もともとはレコーディングエンジニアになりたかった
來島
2007年から面白法人カヤックに所属して、色んな事業部を渡り歩いてきましたが、今は地域事業に関わっていて、「まちのコイン」というコミュニティ通貨と呼んでいるアプリの地域導入を担当しています。鎌倉やいろんな全国の地域で使えるんですが、それを多くの人に使ってもらうために、導入地域のいろんなお店や団体に加盟してもらったり、とにかくユーザーを増やすためには何でもやる「何でも屋」なんです。
來島さんって、もともと何屋さんなんですっけ?
來島
もともとずっと逗子で過ごして、音響の専門学校に行っているんですよ。
専門学校で学んでレコーディングエンジニアになりたいと思ってました。バンド活動の傍ら学んでいて、バンドではドラムをやっていたんですが、インディーズデビューをしつつ、うちは姉がピアニストで、母もピアノ教師なんです。
音楽一家なんですね。
來島
だから進むのは音楽の道かなって思ったんですけど、音楽をやりながらできる仕事って何だろうって思ったときに、ちょうどその時期にホームページを作ることに出会ったんで、HTMLを独学で学んでいたら、HTMLを学ぶほうが面白くなっちゃって。
ウェブは独学で、学校では音響を学んでたんですね。
來島
そうですね。バンドと裏方もやって、それでWebが面白くなって。当時Flashが全盛で、Flashの技術で音楽と映像がリンクするコンテンツが作れました。それでFlashにハマり、そのFlashを作る会社を探しているときに面白法人カヤックと出会いました。
なるほど確かにカヤックさん、当時Flash使ってましたもんね。
Flashエンジニアとしてカヤックに入った來島さん。その後Webクリエイター→ゲームクリエイターと歩みを進めていきます。
逗子にもどってきた
來島
結婚をきっかけに逗子に戻ってきました。都内に住んでいたんですが、結局何かしら毎週末逗子に帰ってくるような生活だったので、生まれ住んだ逗子のように、僕は近くに海がないと、トンネルの中で暮らしているような感覚だったんですね。
やっぱり逗子で育ったものとしては、海って重要なものなんですか?
來島
重要でした。マリンスポーツには全然縁がなかったですが、でも何かあるときに海に行ったり、海は僕にとって公園みたいな息抜きができる場所なんです。生活に欠かせない存在としての海が僕の中にあった。
だから逗子を暮らしの起点にするってなったときに、じゃあ逗子の街をちょっと面白くしたほうが、自分の暮らしが面白くなるなと思って。それをきっかけに地域のことに目を向け始めたわけです。
都内に住み始める前、來島さんは逗子海岸海の家ライブハウス「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」の立ち上げに來島さんの姉が副店長をやっていたこともあり関わっていました。田舎だと思っていた逗子、それも実家から歩いて10分そこらの場所で毎日すごい有名なミュージシャンが来る経験を経験したことは來島さんには大きな経験になります。
來島
逗子のような何もないと思っていたところでも、コンテンツとか雰囲気が良ければ人は来るし、盛り上がる。だから別に外へ行かなくてもいいし、東京である必要はないと気づいたのが、約15年前の22歳ぐらいのころだったんです。友だちは大学を卒業して都内で働いていたとき、僕は生活の基盤がまだ逗子にあって、葉山・逗子・鎌倉のローカルで活躍している人との交流でいろんなことを経験しました。
まず街で何があったかを聞くことが大切だった
來島さんはずっと逗子で暮らしているなか、ここ数年で移住者がすごく増えたと言います。住環境の良さや山と海に囲まれた自然といった要素に惹かれて移住されてきた人たち、その全員が地域コミュニティにも積極的に参加している訳ではないけれど、地域に入らず逗子という場で暮らすよりもちょっと一歩踏み出して地域に関わり始めると、暮らしのなかでの意識にも変化が起こってくると言います。
來島
地域の人たちと敢えて接触する機会を増やしていくと逗子の街で起こっていることすべてが、あれはあの人が仕掛けたんだとだんだん分かってくる。自分はその感じが面白いなと思っています。そのときはまだメディア(ズシレコ)を自分でやろうと思ってなかったんですが、野外イベントでPAをやったり、何かイベントをプロデュースしていくなかで、もっと気軽にできることはないかと思ってました。
20代の頃は、葉山・逗子にいる先輩が0→1で始めたことを1→10にするお手伝いをすることが多かった。そこで自分で0→1でローカルをテーマに始めたいなと思ったのが、逗子のローカルメディア「ズシレコ」を始めるきっかけだったんですよね。
どんなところでも、いきなり0→1をやることは難しいけど、0→1の現場に入っていれば、何かをやりたくなる人はいますよね。
來島
そうです。先輩の成功事例も見てきたし失敗事例も見てきました。例えば、新しく逗子に引っ越してきた人にとっては街がまっさらなキャンバスに見えるかもしれない。
でも街で何かやろうってとき、自分が見えてないだけでそのキャンバスにはもともと塗り重ねられてきた歴史があって、もしかしたら始めようとすることは、前にも誰かがやって失敗していることがあるかもしれないし、街のカラーにはマッチしていない色かもしれない。
だから過去の事例を知らずに始めちゃうと、昔あったアレだねみたいな感じに取られたりするので、まず街で何があったかを「聞くこと」が「始めること」よりも最初に大事なことだと思いました。
ローカルの似ているところと、似ていないところ
地方でも地域によって似てるところと似てないところがあるじゃないですか。逗子は他の地域と比べて、似ているところと逆に全然違うところって端的にあったりしますか?
來島さんによると逗子・葉山に近い地域でも、幼少期を過ごした横須賀はまた全然違う雰囲気だという。国道沿いに大型店が多かったりと買い物や外食には便利なエリアだが、地方都市でもよく見られる光景と似ており、暮らしの中での「利便性」を自然と意識してしまう街なのではないかと。
來島
逗子・葉山や鎌倉のエリアは言ってしまえばちょっと不便なんですよ。不便なところを敢えて選んで住んでいる人たちが集まっているので、似たような価値観で逗子・葉山や鎌倉に集まって暮らしているはずです。不便でもここがいいよねって許容しているというか、そういった雰囲気の人たちが集まってるから、それが心地よい土壌になっていると思います。
みんな逗子を自分たちの庭のように感じているのでは
平林
東京って同じ価値観で集まるようなことがやりづらいですよね。いろんな価値観がいっぱいありすぎちゃってつながらない。
來島
街の規模としても鎌倉って人口が17万人いて、鎌倉の中でも鎌倉駅前や北鎌倉、西鎌倉に腰越、大船といった具合にその他にもたくさんのエリアに分かれています。僕のイメージする鎌倉は中心点と円が2〜3つぐらいある感じで、それぞれがそれぞれのエリアを盛り上げようとやっているような土地じゃないかなと。
でも逗子だと人口が約6万人なんですよ。駅も密集しているし、円と中心点が鎌倉とは違って1個しかないので、わりとわかりやすいんです。街の中で何か新しい動きがあった場合、だいたい自分の知り合いの知り合いとか、何かしら繋がっている人たちが街のムーブメントを作っているような感覚で。自分の把握していないところで何かが起きていることというのはあまりなくて、みんなも逗子は自分の庭だと思っているような感覚があるんじゃないでしょうか。
それは全然東京とは違いますね。
來島
だからたとえば同じ鎌倉市でも、大船、北鎌倉、御成、小町、腰越…みたいにいろいろな地名に分かれていて距離も離れているので、そのエリアごとのシビック・プライドがあって、地名に誇りを持って何かをやろうって人たちがそれぞれいると思います。しかし逗子はエリアが分かれているとはいえ狭い範囲なので、「逗子」で1つしかないんですよね。それが逗子ぐらいの街の規模で、心地良い暮らしになっている要因だと思います。これがもし鎌倉ぐらいの街の規模だったら、何か新しい地域の活動を始めようと考えても、もうすでに似たような取り組みをやっている人がいたりして、もう余白がないように感じてしまう。その点、逗子はわりと自分で何か起こせるような隙間が見つけやすい。
逗子にはまだ隙間があるんですね。
來島
そう思います。そういう意味では、移住者は増えたけど逗子を盛り上げたい、面白くしたいという想いで活動されている地域のプレイヤーはそこまで増えてない気はするんですよね。活躍されているフィールドが都内だった人たちがコロナがきっかけで逗子に移住しているんですが、コロナ禍で地域のイベントもやりづらいこの状況というのもあって何かを企てている移住者の方はまだ少ないんじゃないかな。
だから來島さんは、移住してもまだ知られていない面白い人を「ズシレコ」でどんな想いを持って移住してきたのか取材したいそうです。
來島
(まえとあとに出てくる)田中直基さんは逗子の音楽フェスティバルである「池子の森の音楽祭」でもここ数年毎年一緒に関わっている運営メンバーです。この音楽フェスは、逗子の映画館カフェ「シネマアミーゴ」に集まる子育て世代のパパママが中心になって企画運営しているんですが、みんなミュージシャンやDJだったり、なにか特技を持っているメンバーばかり。逗子にはそういう人たちが本当に多いんですよね。なので、まだまだ地域を面白くしてくれそうなプレイヤーは逗子にはいるはずなので、きっかけさえあれば逗子はもっと面白くなる気がします。
子どもが出来て本当に分かった、自分たちの街のこと
平林
逗子に住んでいるひとの平均年齢は若いんですか?
來島
住民は子育て世代の人たちが、外から移住してすごく増えてますね。ただ子育て世代が増えたと言っている僕らが見ている地元の情報源は、SNSやWebメディアが中心だったりします。でも、「若い人増えたよね」と思っていても、平日の昼間に街を歩けば、自分よりひとまわり、ふたまわりも年上の世代の方ばかり。神奈川県の中でも高齢化率が高い街でもあるんですね。
平林
逗子には上の世代も下の世代も両方いるってことか?
來島
両方います。
でも意外とそれがベターですよね。どっちかに片寄っても嫌だという意味では。
平林
自分が見ている範囲って、SNSを使うとSNSの世界が割とメインに来るじゃないですか。SNSを見て動向や雰囲気はこんなもんかって理解するけど、逆に世の中をみるとSNSをやらない人のほうが圧倒的に多いもんね。
來島
そうなんですよね。
平林
インターネットにすら関わらない人が多いと考えたら、じゃあいろんなところで盛り上がってるとニュースで言ってるのは、ネットを中心に局地的に盛り上がってるだけだったことがよくありますよね。
來島
すごく肌でそれを痛感するのが選挙のときです。選挙でSNSがすごく盛り上がっているけど、それがいざ結果が明けてみると全然違う。違う世論というか投票率が上がらないのもそうですよね。
平林
特に田舎へ行くとびっくりするよね。
來島
だから人口の分布や世論が、本当にフラットな目で見れる瞬間は、投票のときなんだと思いました。
平林
目では見えないけど、世論が二分化されてるような気がするときはありますよね。
もうちょっと時間が経って、僕らのようなある程度リテラシーがある世代が上の世代になってきたときに世の中がどうなるか。
來島
でも世の中そうなったらそうなったで、下の世代からは全然違う価値観が出てきますよね。
平林
こっちが理解できないような価値観がね。
逗子のなかで価値観のギャップを感じることはありますか?
來島
ギャップというと僕もそうだったように、20代は新しいものや刺激を求めるんですよね。それこそ東京に集まるような面白い人たちのところに惹かれて行ったり。地域が面白いと気づき始めたのは、自分がこの逗子という土地に家を買ったり、ここで暮らすんだって覚悟を持った時とか、わかりやすいのは子どもが生まれたときでしたね。
子どもが生まれると否が応にもその地域の幼稚園・保育園や公園、子育てしやすいかどうか、地域に子どもを預ける立場になったときに、その街って実際どんな街なのかって気づきます。
そうですよね。地域と否が応でも関わらないといけないですもんね。
來島
高校までは地元で通ってたりしますが、大学になってくるといったん地元を出ることもあるじゃないですか。外に出たとき、実際その後住んでいた街に戻ってくるかは、若いときにどんな経験をしたかだと思っています。
僕は20代の前半にOTODAMAがあったり、地域のイベントを手伝ったりで、音楽があったりお酒や飲食もあるようなお祭り的なことが、いわゆる縁日とは違っても神社でできるんだ、自由にやっていいんだ、これは面白いぞ!と感じてたから、そんな催しをたとえばまた神社でやりたいと思ったんです。
逗子に戻ってきて、地元の神社で自分の好きな音楽とかイベントをやりたいなと思ったことが、すごい起点になりました。
自分でコンパクトに0→1をはじめる大切さ
來島
僕が地域で感じるのは、「みんなそんなに一枚岩ではない」というところ。共通することは逗子や地域っていいよねってところとか、こういう場所があったら面白いんじゃないかって思っている人とか、何か問題意識を改善しようって人たちなんで意識は同じなんですけど、アプローチがみんなそれぞれ違っていたりする。地域のプレイヤーが例えば10人いたとして10人それぞれが違うアプローチで問題を解決しようとしてる構図があるんじゃないかと。
同じ方向であれば大きなチームや組織を作ればいいかも?と思いがちだが、地域を良くすることは「仕事」ではなく、また会社とは違って共通の理念があるわけではないので一枚岩にはならない。でも逆に取り立てて一枚岩になる必要がないと逗子や鎌倉を見ていて感じるそうだ。
來島
大きなことをやろうとしたら、それこそ一緒にやるべきだと思うんですけど、別に大きなことをしなくても、逗子は自分のやりたいことができて、ちょっとアクションするだけで目立てるというか、そんなコンパクトさがある街です。だから行政を動かしたり、何かを動かそうという人と一緒に何かやろうとしなくても、個人レベルで始めたことが話題になったりするので、別にひとつになる必要はないんです。
それはベストですね。個人で企画をしたいとかで困っているところ多いですもんね。個人でやりたいと思っても、個人のレベルでできない、自分たちで自発的にやれる環境がないとか。でもそこで一番大きいのはそもそも論なんですけど、やりたいって言っているだけの人もある程度いるので、その場合は仕方ない。
今の話を聞いている限りだと、逗子のエリアだったら、たぶん住んでる人が何か企画をやっているのを見て、キジマさんと同じような感じで個人がやりたいって自発的に思ったらできる可能性が、他の地域よりはパーセンテージが上がると思います。
平林
かなりパーセンテージが高い気がする。
來島
たとえば音楽もそうですよね。すごいジャズのフュージョンが難しいやつって、「俺できねーなこれは」となるけど、スリーコードだけパンクの曲だったら「俺にもできるかな」と思わせるというか。”俺にもできるって思わせることをやっている人”って重要なんじゃないかな。
それはそうですね。
平林
ジャズしかなかったら、音楽出来る気しないもんね。
來島
だからそのハードルを低く見せる。おいおい出来るぞこっち来いよみたいな感じで、誘導してくれる人がいるのは大事なことだと思うんですよね。
平林
來島さんはそういう中で、わりとこっち来いよ側なのか、いわゆる引っ張る側なのか、またはどこか見つけて入るか側、どういうポジションなんですか?
來島
若い頃はまず誰かがやることについて行ったり、サポートする右腕的な存在でした。実行者はビジョンがあり、すごいアーティストやミュージシャンだけど、音響だったりWEBのことがわからないとかで、作業部分を僕がサポートすることが多かったんです。
最近は自分でやる0→1が増えていますが、WEBのメディアを作るとか紙媒体を作るとか、ローカルのフリーペーパーを作るのは労力がかかると思うんですよね。いま僕は「ズシレコラジオ」をやってますけど、もう2年くらいポッドキャストをやってるのは、ポッドキャストってiPadとかiPhoneのボイスメモで自分のローカルのことをしゃべれば、それがもうコンテンツになって発信できます。そういう気軽さがある。これならみんなできるじゃんって思ったんです。
まず自分がポッドキャストをやってみた。そうしたらコロナ禍でポッドキャストがすごくブームになってきた。みんなが始めるようになったけど、「おお、いいじゃん!みんなやればいいじゃん」って感じでしたね。
取材のあと
声配信アプリ Stand.fmを使って、取材後のインタビューをしています。
Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi