高知と出会ったまえとあと【後編】

古川誠
メトロミニッツ編集長
和田早矢
株式会社ツクルバ コミュニティマネージャー

まえとあとで取材した人たちの中に高知に縁がある人たちがいた。このふたりをつなげたらきっと面白くなるんじゃないか、と予感がずっとあった。その予感は間違っていなかった。古川さんと和田さんの止まらない高知愛の一端がこの記事から伝わったら嬉しい。さらに話が加速する後編。

Profile

古川誠
メトロミニッツ編集長。元オズマガジン編集長であり、小説家として「りんどう珈琲」(クルミド出版)「ハイツひなげし」(センジュ出版)と、2冊の小説を発売。2020年にローンチしたTシャツブランドSENTIMENTAL PUNKS主宰。本人の日常を綴ったメールマガジン(無料)は毎週金曜日配信。購読希望はFBのメッセージまで。
和田早矢
高知県出身。高知さんさんテレビでアナウンサーを経験後、2018年に初期のスタートアップ起業家を支援するコワーキングスペース「co-ba jinnan」のコミュニティマネージャーとしてツクルバに入社し、100組以上の起業家コミュニティを築く。現在は全国のスタートアップを支援する「NEXs Tokyo」の立ち上げメンバーとして、イベントやラジオ企画など様々なコミュニティ施策を担当中。また、前職の経験を活かしフリーアナウンサーとしても活動している。

Index

高知人気質を生み出した理由

古川

和田さんは最初は高知が嫌いだったと伺いました。

和田

私は高知で生まれ育ちました。古川さんがおっしゃっるように、高知の人の豪快さだったり、初めての人にも干渉する感じ、みんなが人の心にグーンと入ってくるような環境で育っていると、当時はもうちょっと人とほどよい距離感がとれたり繊細に話したい感情があった。

でも、いざ自分が東京に出てみると、実は私もこれまで苦手だと感じていた高知の県民性を持っている側面もあると感じました。高知にいるときは自分はとても繊細な感じがしていたけど、一歩高知から出て他の県の人と接してみると、実は自分も豪快だったり、大雑把だったりするところもあるんだなと知って。

古川

高知の血を感じたんですね。

和田

そうですね、きっと私も高知県民的な気質が強いんだろうなと思います。

古川

「高知の血」みたいな地域の色を表現するのはいいことだと思っていて。僕だって埼玉県の片田舎で育ったんですけど、県民性はあまり感じない。きっとそこには何かあるのかもしれないですけど、僕には立ち返る場所としてのルーツとか血があんまり感じられないんですね。だから、和田さんのそれは憧れでもあって、いいなって思いますね。

和田

なるほど。でも土地によって、そこまで血を感じるっていうのはなぜなんでしょうね?

古川

何で高知の人が熱いのかってよく思うんですけど、またマニアックな話をすると、関ケ原で徳川が勝ったことによって、それまで高知を治めていた長宗我部氏が敗将になって、静岡県から山内さんという殿様が高知にやってきたんです。

山内さんは駿河の人なんです。そこで、それまで長宗我部に仕えていた人たちは武士でありながら、関ヶ原の戦い以後は下士と呼ばれ、山内家が連れてきた武士が上士と呼ばれたんです。いわば武士に階級が出来たんですね。下士たちにはその階級によって常に対立があったし、鬱憤もあった。自由に生きていくために主張をしなくちゃいけなかったから、高知の人が熱い所以は、そんな背景もきっとあるんじゃないかな。って僕は感じています。

和田

なるほど!

古川

やや分析的に過ぎるかもしれないですけど。だから下士の人たちは、明治維新を起こすために高知山脈を越えて、まだ知らない世界に向けて脱藩するような、反骨心を持っていた。心から国を憂いていたんだと思って。

和田

面白いですね。

古川

かつ高知は太平洋に面していて、北は山だから、外のことは気にならないというか。

和田

なるほど、そうかもしれないですね。

古川

きっと高知はひとつの独立国家みたいな場所だったんですよ。だから今のような気風になったんだろうと思います。

和田

歴史背景から高知を考えると面白いですね。ちなみに、古川さんが今話してくださった考え方にもわたしは初めて出会いました。よく、高知の友人と高知県民ってなんでこんな気質なんだろうねって話もするんですけど、歴史的な背景からの話も面白いなって。あと高知の北が山で遮られている影響はあるかもしれないですね。

古川

ある意味では文化遮断というか、高知山脈があることで、表側の四国と文化と考え方も離れたのかなって。

和田

そうかもしれない。

高知の温暖な気候がオープンな空気を作っている

和田

高知ではしとしと降るような雨はほとんど降らなくて、ドカーンと降っては、カラッと晴れるのが普通だと思って生きてました。東京だったらあまり感じないんですけど、以前新潟に行ったときに、ずっと天気が曇っていて、これはどんな状況なんだろうって思ったことがあって。

私は古川さんみたいに全国を旅したことはないので、日本海側の地域に滞在して、初めてこんなに曇りが続くことを知りました。新潟の方と話していると「たしかに新潟は基本曇っているかもしれない」と言われてびっくりして。

日本海側の曇天を知ってから高知に帰ると、やっぱり太陽の光が強く降り注いでいるか、土砂降りかという感じの天気だし、たとえば高知の海も昼間の太陽の光を反射して海面がキラキラを通りしてギラギラに光ってます。高知は0か100みたいなところが気候的にもあるし、晴れた時には太陽がすごく照っているように感じるから、南国人の血のような感覚にもなるんだろうなって。

古川

それはありそうですよね。

和田

だから南国、外国っぽい気質だったり、0か100みたいな竹を割ったような性格の人が多いのは気候のせいもあるのかもしれないです。

古川

たしかに結果的に気候がいいことで、日曜市も外でやるし、高知の人ってみんな屋台とか外でご飯を食べるじゃないですか。外食も結果的にはオープンな空気を作って、その積み重ねでさらに人がオープンになってきた可能性もあるかもしれないですね。

高知にくるとすべて「高知」になる

和田

高知の「蔦屋書店」は高知をモチーフに数年前に出来たんですけど、とてもたくさんのテラス席があるんですよ。

古川

「蔦屋書店」はヤバいですよね。あのTSUTAYAをもってしてもある意味ブランディングを守りきれなかった。もう店内がおかしなことになってるんですよ。あんなにブランディングに気を遣っているTSUTAYAが高知に出店したら、その蔦屋書店までもが高知になっちゃった。

笑・面白いな。

古川

謎・ツタヤですよ。

代官山の「蔦屋書店」みたいな洗練された雰囲気が移植されていくのがTSUTAYAのイメージだと思うんですけど、高知の「蔦屋書店」の1Fはアジアのバザール、もしくはひろめ市場みたいな雰囲気になっていて。

和田

本当に高知の「蔦屋書店」はアジアのバザールなんですよ。

古川

だから高知は何でも自分たちのものにしていってしまう。

高知は独立国なんですね。

古川

そう。独立国ですね(笑)。

和田

そういうことですね! 歴史の観点を考えるのもすごく面白いと思います。

古川

歴史的に見てもこんなに地方の高知からあんなに偉人が出るのは本来はふつうじゃないですよね。

和田

それにはすごく同意します。それこそ岩崎弥太郎の生家が安芸市にあるんですけど、岩崎弥太郎みたいに視線が世界を向いているような人が高知に多かったのは、すぐにどこにいても海に行ける距離があったんじゃないかって話もあります。

古川

高知は山も多いんですけど海が開けていて広いんです。

海の方が早いし、広いですもんね。

古川

世界までは遠いですけどね(笑)。でも海から遠くまで見渡せたってことですよね。

和田

そうですね。広く見渡せたのも、要素としてあったのかもしれない。

水平線が見える地域だと、心が広くなるみたいなんですよ。

古川

でも、それはそうでしょうね。

僕は出身が京都だから、水平線なんて見えないですからね。見えて琵琶湖ですから(笑)。

和田

面白いですね。そう言われるとそうかも。

だって水平線みたいに、先が見えない場所が意外と日本にはないですよね。

古川

たしかにね。山はたくさんある。たとえば長野は遠くが見えない。僕はそれも好きですけどね。

和田

根拠は分からないんですけど、稲川淳二さんが、当時私が高知でアナウンサーをしていたころに番組に出てくださったときに、桂浜の石はパワースポットに比例するくらいのパワーアイテムだそうで、それを東京に持って帰って知人に配っていると話してくださったんです。桂浜は太平洋へガバーっと広がっていて、太陽の光が降り注ぐ桂浜の石にはすごい力があると。

古川

要するに高知はたぶん「陽」なんですよ。だから心地がいいんでしょうね。

和田

たしかに自律神経が整いますね。

古川

確かに! 自律神経、整うかも。

高知の幡多という場所が持つユニークさ

古川

和田さんは場所で言うと、高知のどこが1番好きですか?

和田

すごく悩ましいですが、1つは父の生まれが土佐町という嶺北地域の奥のほうにある場所です。自分にとって土佐町が古川さんがおっしゃっている、何も考えなくても良い景色が広がってる場所です。

それこそ梅雨が短いとき、渇水するダムとして土佐町にある早明浦ダムも全国に出やすいんですが、土佐町の景色が自分にとっては高知の中でもさらにふるさとだと感じられる場所なんです。

もう1つは特に生まれなどの縁があるわけじゃないんですが、幡多の商店街あたりのエリアが不思議と好きなんです。

古川

町との波長が合うんですね。

和田

そう、波長が合うんです。それこそ高知のなかでも幡多は西の端のエリアなんですが、Tシャツアート展がやっていた黒潮町も幡多地域です。高知の中でも幡多には、幡多弁って方言があって、よく知られている高知の方言「土佐弁」とはまた全然違うんですね。

幡多弁がどこの言葉かと言われたら、標準語に博多弁が混ざったような方言なんです。高知の中でも幡多の人はさらにおおらかで、穏やかなタイプの人が多いです。

だから私は幡多のエリアが、幡多にいる人たちの雰囲気・方言の柔らかさも含めて大好きで、年に1回ぐらいは夏になると、何をするわけでもないんですけど、幡多付近に一泊したりしてましたね。そして高知の中でも、なぜか幡多の人はモテる。

古川

そうなんですね。高知の西側の雰囲気はちょっとまた独特ですよね。僕もけっこう行ってます。たとえば中村なんて大好きです。

和田

そうです、中村です。

古川

あの辺はむかし京都から公家が落ち延びてきたんですよ。

和田

そうか、それもあるんですね!

古川

ここもたぶん歴史的背景が濃い場所かもしれない。

和田

なるほど。今でも街は土佐の小京都って呼ばれていて。

古川

街が碁盤の目にもなっているので、歴史的な背景もあるかもしれないね。

和田

たしかに性質が明らかに他の高知県民とは違うので、それが引き継がれてるんでしょうね。

古川

ちょっと公家っぽさがあるというか、町が上品なんですよね。静かで。

和田

それはめっちゃ面白い。そうだったんだ。

古川

わかんないですけどね(笑)。

ローカルの持つ力は、高知が教えてくれた

和田

私自身は平日、コミュニティマネージャーという仕事を通して、全国の起業家を支援するコミュニティを運営しています。その中で様々な地域課題を知ることも多いのですが、古川さんも複数の都道府県の方達と関わる中で、実はどの地域の課題感も近しいところがあるのではないかなと思います。だからこそ、どこかの県で何か課題を解決できると、その課題解決方法って、アレンジはしながらも、他の県にも当てはめることができるんじゃないかと。

自分の出身県は特別だけれど、出身地以外の県(古川さんの場合は高知県ですが)に年に20回も行くほど入り込むこと自体がものすごいことだと改めて思っていて。私も高知県以外で古川さんほど入り込めることが今後あるのかなと思うと、羨ましい感情もあります。

古川

高知県とここまで関わったことは結果的で、それはあくまで高知の仲間たちが僕のことも受け入れてくれたから、僕も自分がここまでどこかの県に肩入れするとも思わなかったですし。

和田

そうなんですね。

古川

どこかの地域で2拠点生活をするとか、どこかのエリアの深い関係人口になるとも考えてなかったです。2011年まで、僕には高知みたいな場所はなかったし、流れるようにここに辿り着いたという感じですね。

和田

そうですよね。

古川

高知から地域の仕事が始まって、いま全国各地を飛び回るようになったのは、とても運が良かったと思います。 自分がルーティンで暮らしている場所以外に、高知みたいな場所があるのはとても豊かなんじゃないかなと。僕はもう高知ではナビを見なくてもどこでも走れるし、どこに行けばどういうお店があるかもわかる。

高知には自分のルーティンが積み重なってないからこそ、そうなった。でも慣れ親しんでいる場所を自分で住んでいる場所以外に持つことができるのは、想像以上に楽しいから、もっとみんなに教えてあげたい。だから僕はメディアの仕事をやってるんですよね。

和田

そういう関わり方を知っていらっしゃる古川さんが発信側にいるということは、古川さんの書く言葉は「本物」だと思うので、一読者として信頼できる感覚があります。。高知も含め、ローカルの力を信じられているのは、ずっと昔からなんですか?

古川

最近だと思います。それはたぶん高知が僕に教えてくれたいちばん大きなことだったかもしれない。地域には本当に強い力があるし、なによりおもしろい。日本の地域はまだまだ豊かな可能性をたくさん持っていると思います。

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi