価値観が変わったまえとあと

望月大作
まえとあと編集人

いつもの記事よりは少ない文字数で、編集人がときおり綴るコラムをはじめました。最近感じていることを中心に不定期でお届けします。

Profile

望月大作
同志社大学大学院修了。修士論文のテーマは「ガンダム」。さまざまな企業に勤める傍ら、十数年前にソーシャル系大学、「ツブヤ大学」を立ち上げる。直近ではWebメディア「十中八九」の編集長を退任後、Webマガジン「まえとあと」を立ち上げ、編集人となる。所持する資格は車の免許以外に、漢字能力検定2級/歴史能力検定世界史2級/知識検定1級。
漢字能力検定:https://www.kanken.or.jp/
歴史能力検定:http://www.rekiken.gr.jp/
知識検定:https://www.kentei-uketsuke.com/knowledge/

Index

SNSで変わった自分の価値観

僕の価値観が変わったのは、SNSのおかげだ。とも言える。20代の自分は圧倒的に正義感めいたものを持っていた。明らかに自分の”正しさ”みたいなものを持っていたと思う。何であの人はあんな態度になるんだろう、とか何であんな主義に陥るんだろうとか。自分が正しいベクトルの上にいるんだろうって”不確かな確かさ”の上にいた。

それがそうではないと思うようになったのは、手放すってことを憶えたからだった。それまでは確実に手に入れたものは全て手放したくない症候群のなかにいた。きっとそれがどんどんと抱え込む性格に拍車を抱えていたのかもしれない。結果的にそれはよくわからない不確かな正しいと思ってしまうベクトルを生んでいたんだと思う。

20代のころはSNSというツールのおかげもあって、会えるだけ多くの人に会っていた。年に300人以上は会っていたように思う。もちろんいい出会いが多かった。SNSがなければ出会っていない人のほうが多いと思う。もしなかったら今ごろ自分は今よりもっと平々凡々な日々を送っていたに違いない。それは断言できる。会社と家の往復だけで何十年を無駄にしていたかもしれない。

最近少し考える時間が多すぎるのかもしれないけど、幸せってなんだろうってことを考える。仕事をして子が生まれ、育て上げる。それが確固たる幸せなのかどうかってことは、たぶん誰にもわからない。その生活にフラストレーションが溜まれば、それはその人にとっては幸せとは言えない。

30代に入って気づいたこと

30代に入って気付いたことは、必ずしも正しいだったり幸せなのはこれなのだってベクトルは存在しないことだった。こうすれば必ず幸せになる、とか、こうすれば必ず収入が増えるみたいなものを人は探しがちだけど、そんなものは霧でしかないし、虹みたいなもので幻想でしかない。

そう考え始めると、答えがないことに気付いた。ともすると、自分の価値観のベクトルは、あくまで自分がたまたまその方向のベクトルを持っているだけなんだって発想に変わっていった。そこでようやく無理に違うベクトルを持つ人たちと無理にSNSでつながることを止めた。

だから結果的には無理をしていたのかもしれない。25を越えてから初めての一人暮らし。全く土地勘のないところでの生活。何とかしてしがみつかないといけないような雰囲気がそこにはあった。そうすると、全て手に入れたものは手放してはいけないような気がしていた。

もちろん確固たるきっかけがあったわけではないけど、いろんなものを手放すようになった結果、比例して心持ちが軽くなったことは覚えている。そういう意味でも無理をしていたのは明らかだった。

よくよく考えると、違うベクトルに向かっている人たちを同じベクトルに変えようとする行為は、通常より余計に力を入れなければならない。そうすると、その行為自体が人質をとって立てこもる犯人に投稿を呼びかけているようなもので、自らの精神的にもしんどい。

さらには正義感といわれるものは、ある人の信条・思想のなかで持っておきたい確固たるまっすぐな意思でしかない。立場やシチュエーションが変われば、やはり自分たちの思考方法は変わってしまう。絶対に変わらないっていう人ほど自分がそうなっていることに気づかない場合もある。

たとえその某が確固たる意思をずっと持っていたとしても、人間は環境に準じる存在であるため、外圧的な同調圧力と相まって、そのひとの置かれている環境に調整されていってしまう。そうなっている。だから自分がその環境を変えるよりも、自分が環境を変えたほうが効果的だといえる。

環境を変えると、僕にも何らかのプラスは確かにあった

自分の経験則からすると、これだけ環境を変えると、逆に普遍的なものが自分のなかにあるんじゃないかと思えるから不思議だ。ただ自分でも思うのは、やはり環境を変えることでいろんな新しいことが起きていった。新しい出会いや経験も増えた。そして同じ環境にずっといると人間成長が難しいことも痛切に感じた。もちろんどんどんと歳は重ねていくけれど、新しい価値観や関係性を構築していくことはプラスに働くこともしった。

だからそういう意味で、SNSの存在は僕自身にとって非常に大きなものだ。猪突猛進的に進んだ20代から、30代にかけてSNSでは妄信的な正義を突き進む人たちを見た。それも自分が一元的な勧善懲悪的な正義は存在しないことを確信するに至った。

いろんな側面を感じ取れるようになった。それがもしかすると多様性というのかもしれない。

いま「まえとあと」でも取材をするけれど、似たニュアンスをインタビューをしていると感じることが多く、それがいま本当に個人的にも勉強になっている部分も多い。

もちろんそれがどれだけ、記事を見るひとたちに伝わっているかは、僕自身の編集スキル次第なので、意図するところまでは伝わっていない可能性もなくはない。

だからこそ、ずっと積み重ねていくことで、伝えたい普遍的な感覚を、感じ取ってもらいたい。

はじまって、半年が経過しました。

コラムを書いたあと

今回のStand.fmは、編集人望月のひとり語り。

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi