サラエボのまえとあと / ライラ・カセム

  • ライラ・カセムデザイナー / アートディレクター

写真:平林克己
聞き手/編集/執筆:望月大作

大きな示唆を与えてくれた場所、サラエボ。

サラエボでの経験は大きいかな。それまでも世の中に対して常に違和感があった。何で障がいのある人は健常者と分かれているんだろうとか、人種の違う人たちが地域が違うと対立するんだろうって想いはずっとあって。デザインすることは好きだけど、ずっと周りの世の中に違和感を持ちながらデザインをしてきて、ちょうどサラエボに行ったとき、そこで改めてグラフィックの本質に巡り会えた。そこで、それまで感じてた違和感の解消が出来るんじゃないのかなと大きくなり、価値観と希望が生まれた。

要はそこで自尊心を持つことが何より大事と気づき、グラフィックで一番大事なのはメッセージ性をどう構築させるかだと気づいた。

望月

じゃあサラエボでは、グラフィックのメッセージ性の強さがあったの?

ライラ

そうなんです。私たち聴覚障害を持つ職人が働く印刷工房のは商品(グッズ)のリブランディングを一緒にしただけなんだけど、常にそれを作るプロセスの中で「あなたたちはこれが出来るじゃん」とか、みんながやっていることを一つのブランドとして作り上げていった。なるべく障がいのあるメンバーたちのアイデアを引き出していくなかで出来たブランドが、その人たちの作ってきたものを視覚言語として可視化できたことが一番だった。

望月

サラエボがライラにとってそういう違和感を拭える発見の場になったのは意外だった。サラエボは勝手なイメージだと、紛争で大変なイメージがあるから。

ライラ

それもあったから、サラエボの障がいのある人たちは、自分たちに価値に気づけてなかった。その辛い過去から、何かやっても無駄だって感じだった。サラエボでの最初の2日間ぐらいは、プロジェクトをやるために、「何も出来ないかも知れないけど、やってみようよ!」ってリアルにみんなを説得してましたね。

そこからどんどん彼らが変わっていくのを見ました。サラエボのプロジェクトは2009年だったんですけど、2012年にはクロアチアでも似たようなことをやっていたんです。その帰りにサラエボの工房ににまた行きました。最初に工房で出会ったときはみんなすごくダルっとした作業着で、ノーメイクにボサボサの髪で表情も若干暗かったけど、約2年ぶりに、いつも白いコートのような作業着は着ているんだけど、その作業着の下はドレスにちょっとハイヒールみたいな感じで、メイクもバッチリでイヤリングもして、表情も自信に溢れてて、それを見たときには感じるものがあったね。

1970年代に出版されたヴィクター・パパネック著の「Design for the Real World」は、デザイナーにとってのバイブルなんだけど、ここにはデザイナーは自分の25%の時間を、社会貢献に費やすべきだと書いてあって。要するに全てのデザイナーがそうすれば世の中が変わるんじゃないかって。私もそれはそうだなと思いながら学生のころ読んできた。でもサラエボでの経験で、むしろ75%は社会貢献をして、25%、いや、5%ぽっちだけコマーシャルなことをやればいいんじゃないかなって価値観に変わった。

だから教わっていたデザインの思考とは違う思考をサラエボは与えてくれた。今もグラフィックは友だちに頼まれたらサクッとやるものだし、それはずっと守っていて、あくまで社会貢献をするツールとして、この状況をもっと増やすために、グラフィックの仕事はクライアントさんとやることはあるけど、それは絶対私の中では75%にはしない。

今はもう主流だけど、障がいがあるアーティストがが描いた絵をパターンにして、ロイヤルティーつけて販売するべきって発想を博士課程の論文で書いたんですね。博士の発表は展覧会みたいにしてそこに人が来るような形だったんですが、すごくいっぱい反響があって。

そうしたらいろんな分野の方たちが一緒にコラボしませんかとか、職員の研修講座をやりませんかと言ってくれて、いろんなことがドドっと来て、もう当時は2日間ぐらい寝込んだこともありましたね。

当時は博士課程が終わったあとはどうしようってすごく困っていたんですけど、反響があり、だから常にサラエボでの経験のおかげだなって思っていて。

望月

サラエボの話は初めて聞く話だから。

ライラ

私って自分を貫くって思われがちなんだけど、意外とそんなことはなくて。もうちょっとざっくり言えば、意外とそれまで私は障がいの世界に入っていなかったんです。むしろ避けていた部分もあった。障がい者が社会に貢献するためには、社会の環境の中に入っていくことが社会貢献だと思っていたんです。

デザイン事務所のアルバイトの面接のときも、自分の障がいを軽く見せていた「ちょっと歩けないぐらいですー」とか言って。そうすると本当に疲れ果てて家に帰ってくる毎日を送っていた。なぜか負けず嫌いだからやりたかったんですよね。その世界の中でやってやる!と変な勝負心が働いていたんだけど、サラエボへ行った後は、私は無理しているなと感じた。

「何で事務所の人たちによく見せようとし過ぎているんだろう?」と思って。サラエボに行った時に、私は意外と中間役的な立ち位置の人だと分かった。デザインのスキルもあるし、障がいのある人の言わんとしていることも理解できる。だからワークショップの中でも、なぜか私はサブリーダーだったんですけど、リーダーではなく最初に私に来るんです。「これ伝えてもらえませんか? このアイデアどうかな?リーダーに言えるかな」みたいな感じで。

私がすぐ打ち明けられる顔なのかわかんないけど、中間の立場だと気付いたときに、それまでは避けていた福祉の世界に怖がらずに入れた。大学院の先生にもデザイナーには2種類いて、一番になるために全力を尽くす人と、人のために全力を尽くす人の2種類がいると聞き、ライラは圧倒的に後者だから、スキルはある程度あればいいよって言われホッとした。

要するに健常者と面接すると障がいのことをアビリティよりも先に聞いてきたり。だから私が例えば100%デザインが出来たとしても、それプラス自分の障がいの部分も大丈夫ですと示さなきゃいけないから、人より2倍自分を証明しなきゃいけなくスゴく大変だなと思って。そこは諦めることが出来ました。

もう圧倒的な特技はここ(デザイン作業だけをすること)じゃなかった。サラエボで自分の特技を見つけた瞬間、もう一直線にそっちへの方向行こうと思った。だからそのためにもうちょっとデザインのスキルをブラッシュアップしたかった。

どこにいるかではなく、誰と一緒に何をやるか

望月

他には揺さぶられた経験はある?

ライラ

2013年に綾瀬ひまわり園(以下ひまわり園)の人たちに出会った時期。その時期は日本に帰ってきて3年目だった。進学した藝大には日本人と留学生の友人が両方いたから、バランスが取れていると思っていたんだけど。

日本に来た海外の人って、だいたい来日3年目になるとキラキラの来日の(全てが美しくみえる)ハネムーンピリオドが終わり、だんだん日本の嫌な部分が見える時期だった。それで留学生の友人が、いつもわたしに日本の愚痴を言ったり「ライラはいいよなー、日本育ちだから」みたいに追われる時期があって、常に日本と海外の人の狭間にいる感じで居心地悪かった。

ひまわり園のメンバーたちは、いまこんなコロナで大変なときでも、何も変わらない人たちがすごく多い。他のケースのとき、相模原での痛ましい事件があったときも、彼らはAffected (影響)されないわけ。

いつも通りに接していたり、人にはちゃんと挨拶や愛嬌を見せるし、感謝の気持ちも伝えてくれる。彼らと私を比べると、私のほうが「健常」になるわけなんですが、私に対してそういう人間の根本の側面を見せられたとき、私たちは変なものに囚われすぎてると感じました。無駄なことに脳の時間を割いていると。

そんな中 来日20年ぐらいの外国籍の友人たちと出会い、海外でもどこでも住むのは難しい部分があるけど、彼らは日本を否定もしないし大げさに肯定もしないわけ。腹をくくって日本に住んでいて、大学とかデザインとか仕事関係ではなく、生涯を全く別の文脈でつながり続けていく彼らに出会ったことと、このひまわり園との出会いの時期が重なり、どこにいても自分の思いを貫けばいいなって思えた。自分はどこでも行けるし住める。だから、どこにいるかが大事ではなくて、誰と繋がってるかが大事だなと実感した。

今はこんなコロナで大変な状況になっているけど、自分がいままで感じてきた違和感だったり、人はオンオフが出来なかったり、いろいろあるわけじゃないですか。

私はずっとコロナの前から、みんな行き詰まっている感じがしていたんだけど、こんな状況でそれがより浮き彫りになった。みんなライフの根本なものを大事にしていないとずっと思っているんだけど、このコロナの状況になったことで、おうち時間がどんどん出てきて、ひとりひとりこれまで自分の人生に足りてなかった側面を、いま発掘できている時間なんだと思う。

私は自分の人生に順序をちゃんとつけています。ライフバリューを付けて行動してきた結果、おうち時間でも誰かと繋がって無償でも仕事をやったり、暇を弄ばせられる。もちろん収入は少なくはなったけど、仕事もしつつ、今まで培ってきた人間関係が活きています。

それはやっぱりひまわり園や施設ののメンバーの皆さんたちが、変な周りのしがらみに囚われない価値観を持っていたから、人間の根本にある気持ちや心を持っていて、それを表現する人たちだから、皆さんはそれを心と体が直結しているって言い方をするんだけど、それもすごくありがたくて、見ていて清々しい。

すごい共感力と洞察力と繊細さ

「幻聴妄想かるた」の話はしましたよね? あれもそれまでは主に知的障がいの支援だけをやっていたんですけど、知り合いを通じて幻聴妄想かるたの依頼を受けたとき、私の身内でちょっと精神的に落ち、実際に病棟に入っていた人がいたから、精神の側面の話題が、すごく怖かったんですね。会いに行った時とか本当に訳のわからないことをしゃべっていたりしたから。それでかるたの仕事を受けようかどうか悩んでいた。最終的には友人からの依頼だから受けた。でも、(精神の人と)あまり接したことなかったから少し躊躇する部分はありました。

知的障がいの人ってもちろん素晴らしいアートを作ることは前提としてはあるんだけど、可愛いんですよ。いつもニコニコしていて穏やかな人が多い。彼女彼らは支援しやすいし、支援するほうもハッピーな気分でいられることも多い。もちろん大変なこともあるけど、いまは圧倒的に知的障がい者のアートの活動の支援が多い。だから私もちょっと疑問に思っていたんですよね。何で精神障がい者のアート支援があまりないんだろうと思いながら、ハーモニーとのプロジェクトをを始めて。そのメンバーたちとかるたを作っている時に、みんな自分の妄想や幻聴のお話をしてそれをかるたにするんだけど、話を聞いてる時に、私たちよりすごく世の中を見ているし、考えも繊細で深くて。むしろ私がめっちゃ鈍感で浅い人間だと思って。

本当に私は全然そんなことも考えなかったことがかるたの話から出てきて。だから例えば好きな札で、正社員が叫んでいたみたいな札があるんだけど、それはメンバーのひとりが若干ブラック企業気味のスーパーで働いてたときに、倉庫から叫び声が聞こえたエピソードなんです。もし私とか望月さんだったら「何だよ!」って思うじゃないですか。でもその彼は「彼も僕みたいに叫びたいことがあるんだな」と共感をして。

すごい共感力と洞察力と繊細さの塊だなと思って。その経験で精神障がいのある方の見方がガラッと変わった。いままでは正直怖い人たちって想いがどこかにあったんですけど、彼らだってそうじゃないんだって。あとは誰にでも起こり得ることだし、私にも起こり得ることかもしれないと感じた。だからこそ、ちゃんと人生に優先順位をつけようと思って。

私もストレスで二回ぐらい倒れたことがあって、二回目に倒れたときに、もう医者にどうしたら治るか聴くと、ストレスを溜めないことだって言われて。そのときはそんなの仕事をしているんだから無理だよって思った。でもそこからアルコールを飲むのを止めるとか夜仕事をする時間を制限したりなど、人生に優先順位をつけ始めて、今までの経験があったから、自分の命よりも大切なものはないと思うし、自分の命を守るようになりましたね。

今回のコロナでも誰かには卑怯だと思われるかもしれないけど、3月の始まりの時点で、これは夏まで続くなと思ったんです。もう今東京出なかったらやばいなと思って。私は人より体は弱いわけじゃないですか。

望月

うん。

ライラ

自律神経とか体の温度調整がもともと脳性麻痺があると不得意だから、だからもう風邪ひくとやばいなと思って。もう自分の体調をずっと毎日見ながら、「よし実家に戻ろう!」と思って、今(取材時)はまだ実家にいます。

望月

その方がいいと思うよ。

ライラ

だから、自分を守らなきゃね。でもそこも自分を大事にするって価値観は、ハーモニーの人たちに出会って考えたこと。ある日、みんな一緒にかるたを作っているんだけど、誰か来るかなって待っていたら、2人ぐらいしか来ないときもあった。そのときは全然作業できないやんと思いながら、でもそれでもちゃんとはっきり言ってくれるんで、「これだからいけません」って。それはすごく素直で良いなと思って。それは私がありがたく学んだことでした。だから今回のコロナでは真っ先に自分を守ろうと思って。バランスが良いところでジコチューになるって感じた。

取材のあと

音声配信アプリ Stand.fmを使って、取材後のインタビューをしています。

Profile

ライラ・カセム

日本生まれ世界育ちのイギリス人。多人種、障がい者など、様々なアイデンティティーを持つことから自身を「一人国連」と呼ぶ。
デザイナーとして自らのスキルを社会福祉の現場での専門性と掛け合わせ、障がいなどを持つアーティストの社会参加と経済自立を促すための商品開発やデザインプログラム・ワークショップの企画・運営などを国内外で行っている。
東京大学先端科学技術センターでは、「異才発掘プロジェクトROCKET」にも関わっている。
2019年4月よりTURNのプロジェクトデザイナーを務める。
instagram:@laila.frances
HP:lailacassim.com