「アニメだいすき!」のまえとあと

諏訪道彦
アニメプロデューサー

テレビ業界は異動が多い。長年これだけアニメ制作に携わっている人、僕は諏訪さん以上の方を知らない。物心ついたころから知っている「シティーハンター」や今も大人気の「名探偵コナン」も諏訪さんが手掛けていたものといえば、その制作歴の長さはすぐに分かると思う。今回話を伺い、出会いや人間関係を大事にしている姿が浮かび上がった。[2020/11/23 アップデート]

Profile

諏訪道彦
1959年愛知県生まれ。読売テレビ入社後、バラエティ番組「11PM」を担当、東京支社編成部へ異動後、1986 年「ロボタン」で初アニメプロデュサーとなり、その後月曜 19 時枠のアニメを数多く企画プロデュース。1996 年「名探偵コナン」TVシリーズを立上げ、翌年には劇場版を製作。ゴールデンウィークの定番映画に育て上げ、劇場版『名探偵コナン ゼロの執行人』は 91.3億円の興行成績はもちろん、イケメンキャラクター安室透人気が社会現象となるなど、国民的アニメに成長させた。
また、アニメと音楽とのコラボレーションを積極的に展開し『YAWARA!』では永井真理子の「ミラクルガール」、『シティーハンター』では TM NETWORK の「GetWild」など、主題歌をアニメともに大ヒットに導き、従来のアニソンのイメージを刷新した。現在は「名探偵コナン」など現場のプロデューサー業務は卒業して、関連会社ytv nextryにて引き続きアニメ企画プロデュース業務に従事している。ラジオパーソナリティとして「諏訪道彦のスワラジ」が文化放送・FM トヨタにて放送中。デジタルハリウッド大学で客員教授を務めている。
note:すわっちわ〜

Index

いくつかの分岐点があって今ここにいる

諏訪

最初にバラエティ番組「11PM」のADやディレクターを経験して、その後アニメに携わり、「ロボタン」「ボスコアドベンチャー」を経て「シティーハンター」や「アニメだいすき!」などの制作ができました。その流れでアニメ制作に携われたことは大きかったと思います。今ここにいるのは、いくつか分岐点やきっかけのおかげなんです。

長くアニメのプロデューサーとしてやっている人って多いんですか?

諏訪

これは自覚してるんですが、テレビ局の人間で35年間アニメをずっとやっていたのは僕だけだと思います。

かなり珍しいですよね。

諏訪

組織の人間である以上、基本的に人事異動はありますからね。

そうですよね。

諏訪

僕も制作→編成→制作→編成と異動しましたが、結果的に26歳ごろからずっとアニメ制作をやりました。組織のなかにいる以上、異動は仕方ないけど、巡り合わせが良かったか、単なる運なのか、作品との出会いも運だし縁ですからね。でも僕も自分の希望でアニメの制作に来たわけではないんですよね。

アニメやマンガは自分の趣味で良かった。大阪にいるころはディレクターとして番組を作ることが天職だと思ってました。2年の厳しいAD修行を経て「11PM」という番組のディレクターを半年やり、その後アニメ制作に異動したので、その時は自分のディレクターのセンスや「11PM」での仕事ぶりが認められなかったって感じましたよね。

アニメ制作の現場で最初に感じていたことは?

諏訪

まず「ロボタン」で9ヵ月、次に「ボスコアドベンチャー」で6ヵ月、最初からプロデューサークレジットで作品に張り付きいろいろ勉強しました。その中で月曜夜7時のゴールデンの枠で何を放送するか。当時は代理店などによる“枠買い切り”システムがありましたから、「代理店がお金を払ってくれたら、それで作品はいいの?」と思ってました。テレビ局としては何も損はないんですが、でも視聴者にお送りするわけですよね。送り手としてアニメも視聴者の気持ちや心に残る作品を吟味すべきではって。どうしてもビジネス面が先行しがちですが、過去には良いコンテンツもあるわけですから。

「ロボタン」「ボスコアドベンチャー」もアニメとして色が違えど良い作品でした。ただ視聴者のニーズや月曜7時枠に特化したものではない。でもそこで東京ムービーと日本アニメーションの2社と仕事をしたことが大きい。そこで制作会社のプロデューサーを師匠として勉強出来たから、その次の「シティーハンター」につながりました。「ロボタン」を手掛けた時のようなアニメ制作を何も知らず状態では、「シティーハンター」は作れなかったですね。

確かにいきなり「シティーハンター」を作るのは難しいですよね。

諏訪

やっぱり人間関係ですよね。師匠みたいな手本になる人を見ていると、「これはいいんだ」「これは悪いんだって」自分なりに分かるじゃないですか。制作の現場にいたころは、「先輩の背中を見て盗め」と言われた世代ですからね。今の現場は教えられないとダメなようですが。

盗むってことは、こっちで好きなところ気に入ったポイントを盗めるからね。教えられる場合だと好きなことだけを教えてくれるわけじゃないから。

教えるだと、これをやってくれと指定されますし、盗むだったら、「あれはいいな」、「これはいいな」と、こっちで判断できますよね。

諏訪

そうなんですよね。だから良い面ばっかりじゃなくて、ここはダメなんだってことも盗めってことなんですよね。でも教える場合のこれはいい、ダメは、その教える人にとっての良い悪いで、教えられる方にとって良い悪いじゃないかもしれない。

「アニメだいすき!」のまえとあと

諏訪

僕が企画プロデュースをしました「アニメだいすき!」のポイントは、読売テレビの放送エリアの人しかわからないんですけど、当時は買うか借りるかしないと見られないOAV(オリジナルビデオアニメ)をテレビでお見せしてしまうのです。

そうするとその作品の権利者は「放送すると買ってくれないじゃないですか」って思うという、今となっては信じられない壁がありました。そしてそーゆー方々との会話の末、その壁を乗り越えて放送した結果、普通は見れないものを見てくれた人がその人の感性に刺激を受けて、今この業界に何人もいてくれるのはすごくうれしいことです。

さらに「アニメだいすき!」では、東北新社さんやバンダイビジュアルさんと会話をするチャンスを生み出す機会を得ました。ふつうはある作品だけだとその作品の周りの人しか出会えない。「アニメだいすき!」のおかげで放送したい好きな作品を求め、手塚治虫作品だったら手塚プロに直接行けるわけじゃないですか。結局「ブラックジャック」をその後やるきっかけを生み出したのは、そこで話をはじめたことなんです。

誰でも手塚治虫さんが大好きなんですとは言えるわけですが、言えたから手塚プロへ出入り出来るわけではないわけで。89年に手塚さんの追悼特集が出来たのも「アニメだいすき!」があったおかげなんですよね。

だから何が大きいかというのは、アニメ制作もそうですがそこをめぐる人たちと出会えて来たことが大きかったですね。そしてその人たちを信用できたらあとは基本的には他力本願なんですよ(笑)その人たちと流れるがままに流れるんです。

僕も人のことは言えませんが(笑)。

諏訪

他力本願って、いいと思うんですよね。所詮自分ひとりでやれることは、絵を描けるとか、音楽を作れるとか、著作物を制作する方々は自分でやるべきですが、プロデューサーは著作権も何もないようなものなんで。仕事の役割や功績が形に表れにくいこともあり、アメリカなどのプロデューサーの話を聞くたびに、「違うなー」と思わざるを得ないことがありますね。

アニメづくりは粛々と

諏訪

アニメ作品に関してはとにかく粛々とやっています。秋の土曜日17時30分に「半妖の夜叉姫」を始めるんですよ。僕は4年位前から「犬夜叉2」のイメージで企画を推進してきました。昨年末くらいから高橋留美子先生の監修のもと、メインキャラクターデザインを受けていただき、「犬夜叉」時代からずっと支えてくれてる隅沢克之さんのシリーズ構成で実現したものです。世間的には高橋留美子先生初めてのアニメオリジナル作品となります。このタイミングで成立できて本当に良かったと思います。そして自分としては、来年のアニメもやっているし、来年の劇場版オリジナル作品「神在月のこども」もあるので、粛々と今そういう制作現場ステージにいれるのはありがたいですね。

結局ドラマもそうですけど、モノづくりって、与えられて出来る環境のなかで粛々とやるしかないじゃないですか。

諏訪

そうなんですよね。何かしらの理由でコナンの映画もそうですけど、長時間かけてひいていたスケジュールが飛んじゃうこともあるわけですからね。その時やれなくても次のものをどん欲に探していくべきと思ってますね。

新しい作家さんが出てきたり、あとはこういう状況を反映したテーマ性でやろうとする人も増えてくるのかもしれないですよね。

諏訪

ものづくりのテーマとしてはいろいろあるでしょうね。自分は長いことアニメ制作をやってきたことは事実なんで、手にする職はそれしかないわけです。そのおかげで昨年も劇場版「シティーハンター」も実現できたし、その時代の新作も必要ですが、その時代に合ったリメイク作品もちゃんと使命を帯びていると思います。令和を迎えた今の時代を知っている人々も結集して「シティーハンター」は成功を収めた。そこの開発だと思ってます。

どう今の時代にアジャストしていくものを作られるか。

諏訪

時代を見るか、時代を一切みないかです。たとえば格闘技でも何でもそうですけど、バトルもののロボットでも怪獣ものでもいいじゃないですか。そこは全く時代を気にせずにやっていけることも1つでしょう。この時代だからこそ出来る作品をもう1回引きずりだしていくのもありだと思っています。

シティーハンターも最初に登場してからだと、僕とほぼ同じ年齢ぐらいですよね。

諏訪

昭和〜平成〜令和までやれたことは、1つの自信になってます。じゃあ他にどんな手法があるかを探すよりは、自分に何が熱いものとして残っているか、その残っている熱いもので次に行けるかってところなんでしょう。

結局良い作品は、時代が変わっても設定が変にならなければ良い作品ですよね。

諏訪

そうなんですよね。面白いですよね、作家や原作者がすごいのは、その人が生み出すコアの部分がブレずにずっとあるからですよね。その人はその人で変わらない、だから作品が生き残っていく。それを僕らとしてはどう大事にしていくのか。言葉は悪いかも知れないけど、この時代にどう利用していくのか。さらに利用する時に好きであることも必要かな。単なる利用じゃなくて好きだという利用の仕方が、次につながる大きな価値を生み出すと思います。

あの時は上手くいったね。じゃあ今回も上手くいくか、じゃなくて、それを好きだったかということが大事ですね。僕はその”好き”はファンとしてハマるとはまた違う気がするんですね。プロデューサーとしては、「けっこう好きです」ぐらいの距離が良いと思います。

そうですよね。あまりにも好きすぎると辛いというか。好きだったものも流行ってるものとか、もう一回出しても意外と見れる。

諏訪

「シティーハンター」でのお手本のひとつがラブコメ要素です。これはコナンではもう一つ深い要素で成り立っているものですけど、くっつきそうでくっつかないみたいなものです。それはすごく大事な要素だと思ってます。

いまの若い人も人間である以上、男とか女とかジェンダーとかいろんなことを言いますけどね。その要素は置いておいて、やっぱり客観的に見て楽しい、ちょっとライトなラブコメ的なものが良いんですけどね。

名探偵コナンの世界観とルール

名探偵コナン(以下、コナン)も長く続いてますもんね。

諏訪

最初から携わってますけど、コナンがこんなにラブコメ要素いっぱい全開になるなんて思ってなかったですよ。はじめはコナンと蘭がいて、新一が小さくなったのを彼女は知らない、もちろんコナンは知っている。だから彼女に対する想いがどうだって、ここは男女のベクトルは正しく逆はありえないわけです。あれは青山先生の見事な発明です。そして今はとんでもないカップル数がいますからね。

そうですね(笑)。

諏訪

この前、テレビ番組「今夜くらべてみました」でコナンファンの回があったけど、あれは無茶苦茶面白かったですね。

あの番組で取り上げられるぐらい拡がっているんですよね。

諏訪

ハマり過ぎた人、好き過ぎた人、歌手の水森さんの話にはグッときましたね。あの番組の作り手もそこが良いと思ったので彼女の話を長尺で流してました。彼女が阿笠博士のくだりを感動を持って自分のタカラにする。そのパワーだよね。

諏訪さんはその拡がりを体感されていると思うんですけど、作った側の意図を超えたファンの解釈がありますよね。

諏訪

そうだね。それは作った人の青山剛昌先生の世界観の中のルールを、みんなはちゃんと共有してくれているってことだよね。長く続くのはルールだと思うんですよね。ルールをみんなが理解してくれていること。よく言うんですけど、どうしてプロ野球の人気があるかといえば、野球というスポーツのルールをみんなが知っているからですよね。それによってプレーする選手にスター性があることも大事になる。見ていてルールが分かっていることが大きいんですよね。

コナンの場合も、コナンが小さいことなど、見る側がルールを分かっているんですよね。だからあれはルールの中で自分でどうこうしながら見てくれてる。そこに安心感も生まれる。例えばコナンは絶対泣かないなど、我々のなかでもルールはあるんですけど、そのことは当然として、そのルールの中に、ある種スレスレのものもちょっと入れる作り方になってますね。

青山先生の描くキャラクターの絵つくりは本当に見事です。安室、赤井などのキャラもすごい。そういう先生が生み出す世界の安心感がお客さんの関心を拡大させる。コナン映画はほとんどアクション映画みたいになってますが、それは大きなスクリーンで観て楽しんで満足してもらうためのアクションですからね。コナンの場合はその方程式は静野監督で確立されましたね。

でも始めからそうじゃなかったですからね。1作目は1作目の映画で青山先生もスタッフのみんなも2作目があると思ってない頑張りをしたわけですからね。それが2作目を呼んだわけですけどね。

それが今の状況を作ってますよね。

諏訪

2作目が出来るだけで感謝だったし、映画づくりは青山先生も含めてスタッフみんなのロマンでしたからね。それが今や、24作目になるわけですから。

長く続くってことは、それだけいろんなバリエーションが出てきますよね。安心感があります。

諏訪

そうですね、年に1回のお祭りですもんね。年に1回お祭りがある、それを待って楽しめる安心感がある。確実に毎週あるテレビ作品としてのコナンは、そういう意味では機能的に動いている感じがしますね。

ワンピースも同じですが、ワンピースは毎年の映画はないですからね。ドラえもんに至っては毎年の連載がないですもんね。ドラえもんクレヨンしんちゃんの毎週の番組+映画の形はあっちが先です。お互いそれをずっと維持出来てきたことが、長寿アニメの1つの勝利なんでしょうね。

ルールもいろいろありましたけど、結局何でもそうですが、続けるのが一番難しいじゃないですか。

諏訪

そうですね。続けるのが大変ですね。

もちろんマンネリ化も、そういう話も出てくるとは思うんですけど。

諏訪

3年目、5年目、7年目に10年目とたしかに悩んでいた記憶はありますね。でも最近そういう悩みは無くなっちゃいましたね。もうそこはコナンは乗り越えちゃったんですかね。僕はもう次の世代に渡したので、僕自身が無いだけかもしれません。いまもシナリオ会議には出ているんで、各回各回を面白くする努力は欠かせませんが。

諏訪

今回映画を一年延期する判断もすごいと思いましたね。僕だったらどうしたのかな。ただ経営者じゃなく、作品をどうするかってことなので、そういう意味では英断だと思っています。

経営者が判断することであれば、今年度の収入を0にはしないと思うんだけどね。

じゃあ延期して9月だ10月だとしても、上映できるかどうか、結局同じヤキモキでいろんなスタッフが悩み続ける。そっちがよっぽどビジネス活動としても大変だったかもしれないから英断だったと思う。

映画館にいっぱい人が入れないって状況もありますし。

諏訪

90億を狙っていたことは事実で、映画館の状況によって50億だ30億の売上がいいのかどうか。もっと言うと来年に延期したらその成績がどうかって話もあるんですけどね。それは誰にもわからないからね。

コンテンツも新しいやり方をまだまだ模索中の過程だと思うんですよね。

諏訪

イベント参加、コンサートも働き方改革のなかでも、そこだけはずっと盛り上がってきていたんですよね。CDが売れなくてもライブやコンサートに来るミュージシャンもいっぱいいるじゃないですか。あとはそこで売るグッズでビジネスをしていたのが、それがなくなった。じゃあ代わりのものといっても、すぐには見つからない。

そうなんですよね。みんなそこが一番ネックですよね。でもエンタメ業界が元気になってもらわないといけませんよね。

諏訪

そうです。

やっぱりエンタメが活力になって日々働いている人も多いですからね。

諏訪

そうです。好きだから出来ている部分もあって、仕事だから出来ているわけじゃないんですよね。もちろんそれだけじゃないとは思うんだけど。エンタメが活力、それは嬉しい話ですよね。恒久的なエネルギー注入をしていきたいですね。

こちらもそういうファンの話を聞いてエネルギーが注入されているんですけどね。そういう良い関係がこれからも続くために、コロナをどう乗り越えるかは共通の課題ですね。

お互いに作り手と受け手の関係性として、そういう共生関係にあるわけですもんね。

取材のあと

音声配信アプリ Stand.fmを使って、取材後のインタビューをしています。

[new] まえとあとのあと [アップデート版]

根っこにあるシンプルなもの

今回ちょっと短い尺ですけどお話を伺いたいなと思ったのは、最近よく言われる「鬼滅の刃」が大ヒットしていて、「鬼滅の刃」のキャラクターを推すファンの心理が、「名探偵コナン」のファンを推す心理に似ていると語っている記事を見たのがきっかけです。

僕自身は「鬼滅の刃」の絵が苦手で見てないんですけど、傍から見てなぜにそんなに短期的にヒットしているのかなと。

諏訪

僕は原作を読んでいたんですが、正直途中でもう読むの諦めようと思った時期はありました。でも読み続けて最後のバトルには惹きつけられていました。なので今回の劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編のヒットは、キャラクター造詣の上手さだと言われてるだけはあるんでしょうね。主人公の愚直なまでの真っ直ぐさ。ある種理想的な何かをアニメやマンガで透過させ、わかりやすく伝えているんだと思うんですよ。

この前お話を伺った時に、「名探偵コナン」はラブコメ要素があるって話があったじゃないですか。それも相まって、「名探偵コナン」は今もすごく長く続いていると思うんですが、「鬼滅の刃」って逆に言うと、今までの引張り引張りのストーリーが多かった「少年ジャンプ」とは違って引っ張らずに終わった。

諏訪

「名探偵コナン」は黒ずくめの組織を縦線の1とするなら、ラブコメも縦線の2としてあるわけです。「鬼滅の刃」は主人公の成長ぶりが縦線で、それ以外は興味はないと思われる潔さは魅力です。もちろん今回の映画は煉獄というキャラクターがもう一人の主人公なんですが、スポットの当て方は似ていて、そんな成長を魅せてくれるキャラクターの応援をファンがしていると思います。

原作者の吾峠先生のキャラクターに対する想いはいっぱいあって、それに重ねて加えるアニメーション作りがとても評価されていると思います。主人公の成長という、根っこにあるシンプルな形はわかりやすい記号として、今のコロナ禍のみんなに浸透した感じがします。知らず知らずのうちに作品の持つ空気がわれわれの背景に置き換わっていた、みたいな感覚があります。

じゃあいろんな意味で、偶然や背景も含め、今の状況にフィットしたってこともあるってことですよね。

諏訪

そうですね。コロナ禍って一種の飢餓状態みたいなコトってあったじゃないですか。その飢餓状態で求めるものに一番ちゃんと答えを出したってことなんでしょうね。

テーマのシンプルさ

諏訪

やっぱり「鬼滅の刃」のテーマはシンプルなんですよね。そして鬼は鬼なりの理屈がある。それはよくわかるんです。ただ人間側も鬼を退治する柱というチームがいて、柱のキャラクターが感覚として、僕は古い人間だから古いものにすぐ置き換えて申し訳ないんだけど、「サイボーグ009」みたいなね。それぞれ得意技を持っていて、「鬼滅の刃」では火が得意とか水が得意とかで見て子供も理解がしやすい。伝わりやすくて飲み込みやすい。で、そんな各々のキャラクターはちゃんと吾峠先生が描いていますし、劇場版にも出てきててこれだけ観る人も世界観をとらえられる。

そこはたとえば「名探偵コナン」の青山剛昌先生もキャラクター設定は本当に素晴らしい。それと同じように吾峠先生の描くキャラクターがしっかりとキャラとして立っていた。それをアニメできちんと表現し強調できているからこの反響なんでしょうね。

ボクはここに驚くのですが「鬼滅の刃」は結局家族を殺した鬼(犯人?)へ復讐する話ではないんですよね。柱と呼ばれる人間のチームと鬼のチームの強いやつらとどんどん闘っていく話です。主人公の炭治郎は家族を殺されてしまい、そこで自分の人生を決められ、その人生を強くなる目的を持って実直なまでに真面目に生きていくこと、それが柱という存在のようなんですよ。それが今の社会にウケたのかな。映画でいえば煉獄というキャラクターはその先輩のようだし、鬼側もNo.3というキャラクターがいる。そういう意味ではエピソードは上手く作りやすいし、戦う経験値も表現しやすい気もします。

そうですね。「名探偵コナン」も同じだと思うんですけど、最初にガチっとした設定があるとやりやすいんだと思うんですよ。

諏訪

何にでも設定の妙って言うのは必ずあって、でも考える多くの人を強く悩ませる要件です。「鬼滅の刃」の場合は、漫画からアニメにするときに、設定の妙をそぎ落とし洗練した。それはわかりやすくしたというのか、すっきりさせたってところが見事だと思うんですよね。

もう観客動員数も1000万人を越えたって言ってましたよね。ここまで来たら思い切って映画最高峰を狙ってほしいと思います。ただお金を払ってスクリーンで観る劇場版は、原作など既出のネタではないところで戦うもの、と思ってる自分がいます。なので今回の大ヒットは何か特別な要素が、作品が本来持っている良さと掛け合わされて起きている、そんな風に思います。というかそう思わないと割り切れなく納得できない面もあるというか。とにかく原作とTVアニメ、それらトータルの力を浮上させた先生の力とアニメチーム、さらに宣伝の勝利みたいなところがあると理解してます。

だからまったく勝利の方程式としては、「名探偵コナン」と近いところもあるけど、また違う部分というのも、今回は外的要因も含めて大きいところですよね。

アニメーション制作陣の力量

諏訪

キャラに負うところは、「名探偵コナン」とかなり近いと思います。たとえば「名探偵コナン」だと安室や赤井がいる。「鬼滅の刃」で出てくる十二鬼月は、たとえば黒ずくめの組織だと思いますし、向こうは向こうの理屈があるわけです。だいたいどんな作品もそうなんですけど、その作品の世界観の中でのみ、相反する要件がきちんと成立していることが大事だと思います。

「名探偵コナン」の世界観の中で、黒ずくめのやつらは何をやりたいかはもうひとつよくわからない。でもコナンが小さくなったように、若返りの薬(=不老不死)的なものが根っこにあって、それを巡った巨大な陰謀のように見せてる一面がある。その作品の中の理屈が作品の中の世界観と、しっかりリンクしているということはすごく大切なのは事実でしょう。

そこがあやふやだと、作品自体がすごくあやふやになっちゃいますよね。

諏訪

本当はあやふやな作品の方が多いかもしれません。でも「名探偵コナン」で言えば青山剛昌先生の頭脳の中に、あの膨大なストーリーの世界観が起承転結きちんとあるわけです。だから先生はその中ではどこへ行っても、何を言っても答えられる。「鬼滅の刃」の作者の吾峠さんもそうだと思います。もちろん初めからその世界観が完成形として構築されてたかどうかは分かりません。でも途中からはしっかりと出来ていたのでしょう。

その出来たものをアニメ制作チームがガシッと掴まえた。「名探偵コナン」もその世界における構図や対立構造、今後の展開のことをある程度理解した上でオリジナルのストーリーも作られています。

「鬼滅の刃」の漫画をしっかり捉えたアニメの製作陣もひとつ要因ですよね。

諏訪

見事だと思いますよ。原作って意味では「犬夜叉」も、はじめの数巻は髙橋留美子先生も試行錯誤されているわけですよ。モノを作るのに初めから100点っていうわけにはいかない。あの先生はゼロから「犬夜叉」を作っているわけですから。その作品をあとでアニメにするときに、先生もそしてアニメチームも何度も咀嚼し洗練させていくわけです。

犬夜叉は20年前の作品ですけど、原作の面白さや感動ポイントなど何が「犬夜叉」にとってベストなのか、それを考え抜いて一歩一歩進んでいった結果、TVアニメは4年間続き劇場版も4作出来てのちに「完結編」でラストを飾れた。さらに今は高橋先生初のオリジナルTVシリーズ「半妖の夜叉姫」としてその世界観はさらに展開進行している。やっぱり原作を料理するアニメチームの力量が問われるところが絶対にどこかに存在するんですよね。

ぷよぷよみたいなパズルの連鎖反応がヒットにつながる

今日お話を伺っていて、表現の仕方と世界観、制作陣と時代背景がパズルゲームみたいな形でうまくハマったものは、半沢直樹もそうですけど、いまヒットしてるのかなって。

諏訪

そう思います。でもジグゾーパズルの最後のピースがカチッとハマるって感じではないですよね。それはハマったらそこで落ち着くじゃないですか。そうじゃなくて、ハマった結果、煙が出るのか、火が出るのか、ハマった結果、何かのスイッチを押している感じなんです。

例えるなら、ぷよぷよの連鎖みたいな感じですかね。

諏訪

そうですね。ひとつ連鎖すると、思った以上のことになる時がありますもんね。ジグソーパズルのパズルがきれいにハマりましたという結果ではなく、もちろんハメたんですけど、ハメるように頑張ったんですけど、ハマった結果、そこから別方向に増殖する感じです。「名探偵コナン」でも「犬夜叉」もボクはそれを感じました。

それは本当にぷよぷよ的な感じですね。

諏訪

ぷよぷよという表現でみんなに伝わるのかな、ちょっと違うかな。 パズルでひとつ並びがハマり完成したら、気が付いていなかった別の並びにもなってたという感じでしょうか。その並びは自分のチカラで出来たのか、実は前もって誰かが(自分も含めて)準備してくれてたから出来たのか、正確なトコロはわからないです。

さらにパズルがハマった、そんな感覚でお話してますが、そのパズルエリアだけでは説明できない要素もこのようなヒット作に見受けられます。二次元条件でがんばってきれいにしてたものが、いつのまにか上下左右だけでなく、凹凸など含む三次元になってた感じでしょうか。だからこそ“次元を超えた大ヒット”という表現が似合うのかもしれません。

おっしゃっている意味はすごく理解できます。それがうまくいくと、「名探偵コナン」に限ってじゃないですが、長く続いても、そんなに違和感がない作品が作り上がりますね。

はじまって、半年が経過しました。

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi