角度を変えるまえとあと

アサダワタル
文化活動家

アサダワタルさんは、自分のことを文化活動家という。アサダワタルさんを構成する要素はたくさんある。だからそれを総称して彼は文化活動家と名乗っている。それは逆説的に言えば、あるひとつのカテゴリーにとどまらない様々なジャンルが、彼ひとりでつながりあっているのだ。それは極端にいえば、ひとりでスペシャリストをたくさん内包したゼネラリストなのかもしれない。ゼネラリストなのにスペシャリスト。そこに彼の活動の深みがあると感じた。

Profile

アサダワタル
1979年大阪生まれ。これまでにない不思議なやり方で他者と関わることを「アート」と捉え、全国の市街地、福祉施設、学校、復興団地などで地域に根ざしたアートプロジェクトを展開。2009年、自宅を他者にゆるやかに開くムーブメント「住み開き」を提唱し話題に。以後、文化的なアプローチからコミュニティの理想のかたちを提案する著作を多数発表している。アーティスト、文筆家、品川区立障害児者総合支援施設アートディレクター(愛成会所属)、東京大学大学院、京都精華大学非常勤講師。著書に『住み開き増補版 』(ちくま文庫)、『ホカツと家族』(平凡社)、『想起の音楽』(水曜社)など。博士(学術)。

Index

気付けるか、自覚出来るか

いまは品川で仕事をされてるんですよね?

アサダ

品川区立障害児者者総合支援施設というところです。主に知的障がいのある人たちが通う施設で、去年10月のオープンで、指定管理事業なんですけど、そこの法人(社会福祉法人愛成会)所属のアートディレクターをやっています。

そこで例えばダンサーとかミュージシャン、美術家やカメラマンなどいろんな方と連携して、障がいのある方々が施設にとどまらず、いろんな地域の人とアートプログラムを通じてつながれる機会を作ったり、展覧会のキュレーションをしたり、ワークショップで自分が直接演奏したりしてます。

全体のディレクションをはじめ、ときにプレイヤーになることも含め、そういった「障がいのある方と取り組む表現活動≒地域活動」を発信していく立場で関わり、去年からそれが一番大きな現場ですかね。それをしながら各地で呼ばれたところのプロジェクトを継続したり、大学の非常勤講師の仕事や本を書いたり。家では主に書いたり調べたり、音まわりの制作など、個人の仕事をやってますね。

平林

僕、音楽も好きで、もともと音楽やってんだけど。

アサダ

ギターやられてるんですか?

平林

ベースをやっていました。なかなか最近時間がなくて。もともと音楽で食っていくことが出来ないから写真を撮るようになった。でも結局両方同じで、表現することは、それをツールとして使うことが出来るし、音楽も写真も人との距離を縮めるのに、ものすごく使いやすい。

アサダ

写真は本当そうですよね。いろんな写真家と仕事をしていて、写真はコミュニケーションの1つのツールでもあるし、撮ってもらってやっぱり嬉しいですし。品川の現場でも写真家に関わってもらって、障がいのあるうちのメンバーさんと地域の商店街の方々との撮影会などを行なっていますよ。

平林

プリントされた写真とか、加工写真そのものではなくて、写真を撮るという行為でもって近づける。

アサダ

そう。撮影の時点でもう始まってる感じ。だから撮られたものは「後で見せてね」よりも前に、こうやって撮ってもらって話している時点で、もういろんなコミュニケーションが始まってるのが本当に面白いなって思うんですよ。

平林

でも、それぞれそのツールであり、例えばギターとベースとドラムも一緒で、それぞれ役割がある。でもそれぞれの役割の中には共通の役割があって、それは人をつなげることかもしれないし、人が何か出来る場を作ることなのかもしれないと思っていて。

アサダ

そうですよね。アートって大きなくくりでいえば、例えば僕が数年前から通っている福島県いわき市の復興公営住宅の人たちとのプロジェクトがあるんですが(ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ)、下神白(しもかみしろ)団地という帰宅困難区域出身の方々がたくさん住まれているそこで、住民さんのかつてのまちの思い出を当時の馴染深い音楽とともに語り合う、団地だけで聞くことができるラジオ番組をみんなで作ってるんですね。

団地の目の前にある日常の世界がありつつ、そこから音楽を通じて、自分ではない他の住民の体験してきた記憶を辿りあったりするなかで、同じ日常に暮らしている人々のなかにも、当然ながら違う世界が広がっていて、そういった身近だけどつながってなかった新しい世界が見えてくるというか、そこでまた目の前の日常を捉え直すような、そういったコミュニティづくりに関わっているのですが、アートだからこそ、日常を少しだけズラしてゆける力、そして、また新鮮なまなざしでその日常に戻ってこれる力があるのかなと。そんなことを思っていますよね。

平林

たしかに。可能性という意味では、すごくあるはずと思いたい。

アサダ

実際レスポンスをもらった住民さんだったり、あるいは福祉現場だったら当事者の方やそのご家族からダイレクトに喜んでもらったなとかそういった実感をもらうときもよく感じるんですが、こういった日常と新たに出会い直す機会は別に復興現場や障がい福祉の現場といった、ある種の生きづらさを孕んでいると言われている現場に関係なく、誰もにとってこういった「場」って必要なんじゃないかって僕は思っているんですよね。

僕自身にとって、何よりもまず必要なので。そしてそういったメッセージを本や講演などで発信してゆくと、どんな立場に置かれる人でも、日常の中でそういった表現的な活動を通じてこそ話せたり、自分の素の部分を出せたりするってことの実感を少しずつ受け止めてくれるようになるんです。

例えば会社の上司と部下とか、親子とか、先生と生徒とか、そういった関係性が固定している間柄、あるいはずっと長い付き合いだから相手のことを知っていると思い込んでいたりする間柄が、表現活動を挟むことでズレて全然違う面が垣間見えたり、全然違う関係性になれるかもしれない。写真を撮ることだったり、絵を描くとか、体動かすダンス、音楽などの表現を挟むことによって、以後コミュニケーションの作法が変わったり、関係性が変わることにとても価値があるし、何よりもすごくその出来事自体がクリエイティブで面白いなと思っているんですよ。その現場に、その瞬間に立ち会えることがすごく面白い。

平林

もともとその力って、自分が知らなかった頃は他人ごとだと思っていたんですけど、周りにもそういう人たちが多かったり、自分自身が実践したり、その力が有効なんだなってわかったあとはすごい充実しますよね。

アサダ

何かがパーっと開かれる感じがしますよね。

平林

一気に見えた感じがしますよね。広がった感じ。そうすると、こうやってもっとやっていきたい気持ちになるじゃないですか。

アサダ

なりますよね。ほかの人もどんどん自分の表現の手段でやったらいいのになって思ったりもするし。

でも多くの人は出来ないですよね?

平林

あなたは音楽が出来るから、あなたは写真が、でも私は何もできないからと言ってるけど、それぞれ持ってるもの、できるものってありますよね。

アサダ

絶対ある。いま僕が表現と言ってるのは、狭い意味で言うアート的な分野、映画だったり、写真、音楽だったり美術やダンスに演劇に文学って話だけど、広い意味ではみんないろいろと表現の手段を持っている。別に芸術・アートという分野に閉じないで、もっと生活に近いところから「それ趣味でやってんだったら、それを活かしたらいいじゃん」みたいなことがいっぱいある。僕は家に自分なりの方法で人を集めてつながることを「住み開き」と呼んで提唱してきましたが、それだって「表現」なんです。

そういうことを発信していいんだと、そういうことで人と繋がっていけるんだってことに気が付いて自覚した人は、どんどんいろいろつながっていけるけども、そこが大事かな。別にいわゆる狭い意味のアートである必要はないんです。

平林

アートって言葉が敷居を高くしている気がする。

アサダ

実際高くしてますよね。

平林

アートと言わなければいいのに。でも芸術っていうと、もっとあれか。。

アサダ

ハードルの高い低いは別にして、僕が好きなのは「表現」って言葉。「表現を通じて」って言葉はよく使いますね。

何が表現か分かっていないのもいっぱいあるんですよね。

アサダ

自己表現と言う言葉があるぐらいなんで、表現の範囲は広いですからね。

平林

自分で気が付くまでわかんないよ。

就職活動のときに、突然自己表現を求められたりしますからね(笑)。

平林

突然求められて、全くチンプンカンプンなこと言っちゃうんだよね。

アサダ

たしかに就職活動とか、そういう場所はある意味すごくわかりやすいですよね。自分をどう自分なりの方法で、自分の関心を表すか。

平林

表現するのが怖いんじゃないですか?

アサダ

それもあるんでしょうね。それはおそらく間違ってるとか正しいとが本当はない世界なのにも関わらず、世の中ではほとんど「評価」されるって固定観念があるからなんだと。そう、評価されてしまう。面接もまさにそうですけど、自由に表現することすら評価の対象になると思うと、「私はうまくないからやめとこう・・・」ってなる。そういうのは本当は関係ないとすごく思っていて、評価する/されるの世界じゃないことこそやろうって言いたいですね。

平林

自分が写真を教える立場になることってあるんですけど、その時に写真の評価ってことになる。良い写真・悪い写真という話にどうしてもみんななっちゃう。技術的な面で良い悪いって話は本来できるんです。ボケてますとかブレてますとか。そういうわけじゃなくて、表現で言えば、良いも悪いもないんですよ。

僕の思うところの良い悪いって、自分が思ってるものがきちんと表現できてるかを自分で考えて、それが良い悪いなんじゃないのかなと。他人が評価するものではないんじゃないか。

アサダ

そうですよね。

平林

でも、自分が納得いかないで、自分で撮った写真がなんだかよくわかってなければ、たぶんそれは悪いものではないのかなと思うときがあります。

表現はぐるぐる回っている

アウトプット、つまり表現したものに対して、どれだけ自覚的になれるか。それは表現したかったものがあって、その結果表現したものと合致していたかという点もありますけど、むしろ自分が表現したかったことをあとでアウトプットから気づきなおしてもいいと思うんですね。表現したいって言って外に出して、これじゃないかもしれないけど、私はこっちのことが本当に表現したかったんじゃないか?みたいなことを、アウトプットを通じて逆察する。

自分の内側にあるものに向き合うために、表現という一連のプロセスはあるし、そこに向き合ったら、すごく逆の言い方ですけど、内にちゃんと向きあっていると外ともつながれるんですよ。この向き合ってるかどうかって、周りに伝わるんですよね。「あ、この人上手いとか下手ではなく、ちゃんと向き合って何か表現してるんだって」

平林

内と外はどっちから入っても結局内が外につながるか、外が内につながるかです。

アサダ

そうですよね。本当にそこがすごく面白い。向き合ってるんだろうなって気づくと、その人のことを知りたくなる。だからそういう意味ではコミュニケーションツールでもあるし、自分を見つめるためのツールでもあるし、そこがどっちかじゃなくて、ぐるぐる回ってる。そういうところに表現の可能性がすごくあると思います。

難しい人には難しいんですけどね(笑)。

アサダ

どうなんですか? いろいろやっていらっしゃるじゃないですか? 望月さんも、いろんなメディアを立ち上げて来られてるじゃないですか。

表現ってよりは、僕はこういう人がいることを知らしめたいなものがありますね。

アサダ

望月さんはいろんなところで、人をつないでいらっしゃいますもんね。

こことここが一緒になったら面白いのに、つながってないんだったら、つなげちゃおうって。僕が入ることで、すんなりとつながれることもあるじゃないですか。

アサダ

ジャンルも越えてね。全然別に業界っぽさなく、領域越えて人をつないでいくのは、触媒になる人は重要ですよね。みんな誰につないでもらったかって覚えているから。

全然違う者同士が繋がった方がね。

平林

いっぱい出てくるよね。

伸び幅が大きい。

アサダ

伸びしろがあるし、自分の中の思わぬ引き出しが、引き出されてしまうこともあるから。

きっかけは大阪

たまたまたまたまウマがあって、仕事になったりすることもありますし。アサダさんが場を作ることがいいと思ったのは、大阪がきっかけですか?

アサダ

そうですね。30過ぎまで大阪にいたんで、大学の途中から京都と大阪でバンド活動を始めて、僕は大阪の大学でしたけど、僕と一緒にやっていたメンバーが京都の立命館のバンドで、そこにドラマーが抜けたから入って。先輩にくるりがいて、彼らが作ったレーベルからCDを出したのが、僕が大学卒業直後のころなんです。

とは言え、そんなすぐに食えるわけでもないですし、むちゃくちゃ売れそうなバンドをやっていたわけでもなかった。バンド以外でちょこちょこドラム演奏の仕事をしたりとか、ドラムだけだと自分が納得できなかったので、ギターで自分が歌を作ったり、いろんな機材を使ってサウンドスケイプ(生活環境音)を集めて楽曲を作ったり、ソロで美術家や映画関係者などとコラボしながらパフォーマンスをしてましたね。

でも一方で、ちょっとそれだけではやっぱり食えなかったんで、アルバイトしたり、印刷会社の契約社員で働いたりしたけど、両方の生活では持たなくなったんですよ。

表現活動を仕事にしたいなと思ったときに、たまたま出入りしてた大阪のアートスペースがNPO法人だったんですけど、ライブもできるすごい不思議な空間をやっていて、そこで働くことになって。土地的には大阪の浪速区新世界です。すごお隣が西成区あいりん地区(釜ヶ崎)だったこともあり、そこの場所で運営しながら当時のNPOの代表たちと「アートで社会に対して何ができるか」って議論を始めてました。

例えば、いろんな経験されて野宿生活にたどり着いた方が周辺に住んでらっしゃって、実はすごいめちゃくちゃ腕利きのピアニストがいたり、詩人だったり、紙芝居やってるおじさんたちのチームがいたり。その中で彼らの生活支援のやってる人たちとの出会い、そして中には障がいのある方の支援をやっている福祉関係者とも出会いました。

普段はホームヘルパーをしながら、音楽や演劇活動をやっている方々と出会い、肢体に障がいのある方々と僕らのNPOが演劇プロジェクトを立ち上げたりしてゆくなかで、多様な背景をもった様々な人たち、ほんとうに自分のちっぽけな人生のなかでこれまで出会ったことのないような体験をしてこられた方々と、一緒に、作品や舞台を作る。それはいまであれは「アートプロジェクト」と呼ばれるような表現ジャンルなんですが、自ずとそこに向かっていきましたね。

それ以降、そのNPOのあとは、劇場を持っている浄土宗のお寺で働いたり、大阪市の文化事業のディレクターをしたりしながら、徐々に今やってるような仕事につながってゆきました。

30代以降は基本はフリーランスで、滋賀に移住したり、東京と関西を行ったり来たりしながら各地に滞在しています。大きな変化としては、「書く」という仕事をすることになったことですね。アートが社会でどういった役割を果たせるかを、現場に身を置きながら、走り、時に立ち止まって書く。徐々に障がい福祉の分野とかにより深く関わり、2011年にはかの大震災があったので、震災復興という現場の中でアートが何が出来るのかなど、もろもろを考えてます。

「社会的」って言葉はとても難しく、そもそも何を持って「より社会的」などと言うのかって話ですが、ある意味困難を抱えざるを得ない立場の人たちと何ができるかみたいなテーマが、自分の中で明確になっていったので、いま関わっている現場はそのテーマがより鮮明になっているかもしれませんね。

大阪のまえとあと /和氣正幸

角度を変える

アートで関わる人たちは、関わられたあとってやっぱり前向きになるんですか?

アサダ

わかりやすく前向きになる方もいます。ただ前向きになるって言い方で、完結できない感じの人というか、ある意味、何かやりたいことがもっとこの辺なんじゃないかと内省的に向かわれる方もいますね。例えば自分がどう生きたいか、どう今の状況を乗り越えるとか、どう上手く付き合っていくかというときに、発想がどうしても固まってしまうことがある。

自分だけとか、あるいはそういう支援の関係者だけとそうなりがちなのです。もちろん支援関係者は絶対必要です。ちゃんと福祉的な支援が必要ですが、アートの活動は違う角度の話をするので、そうなったときに前向きになるのもあるし、自分が今置かれている状況の捉え方そのものを変える経験をされ、最近はこう考えるようになったので、何か活動を始めたりする意味で言うと、「角度を変える」わけです。だからそもそも「前」だと思っていた方角が、「前」でもなくなるかもしれないわけですよ。

なるほど。角度を変えてあげるんですね。

アサダ

そうそう、結果論なんですけどね。変えるのはご自身なんで、僕が変えにいく感じじゃないんですけど、そういう場を作ったら、そうなる人は一定数はいますよね。

それはいいことですね。

平林

ちょっと肩を押すとか、ちょっとこうするだけで大きく変わるんですけど、それを自分で見つけることってなかなかみんなできない。多分外から気がついた人が、それが出来たらいいのかなという気がしますね。

アサダ

僕も望月さんの話ではないけど、人をつなぐのが好きで、つないでわりと放ったらかしてどっか行ったりもするんですけど、「よくよく考えたら、あのときのあの人と今すごく仕事をしているけど、アサダさん紹介してくれたよね」みたいなことですよね。それも自分だけでは当然出来ないし、僕もいろいろつないでもらってるので、この人とつないでいたら、間違いなく何か影響が生まれて、そこで実務というか、仕事に落としこまれると、確実にその協働で角度が変わるというか、一人じゃ絶対その発想でこんなことやってなかったことを作っているので、数年後その様子を見たら、「あぁよかった」って感じですね。

そんな感じがありますね。やっぱり人は重要。人をつなぐのはすごく重要です。

取材のあと

音声配信アプリ Stand.fmを使って、取材後のインタビューをしています。

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi