関係人口のまえとあと / 指出一正

  • 指出一正『ソトコト』編集長

写真:平林克己
聞き手/編集/執筆:望月大作

フレームの外が重要

望月

直接ローカルへ行くのと画面越しでのミーティングだと違いますか?

指出

これは自分のアプローチと芸風もあると思いますが、もともとその場所に行くことで、その場所の新たな動きを知り、それを他のところに運び、お話をすることが、自分の中では1つの特徴だったんですよね。

たとえば今日新潟県の津南町にいたとしたら、津南で新しく農業に取り組んでいる若い皆さんにお会いします。そこでどんな思いでやっているかを聞き、翌日にたとえば広島の呉に行けば、広島の呉で農業をやりたい同世代の若い皆さんに、こういう気持ちでやっている人に昨日お会いしましたってことを話すことで、誰かの背中が押されることを、瞬間瞬時に感じ取っていました。

デジタルが介在しないなか、僕が持ってくる距離のある情報の価値を、皆さんがすごく大事にしてくださるのは有難くて感付いていたんですよね。だから今はその距離を飛び超え、いろんな人と話は出来るんですが、フレームの中での情報しか僕は手に入れられていないわけです。

あのフレームレスであったオフラインの情報や感覚や社会気分を、どうやって自分が手に入れ、それを誰かにちゃんとお渡しできるかが、オンラインのままだと難しいんじゃないのかなと感じたりしました。

もちろん友達付き合いとか、仲のいい関係性の中では、それが深まったり新しい出会いもあるんですけど。自分がフレームの中では得にくいことがあると感じました。

望月

直接会うのとフレーム越しになると、ずっと違うなとすごく感じているんですよね。

指出

デジタルの精度が上がってるから、この人にこう言ったらウケるだろうなみたいなことは、オンライン上でも全然楽しめるじゃないですか。望月さんと僕だったら、こういう話は面白いなっていうのがありますよね。でも僕にはフレーム外の人、アウトオブフレームの皆さんとどう出会うかが、かなり大事なことなんです。

僕にとってはいつも興味の対象はそこなんですよね。たとえば同じレイヤーの1万人に伝えることも大事なんですが、そのレイヤーではないところにいる5人にどうやって接触するかのほうが、記事を作ったり、自分がメディアとして動いているときには意識しています。

それがフレームの中だと、まだまだ自分の中では勉強不足なので、どうやって作ろうかなと思っています。

これからの関係人口

いま関係人口の議論、じゃあこの先どうなっていくのかは、すごくご質問を頂いたりしてるんですが、1つは特に5〜6月のあいだにzoomなどを使って、皆さんがオンライン飲みをしていったり、地域の農産物などをSNS上で買って応援するみたいな動きが加速化しました。クラウドファンディングもそうですね。オンラインでの関係人口の精度と幅は上がったと思います。

今まではふわっとしていたオンライン関係人口が、結果オンラインでどこまで出来るのか、この1ヶ月間くらいでやり方と方法論と支持層が広がったのは確かです。オンライン関係人口とかデジタル関係人口って言葉でいいと思うんですけど。 

今までは足を運ぶことが1つの通過点だったわけですよ。関係人口が仮に階段だとしたら、いまは僕自身も必ずしも階段だけではないと思ってますが、ステップを登っていくと地域居住だったり、地域にもっと深く関わる人たちが増えていき、作られていることが関係人口だとしたら、その初段はふるさと納税であったり、その街が好きみたいな、そこはかとない淡い恋心みたいなものだったわけです。

でもそこはかとない淡い恋心とかワンクリックで買って応援することは、実はとてつもない力をオンラインの、たとえばzoomを介して出来ることが分かったので、オンライン関係人口やデジタル関係人口は、関係人口のライト層と言われがちだったのが、ライト層ではなくて多分ミディアム層くらいにだんだんなっていくんだと思います。

ミディアム層がオンラインを使って関係人口になっていくと、それは新しい関係人口じゃないですかね。やれることとやりたいことが、まだ曖昧だと思いますが。

まず、少なくとも地域に思いを寄せるという第一定義は、オンラインでも成し得ることはよくわかった。さらにそこから経済的にも少し加担出来たりしていく。ただし、その場所に足を運ぶ人たちの数を、このオンライン関係人口がどう増やしていけるか。もちろん増やすことだけが正しいのかどうか分からないですが、その場所を訪れる人たちのリアルな関係人口が、このオンライン関係人口からどう生まれるかに興味はあります。

望月

そういう意味では、いろんな意味で停滞した約二か月間が、そういった新しいものを生み出し始めたのは、ちょっとした面白さではありますね。

何か文通に通じるオンライン。

これは初期の話になりますけど、僕はzoomをものすごく使いこなしているかというと、使いこなしているまでは到底いきません。ただ、自分で基調講演やワークショップやトークイベントを行ったり、それなりに自分が発言をする立場でzoomのつくる環境に出たり、触れたりしています。そういう立ち位置で考えると、実はこのzoomを介してみんなで言葉のやり取りをしているのは、僕にとっては昔で言うところの文通に近い感じがするんです。

まだ会ってないけど、会っていない前提で、お互いの顔や言葉、お互いが言っていることの行間を汲み取り、言葉は流れていくけれど、そこに見て取れる平面上のものの中で、「望月さん、最近元気かな」とか、「なんか顔色がいいな」とか、そういうことを見る。

これは行間の意味を汲み取ることと何ら変わりがないから、そういう意味では直接会ってないからこその想像力を働かせ、相手を慮ることが、100人いたら難しいかもしれないけど、1対1のオンライン、あるいは4人くらいのグループのオンラインでは、そういう文通っぽい感覚をみんな今楽しんでるんだろうと、いち編集者としては感じています。

いま考える文章力とは?

望月

いまSNSが手軽になってきた文脈では、ひねり出すって要素がかなり薄くなっている気がします。

指出

そうですね。あからさまに見えているものが多くなっているのは確かです。それでもやっぱり行間があるので、人と人とのコミュニケーションは、行間を読めるか読めないかが大事だから、そこを読み取ることも必要です。いまそれが全くシームレスに行間が無いかというと、そんなことはない。

望月

まだまだ面白いのは、インターネットが発達し、いろんなコミュニケーションがリアルタイムで出来るようになりましたけど、結局幅を取っているのは、文字のコミュニケーションが実は多いのが逆説的ですよね。 今の方が文章能力が求められるじゃないですか。

指出

そうですね。

望月

昔のまだ何もなかった頃の方が文章を書いている人が多い気がするのに、今の方が文章力が求められているので、すごく変な違和感じゃないですか?

指出

言葉を文字化することは、非常に手間のかかることです。そういう意味では、ステータスとして少しクラシックな方法かもしれないですが、要は言葉を誰かと共有するという意味で、文字にすることは求められる責任が一つ上がるのかもしれないですよね。だから、文字にすることを案外みんな怖がるじゃないですか。

言葉はシンプルなツールだからこそ、いろんなところ、例えば空間や状況に持ち運びしやすいですよね。

望月

イチローさんが引退会見で、アメリカに渡ったときに、英語よりも日本語をちゃんと喋れるようになりたいと話したじゃないですか。イチローさんでさえ、そういうことを思うのは、今こういう世の中だからってこともすごく感じます。SNSで炎上する案件を見ていても、そういうことを思いますね。

ITリテラシーも大事な要素として、指出さんもお子さんがいらっしゃる身としては思うところだと思いますが、文章をちゃんと読める能力って一見誰でも出来そうなことが出来ていないのが、すごく世の中が発達してきているのにもどかしくて。

そうですね。僕が文章が社会に作用するという視点で見たときに思うのは、1つは文章は本来結論があるべきなんですよね。ただ、僕たちが使っているいまの文章のほとんどは結論までが書かれていない。よく言えば余韻を残していて、後は想像に任せているんです。

でもそれは想像しきる力が養われた後じゃないと成り立たない世界です。だけど、いま僕たちがやりとりしてるものは、「後はお前ら任せた」みたいな感じの言葉で、世界中・社会中にふわふわ浮いている。基礎的に文章を作りきれる力のある大人たちがいない中で、それが広がると社会があやふやになりますよね。

だから実は僕たちが学ぶべきことは、日本語でも英語でもいいと思うんですが、その自分が発言した/自分が考えた/自分がどこかに残した言葉が、ちゃんと結論まで紐づいて言葉になっているかというレッスンがなされてないことが怖いと思います。

要は平たくて明るい言葉で、最高に物事の文脈を作りきる力を、僕たちは小さな文庫本から学ぶレッスンがなくなったわけですよね。それがなくなったら誰かに伝えきる力はそんなに生まれないわけですよ。まず模倣から始まるので。

最後まで結論を作る文章の模倣をやらないといけない。それが出来ていないというのがある。学校のテストや塾の国語を見てみても、みんな途中までの引用じゃないですか。抜粋しかない。あれは本当の言葉を生み出さないんですよ。抜粋ではなく、どんな下手な文章でも、最初から結論まであるものを何個読んだかが言葉を作る力になるから、それですよね。

短編でも良いし、長編でもいいんですけど、最初から最後までその文章を読みきった経験が、どのくらいあるかといったら、みんな意外とないのが正直なところですよね。

編集の学校という講座を、行政の方や企業からご依頼を頂いて先生役をやっています。その講座の中でツイッターとほぼ同数の160文字で自分の1日を端的に現してくださいってことを、1つのお題としていつもやってるんですね。

この文字数の中で、自分の1日を削ったり、貼ったり切ったり、つなげたり、脚色したりして書く力をつけていけば、本当はいいんです。でもそれをやっていないまま言葉をただ放り投げていると、思わぬ誤解になったりする。

もしもちゃんと伝えたいのであれば、それをレッスンした方がいいと受講生のみなさんには伝えています。みんなが書いてくれたものを読み上げてもらったりして、「今日は妻と喧嘩をしてきて、いまここに来ました」みたいなものが書いてあると、みんなドキッとしたり、ワッと笑ったりして、面白いわけじゃないですか。

そういった風に、文章を使って、人とのつながりを作るためには、結論までちゃんと書いたものを、誰かに託すレッスンをした方がいいんですよね。それは短い言葉でもできるよということです。

短い文章が難しい

望月

逆に言うと、短い言葉でそれが出来ていたら、何でも出来るような気がします。

指出

そうなんです。みんな誤解してるんですけど、長文を書くのが難しいのは、それは単に文字を書くのが面倒くさいだけだと思うんです。僕が大好きで尊敬してやまない俵万智さんの短歌に「オレがマリオ」っていう、島に移り住んで自分がマリオのようになった息子さんについて詠まれた一首があるんですけど、俵さんの歌集を読むと言葉は短く書くことがいかにそれが大事であり/難しくあり/かけがえなくすごいことだと教えてくれます。

望月

そうですよね。

指出

だから短いなかに結論をつけるレッスンをしていくのに、ツイッターはすごくいいものだから、ツイッターでベーシックを学んだら、投げかけも楽しいし、呼びかけも楽しいし、囲い込みも楽しい。それこそ国語のテキストボックスとしてはツイッター最高だと思っています。

文章を上手になるためにはワンパターン性が必要なんですよね。人からみたら呆れられるかもしれないけども、徹底的にあるひとりの作家さんのものをひたすら読み続けることは大事です。

だから、たとえば僕は藤沢周平さんもすごく好きなんですけど、作品の主人公の多くがむかしのローカルヒーローですよね。華々しく派手な事はしないけど、めっちゃ市井に生きたヒーローやヒロイン話が多いんです。

ひたすら10〜20冊読むと藤沢文学の文体が分かるわけですよね。だからそうやって今人気の作家さんの本を読んでいけば、その文体が分かってくる。面白いと思った人の本はもう過去に現在に全網羅で読むと、文章は格段と書けるようになるし、上手くなる。同じ形容詞をけっこう使ったりしてることなどを発見すれば、それも成長につながる。そういうものを見るのは大事です。

きっとこれから芥川賞作家も直木賞作家もAIの作家さんが取るような時代になってくるのかもと思うんですよね。それは確実に今の文章文体の解析をしていけば出来る事なので、それでストーリーを作ってたくさんの人が感動できる本は作り切れると僕は思うんですよね。

でもたくさんの人は感動できるけど、たった1人の人を感動させる方法はまた違うんじゃないのかなと思う。たとえば僕に向けてAIが僕を感動させる本を作りたいなら、ありとあらゆる日本中のタナゴ とイワナの情報が入ってこないと感動しないわけですよ。それはたぶんAIでは追いつかないと思う。なぜかというと、僕の方が先にその用水路に行くし、その沼や川に行っているから、全然届かないわけです。

そういう考え方をすると面白くて、真逆でありながら、これからたぶんデジタルが文章を作り、人を感動させられる幅は広がるけれども、ピンに入ると、その個人に寄り添う形のものはどこまで作れるのかは興味の対象かもしれません。当然ゆくゆくは凌駕されるのかもなとも思うんですけど。

ある釣り人から学んだ編集の心得

望月

その話ですごく面白いのは、よくある話でベストセラーはなぜ生まれたかって話は、ある1人の人を想像して書いた話が多いじゃないですか。

指出

はい、そうです。

望月

いまのAIの話だと、そのロジックが真逆だから面白いなって思いました。

指出

面白いですよね。いまソトコトはチームで作っている本ですが、でもその中にはペルソナがあるわけじゃないですか。たとえばリノベーションの特集を作ったら、リノベーションをやってゲストハウスを作っている彼女のことが思い浮かぶとか、実際に存在する人がいながら、僕はメディアとしてそれを作っている。これはとても大事なことなんですよね。

いろんな釣りの名人の方に会って取材をした時期がかつてアウトドアや釣りのメディアのときにあったんです。一番心を動かされた人が、群馬県高崎市の中華料理店のオーナーの池谷成就さんって人なんですよ。

この人は他のどんな僕が取材した大人気のカリスマの釣り人とは全く真逆の視点で、釣りを語ってくれたんですね。釣りは最初に一番大事なのは釣り竿とか最高級のリールや感度の高い糸だったり、魚を誘う最新のルアーではないそうなんです。一番大事なのは何よりも魚を釣ってくる針だと。魚が最初に引っかかるところだから。

針をまず考える。魚と自分に向いた針を考えたら、次にルアーと針をつなぐ金具、ラインとルアーをつなぐ金具、それからライン、その後はリール、そして釣竿。そうやって逆にしていくんですよね。だいたいの釣り人はこういう釣り方で、こういう考え方をしてたら、魚もいっぱい大きい魚も釣れるだろうっていう広いところから考えるんですよ。でも、池谷さんは違った。

池谷さんはまず一匹の魚との接点である1個のちっちゃな針から物事を考える人で、これに僕はものすごく影響を受けています。だから読者1人、この人がいるということは、この人的な人もいるだろうって仮説から生まれるわけだから、明らかに存在している人から肉付けしていくやり方を教わったのは、その釣り師の池谷さんです。僕の編集方針はそこから始まってます。

取材のあと

音声配信アプリ Stand.fmを使って、取材後のインタビューをしています。

Profile

指出一正

1969年群馬県生まれ。上智大学法学部国際関係法学科卒業。雑誌『Outdoor』編集部、『Rod and Reel』編集長を経て、現職。島根県「しまコトアカデミー」メイン講師、静岡県「『地域のお店』デザイン表彰」審査委員長、和歌山県田辺市「たなコトアカデミー」メイン講師、秋田県湯沢市「ゆざわローカルアカデミー」メイン講師、岡山県真庭市政策アドバイザー、富山県「くらしたい国、富山」推進本部本部員、上毛新聞「オピニオン21」委員をはじめ、地域のプロジェクトに多く携わる。「関係人口」を提唱し、内閣官房や環境省、国土交通省、農林水産省、総務省など、国の委員も務める。著書に『ぼくらは地方で幸せを見つける』(ポプラ新書)。趣味はフライフィッシング。
www.sotokoto-online.jp