、僕が隅っこでごちゃごちゃやっていたこととはあんまり関係ないかな。認知度が上がったのは、テレビが伊勢神宮関係の番組を作るときに、必ず伊勢うどんを取り上げるようになったからだと思います。
かつては伊勢海老とかアワビ、松阪牛と高級食材を取り上げるのが定番だったけど、世の中が倹約志向になってきた。地方の知られざる味への興味も高まっています。安くて珍しくて美味しい伊勢うどんは、そんな流れにピッタリですから。
そうですね。手頃に食べれるんで。
ほかのうどんも愛おしくなってくる
石原
伊勢うどんに詳しくなって、お店の人にもいっぱい知り合いが出来て、伊勢の町や伊勢の人たちが伊勢うどんを大事に守ってきた雰囲気とか、製麺会社は製麺会社でそれぞれ熱い想いで伊勢うどんに向き合っていることも、肌で感じることができたわけです。そうなると、ほかのうどんのことも愛おしくなってくるんですよね。
超メジャーな讃岐も含めて、加須のうどんとか稲庭うどんとか武蔵野うどんとか、それぞれにそれぞれの歴史があり、守っている人がいる。伊勢うどんの延長線上で、そういう想像力が働くようになったのは思いがけない発見でした。うどんだけじゃなくて、どんな名物も同じですよね。
結局とっかかりがあると意外な展開がずっと続いたのは、石原さんのコラムニスト生活ももちろんあるでしょうし。そっちとうまく伊勢うどんがオーバーラップして。
石原
そうですね。最初はシャレ半分で「伊勢うどんは大人力が詰まったうどんだ」と、無理やり自分が今までやってきた大人と結びつけて語ったりしてましたけど、まんざら全くのでっち上げとも言えないところがあるんです。出版界でコラムニストとしてそれなりにやってきた20年があったから、こういう独特のうどんを応援してるんですよってことになれば、記事を書かしてくれる人もいたり、じゃあ取材に行ってルポを書いてみればみたいなことになった。
もちろん向こうは全くそんな気はないですが、伊勢うどん側も、コラムニストである僕を活用することができたわけです。伊勢うどんだけに特化した本も出してもらったし、これまで伊勢うどんだけでやってきたこととは違うことは、多少出来たと思います。
そうですね。今までのカテゴリじゃないところを開拓したというか。
石原
錯覚かもしれないけど、自分が役に立てたと思えるのは、僕にとっては嬉しいことですね。
石原さんを存じ上げてなかったら、伊勢うどんまで僕もたどり着いていないかもしれない。
石原
望月さんは望月さんで、伊勢うどんを僕に紹介されて食べたってことをあちこちで言ってくださってるわけですから。
不思議な体験でした。こういううどんもあるんだっていうのはやっぱり面白いですからね。
活動は次のフェーズへ?
石原
伊勢うどんも、もう8年ぐらい友の会をやって、正直この2〜3年はそんなに積極的には活動してないんですよ。呼ばれたら行く感じで。とはいえ、伊勢うどん大使を引退しますとか活動を休止しますとか、わざわざ宣言することでもない。お役に立てることがあるうちはやっていきますが、ちょっと伊勢うどん大使活動も次のフェーズに入った方が良いのかなと思ってますね。さらにお役に立つためにもというか。
ライターを長いあいだやってきたことを土台に、伊勢うどん大使としてやれることがあったのと同じように、伊勢うどん大使をそれなりに一生懸命やって経験したことを土台に、何かできることはないかなと思っています。うどん屋さんや製麺会社の社長さん、いろんな商売をやっている人、お役所や観光協会の人たちなど、今まで接点がなかった人たちともたくさん出会うこともできたし。
コロナ以降ぜんぜん三重に行けてないですけど、SNSなどを通じて、それぞれの人たちが何を考え、どう行動しているかは伝わってきました。なるほどなあ、出版やマスコミの世界は頭でっかちな理屈をこねるのが好きな人たちばっかりだけど、全然違う行動パターンだなと感心させられることがたくさんありました。
見える景色の変化みたいなことを活かして、今後の書く仕事にどう反映していくか。はたして反映できるのか。そんなことをコロナの自粛期間の間中に、ボーっと考えていましたね。まだボーっとしたままですけど。
大人気なさのデパート
いろんなところに出かけることが少なくなりましたか?
石原
この4月、5月はほとんど引きこもってましたね。取材も出来ないし、訪ねて行けないわけなんで。コロナがが落ち着いてからあらためてお願いしますとか言ってて、結局なかなか落ちつかなかったので、何もせずに一ヶ月過ぎたみたいな感じがありました。
石原さんはコラムも含めて、大人の態度的なものが多いじゃないですか。こういう状況になると、一番そういうものが明らかになってくるというか。
石原
ちょっと世の中がややこしい状況になると、日頃は隠している大人気なさがむき出しになる人が多いですよね。とくにSNSなんか、大人げなさのデパートみたいな感じになってます。
ほんとそうですよね。SNSって昔はご存知の通り牧歌的で、ある程度リテラシーなのか、大人力があるのかは分からないですけど、そういうものがある人がやっていた時代があった。今はもう殺伐としているところも一面であるじゃないですか。その中で日本人って文字は読めるじゃないですか? でも文章が読めないというか。
石原
行間を読めなかったり、書いた人の気持ちを読めなかったりする。この状況で、この流れでこれを書いているんだからっていう意図を読めないとか、いろいろ全然読めてないですよね。
あれって何でなんですかね?
SNSのまえとあと
石原
前と後で言うと、SNSの前と後ってあると思うんですよ。
SNSが出始めたころは、まだみんながSNS以前のスタンスで毎日を生きていて、でSNSにもその気遣いとか、相手の意図をくみ取ることを働かせながら、そのツールを使っていたので、今のSNSとは全く別物だったと思うんです。それが広まって、猫も杓子もバカも空気読めない人も独りよがりな人も悪意が服着て歩いているような人も、みんながSNSを使うようになった。
最初SNSは人々の温かさとか良い部分を集めたような場所だったんですが、今は悪い部分をわざわざより分けて集めていると思うんですね。
悪い部分をより分けて集めてて、それがそれなりの勢力を持っている。もっとも如実なのはTwitterでしょうか。フェイスブックも一部そうですけど、Twitterだと言いっぱなしの怒りっぱなしで、日々無駄なエネルギーがそこで消費されているわけです。昨日何に怒ったか覚えてないだろうって(笑)。あの怒りのエネルギーを発電に使えたら有益なのに、何の役にも立たず不愉快だけを広めている。
確かに(笑)
石原
そういう悪い部分を散々見せつけられてていると、もともと良い人だった人も疑い深くなるんですよね。
人を信じられるかどうか
石原
人を信じられなくなる傾向が強まったのは、SNSの前と後の違いだと思いますね。それは文章の世界にも影響を及ぼしていて、コラムを書くときも言い訳が多いんですよ。例えば彼女とデートしたみたいな話を書いた人がいたとして、今日は彼女がこんな料理を作ってくれたって話を書いたとしますよね。
かつては「良かったね」みたいな話なんですけど。そうやって書くときに、でも、いつも彼女が作るとは限らなくて、僕が作ることもあるけれども、今日はたまたま彼女の番だったみたいなことをいちいち書くんですよ。
なるほど。
石原
よそのカップルのどっちがご飯を作ろうが知ったことじゃないんですけど、それを書かないと、女性が作るのが当り前だと受け入れてるあなたはどうなんですか? みたいにいちゃもんつけてくる人がいるわけですよね。そういった目に見えない無数のいちゃもんを無意識で恐れている。恐れながらじゃないと文章を書けなくなった。それは人の文章を読んでてもそう思いますけど、自分が書くときも何でこんな鬱陶しいこと考えてるんだろうと思うんですよね。
何かそれは辛いですよね。
石原
Twitterに書き込んだとしても、これを変な意味に取られたらどうしようってことばかり気にしなきゃいけない。また実際に変な意味に取る人がいるんですよ。
ある程度バズった数字以上いくと、変なリプライがつくみたいなことがありますよね。
SNSで可視化されるもの
石原
かれこれ20年ぐらい前かな、まだネットが今よりのどかだった頃にデイリーポータルZの林雄司さんが、ゲストで来ていたある講座でこんな話をしてました。あそこはふざけたことばかりやってるわけですけど、記事が出た時、さっきの望月さんの話と同じで、たくさん見られるとバカが寄ってくると。いや、実際に「バカが寄ってくる」という表現だったかどうかは覚えてないけど、かつてオレンジカードっていう電車の切符を買うカードがありましたよね。それがよく駅の券売機の近くに落ちてた。落ちているカードには、残高が10円ぐらい残っているんですよ。
それを集めて切符を買えないかって記事を作ったんですって。面白いじゃないですか。ところが、記事が今でいうバズった状態になると、「それは窃盗ではないでしょうか?」とか「拾得物横領ではないでしょうか?」みたいなことを言ってくる人がいっぱい出てきた。うるさい引っ込んでろみたいな話ですよね。
もともとデイリーの記事を面白がって読んでくれていた人以外の、その他大勢の一見さんがいっぱい来ると、一定の確率でバカが混じってしまう。
Twitterを見ていて皮肉な意味でとても勉強になるのが、世の中には文章や相手の気持ちに対する読解力のない人が、こんなにもたくさんいるんだってこと。隙あらばマウンティングしようとしたり、隙あらば「賢い自分」をアピールしたり。バズったツイートがあると、絵に描いたようなクソリプやズレまくった俺様の意見を見るのが楽しみで(笑)。
どんなにイイ話で温かい美談でも、1万リツイートぐらいされたtweetを見ていると、必ず5つか6つはクソリプが付いてます。よくぞここまで悪意に解釈したり、人のいい気持ちに水を差したりできるなって感心します。
きっとそういう人は昔からいたと思うんですけど、SNSによって可視化されてしまいました。今まで見ないで済んでいた石の裏にくっついてる気持ち悪い虫が、しょっちゅう目の前に現われてくるみたいなもんですよね。
でもめっちゃその気持わかります。確かにソトコトの指出編集長ともこういう話をしていて、そこで思ったんですけど、明らかに今オンラインで取材できるほど、いろいろ技術が進んでいるじゃないですか。でもおかしなことに、明らかに文章を使うケースが多いですよね。すごくそれが皮肉に見えて。
石原
そうですね。
取材のあと
音声配信アプリ Stand.fmを使って、取材後のインタビューをしています。
[New]まえとあとのあと
コミュニケーションマスターなる本の登場
今回出版された石原さんの本「【超実用】好感度UPの言い方・伝え方 ホンネをやわらげる言い換えフレーズ652」ですが、基本的にメインどころはどんな話が中心なんですか?
石原
ひと言で言うと、さまざまな状況に応じた「角を立てないフレーズ」の実例がいっぱい載ってる本です。
ジャンルとしては頼む・断る・謝る・怒るなど10の章に分かれています。例えば「承知いたしました」って言葉は、相手に言われたことを承諾するときに使うわけですけど、ホンネとしては「ハイハイやればいいんでしょう」ぐらいのニュアンスだったりしますよね。そんなホンネを隠すために「承知いたしました」や「かしこまりました」という上辺の平和を保つ決まり文句があると言っても過言ではありません。
依頼を断るにしても、言い方を間違えると相手をムッとさせたりします。たとえば接待を持ちかけられた場合、ホンネとしては接待をして話を有利に進めようとしてもそうはいかないよと思っていたとしても、「弊社の規定でお受けできないんです」と返せば、穏やかに断ることができますよね。
なるほど。今求められているやつですね。
石原
(笑)。人間関係のトラブルが起きがちだとか、自分が嫌われてる気がするとか、どうもグループで浮いてしまうという人は、たいていの場合は使っている言葉に問題があるというのが、本の前提です。使う言葉を変えれば、つまり好感度アップの伝え方をすれば、人生も人間関係もうまくいく……はずです、たぶん。
今回の本を出すきっかけは何だったんですか?
石原
きっかけも何もずっとこんなことばっかやってるわけですので(笑)。最初にこの本のプロデュースと編集をしてくださった石黒謙吾さんと、大人の言い換え辞典を作ったら面白いんじゃないかと話してました。世の中にはいろんな言い換えがあるので、まとめた辞典を作ろうという中で、いろんな版元を石黒さんが探してくれた。
結局、いっそのこともっとベタにしようということで、「【超実用】好感度UPの言い方・伝え方 ホンネをやわらげる言い換えフレーズ652」として、ワン・パブリッシングから出版されました。何年か前には「大人の言葉の選び方」って本を出したことがあって、それは今回の本とは中に入っている言葉は違うんですけど、ほぼ同じ狙いなんです。
「大人の言葉の選び方」はそこそこ売れたんで、そういった言葉の使い方に悩んでいる人は多いと思います。
新たに流通の仕組みを知ることが出来た
石原
じつは、今回の本の8割はセブンイレブンに並ぶんですよ。
しかも、コンビニの中でもセブンイレブンにしかこの本は置かれない。残りの2割はネット書店と大手書店の一部に置かれるぐらいなんです。本当にセブンイレブンのための本なんですけど、そういう別の流通の仕組みがあって、全国にはセブンイレブンのほうが本屋さんよりもたくさんあるので、部数的にはたくさん刷ってくれるんですよ。
本として広く届ける意味では、それも面白いなと思いました。今回は流通の新しい仕組みを知ったという意味でも勉強になりました。
そうなんですね。確かに地方はコンビニのほうが圧倒的に多いですよね。
石原
昔からのおばあさんがやってるような駅前の本屋さんはもう絶滅しましたからね。
素直に謝ることが出来ない大人たち
石原
今回の本は、自分はとっさの時にうまいことが言えないとか、あの時は言えば良かったんじゃないかとか、つい断れなくて貧乏くじばっか引いてるとか、そういう悩みを持ってる人に読んでもらいたいです。
僕も読まないといけないかもしれないです(笑)。
石原
そうなんですね。
特に今のこの世の中の風潮も含めて困ること多いですよね。
石原
言いたいことをストレートに伝えることが、とってもいけないことのように思われてると思うんですよね。はっきり言ったほうがよっぽど早いときもあるのに。それをどう回りくどく言うかみたいなことをしなきゃいけないというプレッシャーがあるのかもしれない。考えれば考えるほど、何も言えなくなっちゃう。
はい。無駄に敬語にしようとして失敗することってありますよね。
石原
そうですね。「させていただきます」の連発になっちゃう。実際に使えるかどうか、なかなか最適なフレーズがすぐには出てこないと思いますけど、こういう言い方もあるんだって知っておくと、何かほっとできる部分もあると思います。
さっきも考えていたんですが、世の中一番良くないのは、知っているようで実際は何も知らない人がいろんなことを言うことだと思ってます。だからソクラテスの時代から人間はやっぱり変わらず、ソクラテスが言う「無知の知」は確かにそうだと思ったんです。知らないことがあることを知ることが大事だって話は、結局人間ってそこら辺はどういうツールが出てきても変わらないですよね。
石原
Twitterだとね、知ったかぶり野郎ばっかりですから(笑)。
結局いろんな今の事象で、「何でもかんでも、やめろ・やめろ・やめろ」になっちゃった結果、何にも出来ないことになる。最終的には強引なやり方で進めていく海外勢に全部先を越されますよね。
石原
こういうところが問題だと言って、あら捜しばっかりしてるところですよね。全体はよく知らないけど、遠慮なく非難できる部分を探してきて、そこで知ったかぶりしてることだと思います。Twitterを見ていてもうひとつ思うのは、自分の間違いを認めるのは人は苦手なんだなってことです。
それは自分も含めてなんですけど。何か反論されたときに、自分が素直に認めるかと言ったら、やっぱり何か言い訳を探すんですよね。批判されている人の返しを見てると、この反論は無理があるだろうってことを熱弁してたりしますからね。
結局最初にちゃんと謝っていたほうが良かったパターンがよくありますよね。
コミュニケーションスキルをアップすることは、パソコンのショートカットを会得するようなもの
コミュニケーションってすごく難しいんだってことも言いたいし、で逆にそんなに難しくないことも同時に言いたいんですよ。
石原
わかります。ほんのちょっとコツを知ってるか知らないかによって変わってくる。人の話を聞くときでも、何か頼みごとをするときでも、「これをやってください」といきなり言うよりも、「忙しいところすみませんけど」と言えばいいだけのところを省略する人がいっぱいいますよね。
ほんのちょっとしたことで印象も変わるし、相手の受け止め方も変わることは、その人の人格が問題じゃなくて、言葉の技術の問題だと思うんですよね。テクニック的なことでカバーできる部分は、パソコンのショートカットキーみたいなもんですから知ってたほうがいいと思うんですよ。
パソコンのショートカットキーみたいなものってフレーズは分かりやすくていいですね。それは確かにそうですよね。知ってるか知っていないかの差って、意外と大きいですよね。じわじわ後から効いてくるじゃないですけど、その積み重ねた時間分だけ損したりしますし。
石原
そうですね。自分がもったいないコミュニケーションをしてることに気づいてない人がいっぱいいると思うんですよね。そこに気づいて反省してもらえれたらうれしいですね。反省っていうと自分を否定することになるけど、こうした方が何か得だなと思ってもらえばいいと思うんですよ。
いま思ったんですけど、その本のネット作法に特化した版で続編が作れそうですね。
石原
そうですね。この本はわりと欲張って、メールやSNSやらあとオンライン会議やら、それも全部入ってるんです。
ネットでやらかしてしまう人が多いのが、すごくもったいないですよね。
石原
SNSを見てても、Twitterはどうせ匿名同士でやってるんだから勝手にやってくれればいいけど、facebookでもったいないことをしてる人もいっぱいいますからね。「うわー、面倒くさそうな人だな」っていう印象を無駄に振りまいている。
マリー・アントワネットになっていないか?
石原
でも最初に望月さんがおっしゃった知ったかぶりみたい話は、コミュニケーションにもつながると思うんです。自分はちゃんと喋れてるとか、自分は別に人を不快にさせるような言い方はしてないと大概の人は思ってる。だけど、必ずしもそうでもないですよね。
そうですね。誰かがTwitterに書いてたんですけど、「相手にこれは不快だからやめた方がいいという人は、自分はそのコメントで不快にさせるつもりではない感じで言ってるのが怖い」と書いてあってまさにその通りだなと思って。
石原
相手を傷つけようと思って書いてるつもりも、じつはないんですよね。
みんなそうですよね。でもたまにそういう人もいますけど(笑)。
石原
ちょっと前に生理ナプキンの話題が盛り上がりましたが、貧困が原因で生理用品が買えない子がいるからどうにかしようって話なんですが、そこに布ナプキンを使えばいいって言い出したおっさんがいっぱいいたわけですよね。おっさんだけじゃないけど。
まさにマリー・アントワネットの世界ですよね。
石原
そうです。そういう問題じゃないんだって。でも、そういう人も善意で言ってる人なんですよね。
結局だから昔から人間変わんないんですよね。マリー・アントワネットのケーキの話も善意じゃないですか。布ナプキンの話と構図が一緒ですよね。
石原
問題はそこじゃないのにね。たぶん善意で言ってる人は、そういうことじゃないんですって言われてもピンとこないんですよ。
本当にマリー・アントワネットの時代と変わらない(笑)。
石原
マリー・アントワネットはそんなこと言ってないという説もありますけど、その手の食い違ったやりとりが日々繰り返されてますね。
まるでシリアスなアンジャッシュのコントですよね。コミュニケーションを円滑に取る意味で、ある種ショートカットキー的なテクニックもすごく大事ですし、あとはどれだけ相手のバックグラウンドを、なかなか難しい部分もありますけど、理解できるか。この二本立てで行くと、だいぶ丸く収まるでしょうね。
石原
あとコミュニケーションって、自分が伝えたいことをスムーズに伝えるだけじゃなくて、相手が間違ったコミュニケーションの取り方をしてきたときに、無駄に傷つかないことも大事だと思うんですよね。
いちいち悪意に取ったり、あの人はどういう意味で言ったんだろうってクヨクヨ悩んだりするのも、コミュニケーションにおけるバグみたいなもんだと思うんです。
僕もそういうことが多かったんで、今はまだマシかな(笑)。でもメッセージって音がないんで、どうしても文字から読み取るニュアンスだけで見ると、やっぱり気分によって変わるってことは大きいですよね。能面みたくすべてに対して玉虫色にちゃんと解答できるような文章なんてないですから。
石原
向こうはシンプルに用件だけを伝えたつもりかもしれないけど、「あ、怒らせちゃったかな」みたいに、いろいろ考えちゃいますよね。だから文字だけのやり取りが増えた分、より過剰に深読みしがちな世の中ではあると思うんですよ。だからそこでコミュニケーションに対する苦手意識とか、コミュニケーションが怖いとか、そう感じる人が増えている傾向もありそうですね。
コミュニケーションスキルという新しいアプリをインストールしてほしい
さっきショートカットキーの例えを口からでまかせで言いましたが、ショートカットキーに絡めて言うと、この本を読むのは、新しいアプリをインストールするようなものという言い方もできそうです。
本当にそうだと思います。
石原
ボキャブラリーを増やすアプリをインストールするという意味もあるけど、新しいパターンや別の考え方をベースにしたコミュニケーションができるアプリという一面もあるといいなと思いますね。
Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi