いきなりの対談セッティング
ライラとアサダさんは、そもそもだいぶ近い。分野というか。
ライラ
分野なのかな?
アサダ
分野よりも、ひとつ2つではない、いろんなものが掛け合わさり、混ざってる部分で近いところに、ライラさんがいるんだと思います。
ライラ
いろんな分野で合わさっている端っこや真ん中。真ん中でもないかもしれない。
いつごろから、おふたりとも存在を認識されたんですか?
アサダ
僕がライラさんの名前を聞いたのはTURN※の初期です。ライラさんはTURNに何年ぐらい関わっていますか?
※主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、特定非営利活動法人Art’s Embrace、国立大学法人東京芸術大学 https://turn-project.com/
ライラ
以前から(TURNに参加している)ハーモニーさんの幻聴妄想かるたなどの素材を作っていたりして、2018年度に参加アーティストとしてハーモニーさんと「お金を取らない喫茶展」をやっていたことで、TURNに関わり始めました。翌年からはTURN運営本部に運営側として入り昨年度までかかわっていました。
アサダ
2019年からTURN運営本部に入ったんですね。ライラさんは運営本部のなかでいろいろディレクションをやっているのが最初の印象だった。僕の周りにライラさんと近い人たちの繋がりがあるからね。
ライラ
私も「アサダさん」という言葉が知り合いからちょこちょこ出て来たんですよね。自分の活動もだんだん知られるようになると「そういえばアサダさん知ってる?」と。
アサダ
お互いに共通して名前を聞いたり、知ってる人たちの特徴が、ぱっと見だと何をやってるかよくわからん感じなんだけど、関係する領域や掛け合わせたところで、感覚的には近いところでやっている認識はあるから、結果的に不思議とお互いに近づいていくんですよね。
アサダさんもライラも初対面と聞いて、僕も不思議だった。
アサダ
そうそう。
数年前から会っていても不可思議ではないというか。
アサダ
TURNも現場を見に行ったり、トークセッションに出演することはあったので、ライラさんの姿を見かけたりはあったかもしれないけど、話すのは初めてですね。
ライラ
意外とお互い緊張しますね(笑)。
アサダ
まずご飯を食べに行こうじゃなく、いきなり対談ですもんね(笑)
アサダ・ライラ
(望月を見る)
シブヤフォントのきっかけとこれからの可能性
アサダ
このあとは施設に行くんですか?
ライラ
はい。シブヤフォントも一段落して。
シブヤフォントもだいぶ活動が拡がってきているよね。
ライラ
去年の春から一般社団法人にもなりました。シブヤフォントには渋谷区内の11施設が参加しています。今年度のデザインは終わったんだけど、2022年度に向けて参加施設を回り、「今年はどうだった」とか「どんなアーティストと一緒にコラボする?」と現在(2022年3月)聞いて回ってます。
もうシブヤフォントは何年目の活動?
ライラ
6年目です。シブヤフォントで面白いのは、シブヤフォントの柄には毎年「スター選手」的な絵が上手い、メンバーさんの絵を柄やフォントにとり入れるのかなと思ったら、施設側は「今年はこの人にチャレンジさせて自信をつけてあげたい」と福祉的な観点のいいところが出ているので、毎年シブヤフォントは面白い。
だからいつも施設へ行って「今度はどんなことをしようか」と話をしてから、私は裏方として施設自身が学生と「こういうことがしたいんです」と言えるようにしていきます。
アサダ
学生さんたちは、どこの学生さんですか?
ライラ
学生は主に桑沢デザイン研究所の学生です。桑沢デザイン研究所は渋谷区にあり、シブヤフォントの目的の一つは街を盛り上げることなので一緒にやっています。最初はみんなボランティアたちで参加してくれていたけど、来年度からシブヤフォントは桑沢デザイン研究所の正式な授業になるので、2022年度から私も桑沢デザイン研究所の非常勤講師になります。
いい流れになっているね。
ライラ
本当に奇跡みたいなプロジェクトです。もともとシブヤフォントは「渋谷お土産プロジェクト」として始まり、結果的に当時の参加学生たちの提案で採択されたアイデアが、フォントや絵や文字を使うことから、それを「みんなで、よし、このチャンスは逃さずに行こうぜ!」と、施設とデザイナー側とで実現できた。
アサダ
まずモノに乗っかってくるフォントの部分を共有材にしていく感じですよね。フォントを先に共有材にしていく方が、むしろプロジェクトとして「いいじゃん!」となったんですか?
ライラ
そうですね。最初はプロデューサーの磯村さんが渋谷区の施設と繋がっていて、渋谷区役所内ではニューヨーク・渋谷区・パリ・ロンドンみたいな感じで、渋谷の象徴になるお土産を作りたいと区長が提案していました。
そのプロジェクトを渋谷区内で話して、どこが実現するのかとなったときに、手を挙げたのが障がい者福祉課でした。渋谷区は施設と区の関係性が近く、実際に区の職員も施設に行ってます。施設も自主製品を作っているので、それを活かしたものをお土産にできればと障がい者福祉課は手を挙げました。
アサダ
その施策は違う区だったらやらない。渋谷区のセンスはすごい。障がい者福祉課が手を挙げてプロジェクト化してるのは進んでいると思いました。保守的な区だとやらないですね。たとえば僕が関わってきた品川区の障害福祉課とか・・・!
福祉分野でコレボレーションを作る意味と意義
アサダ
何系か。音楽とか、そういうトークなら、シカゴ音響派ですみたいな話になりそうやけど。僕たちは何系なんでしょうね。
ライラ
アサダさんはプロデュース感覚がすごくあると思います。アサダさんが関わった「TURN LAND」の生配信を見たんですが、私もラジオに参加していたメンバーさんを知っているから、アサダさんがあの場を回せることはすごいなと思いながら。
アサダ
ハーモニーでやった「新しい生活様式を送る私たちの実感と人力のスライドショー」のことですね。でも、本当に現場での仕事は地味です。日常で写真を撮り、ひたすら対話して、また写真を撮る。それを元に、ひとつのスライドショーを作るために写真を出してみようかとやってみたりで。
ライラ
私たちの仕事は地味なんですよ(笑)。
アサダ
そうですよね。
ライラ
でも仕事で地味なところはフィーチャーされなくて、華やかなところばかり出るから、「障害者アート」系のものと比較されたりするんだけど、「そこじゃないな」と、いつも思ってます。
アサダ
まったくそう思います。
ライラ
おこがましいけど現場の人たちの発想力と発信力、自尊心を、私たちでどんどん上げていく。もしこれからコラボレーションがいろいろ起きても、現場が準備できてないと、結局外と受注を受けるだけみたいな関係性になってしまう。
アサダ
そうですね。
ライラ
TURNでもそうだけど、メンバーさんたちは外から来た人をハッとさせる何かがある。だからそれをどう見せていくか、現場の人にも気づかせる価値があることだと知らせるための活動を地味にやってます。
アサダ
それだけ福祉施設には、なかなか全然違う領域から連携する機会が少ない。それでも、僕やライラさんのいる界隈で、こうやって福祉施設と一緒に仕事をしている事例は少しずつ増えてきてるとは思うけど。
ライラ
業界的にはどうなんだろうね。TURNやシブヤフォントも「障害のある人々と」って言ってるけど、私はデザイナーとかアーティストや外から連携する人も、現場には自分たちの発想を豊かにするものがあるんだよって今は言ってます。
アサダ
全く同感です。何かをやりに行ってるというよりは、例えばアーティストやいろいろなタイプのクリエーターたちが現場の障害のある人たちの強烈な個性だったり、独特な佇まいだったりに出会うことで、全然違う発想をもらったり、共有できたりすることがあるんだけど、なかなかその部分が世の中にはあまり発信されない。
だから福祉施設で例えばダンサーとよくコラボレーションをすると、メンバーさんはダンサーとも全然違う感覚で身体を動かしたり、ダンサーとは全然違うところで音に反応したりするから、ダンサーにとってみたらそのまま感性の違う働きを学べる。
それぞれ違うんだなということを学んだり、そしてその感覚を持ち帰る意味では、ダンサーやアーティストにとっては、「支援」というよりは「コラボレーション」をしている感じが強い。だから施設で僕がディレクションをして、色んなダンサーや美術家と一緒にやっているときも「講師」って言い方をせず、「コラボレーター」と言ってます。
障がい者たちと一緒に新しい価値を生んでいく協同者なんだって感覚でやっているけど、どうしても外から来てもらう講師になると、福祉の施設側からすれば「何かやってもらってる」感じがまだまだある。しかも支援と違う時間、つまりレクリエーションとして「何かをやってもらっている」となる。
逆説的だけど、この活動は「支援の本質」とも実はかかわっているんだよという意味をどこから裏ミッションとして絡めてやったほうが、実は「福祉」の考え方のj幅を広げたり、障がいのある方との出会い方や理解が変わるはずなんです。でもまだまだそこは広がらない。
これは2020年に「一般財団法人たんぽぽの家」の岡部太郎くんたちと一緒にニッセイ基礎研究所(文化芸術系のシンクタンク)の調査※に関わったんですが、厚生労働省からニッセイが受託し、どれだけの福祉事業所が、舞台芸術や絵画、造形芸術に取り組んでいて、もし取り組んでない場合も、やりたいと思っているかを全国調査しました。その結果がかなり少なくって、文化芸術的な取組をやってることは知っているけど、まったくうちの施設ではやってないとか、取組も知らなかった場合もありました。
だから福祉施設で仕事をしていると、興味がある団体とは繋がっていくから、文化芸術的な取組が拡がってるのかなと思っちゃうけど、全国レベルに視野を広げれば実際は本当にまだまだなんですよね。
※全国の障害福祉サービス事業所等における文化芸術活動の実態に関する基礎調査のための研究報告書 https://www.nli-research.co.jp/files/user/pdf/consulting/misc/200427.pdf
ライラ
界隈だけになっちゃうよね。私たちと同じような活動をしている人は、1人たどったらもうつながってしまう。そのつながりが10人ぐらいになってくれると拡がったと思うけどね。
アサダ
だから全国で見ると、まだまだごく一部の層の人たちが、表現活動やデザイン・アートなどいろんなものと連携しながら、福祉を盛り上げることをやっているんだと思った。
どうしたらその活動を拡げられるのか。たとえば品川とか、どこでもいいんですけど、近しい福祉施設の場合、連絡協議会などで定期的に会うので、うちでやってることをあなたのところでもやりませんかみたいに出来ないか。
いま僕が関わっている横浜の旭区にある「NPO法人カプカプ」の鈴木励滋さんたちが、旭区内でいま6カ所、カプカプでやってきたようなアーティストを他の施設に送り込んでいるんですね。僕も送り込まれてる1人なんですが、今それが旭区内で広がっているんですよ。
それを地域に拡げていかないと、結局「カプカプさんだからできることなんでしょ」となってしまう。自分はアーティストとして現場に行きつつ、その仕組みを作っている鈴木励滋さんたちを見ていて、これはめっちゃ必要な活動と仕組みだと思っているところです。
いまのSDGsで多様性は本当に拡がるのか?
アサダ
もし共生のためにお互いのコミュニティが我慢を強いられるような混ぜ合わせになるなら、最初から我慢しないように「こういう人はこういう人」と、でも「お互いがいるという存在を認め合いながら共存しましょう」とするのが、今のあり方ですよね。いわゆるサラダボウルという考え方。
上から見ると「いろんな人たちがいるね」となるけど、別にそこでみんな混ざっているというよりは、独特にゾーニングされている。メルティングポットにはならない。そのあたりをどう実践的に考えるかは、なかなか難しい状態ですよね。
多様性って「違いを認め合いましょう」と言って、「わかった。じゃあ違いを認めあいましょう」と相談した結果、「ここから先はあなたがどうぞ。私たちのグループはここですから」といって、もうそれ以上は関与しませんと言うようになっている。
でもお互いの存在を知っているぐらいのことでいくと、結局簡単にわかり合えることはありません。
でもSDGs的な方便としては「多様性を担保したよね」って使われ方をして終わってしまう。
もし自分が出会わないはずの人たちと出会ってしまったら、相手の価値観とか相手の創意工夫だったり、こちら側に侵食されるリスクがあることを楽しめたり、冒険だって思えたりするような感覚を経験したり、それを分かち合わない限り、ゾーニングして終わり。これ以上に「多様性」については拡がらないと思います。
要は面倒くさいことになるよとか、そこを越えるとどうなるかとか、お互いしんどくなるよってことで終わらずに、多様性って「めんどくさ楽しい」ものとして考えられるかどうかに、創意工夫が必要です。
ライラ
戦後、日本は身の回りの環境を復興させるぞと頑張ってたから、みんな同一でやらなければいけなかった時代だった。でも今は過去の時代とは違うから、何の価値のためにやっているのか、もう一回問い直さなきゃいけない。
一人一人の心がちょっと軽くなるために、いろいろな場面で感謝をすることで、私たちはそれぞれが一人一人であり、みんなの中のひとりなんだということが分かる時代になってきた。それが「Individualty」ですよね。
自分の「Individualty」を発掘するためには、多様な人々や環境だったりに、足を向けていかないといけない。
アサダワタルさん記事:「角度を変えるまえとあと」
ライラ・カセムさん記事:「サラエボのまえとあと」
Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi