はじまりとおわりと、まえとあと

望月大作
まえとあと 編集人

NPO法人としてのツブヤ大学を終えようと考えたのは、2020年のことだった。
Twitterで仮想行政区として「粒谷区」が話題になったとき、ちょっと思いつきで「粒谷区」の大学として「ツブヤ大学」をつぶやいてから、もう10年以上が経過していた。

Profile

望月大作
同志社大学大学院修了。修士論文のテーマは「ガンダム」。さまざまな企業に勤める傍ら、十数年前にソーシャル系大学、「ツブヤ大学」を立ち上げる。直近ではWebメディア「十中八九」の編集長を退任後、Webマガジン「まえとあと」を立ち上げ、編集人となる。所持する資格は車の免許以外に、漢字能力検定2級/歴史能力検定世界史2級/知識検定1級。

Index

ツブヤ大学ことはじめ

ツブヤ大学を立ち上げた当時は、折しもUstreamも話題になっていたころ、あのころネット環境さえあればどうにかなる。と思っていた。それぐらいの思いつきでツブヤ大学をはじめた。はじめた本人がそう書いているので事実だ。

本当にあのころは知らないことばかりだったことが幸いして、一心不乱にものごとを進めていたようにも思える。今よりも行動力があったんじゃないか、とさえ思うぐらい行動していた。

NPO法人にしようと考えたのも、本当に偶然で元手がないなかでスモールスタートで始めるならばNPO法人が良いだろうと考えた結果だった。

NPO法人を作るには10人の社員(株主みたいなもの)が必要で、そのなかで理事3名+監事1名を選出して成立する。さらには所管官庁とのやり取りを通して書類を固めて、登記して成立する。

僕が個人的にラッキーだと思うのは、事務所類を作ることが意外と好きなことだった。始まってから以降、税務署類に関しては本当に懇意で確認してもらう機会にも恵まれたが、それ以外の書類については基本的にすべて自分で作成していた。

横浜はいろんなところに書類を提出する必要があるため、本当に半日仕事になる。オンラインで申請すればいいやん話もあるけれど、そのオンラインに申請するまでが非常に面倒なのがこの手の仕組だったりもする。

なぜNPO法人を閉じる決断をしたのか

2020年にNPO法人を閉じようと決断したのは、何もしなくても法人住民税が発生すること、そしてコロナ禍が災いして、メインだったイベントごとがほとんど出来なかったことがあった。1年で収束していればまだ続ける余地があったものの、まだまだ予測できないとあって、本格的に検討をはじめた。今までツブヤ大学に関わってくれた人たちには、個別に連絡を取り、考えを伝え、了承を得て、そして閉じる作業を粛々と行った。

ほぼ変わらないメンバーでNPO法人は続けていたけれど、10年以上も経つと関係性も変わってくる。いろんな条件が重なって、2021年閉じるならここだった。

これ以上伸ばすとだらだらと続けていく可能性もあり、それはそもそも続けることが目的になってしまい、NPOとしてのあり方として「?」だったので、そこは閉じる決断をしてよかった。

NPO法人として活動するなか、多くの方と触れ合うなかで、本当にいろんな勉強をし、自分自身で出来ること、企画すること、実行することの幅が増えた。つまり企画する母体がNPO法人である必要性が必ずしもあるのか?ということも大きかった。

NPO法人は大変。自分で書類を一から作ったから本当にそう思う。軽々しくできるものでもない。そして閉じることも大変。「清算法人」という名詞も初めて知ったし、清算結了という言葉も初めて知った。でも、それをひとつひとつ消し込んでいくしかない。いまの時代で良かったと感じることは、有益な情報が公開されていることだ。もちろん誤った情報も多いし、それらの取捨選択は必要だ。

初めて知った「清算法人」なるものも、清算法人の期間が株式会社とNPO法人では扱いが違ったり、対外債務などがなくても必ず公告は行わないといけなかったり、最後の最後まで初めてづくしだった。

でもやったことがなければ、知らないのは当たり前なので、これはこれで非常に勉強になる出来事だった。

そういう意味で、NPO法人を作る / 代表を変わる /NPO法人をたたむ / これら一連の経験は、本当にすべての行程を余すことなく経験できたことは本当に財産だった。

そもそも全部やりたいからやっていること、みたいなことは僕のなかでは全然なく、いろんな状況から全部やらないといけないので、やっていた。ということが実情だけれど、その状況のなかで逆に全部を体験出来たことに価値があったな。と感じている。

法人を作っていなければ、市の担当者と打ち合わせすることも、法務局・税務署・県税事務所に通うことも、申告書類なども触ることもなかった。

よっぽど清貧な活動をしている団体でない限り、NPO法上の非営利法人と税法上の非営利法人の解釈が異なるため、税法上では営利企業と判定された。そしてどれだけ利益がなくとも、法人住民税は発生する。ここに追われることが多かったことも事実で、目的と手段はどっちが先なんだ!と悩む期間が多かったことも事実。そしてそれについての考え方や手段について助けてくださったことが多かったことも事実。

法人住民税を払わないといけないから、イベントを作らないといけない、ということは本当に本末転倒だった。でもそうしないといけない、ということもあったし。。と今から思うとみたいなことは多いけれど、それ以上の経験ももらったし、今回しっかりと閉じることが出来そうなので、良い思い出として処理したい自分もいる。

ツブヤ大学をリブートするために

10年続けることが出来たこと、法人としてのあり方の再考、そしてもういちど基本に立ち返って考えることの結果、NPO法人は消滅するけれど、「ツブヤ大学」という企画名は新たにリブートすることを決めた。

ここでNPO法人ツブヤ・ユニバーシティー = ツブヤ大学ではなく、「ツブヤ大学」をおこなっていく器としてのNPO法人だった。なので、ひとつの区切りとなるけれど、「ツブヤ大学」は続く。

でもそのまま「ツブヤ大学」とするのは味気ないので、「NEO ツブヤ大学」としようと思う。そして定期的なものではなく、不定期なものとして行っていこうと思う。

なぜまえとあとの編集人が、まえとあとで「ツブヤ大学」のことを書いているか、というと、初心に立ち返ってスモールスタートを個人で行おうと考えているからに他ならない。

もちろん僕ひとりで出来ることなんて分かりやすいぐらいほとんどない。

でも、だからこそスモールスタートが活きてくるんじゃないか、と考えている。

このさき「NEO ツブヤ大学(仮称」をどのように進めていくかについては、まだ明確に定まっておらず、まだまだ試行錯誤をしていくことになりそう。

オンラインイベントは「Basic Insight」、オフラインは「NEO ツブヤ大学(仮称)」+完全クローズの「NEO ツブヤケナイ大学」といった布陣で考えていて、「バウムクーヘン・ナイト」も「シウマイ忘年会」も現在の状況の頃合いを見て再起動したいと考えている。

どこまで、どれだけの影響があったのか、なんてことはわからないけれど、少なくとも一個人として大きな経験値を得ることが出来たし、また新たにスモールスタートして、今度は何に追われることなく、ゆるりと楽しいものを提供出来ればと感じている。

個人でリブートすることで、より企画ベースでの展開が出来るようになるし、そうなれば、より自分の良さも活かせると信じている。NPO法人が終わることは、また新しいスタート地点に立ち返ったということと同じ。よりさまざまな状況に左右されずに、出演者・企画者・参加者みんなが楽しかったと思えるものを、これからも自分のペースで作っていきたい。

Text:Daisaku Mochizuki