外から日本を見て気づいたまえとあと

田子學
株式会社エムテド 代表取締役
アートディレクター/デザイナー

デザイナーである田子さんとの話は、どんな話になるのか正直当日その場で話すまで分からなかったけれど、ワクワク出来るような期待感を持ってその場に臨んだ。その場で話した話のなかでもっとも感銘を受けたことは、何事にもそれをするための哲学を必要とすることだ。「まえとあと」の哲学は取材対象者の持つ想いを出来るだけ素の言葉で伝えることだ。それがこの記事の見てくれる人たちへ、何か心を打つものを与えられると信じている。

Profile

田子學
東京造形大学II類デザインマネジメント卒。
東芝にて家電、情報機器に携わり、家電ベンチャーリアルフリート(アマダナ)の創業期に参画した後、MTDO inc.を設立。企業や組織デザインとイノベーションの研究を通し、広い産業分野においてコンセプトメイキングからプロダクトアウトまでをトータルにデザインする「デザインマネジメント」を得意としている。 ブランディング、UX、プロダクトデザイン等、一気通貫した新しい価値創造を実践、実装しているデザイナー。2013年TEDxTokyo デザインスピーカー。国内外受賞歴多数。
株式会社エムテド

Index

解像度が違う

田子さんも現地に行くよりはオンラインでの仕事が多いですか?

田子

最近はオンラインが基本にはなっています。ただオンラインではなかなか説明できないようなことが、デザインの世界ってわりと多いので、実は現地へ行くことも多いです。だから最小限の連絡事項的なことだけならオンラインなんですが、一緒にもうちょっと深く突っ込んで考えるとか、全然先の見えない話をするためにリアルで会って話をしていく感じですね。

平林

何かプロジェクトの立ち上げやキックオフ的なことをやるときって、オンラインだとキックオフしないんですよ。

田子

そうなんですよね(笑)。空気が一致しないですよね。

平林

一度でも会って関係を作っていれば、あとはオンラインで出来ますよね。リアルに会うって本質じゃないですか。それがないと何をやっても表面的なものに感じます。

田子

これは僕の持論なんですが、人間は話している言葉だけで理解していないはずなんで、オンラインだと情報が圧倒的に欠落すると思うんです。「あれ、あの話っていつしたっけ?」みたいに、直接会っていれば風景とともに話題も鮮明に記憶に残るけど、オンラインだけの場合記憶に残らないことが多いように感じるんです。

常々オンラインや画面越しのものは、テレビとかモニターの1フィルターをかますだけで、何でこんなに違うのか?と思っていて。

平林

去年はすごいそれを研究した気がしますよ。何で伝わらないのかな?とか。

田子

解像度が違うんだと思います。たとえばテレビだったらテレビで4Kや8Kみたいな世界があるんだけど、その解像度と一緒です。音もそうじゃないですか。CDよりレコードがいいという話は、いわゆる音波に近く波長が崩れてないからという話がありますよね。

さらには生で聴いた音の方が、スピーカーを通すよりも感動するのは、波動や自然界で起きている音が削られているからですよね。そういうところが全部積もり積もって、情報の粒度は粗くなってるんじゃないかなと思います。

古いものと最新のものが混在する感じ

田子

今こういう時期だから、台湾に行けないんだけど、ご存知のように台湾には日本統治時代の建物がすごく残っているじゃないですか。

一方、歴史的建造物の活用事例が日本には少ないと思う。向こうは建物を残すだけでなく、歴史を語り継ごうとすることに加えて、リノベーションすることで地域のアセットを、新しいマネタイズの仕組みにしようという経済効果も含めて計画している。たとえば松山飛行場のすぐ近くには、旧日本軍が持っていたタバコ工場があって、そこは今、台湾デザインセンターが建物全部を管理しているんです。

そもそも台湾は政策にデザインが入ってるんですよ。デザインによって産業活性を起こすことをずいぶん前から掲げていて、2004年に台湾デザインセンターが設立されています。こういった場所を活用しながら若い人やアントレプレナーが育つ基盤を強化をしている。

他にも世界中のデザインアワードの事務局が入居できるテナント機能だったり、一般の人を呼び込むギャラリーがあったり、クリエイターのワークショップも当然やってますし、人材育成とビジネス創出の機会としても機能させているんです。

建屋自体はもともと古いものなので、むちゃくちゃ雰囲気が良いんですよね。一方では古い建屋の中にサーバールームがあったり、不思議な未来感があったりして。

平林

それってヨーロッパ的な考え方じゃないですか?

田子

ヨーロッパも古いものと最新のものが混在していますね。だけど日本は古いものは古いもので、がっちり保存しようとなる。活かすではなく、人を入れない方向になることも多い。

平林

韓国や中国も大きいんだけど、東アジアってそうなんですよね。でも台湾はちょっと違う雰囲気がある。

たとえば日本は戦争で、それこそもうスクラップ&ビルドが激しすぎましたよね。

田子

歴史背景が関係していると思います。1回目がおそらく明治で、次が戦後に急激な文化や経済的変化が訪れた。加えて、戦後の急激な経済成長では下手に金持ちになったから、それまでの文化的価値なども考えずに、新しいことが是として何事も決定されてしまったと思うんです。

上海もそうじゃないですか。今となってはとてつもない大都市になってるわけじゃないですか。

2年前、上海交通大学から呼ばれて講演に行ったことがあるんです。実は上海には30年前にも1回行ったことがあるんですが、それ以来行ってなかった。今の中国を知りたいなと思って行ってみたら、それまで知っていた上海とは全然違う。ただ向こうのデベロッパーと話したときにすごい印象深かったのが、「我々は実は経済的には豊かになってるんだけど、大きな過ちをした」と言ってたことです。それは何かと言うと、経済発展のためにビルを作る際に、いろんな資産を壊してしまったと。

本来は、そういった資産を新しい価値に変えていくのがデベロッパーの役割のはずが、いつからかビルを作り、テナントを入れ、それで儲けるビジネスモデルに変わってしまった。だからこそ持続可能性を度外視してしまった彼らは、今、世界中の文化的資産を継承する地域から多くを学んでいる最中なんだということでした。

平林

急激に金持ちになった意味では、写真の世界もそうで、中国のキヤノンさんと話をしてたんですけど、フィルムのころはカメラって高級品だったじゃないですか。だからフィルムのカメラを買えなかった。それでみんな写真自体がない、文化がないような状態のとき急に金持ちになって、100万円ぐらいかけてデジカメを買っちゃうわけですね。すごいカメラを持ってるんだけど、写真文化がないから空っぽのものがどんどん出来上がった。文化と技術とお金のバランスが全然取れなかったんです。やっと最近文化が追いついてきたと聞き、ワークショップをたまにやってます。その1年後にまたワークショップをやると、理解力が一年間で全然違うんですよ。びっくりしました。

文化を端折ってはいけない

いま言われていたように、文化ってすごく重要で、そこを端折るといろんなものが崩壊していくんですよ。

平林

やばいですよね。

田子

これから興味深いのは、アフリカですよね。今まで電話さえつながってなかったのに、いきなり一足飛びにみんなでスマホでしょ。これがいい、次はこれがいいと徐々に環境変化がおきていれば、成長曲線もきれいな右肩上がりになるけど、いきなりドーンと上がると、価値観の変化が激しすぎて生活格差を生みやすいじゃないですか。

その変化自体を破壊的イノベーションと捉えれば歓迎すべきだけど、技術の進歩と文化醸成が良いバランスを保てるかどうか、ということはいろんなものに共通したテーマなんじゃないかな。

僕がそれを一番顕著に感じるのはネットですかね。僕の年代(82世代)は、ミクシー招待制ぐらいから始まって、今はClubhouseなんかも盛り上がってますが、徐々にネットやSNSに慣らされていった結果、ある程度リテラシーも付いているので、別にtwitterもそんなに炎上しないんですが、もっと若い子とか、逆にもっと年配の方は、ネットの文化は突然現れたわけじゃないですか。

だからそこで同調圧だったり、匿名だから書き込んでいる人を見てると、すごく順々に文化に慣らされていくことは大事だと思います。最近よく「まえとあと」でも話すのは、学校でちゃんとそういうリテラシー教育や、ほかにも性教育もそうかもしれないですが、やってくれるような仕組みがないと、結局LINEでいじめとか、親が見えないところで行われる所作が増えてくる。

それは情報格差じゃないですけど、自分たちと子どもたちの価値観の格差が知らないうちに生まれて、大丈夫なのかって。それこそ文化醸成やさっきのお話にもつながってくるんじゃないかと。

田子

ヨーロッパのブランドが強いのは文化継承の地盤がもともと固い。リベラルアーツも含めて強固だからだと思うんですよね。

日本は明治や昭和の断絶で過去を否定したところがあると思うんです。戦後が一番日本らしさやアイデンティティが見失われたような気がしています。心技体は言葉としては残ってるんだけど、いわゆる「道」みたいなものが身近ではなくなった。

「道」の本質って、本来ならば精神性も含めた民族特有の文化の礎で、リベラルアーツ的な存在だったはずなんだけど、そのような思想が教育からなくなったことは、いろんな問題にも直結してるんじゃないかな。それは海外へ行くと、如実にわかりますよね。

平林

外へ出て、外から見るとはっきりわかる。外に行くとそういうのを感じます。向こうから日本を見ると、それが日本にないことをものすごく感じる。

すべてに正解がない時代

教えてらっしゃる学生さんには、何かいい兆候ってありますか?

田子

はい、まず純粋ですよね。たとえば大人の世代は、インターネットの情報に振り回されがち。でも若い子はもうちょっと冷静です。もちろん中にはSNSに振り回されるような子はいたりするけど、多くはちょっと斜めから見て、「それはホント?」と常に思ってたりする。そういう目線って、”本当は何か”を自分で知るきっかけになるから、そういうのはいいと思います。

今の時代はインターネットが出来たことによって、すべてにおいて正解はひとつではないと思ってるんですよね。昔はマニュアル的な解答が是になってた。今はインターネットを開けば、いろんな解釈があって、最終到達点は同じだとしても、その道順が多様だったりする。そういうバリエーションがあることが、今の時代のすごい面白いところで、どの道を自ら選択するのかが重要であると分かってもらいたい。それは最近すごく思っていることです。

平林

どこか学校で教えることもされているんですか?

田子

そうですね。今は4つの大学で教えています。

平林

どういうことを教えているんですか?

田子

一番多く時間を取っているのが、慶応義塾大学大学院システムデザインマネジメント研究科です。そこはイノベーション教育を主体としたカリキュラムで、まったく新しい何かを生み出すためにはどう行動したらいいかに取り組んでいます。方法論ではなく実践で考え抜くしかない。そのためにいろんなフレームワークを最初はひたすらこなすんです。だけど200ぐらいのワークをインストールした後に、それを全部忘れろ!、と言うのが面白い。

一同

(笑)

田子

なぜ忘れろ!なのかというと、日本人は特にフレームワークを完成させることが目的になりがち。フレームワークの作業は達成するんだけど、それは情報の整理であってそこに面白みはない。フレームワークの内容は忘れてもらうけれど、エッセンスは残るだろう。そのエッセンスを組み合わせてとにかく考えてみろと。最終的にはなんとなくで出てきたものじゃなくて、ロジックに裏付けられているものであるべきで、フレームに当てはめるだけでは回答は得られないということなんです。

平林

素晴らしいですね。授業いきたくなっちゃった。

田子・望月

(笑)

平林

エッセンスですよね。型をそのままマニュアル的に受け入れるんじゃなくてね。

何年経ってもポルシェはポルシェ

田子

型とは守破離の「守」なんですよね。型は基礎として覚えるんだけど、そこから自分のものにするためには型から離れないといけないんですね。例えばポルシェってもう本当に何年経っても、ほぼ車のラインが全て一緒ですよね。代表的な車種である歴代の911は、ほぼ線は変わってないです。

平林

何年経ってもポルシェはポルシェですよね。

田子

何年経っても誰が見ても、ポルシェはポルシェじゃないですか。国産車みたいに名前も形も全然違うみたいな話にはならない。ポルシェ博物館へ行くと歴代の設計図を見ることができる。年代によってちょっと大きくなったりはしてるんだけど、基本的な線は変わってないのがわかる。

ポルシェの人にデザイナー教育ってどうやってるのか聞くと、すごい分厚いマニュアルがあるわけでもないそうです。

ポルシェにはフェルディナント・ポルシェが911を作った部屋が未だに現存してるんですが、プロダクトデザイナーとして着任すると、その部屋に1カ月くらい籠もるんだそうです。

望月・平林

1ヶ月も!

田子

ここで何が起きたかをとにかく考えろと言われるから、先代のやったことがポルシェというブランドにおいて、どれだけ重いことか身に染みるわけですよ。

つまり彼らは、マニュアルなんかないから、読み取れって言ってるんです。ハイコンテクストカルチャーとローコンテクストカルチャーってよく言うじゃないですか。

日本人は言語も複雑だし、ニュアンスも多いからハイコンテクストだと、と言われるんだけど、僕はそんなこと全然ないと思う。読み取る力は言語は逆に少ない分、西洋人のほうが大きいと思うことがよくあります。

平林

感じる部分ですよね。

田子

感じる部分が多い。だから言葉が単語的にはすごい少ないんだけれども、そこから文脈を読み取る力、これはコンピテンシーとかリベラルアーツにくっついてくるから余計にそうだと思う。日本人は変に小難しく言うようなスキルはすごい巧みなんだけど、伝わっているかというとそうでもない。

平林

想像力という意味ではないとは思っていたんですね。日本人は受け止めることしかできない。受け止めるのは得意なんだけど、言葉通り受け止めるしかない。言葉に頼り過ぎな部分がある。表現力の豊かな言語かもしれないけど、逆にそれが押しつけになってしまうような気もする。

アニメプロデューサーの諏訪さんが、昔はそれこそ「背中を見て学びとれ」みたいな世界だったから、こっちで俺はこれはいらないとか、これは必要そうだから必要みたいな自分で取捨選択は出来たけど、今は上からこれをやれと言って渡されるのがすごいかわいそうだと話をしていて。まさに今の話と一緒だと思いました。

平林

今のポルシェの話を聞いていて、本当にそうだなって思いましたね。ポルシェの話を聞く前に、僕はフォルクスワーゲンの話をどこかでしたいと思って。それはなぜかというと、フォルクスワーゲンゴルフはいつまでたってもゴルフなんですね。まったくポルシェと同じですよね。

日本は車が発売されて、この車いいなって買ってくれる人がいたとしても裏切るんですよね。売れない車はすぐに消えるし、ファンもできないしブレブレ。売れなきゃなくすし、売れそうなものを表面上持ってくるんですよね。それで短期的に判断するんですよ。

田子

僕はドイツ製品が特に好きです。フィロソフィーがしっかりしていて、継承能力や継続性を踏まえ戦略的に作っていくから。ヨーロッパ全体がそういう傾向にありますが、ドイツはめちゃくちゃ上手いです。

平林

大切にしてますよね。

田子

ライカも然り、あらゆるドイツブランドの多くは、デザインエシカルと環境エシカルの双方を実践をしていて、最終的にはそれが商品価値になるし、それを購買してくれた人たちの心をがっちりとつかんでいる。フォルクスワーゲングループは、まさにそういう考え方ですからね。

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi