秋田県人会なる秘密結社でつながった仲
池田
実は私と堀井さんは秋田県人会っていう繋がりで、2人は繋がっていて。
TBSの秋田県人会?
池田
そう、非公式の秘密結社なんです。
堀井
そうそう。
池田
あれは謎ですよね。その秋田出身者の会になると、もう上下関係とか、仕事の中身関係なく「ほぼフラット」というか、ただ単に秋田から出てきた人の集いがあって。一方で堀井さんの旦那さんとも、私は建築会(学生時代に建築を学んできた人の集い)という秘密結社を組んでて。そういう意味で堀井さんの著書『一旦、退社。』は本当に味わい深かったことばかりなんですけど、本のなかの「4月2日」の話を実は聞きたくて。
堀井
「4月2日」の話ってなんでしたっけ?
池田
「ぎばさ」と「なめ茸」のくだりがあって、最後にそばを食べる話です。4月2日は私の誕生日でもあるんですが。
堀井
そっか。
池田
4月2日に堀井さんにそんなことがあったのかっていうので、今後の私の誕生日のときには、必ず「堀井×そば」を思い出しちゃうだろうなって。その話をもうちょっと詳しく聞きたいなと思って。
堀井
私たちは秋田出身で、秋田県人にとっては「ぎばさ」って海藻があって、東京のお蕎麦屋さんでも出るらしいんですけど、で、私と一緒にやってるPodcastのパーソナリティでエッセイストのジェーン・スーも「ぎばさ食べたよ」って言ってたんですけど、もうそれは本当のぎばさじゃないからと、よく地元の人が言う感じで言ってるんですけど。小さいころ、海草を食べたり、山菜を食べたりして育ってきませんでした?
池田
育ってきました。ぎばさとか蓴菜(じゅんさい)も当たり前のようにガツガツ食う食べ物としてあったのに、 たしかに東京だと食べなくて。あれが本当に幸せだなっていうのは、いま気づく感じですよね。
堀井
東京のものは冷凍されて、美味しく今の技術で食卓に上がるのですが、地元で誰かが取ってきた取れたてのものを湯がいた瞬間に食べたり、山菜でもそうだけど、香りも立ってるし、全然違いますよね。
当時はただただ緑とか茶色だったから全然魅力的じゃなかったのですが 今はわかるし、それを小田急線の箱根そばで食べたときの感動たるや、もうなんとも言えないようでした。
子育てをしてるときも1人で食事することはなかったんです。唯一1人の食事というと、私は小田急線ユーザーなので、 箱根そばで1人で食べるっていう時間が好きで。4月2日の話はすごく急いでましたよね。急いで食べる感じだったけど、いろんなものが終わった瞬間、涙が出たって感じですかね。
池田
『一旦、退社。』の4月2日を読んで、私も本荘市(現:由利本荘市)から秋田市の高校に毎日電車(たぶん、正確にはディーゼル車)で通っていた時のことを思い出しました。 秋田駅からの最終電車って夜の21時半ぐらいだったなぁ。
堀井
何部だったんだっけ?
池田
サッカー部です。毎日のように終電に間に合わせるために、ご飯食べる暇がないから、学校終わって、部活やって、21時半の終電に間に合わせるために、蕎麦を食べていたのをすごく思い出して。「あの味」と、秋田の思い出がすごく蘇って。だから『一旦、退社。』の4月2日のところを読みながら、私もなぜかもらい泣きするという(笑)。
堀井
駅のホームにあったんですね。
池田
あったんです。それを毎日のように食いながら、「オラ東京さ行くだ!」と思いながら。
堀井
よく頑張りましたね(笑)。東京に出てきたね。
池田
秋田会って、みんな秋田から出てきたことの自分なりの想いとか葛藤とか抱えていて、それも含めて今がある、っていうのが、すごいお互い分かり合えるところありますよね。
堀井
そうですね。遠い土地でしたからね、東京って。
池田
秋田は「陸の孤島」って言われて。
堀井
東京ってどこにあるんだろうって感じだったよね。
池田
青春18キップで帰ろうとしたら、1日で帰れなかった(笑)。酒田(山形県)あたりで止まって。「ああ」みたいな。
堀井
そうそう。だってそれこそ新幹線もなかったから。
池田
秋田新幹線も盛岡から秋田間は普通の特急と変わらないっていう。
堀井
だって秋田新幹線ができたときが1997年なんですけど、ホームで秋田新幹線の開業イベントをやっていて、私そこで「出発進行」をやったんですよ。
池田
それすごいですね、
堀井
東京駅で。その時が初めて「こまち」が動いた日です。それまで秋田と東京は本当に遠かったですね。
池田
「こまち」を動かしたのは堀井さんですね。
堀井
そういうことになりますね。端的に私の声で。
秋田の思い出といえば
池田
秋田はやっぱり外せないなと思って。子どもの頃の最初の秋田の記憶は何かありますか?
堀井
私は、男鹿市に住んでたので、秋田に「木内」っていうデパートがあって、日曜日にはそこに行って、当時流行ってた食堂の中にホットケーキと一階にあったフルーツジュースを飲むというのが家族の大イベントでした。
あと土崎港のところに、おうどんが出てくる自動販売機があって、そこは今も有名な場所なんですけど、その場所でおうどんを食べて、家族で家に帰って来てましたね。叔父が漁師をやっていて、小さいころ母が病気がちだったので、叔父の家にちょっと預けられていたときに、叔父は朝の漁が終わるといつも角打ちに飲みに行くんですよ。
で、路地に入った港町のちっちゃい酒屋に毎日14時ぐらいに迎えに行って、ゆで卵を買ってもらって帰ってくる。夕飯は叔父が取ったズワイガニ。新鮮な朝採れたてを茹でて食べたりして、豊かでしたね。
だから東京に出てきて、ホテルのカニ食べ放題にいったとき、全部小さい頃の記憶で言うと出汁ガニといって先っぽで出汁でしか使わないような細いカニが並んでいて衝撃でした。それぐらい秋田はとっても豊かな食材と時間の中でした。池田さんはどうでしたか?
池田
私も秋田と東京の生活で言うと、秋田が幸せだったなと思う一方で、東京もやっぱり人との出会いってこんなに豊かにあるんだと逆に気づけた。例えば「マンションばっかりで人付き合いがない」と言うけど、それが全然うちはなくて、たまたま中庭で出会ったおじいちゃんとうちの息子が仲良くなって。
そのおじいちゃんが毎回とんでもなく大きなケーキを、うちの子どもの誕生日に買ってくれる関係になったり。東京でもこういうあったかいところとか、人の繋がりが生まれるんだってことは、ある意味、意外と言えば意外だし、でも逆に言うと、人と人との繋がりって地方だからこその良さもあれば、 東京でも十分ある。それこそ堀井さんは町田をめちゃめちゃ愛して、かつエンジョイされてますし。
堀井
そうですね。
池田
それってなんだろうなって。そこで「壁」を作っちゃう人も、もちろんいるけれども、今あるところを楽しむ能力って逆にすごく我々強い方じゃないかなって。
堀井
そうかもしれない。池田さんもそうだし、私もそうですけど、初めてのもの初めてのことを受け入れるのに、何の抵抗もないからでしょうか。
自然体でフラットにみんなと接することが出来るコツとは
池田
私は記者という仕事上、どちらかというと怒ることが多い、怒るというかリポートで政権を批判したり、やってることはこれでいいのか?って問う。「えふりこき」って秋田の言葉で「かっこつけているな」と・・・ある意味心のどこかで「ちょっと恥ずかしいな」と思いながら、演じている部分があるんですけど。私から見ると堀井さんはすごく自然にというか、本当にフラットに人と向き合ってるのがすごいなって。
堀井
いやいや、そうですね。
池田
心は必ず揺れ動くわけじゃないですか。どうコントロールしてますか?
堀井
まず前に出る意識が低い。自分でそれは良かったなと思うんです。
池田
よくアナウンサーになれましたね(笑)。アナウンサーは我の塊じゃないですか。私もTBSアナウンサーの採用試験、3〜4回面接官をやったことありますけど。みんな我が強いですよね。
堀井
もちろん、アナウンサーの仕事を好きでやってるんだから、人の前に出るのも好きだし、承認欲求もある、他の人より目立ちたいとか、スポットライトを浴びたいのは否定はしませんよ。ここに饅頭があったら、誰よりも先にかっさらいたくなります。
でもこんな楽に生きられるのは、もともとめちゃめちゃ自分を低く見積もってるからで、全てがラッキーって感じなんです。要するにいろんなものが棚ぼたで落ちてきた意識。
今のポジションも無理やりがっついて手に入れたわけじゃないから、その場所を明け渡すことにもあんまり固執してないんです。
池田
最近はそうでもないですけど、私なんかはひたすら若いうちはもう・・・がっついてがっついて、自分を大きく見せても、まだ小さいと思って。ある意味コンプレックスで、 東京だと「もっと大きく見せなきゃ!」とある意味生きてきたのに、堀井さんは本当にいつ会ってもフラットだし、上から目線でマウントしてきたりもしない。だから何でこんなに素でいられるんだろうって。
堀井
TBSという会社がどういう会社かは、私は何も言えませんが、でも大企業じゃないですか。入るときも難しかったし、今でも倍率も高いし、斜陽のテレビ業界がダメだとはいえ、みんなが憧れる職業。
で、その中に池田さんはすごい努力をされて、ちゃんとTBSに入るべきして入ってきた人だと思うんですけど、私はぽっと入っちゃったから「あれ、みんなすごい」「めっちゃ英語喋る」みたいな。英語も、私、英会話に通おうと思ったんですよ。でも途中で気がついたんですよね。「こんなに英語を喋る人がいるんだったら、私は喋んなくてもよくないか」と思って(笑)。社内にすごい人が多すぎて、そこと比べようという気持ちがなかったですね。
池田
私やっと最近、その心境にちょっと近づけたぐらいで。
堀井
この人たち違う・・みたいな。
池田
そうそう、いますよね。発言を録音しているみたいに全て覚えてる人とかね。
堀井
すこぶる頭いい人とかね。仕切り方が半端ない人もいます。だから役割が違うんだなと思って。フリーになって、アナウンサー時代もそうですけど、いろんな専門家をお相手したりすると、みんな本当に社会を変えようと思ってる。書かれる本にしたって、私の本とは違って1行1行に力がみなぎってる。理路整然と書いてるし、思考回路が違う方たちと同じようにはできないんですよね。
池田
でも『一旦、退社。』は『一旦、退社。』で、もう水のように何の違和感もなく、スースー入ってくるこんな文章を読んだのは久しぶりだし、かつ堀井さんも旦那さんも知った上で読むと、何て嘘を書いてないんだろうというか、リアルすぎるというか、変な修飾語を追加したくなる気持ちが、まさにさらっとなくて、天然水を飲んでるような感じで。
堀井
ありがとうございます。
池田
私はすごく『一旦、退社。』が、堀井さんらしいし、早く2杯目を飲みたい。
堀井
『一旦、退社。』を読んでくれた尊敬する方が、「ちょっとこの本最高だった、俺まじ30分で読めたわ。頭にストレスなく入ってきた。」って言われて、普通は突っ込むところですけど、すごくありがたいなと。
これまで書く仕事もしてないし、私のようにこの歳で何かをまとめて書くことって、少ないと思うんですよね。今までは子どもの連絡帳に何か書くくらいだったし、システム手帳に1行、「本当悲しんだけど」と書くみたいな。それがどうして悲しくてどうしてこういう気持ちになってるのかを考えてこなかった。
考える事に深く立ち止まらなかったから、今回の出版はいいきっかけをいただいたなと思いますね。
池田
本の最初の書き出しだけが「若干硬かったかな?」っていうぐらいでした。最初だけがちょっと普段の堀井さんと違って、一段「よし書くぞ!」っていう気合を感じて。力の抜ける感じで言うと、最初の書き出しは難しかったんだろうなって・・・何となく伝わってくる書き出しで、すごくでも私は好きな文章でした。
堀井
編集者さんが、堀井さんの書く文章が回を重ねるごとに良くなっていくのがそばにいて分かって面白かった。とおしゃっていて。私は全然気がつかなかったんですけど、こういう時間があってよかったと思います。
Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi