まえとあとNOVEL / READING MODE
小説
FICTION / MAETOATO

第1話五月の砂漠

執筆:望月大作

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 わたしは海に来ていた。

 父によく連れてこられた場所だったらしい。

 わたしはこの海を憶えていない。それでも、ここに来た。

 その父が、死んだ、のだ。

「ねえ、おとさんは? カズニイは?」

 父と和兄はどこにも見当たらなかった。

 わたしが父を失ったのは、これが二度目だった。

 思えばあの日から、わたしの航海は始まってたのかもしれない。

 わたしが向かうべき場所に向かって。

    1

 ヘッドフォンから流れてくる音楽。さっきから何度も同じ曲を聴いている。

 ふ~、とため息を一つ。

 わたしは親友を待っている。

 待ち合わせの時間はとっくに過ぎているというのに、親友は一向に姿を現さない。何回も腕時計を覗き込むわたし。

 太陽はとっくにもう南の空高くにあがっている。見上げた大空には雲なんて影も形もない。空一面醒めるような青一色。

 今日の空は、我が物顔をした太陽が、青一色で描かれた大空のキャンバスを独り占めしている。昨日の大雨なんてまるで嘘だったかのように……。

 いったいどれだけの水が空の上に溜まっていたのだろう? 空の上で何百人もの誰かさんが、せっせと大きなバケツに入った水を何度もひっくり返しているような雨が、空から降ってきた。

 わたしはまるで服のまま海に飛び込んでしまったかのように、全身はずぶずぶに濡れて、傘はただの棒切れだったし、道路も至るところで冠水して、そんな状況の中を果敢に攻めて通り過ぎていく原付やバイクたちは、さながら荒れた海の中をシュプールを描きながら進むジェットスキーのようだった。ジェットスキーが通り過ぎるたびに、跳ね上がる水が何度もわたしの顔に飛びついた。

 わたしは雨が嫌い、大嫌い。取り立てて大雨は。

 いっつも悪いことが起こったのは、決まって雨の日だった。それも大雨が降ってる日。

 あの日もあの日もあの日もあの日も……。数え上げればキリがない。

 雨の日は臭いで分かる。あの臭いはことごとく、いち早くわたしの不快感センサーに反応する。もちろん昨日の大雨も例外じゃないわけで。

 でも、あれだけの大雨が降ったのに、結局昨日は悪いことは一つも起きなくて、むしろ、わたしにとっては良いことが起こったくらいで。

 まぁ、こんな日もなきゃ困ると、ずっと降り続いてる耳障りな雨音も聞こえないくらいの興奮を胸の中にしまいつつ、わたしは昨日眠りについたのだった。

 今朝起きてみると、すっかり普段と変わらない光景が広がっていて、まるで昨日の全てが無かったかのように、大雨の名残は、もうほとんどどこかに消えてしまった後のようだった。

 わたしが大学のキャンパスに辿り着いた頃には、昨日の名残で、唯一残っていたジメジメと湿った空気も、もうすっかりカラッカラに乾かされていて、歩道のアスファルトや空気の焦がされたような臭いが、時折、歩いているわたしの鼻をかすめていく。

 街自体が昨日のことなんて忘れたみたいに、セミの大群が合唱を始めていてもおかしくないくらいの暑さが、わたしの体のまわりをすでに取り囲んでいる。

「まだ五月も中旬だっていうのに……」

 思わず、わたしの口からこぼれる本音。

 まだ救いだったのは、蒸し蒸しした暑さではなかったことと、今いる場所が、まだ五月だっていうことを思い出させてくれるような心地よい風が、時折、わたしの傍を通り過ぎてくれることだった。

 でもそれは、砂漠で見るオアシスの幻のような、つかの間の歓喜でしかなく、すぐにまた暑さがそのあとを追いかけてくる。さっきからその繰り返しばかりで、ただこうして親友を待つために、ベンチに座っているだけでも疲れがたまっていくような、そんな気さえする。まるで砂漠のど真ん中に放り出された旅人のような気分で、大学のキャンパス内のベンチに腰掛けているわたしは、時間だけは立派に過ぎて大学四年生になっていた。

 気がついたときには大学四年生だった。と言ったほうが正しいと思う。大して何もしないまま、逆に何をしていたのか、何時間も考えたくなるくらい、あっという間に四年間を過ごしてしまった気がする。

 今ごろになって気づくことも多い。いや、そのほうが多い。

 もう少しいろんなことしておけば良かった、とか。そんなことを考えても時間は取り戻せないもんだけど。

 わたしにとっては、よっぽど高校生活のほうが充実していたのかも知れない。最近ふと、そんなことを思うときもある。高校時代を忘れてしまってたかのように。

 異常繁殖したイナゴのように、四月まではあれだけいたはずの、着慣れていないのが一目で分かるリクルートスーツ姿の学生も、すっかり企業という捕食者に食い尽くされてしまったのか、もうほとんどキャンパス内では見かけなくなっていた。

 時折、幸運にも捕食されなかったのが、今日の暑さの中を、スーツ姿でわたしの目の前を足早に通り過ぎていく。同じ学年なのにご苦労様、と心の中でだけ呟く。もちろんそれは、口に出しては言えないわけで。

 うだるような暑さの大学のキャンパス内は、もう一足早くTシャツ一枚姿のような薄着の学生や、わたしと同年代の女の子たちが履いているミュールやパンプスのコツコツとヒールが地面に当たる音が、まるで自己主張でもしているかのように、必要以上に大きな音を立てて、キャンパスの中を響かせている(ちなみにわたしはスニーカーだけど)。

 大学生活も最後の四年目を迎えると、授業がほとんどないこともあって、すっかりわたしの前から遠ざかっていた大学のキャンパスという空間は、季節外れの学園祭でも行われるのではないかと錯覚してしまうくらいに、人・人・人で溢れかえっていた。

 去年の今ごろは、こんなにも学生でキャンパス内が溢れかえっていたような記憶はどこにもない。たかだか大学にはほんの少しだけ来なかっただけなのに、わたしの虚を突いたような異様な人の多さに、わたしの知っている大学はどこか遠くの彼方に吹き飛んでいってしまったような、そんな雰囲気さえ感じてしまう。

 最近は真面目な大学生が多いと、何かの雑誌で読んだような気もするけど、まさかここまでとは思いもしなかった(わたしの大学は今年新しい学部が出来たらしい)。

 そんな人で溢れかえっているキャンパス内を行き交っている学生のことを、じっとしていてもジワッと吹き出してくる汗と格闘しつつ、わたしはベンチに座って眺めている。

 そう、親友を待つために。真奈美は未だ現れず。

 わたしの目に映るキャンパス内を行き交う学生たちは、見事なくらい前向きな笑顔をしているように見える。みんな未来にある希望に胸を膨らませているような、そんな笑顔のようにも見えなくはない。

 わたしのほうはというと、どうもそんな笑顔にはなれそうにない問題が、このところは多かった。つい最近まで、誰もわたしを笑顔には出来ないと思っていた。

 例えば大好きな妻夫木聡が、わたしの目の前に現れたとしても、某テレビ番組に出ているどこかの無口な弁護士さんのように、わたしは絶対に表情を変えることはなかったはずだ。親友と大学で会おうって思ったのも、そんな憂鬱になりがちな気分を変えたいと思ったからだった。

 だけど昨日、日本の総理大臣以上にサプライズさせる自信があるぐらいの嬉しいことがあって、それを思い出すたびに頬を触ってみると、自分でも自然に笑顔がこぼれているのが分かる。その嬉しいことは考えるだけでも、どうしようもなく嬉しくなってしまうのだ。

 正体不明に近い嬉しさ。

 だって聞いたときは、わたしだって信じられなかったんだから。

 まさかのまさか。世の中に三人いるっていう自分のそっくりさんに、いっぺんにあってしまうくらいの驚き。

 つまり、当初考えていた親友と会う口実に矛盾が生じてしまっているわけだけど、親友に会うための理由なんて、ホントのところはあってないようなものだった。

 一般論として大学も四年目の時期を迎えると、他の同じ学年の友人たちも授業がほとんどなかったり、就職活動で忙しかったりで、なかなかお互いに会う機会も減ってくる。親友の真奈美と会うのも、そんなわけで今年の二月以来になる。

「恵理、お待たせ。あ、恵理、感じ変わったんじゃない?」

 やっと姿を現した真奈美という名の彼女は、キャンパス内にいる多くの女性の格好にもれず、ローライズのジーンズに、白と黒のはっきりとしたコントラストの中に、謎めいた英語の言葉がプリントしてある半袖のTシャツの上から、白地の薄手のカーディガンを羽織って現れた。足元の黒のオーソドックスなパンプスは、周りを行き交う女性同様に、ヒールをコツコツと鳴らして自己主張している。

 わたしは左手の腕時計を覗き込む。結局待ち合わせ時間から二〇分オーバーだった。

 やあやあと、真奈美は笑顔で堂々とわたしのほうに手を振ったりなんかしたりして、少しも悪びれた様子もない。こっちはずっと砂漠の真ん中に放り出されていたというのに、真奈美のほうは全然暑そうな素振りを見せず、むしろ涼しそうな顔を浮かべている。

 わたしはその様子に思わず、顔を少し真奈美のほうから逸らすと、ふうっと大きくため息をつく。砂漠に放り出された旅人が待っていたのは、ラクダに乗っている奴隷商人だったのかと思ってしまうくらいに。

 まあ、考えてみると真奈美が待ち合わせの時刻に遅れるのは、今に始まったことじゃないけど(真奈美がわたしより先に待ち合わせ場所にいたという事実は一度もない)。

 いくら慣れたこととはいえ、それでも親友としては、遅れてごめんの一言ぐらいは欲しい。

「ちょっと、遅くない? 十二時に待ち合わせだって言ったのに」

「もう、気にしない、気にしない。それぐらい大目に見てよ」

 真奈美はわたしの気持ちを逆なでするように、軽くわたしの肩をトントンと叩くだけで、相変わらず謝罪めいた言葉の欠片もない。

 でも、ずっと前からいつも真奈美はこんな調子だったということを思い出すと、わたしの気持ちは怒りを通り越して、いつものように諦めに似た気持ちへと変わっていった。

 久しぶりに見る真奈美は髪が肩口まで伸びていた。髪の毛も少し茶色っぽくなっている。ということはそういうことか。

「少し嬉しそうじゃない? 何かいいことでもあったの?」

 真奈美は遅れてきたときは決まって、謝罪の代わりにいつもおんなじような言葉で、わたしの機嫌を伺おうとする。

「別に」とわたしは少し口を尖らせて素っ気なく答える。

 そういうときのわたしは、真奈美の言葉の意図するところが見え見えだから、素っ気ない答えをすることが多い。出来るだけ不機嫌そうな感じを装って。

 でも、今日はそう言いながらも、わたしは不覚にも真奈美の嬉しそうじゃないっていう言葉に反応してしまって、自分の顔が笑顔になっているのが分かる。

『やばい』

 真奈美に悟られてしまう前に攻勢をかける。

「それより、少し髪の色明るくなってない?」

「やっぱり分かる? 髪染めたんだ。これだけ明るくなったら気付くよね。ねえ、恵理も、もう決まってるんでしょ?」

 何かを言いたげに、笑顔の度合いが増して、親友の真奈美が話しかけてくる。言いたいことは何なのか分かっている。今のわたしにとって、その話だけはあまり触れて欲しくなかった。それが最近までわたしの憂鬱になりがちになる原因だった。

 ……またその話? 

 真奈美とは二月以来会ってはいなかったものの、メールや電話で話す話題は、そんな話ばかり。最初のうちは盛り上がっていた時期もあったものの、ここ最近はホント、もう聞き飽きるぐらいうんざりしていた。――なのに、親友に会いたくなったわたし。やっぱりどこかで矛盾しているのは否めない。

 でも親友はそういうものなんだと思っている。一度はまってしまうと、止めたくても止められないものが、人には必ず一つや二つはあるように、わたしの中で真奈美との関係は、そんな感じに近いものがあった。

 ……就職活動。

 そう、それは今大学生のわたしたちにとって、避けては通れないかもしれない最後にして最大の一大イベントだ。その就職活動という壁は、高い人もいれば、低い人もいる。何でこんなやつがっていうのに限って良い会社に入ったりする。それが就職活動。

 世間ではこれに打ち勝ったやつが、勝ち組に、敗れ去ったものが負け組になるとマスコミが、嫌というほど煽っている。

 ――ホントクダラナクテバカバカシイ――

 もちろん、最初はわたしもそんな価値観の上にばっちり乗っかったままで生きていた。ただそんな他人が作った幻想を信じて。わたしは勝つんだ! 負け犬なんかになりたくない! そんなことばっかり思っていた。

 でも、実際に就職活動をする立場になってみて、分かったことも多くあったし、疑問も多くなった。

 人の人生って勝つか負けるかで判断できるのだろうか?

 ただ就職してお金をもらうのが幸せ?

 そりゃあお金は大事だけど、お金はたくさんもらっていても、逆にそれが原因となって、人間的に欠落した人を、わたしはこの歳でもいっぱい見てきた。

『そうだ踊らされるな! 自分を信じるんだ!』

 わたしはいつからかそう言い聞かせるようになった。そう考えるようになってからは、だいぶ気持ちに余裕が生まれてきたと思う。

 でも、ときどき就職というそれに関連した言葉は、まだわたしの体に内蔵されている不快感を感知するセンサーに反応するみたいだった。

「わたし、親友として恵理のこと心配してるんだよ」

つづく

CreditEdit & Text:Daisaku Mochizuki
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