人間の弱さに気づいたまえとあと / 宮崎智之

  • 宮崎智之フリーライター

写真:平林克己
聞き手/編集/執筆:望月大作

目次

  • アルコールをやめたまえとあと
  • 心が壊れる音をリアルで聴いた
  • 子どもと犬といる時間が楽しい
  • いま第一歩をしっかり踏み出した
  • 取材のあと
  • アルコールをやめたまえとあと

    まず、「まえとあと」の話で大きかったのは、34歳でアルコールをやめたことです。4年8カ月ほど断酒しています。その経緯はいろいろなメディアにもう書いているので、ここでは簡単に言いますが、仕事のストレスもあったし、なかなか成長できない自分への焦りがあり、もっともっと強くならなきゃって思いが、30代前半まではあったんですね。

    そんなストレスや焦りを誤魔化すように、あるときからお酒の量が常軌を逸するようになったっていった。ただの酒飲みではなく、高揚感、テンションを上げたいみたいな動機で、飲み始めてしまった時期があった。当時、前の妻とはすれ違いが続いていて、30歳のときに離婚したんですね。アルコールによって妻との生活から目を逸したというか、妻に向き合うことをしなかったことが、離婚の原因の一つとしてなかったかと言ったらあったと思う。

    自分の夢だった文章を書く仕事に就いて、望月さんもそこら辺のころ一緒にいたから分かると思うけど、もがいて、何とか自分をすごく見せようとしていた時期でした。ちょうどSNSが当たり前になっていった時代でもあり、「目立たなくちゃ!」みたいな雰囲気があったなかで、ガンガンとガソリンみたいに酒を飲んで、自分を奮い立たせてました。

    離婚した少し後かな。31か32歳ぐらいのときに朝から飲むようになった。当時編プロに勤めていて、朝7時に起きて、それこそストロングみたいな強めのお酒をガッと飲んで、ちょっと酔っ払ってフワフワして、また寝てパッと10時ぐらいに起きる。シャワーを浴びて、酒飲んでいたのを誤魔化して出社するみたいな。そんなことやっていたら急性膵炎で入院しました。最初はなかなか病院で膵炎と診断されなくて、最終的に膵炎と診断されて緊急入院したんだけど、その時に「酒は止めなさい」と言われた。それで実際止めたんですよ。

    でもアルコール依存症あるあるなんですけど、1カ月くらい止めると、「自分は依存症じゃない」と人はしばしば言いだすんですよね。「1か月もやめられたんだから」と。でもタバコで考えてみるとわかりやすいと思いますが、それはよく考えたらおかしいですよね。「1カ月も吸わなかったから、また吸っても大丈夫」ってわけにはいかないじゃないですか。

    でも認知が歪んじゃっていて、はじめは2週間に1度、そして1週間に1度、週末だけと経っていくうちに、また元の飲み方に戻ってしまった。そしてちょうど今の妻と出会った頃に、2回目の入院をして。そのとき本当にもうお酒をやめなくてはいけなくなりました。

    急性膵炎は、決してあまく見てはいけない病気なんです。そして、僕は同時にアルコール依存症でもあったから、お酒をやめない限りは、いつまた再発するかわからない。その時、まだ34歳でしたから、さすがにこんな早く死にたくないと思い、断酒を決意しました。

    望月

    お酒でよく言われる肝臓は平気だったの?

    宮崎

    肝臓は意外と平気でした。と思う。たぶん。数値は悪かったけど、その後は特に引っかかっていません。

    平林

    今は一滴も飲まないんですか?

    宮崎

    飲みません。もともとうちの父方の家系は、アルコール依存症で亡くなることが多いんですよ。依存症になった人はみんな40代で亡くなってる。だから父から「酒を飲むなとは言わないけど、うちはとにかく依存症になる人が多いから程々にしろ」と昔から口酸っぱく言われてたんだけど、それを守らないで、飲んでました。

    平林

    お父さんは飲むんですか?

    宮崎

    父は週1回に飲むか飲まないかくらいでしたね。つまり父は気をつけていたんだけど、そんな父も結局71歳で亡くなってしまって。

    数年間で離婚・アルコール依存症・父の死があって、それまでの考え方が変わっていきました。僕は父とすごく仲が良かった。僕も父も野球が大好きで、WBCがあるたびに、僕がチケットを取り、毎回二人で東京ドームに行ってました。あと、父は文学も大好きなので、実家に帰るたびに文学談義をしたり、昔から友だちみたいだった。

    父が亡くなったのは、一番忙しい、初めて自分の企画で単著を出す前だったし、いろいろ心配をかけたから、父に立派な自分の姿を見せるのが親孝行で、父もそう思っているはずだと思っていた。でももっともっと父の痛みに寄り添ってあげればよかった。父の死に目に関して後悔が残ってます。

    心が壊れる音をリアルで聴いた

    そんな経験を経て、人間の弱さに気づいたんですよ。離婚してから酒量はさらに増え、心身の不調が出るようになっていた。自分は体は弱いけど、メンタルは強いやつだと思ってたんです。でもそれがガタガタガタと崩れた。心が壊れる音をリアルで聴いたんです。

    そういうことは知識では知っていたけど、まさか自分にそういうことが起こるとは想定してなかった。父が亡くなる直前、あれだけ聡明だった父が徐々に崩れていく過程も見ました。

    人間は弱いし、壊れやすいし間違うことに気づいたんですね。今まで理性や知性を発揮すれば、だいたい乗り越えられると思っていたんですよ。そんなに頭が良いほうではないけど、とりあえず努力で何とかいけるだろうと。でも世の中のには、そうじゃないもののほうがもしかしたら多いんじゃないかと。ダメとわかっていてもやってしまうことや、理性で了解してもどうしてもやってしまうような人間の愚かさがあると気づき、いろいろ考えました。

    僕は昔だったら、自己責任論みたいな方向性にコミットするタイプの人間だったかもしれない。それが新刊「平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命」(幻冬舎)を書いた動機の一つで、人間の弱さや脆さ、父から「宮崎家の男は酒を飲むと40代を跨げない」と散々言われてたのに、それをやらなかった愚かさ。仮にタイムマシンに乗って、今の僕がかつての僕自身を「お酒は控えたほうがいい」と説得しに行ったとしても説得できる自信がないんです。

    それって人類普遍にある問題で、親はいつでも勉強しろと言うけど、勉強しろと言って子どもが本当に勉強するようになったら、人類の進歩は超速くなると思う(笑)。でも、実際にはそう上手くはいかない。あくまで一例ですが、そういう人間像を持つようになりました。

    子どもと犬といる時間が楽しい

    父が亡くなった時、僕は35歳と7カ月でした。そして父が僕を授かった年齢は、36歳だった。ただの偶然なんだけど、父が亡くなったとき、父が僕を授かった年齢と僕の年齢が一緒だったのが、個人的にはすごく不思議だったんですよね。「35歳問題」というのが、村上春樹の短編小説をきっかけにして存在するんですけど、この話は、35歳を人生の折り返し地点にする、という考え方。

    父が僕を授かった年齢と、父が亡くなった時の僕の年齢が一緒だと言うことは、仮に僕が父と同じだけ生きるとしたら、ちょうど「折り返し地点」をターンするタイミングであり、人生の半分を終えたことになります。父がいない36年間を、僕を授かってからの父と同じ長さの人生を、これから歩んでいくことになる、と思いました。

    なんというか、もともと僕はそういうものに対して、積極的に意味を見出すタイプではなかったんです。「まえあと」で言えば「まえ」にはなかったことですから、「あと」になってから初めて抱いた感情であり、自分の中で微かな変化を感じた部分でもあります。

    出産に関しては、妻はもともと会社員のイラストレーター/デザイナーで、フリーでもできる仕事だったこと、まずは妊活と育児に専念したいという思いが妻に強かったことを考慮して、二人で話し合った結果、妻は一回会社を辞めました。僕が37歳のときに妻の妊娠が分かり、喜びと不安がないまぜになるなか、大阪出身の妻のお姉さんが里帰り出産で産んだ病院があるから、わかりやすいし安全だし、妻のお父さんとお母さんも家にいるからいいだろうということになり、出産のタイミングで里帰りするために病院を予約しました。

    しかし、出産を控えた2020年の年明けくらいから新型コロナウイルスの問題が出てきました。出産予定は5月だったので、当初は妻が3月に実家に帰って、僕も仕事の様子をみながらリモートでできる仕事はリモートにし、妻の大阪の実家に愛犬と一緒にお邪魔する予定でした。ちょうど2020年12月に出版した新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)の執筆時期でしたし、どうしても東京にいなければいけない仕事がある時以外は大阪にいて、臨月と出産、産後時を一緒に過ごすはずでした。

    ところが、ご存知のように状況が一変しました。里帰り出産せずに東京で産むのか、妻の実家は大阪といっても郊外なので、今住んでいる場所よりリスクが少ないだろうから、やっぱり大阪に帰るべきか。でも、妻の親も親戚も高齢だし、自分たちが大阪に行くことによって感染リスクは高まるのではないか。などなど、そういった迷いや逡巡が溢れかえり、身動きが取れなくなってしまった。

    結局、妻は外出自粛要請が出る少し前に大阪に帰り、予定通りの病院で出産しました。当時は本当に世の中がどうなるかわからなかったから、海外でロックダウンが行われているなか、仕事がある僕は愛犬と東京に残り、出産前も出産後も離れ離れになってしまった。妻が東京に戻って来られたのは、7月になってからのことでした。

    望月

    大阪には行かなかったんですか?

    宮崎

    それが、もう一つの問題としてありました。初めての子どもですから、当然、僕は早く妻と合流したいし、妻も僕に子どもを見せたがっている。でも、「不要不急」と言われてしまえば、そうかもしれないと思う。いろいろ考え、対策を練った結果、出産から1か月以上してから僕が大阪に行き、短期間、一緒に過ごすことができました。今は東京で一緒に暮らしています。

    望月

    一緒に生活する前と後では違う?

    宮崎

    はい。子どもができると、テンポよく健康な生活をしないといけないし、ずっとフリーランスで仕事日と休日の境目もないままダラダラと仕事をしていたので、子どもの誕生を機に仕事、生活スタイルを見直そう、と思いつつも、まだ完全には達成できていないでいます。

    望月

    子どもが生まれると、やっぱり子どもに合わせた生活になるよね?

    宮崎

    それはそうですね。夜泣きはするし、ほかにもいろいろ大変なことはあります。一時期は、子どもを20、21時くらいに寝かしつけて、そのまま疲れて僕たち夫婦も寝てしまう。そして、また夜泣きで起こされるなんて生活をしていましたけど、最近では夜泣きも減り、子どもを寝付かせたあとに自分の時間を持つこともできています。それに、僕が今は仕事を家でやっていて二人で見れているので、他のご家庭よりはラクだと思っています。子どもは可愛いですしね。姪っ子が赤ちゃんの時、可愛がって世話していたことを思い出しました。

    望月

    意外と子煩悩なんですね?

    宮崎

    う〜ん。子煩悩というか……。どうだろう。でも、言われてみれば、たしかにうちの父はすごく子煩悩で、僕が小学校の時、近くの公園で友達とドッジボールしていると、よく父が現れてゲームに加わっていましたからね(笑)。僕は専門家じゃないから分からないけど、もし「子ども好き」に個人差があるとしたら、好きなほうではあるような気はしています。でもごめんなさい。これは僕が勝手に思っているだけなので、一概には言えないと思います。

    望月

    環境もあるしね。

    宮崎

    はい。あと、やっぱり産まれてからすぐに会えなかったということもあり、なるべく一緒にいる時間を確保したいという思いが今は強いです。もちろん、育児は楽しいことばかりではなく、たかだかまだ数ヶ月やった程度の感想なので、これから大変なことがたくさん出てくることはわかっています。でも、少なくとも今は、「いかに子どもとの時間を取るために仕事に集中するか」みたいな感じになってる。愛犬との時間もなるべく作りたいですし。

    望月

    子どものために仕事を効率化するのは、よく言われる話だもんね。

    宮崎

    あくまで現時点の僕の感覚ですが、たとえば神様から、時間も場所もお金の制約もなく、一週間、何でもやっていい、何でもできる、すべてのことができるよ、何がしたい?と聞かれたら、「子どもと犬とゆっくりした時間を過ごしたい」と言うと思います。妻を休ませてあげたいし、今しか味わえない楽しさや苦労を、もっともっと全身で浴びて暮らしたいです。

    望月

    以前の宮崎くんのイメージが、執筆の鬼みたいな感じだったから、すごく今回は意外な話が聴けたような気がします。

    宮崎

    いや、僕はそんな上等な人間じゃないですよ。それにあくまで僕視点で話しているだけですから、妻からすれば、まったく違うということになるかもしれない(笑)

    いま第一歩をしっかり踏み出した

    でも、生活をやらないと執筆なんて出来ないですよ。特に僕は学者さん、研究者さんじゃないし、ライターでしょ。もっと言うと売文屋。「文を売るのが仕事である」となったときに、歴史の積み重ねみたいなものも意識しつつ、やっぱり一番豊富な源泉になるのは日常生活です。日常生活を疎かにして、クリエイティブなことは僕にはできない。生活をしないとダメなんですよ。だから酒に溺れているときに良い文章を書けなかったのは当たり前。だって生活してなかったから。頭がそんな良くないくせに、頭の中でいろんなものをフル回転させていた、背伸びして難し言葉を使おうとしていた時期もあった。もちろん今考えるとすごくためなったこともあるんだけど、やっぱり日常を生き、かつ人とは違う目線も大切にする。そのために日常生活に目を凝らしてみる。そこで実感したことを大切にし、迷った時には先人の本を読んだり、取材してみたりする。そうしないと文章は書けないと思いますね。

    望月

    それが気づきってことだよね?

    宮崎

    はい。まえとあと。さっき子どもが可愛いし、できる限りコミットしたいと言ったけど、もちろんそんな甘いもんじゃないと言うのも知ってる。今はまだバブーバブーみたいな感じですからね。動きだしたり喋りだしたり、イヤイヤ期、反抗期になったり、その他もろもろそんな甘っちょろいことを言ってられなくなることも知ってるけど、そういう課題にきちんと向き合っていくことが生活ですよね。生活に主体的に参加しないで、どうやって文章を書けるのかが分からない。思わないですか? ぼーっとしていて頭の中から何か出てきます? 

    望月

    以前の印象とはだいぶ違うから、すごくいいね。

    宮崎

    昔からそう思っていたんだけど、どうしても若い頃はもう少し血気盛んというか、「やったるぜ!」みたいなイキリがありました。でも、僕はそういう強力な熱を放ち続けて、文章を書いていくタイプではないことにアルコールをやめた前後で確信しました。

    家事も含め日常生活で起こる出来事のなかにも、いろいろな発見がある。そして、しっかりと生活をして、そこから得た実感から、大きな広い世界まで想像力を伸ばすことができる。生活にこだわることは退屈なのことでも、俗っぽくてとるに足らないことでもなく創造的な営みなんです。

    もちろんそこから大きな社会とか政治につなげていきたいんだけど、まずは身の回りのこと、家族、望月さんたちみたいな友達、仕事でお世話になっている人。そういう側面を徹底的に見る・聞く・感じることを、まだやってなかったなと思って。今ある範囲の中でも、もっともっとよーく見れば書けることがあるはずなんですよね。僕の感覚ではその原資をまだ三分の一も使ってないような感じがして。

    今にまであったこと、これから起こること、それは楽しいことばかりではないかもしれないけど、そこ向き合うことが第一歩。僕の人生を振り返ってみたときに、その第一歩の階段のところでいつも躓いてきた。そりゃ上に行けないわ。今さらですけど、第一歩をしっかり踏み出すところからやり直している感覚です。

    コロナのまえとあと / 竹中功

    取材のあと

    音声配信アプリ Stand.fmを使って、取材後のインタビューをしています。

    Profile

    宮崎智之

    1982年生まれ、東京都出身。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
    Twitter:@miyazakid