編集人のまえとあと【特別編】

吉田直人
ゲストライター

今回は特別版。逆に取材をしてもらうスタイルで、今回の記事は「まえ」と「あと」を書いてくれてるんですが、きっと、これは僕の「いま」なんです。

Profile

吉田直人
1981年生まれ。東京都福生市出身。
以前『東京ふつうの人新聞』にて取材記事を書いていたが、今回が久しぶりの記事となる。
好きな食べ物は、茶碗蒸し。

Index

「まえとあと」編集人・望月さんのまえとあと

ゼロ年代、それは「mixi」「twitter」「facebook」といったSNSが普及して、出会いとつながりの可能性が広がった時代だった。『まえとあと』編集人である望月大作さんと出会ったのはそんな「おもしろそうな人がいるなぁ、DM送ってみよう」的な身軽さに溢れた時代の熱のなかだった。

当時、望月さんはSNSをフル活用して年間200人以上の人と会い続けている「出会いモンスター」として暗躍していた。僕もそんな200人の末席で出会ったご縁から、望月さんが当時すでに始めていた「ツブヤ大学」の講座に参加させていただき、実際に彼を取材する機会もあった。あれから10年。気がつけば、前回の取材から10年もの月日が経っていた。10年は長い。あのころ生まれた僕の姪っ子が十歳になったから彼女のこれまでの人生と同じだけの時間が経ったことになる。久しぶりに会うことになった望月さん。きっといろいろ変わっているに違いない。

「あ、眼鏡かけてない」

数年ぶりに会った望月さんは、トレードマーク(僕の中で)の眼鏡をはずし、ほんとの私デビューをかざっていた。10年は長い。「SNSで近況をみていると、あまり久しぶりなかんじがしませんね。ところで、最近のウルトラマンは怪獣が3体も・・」そのように再会した我々は月日のブランクを感じさせない会話をしながら待ち合わせた横浜駅からほど近いホテルのラウンジへと移動した。さすが望月さん、そういえば前回の取材は南青山のぴりっとエッジの効いた店だったな。洒落ているのだ。望月さんはこういうところがあるんだよなーと僕は思い出していた。

2020年7月。コロナウイルスの感染防止が生活の隅々に浸透していく。ラウンジの入り口でアルコール消毒を行い、マスクを入れるビニールの袋を受け取る。懐かしい気持ちと、今が2020年であることの両方を感じながらソーシャル・ディスタンシングを保ちながら会話は始まった。会っていなかった間のことを話し始めた望月さん、10年前、28歳当時すでに2社転職していた彼はその後もペースを落とすことなく走り続けていた。編集者をしていたのかと思っていたのだが、テレビ局とか、なんかいろいろなところにいたらしい。そして今、彼はフリーランスとなっていた。これはもう、僕じゃなくて「ザ・ノンフィクション」とかに密着してもらったほうがいいんじゃないか、などと思ったけれど、せっかくの機会なので、いつもインタビューをする側の彼に、10年ぶりに話を聞いてみたい。

「あのころは、いろいろな正しさを認められなかった」“あのころ”とは前回の取材のころのこと。10年前。オザケンなら胸を痛めて「いとしのエリー」なんて聴いていたころだ。「『俺が正しい!俺がガンダムだ!』って、相手に対して自分が正しいって、互いにひたすら言い合っている状態。ウルトラマンとバルタン星人がビームを打ち合っているかんじ」やたらとガンダムやウルトラマンで例えるところは昔と変わらない。「ネットに『〇〇ムカつく!』とか書き込んでいましたからね」はた目には、もともと穏やかそうに見える望月さんだが、昔の自分をそう評価している。「今は、自分と考え方とか、正しいと思うことが違っていても、そういう考え方もあるなぁと思えるようになった。結婚して変わったかなぁ」かつての取材時に交際していた彼女と2013年に結婚した。おめでとう!

『メディアを舐めるなよ』

人生の、大人の階段を上り、多様性を受け入れられるようになったと自負する望月さん。そんな彼が久しぶりにSNSであらぶっていたのは今年の3月。勤めていた会社を解雇されたときだった。取材の帰りに突然告げられたという。「コロナ解雇ですよ。ここにいましたよ、コロナで会社クビになった人間が、みたいな」ようやく気持ちが落ち着いてきたといいながら、顛末を語った。

望月さんにとって、退職すること自体ももちろんだが、会社で自分が運営してきたメディア「十中八九」(※1)のことが何より気がかりだった。

「別にメディアをやっていこうと思っているわけではなくて。それよりも中途半端で終わっていることにむかついていて。反骨精神です」

『十中八九』(※1)は4000シェアを超えた記事もあったという。「メディアを舐めるなよ!金出しとけばできると思うなよ!」そして彼はフリーランスとなり、個人で新しいメディア『まえとあと』を始めるに至った。

望月さんの感じている、まえとあと

「以前(まえ)は、ソーシャルメディアづたいで人に会いに行っていましたが、最近(あと)は友人づたいのことのほうが多くなりました。そもそも今はリアルなつながりが多いせいもあるけれど」

望月さんは自分を、人と人をつなげる「ハブ」だと思っている。「僕をハブにすることによって最短距離でつながるならいいなと思っています」

「この人とこの人をつないだら面白いかなぁ」そんな思いでやってきた。もちろんうまくいくときばかりではない。失敗もあったと苦笑する。「それでも成功したこともあって。知り合った人同士が結婚したとか」そんな喜びが、今日も彼を動かすのだろう。

「それから、以前は『会った人はみんな友達にできる』みたいな感覚があったんですけど、状況の変化で仲良く一緒に何かをやるメンツも変わることも学んで。手放すことを覚えてからは、心持ちはだいぶ楽になりました」理想や時には思い込みが生むまっすぐな熱量。そんな二十代を経たからこそ、その先にある、もっと大きな容量を持つ三十代の自分がいる。望月さんを「ハブ」にしたネットワークはこの10年で何百倍にもなっていると話す。

3.11前からおこなっている飲み会は106回にもなるという。参加者は様々で、世の中的に有名な人や多忙な人も少なくないが、異業種交流会などと違って「仕事の話感」が少ないくつろいだ雰囲気の宴は「話していて楽しいから」だといって参加してくれている。

「ツブヤ大学を続けているということは大きなことではありますね。いろんな業界のそれなりに素晴らしい方々も出てくれていますからね」

「そんなに出てもられるものなのか?」そう尋ねると「意外とちゃんといえば出てくれる人が多いんです。お金とかではなく、『おもしろいから出る!』って思ってくれる人が多いなぁって思います」ソーシャルメディアならではの工夫もある。マスメディアと違い、前情報がない分信用を得ないといけない部分はある。「この人が出ているなら、自分も検討します」といって出ていただけることもあるのだそうだ。

『ゼロ年代より“あと”のSNS』

近年、ネットやSNS上の誹謗中傷が大変な問題となっている。冒頭に書いたように、SNSが誕生、普及したとき、僕たちはこれからもっと面白い世界になると感じていた。しかし、10年の月日が経ち、スマートフォンとともにもはや生活インフラにもなっているSNSは利用する人々の良識によっては、希望よりもその問題点やリスクが目立つようになっている。SNSを活かして自身のネットワークを拡大して、コミュニケートしてきた望月さんは、そんな現状をどう見ているのか。

「いろんな人とも話すんですけど、サービスが一般化するとどうしても使い方が雑な人が現れる。ツイートもある程度拡散すると、ある時点からクソリプがやってくるように」普及、一般化していくということ、今までこういったものに触れたことがない。ルールや流儀を知らない人たちも使い始めるということだ。

「文字は読めるけれど、文章が読めない人」がどれくらいいるのか。望月さんは興味があると話す。「日本の識字率は高いけれど、文脈が読めない人は増えている気がします。映画を長いと感じるみたいな話にも通じているように思う。LINEなんかの功罪かもしれないけれど」

感覚的に、反射的に操作できてスピーディーに処理できるツールは便利だ。しかし、人と人が何かを伝え合うとき、関わり合うとき、反射的な対応だけでは決して足りない。相手の言っていることの表面的な部分だけを見て判断していないか。また、自分がしようとしている発言や批判は、相手や世の中にどのような意味や影響を与え得るものなのか。慎重に考えなければならない。

便利なツールが出現すればするほど、我々使う側は、見えにくくなるそれらのコミュニケーション上の「文脈」を理解する力が必要になるだろう。直接だろうと、匿名だろうと、あるいはネット上であっても人と人のやり取りであることはまったく同じだ。誰かを誹謗中傷してよい場合などない。散々いわれていることではあるが、リテラシー教育の重要性が増していと望月さんも感じている。

家族のまえとあと

ここまで、望月さんがやってきたメディアに関わる話を聞いてきた。二十代から三十代になり、家族や私生活に関しても気持ちなど変化はあったのだろうか。

望月さんは三人兄弟の長男。父親が59歳で亡くなってからは、望月さんがなにかと家族のあいだを取り持つことが多いらしい。「家族は生まれたときに、長男、次男っていう具合にポジションが決まってしまう。自分はたまたま長男で生まれて。それはしゃあないと思っています。自分がすべての家族の連絡経由地にならざるを得なかったりとか、ときにそれが面倒なこともあります」と話す。「でも皮肉なことに父の死が家族をふたたび集結するきっかけになったことは、大きな転換点だったかも、と思います」それまであまり連絡をとれていなかった父方の親族とも連絡が取れるようになり、親戚との距離が縮まったと感じている。

また、結婚したことによって増えた家族、妻に対しては「妻には自分の知らない部分の知識、常識とかを知っている部分で助けられるところがあって感謝しています。自分はしきたりなどの常識が欠けておりまして」と話す。しきたり以外でも、全く違う仕事をしてきた、違う価値観を持った彼女は、先にも書いたように望月さんがいろいろな考え方を受け入れられるようになることに少なからず影響を与えた。

「ひとりではなく、二人であるというのは孤独にならずに済むというのが良いこと。何かを決めるときに相談できる相手がいるのは大きいです」やはり、望月さんにとって結婚は大きな「まえとあと」のようだ。「違う仕事をしてきた妻からのアドバイスは、フラットな形で、変なバイアスを疑ったりせずに参考にしやすい。それがありがたい。同じ仕事だったら、それは無理だったかもしれない。そういう意味でも非常に重要な存在だと思う」

『まえとあと』そして書くこと

何かの「前と後」とても面白い切り口だ。どんなメディアを目指しているのか。

「『この人、こんなかんじだよね』というのを一番意識しています。人物のインタビュー記事だから考え方や経歴といった要素はもちろんですが、人柄や雰囲気が伝わるように。「できるだけ『そのまま』を出したい。方言とかも。それでも必ずフィックスされた記事しかあげないということは決めています」会話の雰囲気を伝えるためにテキストに加えて音声が聴けるようになっている。

今後、一番やりたいことは何かと問うと「小説を書きたい」という。読書はなかなかできていないが、『まえとあと』をやるなかで圧倒的に文字を書くようになった今、以前からやりたかった小説執筆のエンジンがかかってきている。シナリオ・センター時代に一緒にやっていた友人たちがテレビドラマなど商業で書いているのも見るとテンションが上がる。「(書く)ネタが増えてきましたからね」と笑う。

不本意なかたちで(まえ)のメディアをやめることになってしまった望月さんだが、結果的には(あと)に彼が自分だけで始めた『まえとあと』こそがきっと今の彼にぴったりなのではないか。そんなふうに感じる。長年メディアをやって学んできたたくさんの蓄積がある。

「勉強とチリツモしかない。自分には飛び道具はないから」

さまざまな人の「まえ」と「あと」の話は、似た経験をした読者には共感を与え、悩んでいる人には助けにもなるかもしれない貴重な経験談となるだろう。

 まさに今始まったばかりの『まえとあと』と、編集人・望月さんこれからの活躍を楽しみにしたい。

はじまって、半年が経過しました。

Text:Naoto Yoshida
Edit:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi