ステージに立つ仕事を辞めたまえとあと / 飯田寛

  • 飯田寛アップフロントグループ

写真:平林克己
聞き手/編集/執筆:望月大作

便利になった分、何か大事なものが失われていっている感じ

望月

最近オンラインでミーティングすることも多いじゃないですか。でもずっと思っているんですけど、画面越しのたった1フィルター入るだけでリアルで会うのとは違う感じがありますよね。

飯田

便利になった分、何か大事なものが失われていってる感じがしますね。

平林

同じ環境にいないから。だから今だったらボウリングの音を聞きながら、同じ温度の中にいてっていう何かの共有意識ってものが全くない。人間の感覚って目だけじゃないし、耳だけじゃないし、いろんな感覚で感じているものが、オンラインだと一部しか入ってこないからじゃない。

あと複数になったとき、二人で話をしているときに、この二人だけで、他に聞いている人の聞いている顔ってミーティングだと重要だったりするじゃない。

飯田

そうですよね。ニコニコして頷いていたら共感出来ているとかね。

平林

ここだとその人が言ったことに対して、全体の場がどっちを向いているか分かるけど、オンラインだと分からない。

飯田

分からないですね。

平林

場が読めない。1人あたり40インチのモニターを10個ぐらい並べて、一人ひとりが大きく映っていたら良くなるのかな?

望月

たぶん無理です。なんでかというと、顔にめっちゃ見られてるとなると、視線がしんどいですよね。

飯田

しかもなかなかパソコンのカメラを見ながら喋れない。目線が作れないですよね。

平林

たしかにオンラインで感じるのは、相手がこっちを見てないじゃないですか。相手は画面を見ていてカメラを見てるわけじゃないから、目が合ってないのも説得力に欠けるところなんでしょうね。

飯田

そうですね、言葉が届かない。

平林

例えばオンラインの複数の場で二人が話していて、他の人が「またその話?」と思ったときに、リアルの場だとアイコンタクトで共感出来るじゃないですか。

飯田

そろそろ別の話題に行こうよっていうのが会話のない中で会話されるというか。

平林

それがないんですよね。チャットでは出来るけどね。あくまでオンラインは代替手段だと思うな。

望月

移動距離がないのは楽なんですけどね。重たい会議にはオンラインは向かないですね。

平林

あと初対面のミーティングもオンラインだと嫌だな。

飯田

そうですね。お互い性格もクセも分かったメンバーで、それこそズーム飲み会をやっている分にはいいけど。

笹塚ボウルとの縁

望月

笹塚ボウルとはどういうご縁なんですか?

飯田

もともと大阪から東京に出てきたとき、笹塚に住んでいたんです。1年後にシャ乱Qのメンバーが上京することになって、その際につんく♂さんの家探しを手伝ったんですよ。不動産屋を一緒に回ったりしました。

リリー・フランキーさんの著書「東京タワー」にも書いてある有名な話なんですが、リリーさん笹塚ボウルの上に住んでいたんですよ。

ちょうどリリーさんがシャ乱Qの作家をやられていた頃につんく♂さんに紹介してもらったご縁で、何度か笹塚近辺で飲んだり遊んだりしていました。リリーさんとその後は都内のラーメン屋でばったり会ったりとかそれぐらいですけど。最近はお会いできてないですね。

あと僕自身そもそもボウリングが好きだったんで、バンド仲間や飲み仲間とここでよく遊んでたんです。つんく♂さんとの仕事でも、スタッフみんなでボウリング大会をしたり、撮影場所としても笹塚ボウルさんを何度も利用させてもらってます。

一番変わったと感じるタイミング

望月

飯田さん自身、一番ここで変わったなって感じるタイミングってありますか?

飯田

一番変わったのは、人前に出る仕事とそうじゃなくなったことが分かりやすくて、モード自体が変わりましたね。

望月

それって人前に出るときだと、自分を作らなあかんってものがあるんですかね?

飯田

バンド時代もお笑い時代も、ものを作ってそれを表現していました。それで世間から見られている自分はどうあるべきかを考えていたわりには、そのころはまだ30歳前だから深く考える方法も知らず、浅はかだったのかも。30を過ぎてから裏方になって、表に出る子たちのことをさらに別の目線で見れるようになりました。

その子たちに教えたりいろいろしながら、その当時の自分に戻ると、あのときこうしていれば良かったとか、あれが駄目だったから自分の今はこうなんだなってところが、ようやく振り返れるようになり、客観的に見れるようになったんです。

ステージに立っていたその当時も客観的に自分を見ているつもりだったけど、全然見れていなかったということに気付いたのが30を過ぎてからで、つんく♂さんと一緒に裏方の仕事をするようになってからですね。

望月

そういう意味では、バックアップするお仕事になられてから、より鳥のような俯瞰できる目線を得たというか。

飯田

そうですね。鳥の目と、よりお客さんが求めているものを冷静に見れる感覚を持てるようになったのかな。

望月

僕だったら記事を書くじゃないですか。よく野球に例えるんですけど、取材したり記事を書く側は先発ピッチャーだと思っているんです。先発ってだいたい6回3失点ぐらいでまとまればいいと言われるじゃないですか。多少打たれるけど2失点ぐらいでまとめれば勝てるよねみたいなことを記事作りで考えるんですよ。

でもクローザー(抑え)は1点も取られるとまずいじゃないですか。それでいうと、いわゆるチェック側だとモードが変わるんですよね。だから書く方だと気づかないことを、チェック側だと気づくことってあるじゃないですか。

そういうモードの切り替え方が、表側と裏側になったとき、たぶんあったんだろうと、僕もチェックする側と作る側の役割の違いで目線が変わるので、分かる気がします。だから意外と書いてる側だと全然気づかなかった誤植にあとで気付くことっがあります。自分の経験則で気づくこともある一方で、誰かの影響で気づくこともあると思うんです。

飯田

確かに、つんく♂さんとの仕事の中で見えてきたものはたくさんありました。もちろんバンドや芸人の解散という自分自身の経験もそうだし、周りで辞めていく人たちが地元に帰っていくこともある。その瞬間は夢やぶれてみたいな感じがするけど、長い人生で見ると、他の人が得られない失敗をしたがゆえに、その経験をもとに、次のフィールドで成功している人がいたりする。そういう経験談が聞けるのも付き合いありきで、付き合いが浅いとぶっちゃけた話も聞けないわけで、結果最初の話に戻りますがやっぱり顔を合わせるコミュニケーションは大事やなって感じましたね。

上手くいっているときほど、調子に乗らないために

望月

今の状況も過去と同じ状況には戻れないじゃないですか。戻れないと思うんですけど、その中で大なり小なり過去の成功体験があるじゃないですか。

そこにどうしても人間は引っ張られがちで。でも引っ張られたら負けで。そういうことを、いろんな経験をするなかで、どう引っ張られないか、どうブラッシュアップしてやろうって。

飯田

気にし過ぎるなと言われることもあるんですけど、たとえば、調子良くいっているなかで、それをよく思わない周りの人が、どんなツッコミ要素をもってこちらを見てるのかを考えると、自分自身が浮足立たない。自分が調子いいぞって思っているときに、こう思っている人もいるんだなって、なるべく早めに気付いておこうとすると調子に乗らないです。

望月

でも単純に考えたとき、調子に乗ってるときって、その目線の人たちの意見は逆に入りづらくなる方が多い気がするんですよ。

逆に調子がいいときは自分からそういうアクションを取らない限り、自分にとってマイナスなものは、なかなか入ってこないですよね。だから逆に難しい。

飯田

難しいですよね。僕もそうかもしれないですけど、調子がいいときは楽しくなる情報がいっぱい入ってくるから、常に欲も出てくるし、もっともっとってなると、第三者的な目線を気にする余裕がなくなる人がもちろん多いですよね。

心配性な部分だと思います。豪快にフルスイングできない。後ろに植木が置いてないかなとか確認するタイプなんですよね。

平林

わかる。

飯田

なぜか常に豪快なことが出来ない人生なんですよね。気にしなさい気にしなさいと言われてきたのかもしれないですけど。

望月

お子さんもそんな感じなんですか?

飯田

いや。僕はあんまりそこを細かく言わないんで、逆に失敗して欲しいなって思うんです。子どものときや未成年の間にいたずらして怒られたり、無茶して怪我したりするのは、そこで学ぶとその他の危険を知る、今しか出来ないチャンスだと思う。だから母親がどこまで子どものケアをしているかわからないけど、僕はあんまり細々と転ばぬ先のみたいなところを注意して欲しくないと思っているんです。

望月

それは自分の今までの経験則からって意味もありますよね?

飯田

そうですね。僕は三人兄弟で上がお姉ちゃんで、下が弟なんです。お姉ちゃんは一人目だったから、親は女の子だし可愛がる。僕は二人目で男だったから女の子よりは手は掛からない。しかも二番目だったからなんとなくほっといても大丈夫なことも試されてた。三人目の弟が生まれると、末っ子だしまた可愛い。そうすると僕はかまってほしいから、なんかいらんことするんですよ。

望月

ありがちな話ですよね。

飯田

親の興味をこっちに向かせたかったんでしょうね。それでよく物壊したり、失敗したり、怪我したり、知らない町に一人で行ったり。そのドキドキや発見が楽しくて、まあまあ冒険好きでした。そこで学んだこともたくさんあります。

それは今でも一緒で、知らない人に会いに行こうとか、自分が行ったことないところに行ってどうなるかとか、何が起こるかを楽しめる人にはなれたと思います。

望月

その感覚はお子さんたちにもやって欲しいところですよね。

飯田

そうですね。

望月

特に今だとあまり人は失敗したくないですからね。失敗した方が経験になるんですけどね。

飯田

失敗からどれだけ学べるかは時間がかかるから、修正できる失敗は早めに経験しておいた方がいい。大人になって初めての失敗を経験した時に、その失敗をもう少し早いタイミングに経験していたら、と思うことが未だにあります。

望月

そうですよね。

飯田

僕はまったく恋愛に長けている人じゃないんですけど、いろんな人とお付き合いして、人との付き合いとか別れを経験している人の方が、僕はより幸せになれるような気がするんですけどね。あ、これは恋愛だけじゃなくて人と人の出会いも含め。

望月

僕が言うのもおこがましいですけど、飯田さんは順風満帆な人よりも、いろんな経験をしていると思うんです。そういう意味で、お子さんにいっぱい失敗して欲しいのは、ご自身がそこから学んできたことが多いから、言えることですよね。順風満帆で挫折を知らない人がお父さんになって子どもができたら、「失敗はするな」とか言いそうじゃないですか。

ある程度無難に生きていた人は無難に子どもを育てようとするし、そうすると子どもも無難になる。だから無難が続くじゃないですか。でも無難な人が、たぶん日本の大多数であり、その人たちが毎日満員電車に乗るじゃないですか。

ある種満員電車に乗っている人たちは、生物学的にいうと群れなのかもしれない。でもだからそこに突然変異がないから、ずっと無難に生きている人は変化できない。1つの会社で賃金がスライドで上がることが良いって価値観は、もうある種最たる無難じゃないですか。

飯田

結局無難な人の感覚で世の中が動いているんですよね。よっぽど発言権を得れるようにならない限り、無難な人をごっそり動かすことができない。

全部いっしょに考えることは出来ない

望月

でも発言権を持つ人も無難ですよね。たまに無難じゃない人が登場すると、発言権を持つ人は無難じゃなくなるから、動くんでしょうけど、だから結局無難が良いでずっと進むと、こんなコロナ禍だと大混乱に陥る。そういう意味では、いまお子さんもいろいろ大変でしたよね?

飯田

そうですね。上が中3で下が小6なんで、特に中3の子は受験しないといけないのに、高校側がオープンキャンパスをやっていないので学校見学にいけない。そういうこともちょっと生きづらい状況になってますね。

望月

オンライン授業ではなかったんですか?

飯田

オンライン授業はやってないです。塾はオンラインでやってましたけど、学校自体は基本お休みで、親が宿題を取りにいったりとか、プリントが封筒にまとまって送られてきたり。

平林

信じられないことがないですか?

飯田

全部の家庭に共通した環境が整っていないから、オンライン授業が出来ないとか、そういうのがあるみたいです。だからものすごくアナログでしたよ。

望月

変化できない人が淘汰されるのは、結局のところ自然の摂理じゃないですか。会社に行っても仕事してる風で定時で帰ってお金貰う人が、ある種無難な人として存在したわけです。いま一番気持ち悪いと思ったのは、テレワークでパソコンを見てる時間を遠隔でオンライン管理しているって話があって。

これってとっても本末転倒で手段と目的が逆じゃないですか。その発想になるのがちょっとダメですよね。結局仕事って飯田さんだったらグッズを作って、その反響があって売れて、グループがさらに活躍をして、結果的に会社として収益も上がり、ライブコンサートも満員になることが成果じゃないですか。だから時間軸ではない気がするんです。

平林さんも写真を撮る仕事ですけど、別に長い時間であっても、良い写真を撮れるときもあれば撮れない時もあるし、10分で良い写真を撮れる場合もあるじゃないですか。

だから、time is money ではありますけど、時間で考える価値観がもう要らない。出来る人だったら5分で閃いたら終わるし、でもその5分の閃きの裏には、20年間の蓄積があるわけじゃないですか。

飯田

職種によりますよね。1時間工場が回ってないと生産できない人は、もちろんその1時間工場に居ないと物が作れないけど、考える人とは別の生み出す人とか。それが全部考え方が一緒くたで、そこにはまりなさいと言われても絶対無理ですよね。

取材のあと

音声配信アプリ Stand.fmを使って、取材後のインタビューをしています。

Profile

飯田寛

1970年生まれ。大阪府吹田市出身。バンド「Bonnie Duck」のメンバーとして1992年トイズファクトリーよりメジャーデビュー。グループ解散後、パーカッショニストとしての活動を続けながら、「モト冬樹」の付き人を経てお笑いコンビ「サービスパンダ」として芸人デビュー。2001年よりつんく♂プロデュースのコンサート・映像・近畿大学入学式などの構成や演出、任天堂ゲームソフト「リズム天国シリーズ」の開発メンバーとして従事。現在はアップフロントグループで「Hello! Project」関連の商品企画やデザインを担当。ラーメン・昆虫・ガンダム・釣りが好き。三菱鉛筆「BOXY」シリーズのコレクターでもある。