デジタル死を考えるまえとあと

遠藤諭
株式会社角川アスキー総合研究所主席研究員

遠藤諭さんはサブカル業界ではレジェントだと思っている。遠藤さんと話をしていると、いろんな知識がどんどん出てくるので、取材をしている側もとっても学びになることが多い。今回も伺っているなかで出てきた「デジタル死」の話題とはどんなものか?

Profile

遠藤諭
1956年生まれ。プログラマーを経験後、1985年アスキー入社。1991年から2002年までパソコン雑誌『月刊アスキー』編集長。ミリオンセラーとなった単行本『マーフィーの法則』や『「超」整理手帳』などの企画も手がける。現在は、ネットデジタル時代の消費行動について調査・コンサルティングを行っている。アスキー入社前の83年に『東京おとなクラブ』を創刊。80年代のサブカル事情に詳しい。カレー好きで3000人以上の会員のいる「東京カレーニュース」を主宰。AIでラジコンカーを走らせている。
Twitter:@hortense667
Instagram:@in64blocks
遠藤諭のプログラミング+日記:https://ascii.jp/serialarticles/1225476/

Index

想像する未来はあてにならない

遠藤

Twitterは、ネットが世の中で注目されはじめたときに「こうなる」といろんな人が言った未来とはまったく違った形で広がりましたよね。SNSって、いまや産業や社会を動かすパワーを持ってきているわけです。ところが、インターネットが広がった25年ほど前に、ソーシャルメディアがここまでくるとは誰も予測していなかったといっていいと思います。

米国クリントン政権がブチあげた情報スーパーハイウェイでも、ニューエコノミーなどといって「情報技術の進歩によって景気変動がなくなる」なんて意見もありました。しかし、そんなことには少なくとも現状なっていない。1990年代前半にネットに関して予測されたことって、ECやオフショアなどをのぞくとあまり当たっていない。ソーシャルなものって、パソコン通信というヒントになるものがあったのに予想されていなかった。むしろ1980年に書かれたトフラーの『第三の波』のほうが近いことを言っているよね。生産消費者とかメディアの非マス化とかですね。

ソーシャルメディアがいかに凄いかは、とくにTwitterに関しては大統領が使うんですよ。オバマ前大統領からですが、あまりにアッケラカンと行われていて現実を受け入れるしかないような状態になっている。

しかし、よく考えれば《大統領が国民に対して発言する》とか、《メディアによって世論が形成される》というのは、ネットに道具が変わっただけでいまに始まったことではありません。興味深いのは、そのメディアの担い手がTwitterやFacebookといったネット企業になったことで、それがプログラムのコー ドによってそれが動いていることですね。

Twitterが、トランプ大統領のツイートを《注意喚起》の対象にしましたが、そのことではなくてメディア自体が自動的に動いている。ちょっとしたFacebookのプログラムのコードの違いで、選挙結果に影響する可能性があるわけですよ。しかも、英国の国民投票にFacbookが影響したんじゃないかとBBCが取材したんですが、Facebookは「自分たちでもプログラムがどう作用するか分からない」とコメントしていました。たぶん半分以上本当だと思います。生の人間によるポストをコードが処理して世論ができあがっていく時代がきている。

バーチャルへの関心

遠藤

たったいまデジタルに関する動きでいちばん注目すべきことのひとつは、我々がいま住んでいるのは重力のある3D空間ですが、それをそっくり再現したバーチャル空間を作る動きが急速に広がりはじめていることです。いままでも、VR(バーチャルリアリティ)や3Dゲームの中にそうしたものはあったけど、《現実の世界と結びついたバーチャル世界》が、これから数年のうちにどんどん広がっていきそうです。

政府も一生懸命言っている《DX》(デジタルトランスフォーメーション)の中でキーワードとなっている概念の1つが《デジタルツイン》です。文字どおり、現実世界にあるモノのバーチャルな“双子”ですね。

DXというのは、いままでの《IT導入》というレベルではなく、企業を遺伝子レベルからデジタルにしようというものです。そのとき、自分たちが企業活動であつかうリソースとして、製品やその部品や工場のライン、さらには街や道路なんかもあるでしょう。それらすべてをデジタルで現実とのペアにしておきましょうというものです。

たとえば、国土交通省が《都市3Dマップ》と呼べるものを整備しようとしています。いままでの地図は平面の道路や河川や建物も占有している面積でしか表現されていなかった。それを、ビルや橋梁や鉄塔などの建造物の3Dデータを含めたデジタル情報としての地図にしようというわけです。いままでもグーグルアースなどのように便宜的な立体地図や限定された地域の3Dマップはありましたが、CityGMLという標準規格で全国的な地図を作ろうという考えのようです。これにはセマンティックな、つまり意味的な情報も入ってくる。

実は、こうした動きでDXよりもよっぽど先行しているのが、トラック運転手になって走り回るシュミレーターです。『Euro Truck Simulator 2』というチェコの会社が作ったゲームなんですが、これの日本のデータが非公式ながら有志によって作られている。Project Japanといって、日本全国の幹線道路を走らせることができる。そのときに運転席から見える景色は本物の日本各地の風景なんですね。

しかも、こうした3Dデータはいまや、スマホ1台で気軽に3D空間が表現できるようにもなってきています。《フォトグラメトリ》(写真測量)というのですが、スマートフォンで写真を撮っていくとそれをもとに自動的に3Dモデルを生成できちゃう。いままでだったら衛星やドローンやレーザー、あるいは大がかりな専用のスキャナーを使ってやっていたことです。《iPhonel2》などはそうしたニーズを意識した設計になっているわけです。

このように現実の世界が3Dモデル化されてバーチャル空間で実現されるようになると、世界はどんなふうに変わっていくか? バーチャル空間ではそこに自分が入り込むことになりますからね。それは従来のVRコンテンツとはだいぶ違うものになりつつあります。いままでは、3D「鑑賞」であったり、バーチャルな「体験」だった。そうではなくて、自分がそこにいるだけでバーチャル空間の中のほかのものに影響を与えるオブジェクトの1つになる。

いわばプログラム的リソースの一部になるんだという考え方が重要です。なんでもないように見えますが、これは、ユーザーインターフェイスと呼ばれてきたいままでのコンピューターを使うという概念を吹っ飛ばすものですよ。

バーチャル空間が一気に作られている根底にそういう認識の変化があるんじゃないですかね?

究極、映画の『マトリックス』みたいな世界になるんですかね?

遠藤

ちょっとそこは興味があるんです。コロナがきてみんなリモートワークになり、Web会議になった、会社の建物や会議室の代わりにZoomやGoogle Meetになったみたいなところがありますよね。次のステップとして、いまは全然予想できていないようなことができたら楽しいですよね。

デジタルで死んだ

『マトリックス』みたいな世界になったら「デジタルで死んだ」みたいになるんですかね?

遠藤

これを追求してくと現実の世界とデジタルの世界は、同じくらいの価値を帯びてきますからね。むしろ、バーチャルの中のほうが便利だからそっちのほうがいいみたいな。映画『マトリックス』では、バーチャルで死ぬと現実の世界でも死ぬという設定だったんですね。「デジタルで死んだ」は、このテーマを考える上で、すごくいいところをグサッと突かれた感じです。そこまでいって振り返って考えるといろいろ見えてきそうです。

遠藤さんの話に近しいのは、『マトリックス』の他には『レディ・プレイヤー1』ですね。

遠藤

レディ・プレイヤー1は、ゲームとして描かれているけれどもいまの話はそうじゃないんですよね。現実に対応するバーチャルがもう1つあるという考えですから、そこに大きなギャップがあることにみんなもう気がついていて、現実のコピーをやりはじめているんですよ。だからマトリックスってすごい現実感のある作品だったと思うんですけど。

マトリックスの中の戦うシーンで、バーチャル空間の中でスピードの差を問うシーンがありました。一方で、マトリックスの中でやられると肉体的なダメージはないはずなのに、生きる価値がなくなるからなのか現実でも死んでしまう。デジタルでの存在が究極まで高まった状態ということでしょうか。

かつてはこういうことは、メディア学者とか作家とか、いろんな立場の人たちが未来を予測していたけど、いまはテクノロジーのほうが先行しているようなところもありますね。

だから、たぶん追いつけなくなったら負けだなと思っていて。

遠藤

人間の想像力がテクノロジーやそれによる製品を生み出すのではなくて、テクノロジーが先行して人々のイマジネーションを刺激している時代ですよね。

人間とは何かを考えると

脳死と心臓死の先の概念としてのデジタル死ですかね。

遠藤

だから人間は生きているのにデジタルの世界には存在しない。ネットの世界では「インターネット死刑」という言葉がありました。ネットの世界でよくないことをした人をネットから締め出すのを死刑とたとえたんです。実際に、2009年にフランスでは「HADOPI法」(スリーストライク法)が制定されて違法ダウンロードを繰り返すとネット接続を遮断されることになった。2013年に実質的に廃止されますが。ネットで得られるものが現実以上になったら本当に死刑を意味するかもしれませんね。

もともと人間とは何かみたいなことを考えると、その人の肉体もさることながらその人の頭の中にあるソフトウェアともいえますね。その人が書いたものや誰かに言ったこと、物事に対してどう返してくるかみたいなものが人間というソフトウェアですよね。そのようにして故人を復活させるようなことが小説になっていたり試みされてもいる。肉体は死んでも魂は生きているみたいなことが、メディアによって半ば実現されているようなところもありますね。

そんなのスマートスピーカーみたいなBotの範囲だろうと言われそうです。《AI》(人工知能)がどんなに高度に進化しても、きちんとものごとを《理解》するわけではない。いわんや《心》があるふりはするけど、それはちょっと違うものだという意見がある。ところが、本当にそうなのかどうかはなんとも言えません。

2013年頃以降の《AI》(人工知能)の大きな盛り上がりの最大の立役者であるトロント大学のジェフリー・ヒントン教授は、深層学習によって知能は実現できるという立場らしいです。最近も、『MIT Technology Review』で、AIが、たとえば引き出しをあけてモノを取り出したことを言葉で説明したときに、それが何を意味しているのか理解していないとは言い切れないと述べているんですよ。そもそも脳の活動を従来の認知科学の「記号」などとは違った「ベクトル」という新しいアプローチでとらえている。

現実世界のものをすべてバーチャルに作るとなったとき、《人間》というもののデジタルツインはどうなるんだみたいなことですね。『攻殻機動隊』みたいなマインドアップローティング的な話につながっていくわけですが。さきほどの言葉で説明したAIで、脳の活動を決めるパラメーターの数が人間より3桁ほど少ないという段階だそうです。

最近、寄藤文平さんの『死にカタログ』という本を読んだのですが、たまたま勧められてなのですが。「大人たばこ養成講座」のあの白と黄色のイラストで、ある意味淡々と《死》について思考をめぐらせている。いちばん面白かったのは古今東西の死に対する考え方でした。

天国や地獄に行く、鳥になる、チョウになる、ハエになる、仏教の「四大分離」という考え方も面白かった。「地」、「水」、「火」、「風」の4つ元素に戻るみたいなやつでとても科学的。パプアニューギニアのある島では「近所の島に行く」と考えていたと。この寄藤さんの本ふうに言うと《デジタル死》は、プログラムの停止です。コンピューターサイエンスの世界には《停止問題》というのがあって、そのプログラムが有限時間で停止するかを判定するアルゴリズムは存在しないんですけどね。そこは、なんとなく我々の生命っぽくもあり。

記憶の超解像的再生

遠藤

さっきの“人間というのはソフトウェアなのでメディアに保存されうる”ということについていうと、僕は、そのバックナンバーはある意味タイムマシンみたいなところがあります。PC雑誌なんだけど、僕は「アジャンタのマトンカレー食べた」みたいなことを書いてたりするので、実際、「この頃、オレこうだったじゃん」みたいな感じにページめくるだけでなったりするんですよ。

毎日綴られた日記に比べるとえらいレゾリューションの粗いものなんですが、それが外に向けられて書かれている。同時に、広告も含めて一時期は600ページもあった雑誌なので、ほかの記事とがリンクするようにセットになっている。本業であるパソコンの技術について僕がどう考えていたかとか、その頃に公開されていた映画のことなども分かることもある。だいぶ恥ずかしい内容の部分もあるわけなのですが。

アスキーに入社する前は『東京おとなクラブ』というサブカルこてこてな同人誌みたいなものを作っていて、それはもっと自分がまるだしになっているわけですが。自分で書き手を集めてきて、ほぼすべて自分で決めていましたからね。そういえば、しばらく前ですが中森明夫が電話してきて「ボクの小説のなかにエンドウさんが出てきます。フィクションなのでこまかな違いはおゆるしください」みたいなことを言ったんです。『青い秋』という小説の中で、僕が、朝まで好きなマンガやプログラミング言語について語っていたりしている。

断片的ではあるけれど、いろいろな形で自分がアウトプットされて残っている。こうした断片的な情報をもとに、いまならそれこそAI技術を使ってちょうど昔のフィルムを自動的にカラーにしたり、自分がもし女性だったらみたいな画像を生成できたりしますよね。あんな感じで、過去の情報をもとに自分みたいな見た目であるだけでなく自分みたいな内容の発言をするバーチャル空間の自分が作れてしまうかもしれません。それは、自分のデジタルツインですね。さきほどのヒントン氏の話に出てきたAIのようすなんかを見ていると、案外と時間の問題かもしれません。

メディアのまえとあと / 玉置泰紀

取材のあと

音声配信アプリ Stand.fmを使って、取材後のインタビューをしています。

[New]まえとあとのあと(新しい展開)遠藤諭×江島健太郎【前編】

いつもなら、追記記事で展開されておりますが、今回はここから対談が始まります。しかも「まえとあと」らしからぬ、前編と後編の2部構成となっております。遠藤諭さんと「自分の環境を変えてみたまえとあと」の江島健太郎さんによる対談をお届けします。

ブロックでいろいろなものを作り始めた

遠藤さんが最近アップしているブロックで作ってみたシリーズ「in64blocks」が気になってまして

遠藤

僕が使っているのは全体がレゴの半分くらいのスケールのブロックで、コロナ禍の今年の1月〜3月ぐらいの間のある日に作り始めたんですね

香港に行くと、まさにそういうスケールのナノブロック互換で、香港を走っているタクシーとかスターフェリーとか売っているんです。香港は、50回くらいでかけているという香港好きなんですけど、その香港で買ったブロックが作らないまま家にいくつもあったんですよ。

そうなんだけど、実は、僕はレゴみたいなブロックって割りと苦手というか、決められたものを作るのが好きじゃない。

その話を少しすると、レゴの作り方に関しては、いろんな人がいるわけじゃないですか。あらかじめ建物だったり何かジオラマ的なシーンだったり、必要なパーツが入っていて決まったとおりに作る人もいれば、自分でオリジナルな凄いオートマトン的な作品を創作する人もいる。だけど、オリジナルでもレゴのルールの中でやるのが、なんとなく競争するみたいで好きじゃない。

スティーブ・ジョブズが亡くなったときにいろんなコメントが世界中で紹介されたわけだけど、アメリカのABCだったと思うんだけど、一緒にアップルを創業したスティーブ・ウォズニアックが、ジョブズについて「彼は競争するのが嫌いなんだよ」と言ったんですよ。

僕と一緒じゃんみたいな。

一同

遠藤

ジョブズと僕は比較はできないけど、ジョブズは競争しても得しないことを知っていて、彼のそういう考え方を反映したともとれる「Think different」をまさにやってきたんだなと。僕も、だからレゴというルールの中でやるのは好きじゃない。

ところが、コロナ禍で、KADOKAWA全体が早々とリモートワークになって、通勤時間もなくなって家にいると、ふと見たら香港で買ってきた例のブロックがいくつもある。

それでそのナノブロック互換ということは、レゴの約半分のスケールのブロックで、香港タクシーを作り、次にスターフェリーを作ったんだけど、やってみると面白い。何が面白いのかというと、これって前回の話とも通じるかもしれないけど、バーチャルリアリティー、というよりもミラーワールド的なことなんですよね。

香港に何回も行っているから、香港のタクシーを自分で作っていると、現実のタクシーと自分の関わりが見える。あの店に移動するときにホテルの前から乗ってドアをバタンと閉めた腕の感覚とか。下手するとそのあと食べた土鍋飯の長粒米の匂いとか。ましてやスターフェリーは乗って移動すること自体がイベント的な楽しみなので、そこに乗っていたある日の自分も想像できるわけです。

頭の中にあるものを作るのが楽しいんですね。それで、これもコロナ禍でこれまで僕は100円ショップってほとんど行ったことがなかったんだけど、はじめてダイソーに行ったらプチブロックというものがあった。ブロックってレゴにしろナノブロックにしろお値段高めなんだけど、プチブロックは100円なんで大人買いができる。プチブロックなら、1万円出すと小さ目なセットを100個買える。もちろんレゴやナノブロックに品質は劣るんだけど、案外といい色が使われていたりね。で、買ったプチブロックで最初に「ポラロイド1000」(Polaroid Land camera 1000)を作ったら。これが本物ソックリ。

それこそジョブズが憧れた、彼にとっての神プロダクトはランド博士のポラロイドカメラだったわけです。『スティーブ・ジョブズ』の著者ウォルター・アイザクソンも「ポラロイドはジョブズの最初のヒーローだった」と言っています。アップルの6色のリンゴのマークもポラロイドのトレードマークの虹色の線へのリスペクトにしか見えないですよね。

ポラロイド1000は、僕にとっては、自分が生きた時代のデザインの中でも最も印象的なものの1つだったので作ってみたら思いのほかよくできたわけですね。

毎回写真をSNSに上げてくださっていますけど、意外と精度高いですよね。

遠藤

ブロックで作る前は、カメラは丸いところもあるし、再現するのは無理かなと思いながらやっていたんだけど、それが意外と再現できる

江島

オリジナルのポラロイドの魅力ってはどの辺にあったんですか?

遠藤

デジカメ以前のカメラって、撮影したら紙にプリントした写真で見れるまで何日もかかった。東京でも、朝、駅にあるダイヤジャンボーとかに出しておくと帰宅時に受け取れるようになったのは1980年代ですかね。ところが、ポラロイド写真は、撮影したら何十秒後かにはその場で見れる。これって、僕らがいまも興味深々なデジタルが生み出す“日常的なマジック”みたいな感じじゃないですか。

プチブロックでの再現には限界があって、それこそ、ポラロイド1000の前面に縦に走ってる虹色の線なんかただのグレーの線にしちゃった。本体のベースカラーもブロックにないので違ったりするんだけど、現物をブロックに組み替える変換というか、何を残して何を捨てるかというプロセスが気持ちよくなってきた。それですぐに、1978年に発売されたスピーク&スペルという知育玩具とファミコンを作ったんですね。それを、ネットにアップすると作ったブロックを欲しいという人がいたり、「エンドウさんの作るこのシリーズ好きです」と意外な人に言われたり、褒められるといい気分がするじゃないですか。

一同

遠藤

4つ、5つあっという間に作ったんですよね。このアップルIIcは、僕が最初に買ったパソコンであり、アップル製品なんですが、これもウソを言うと本物ソックリ。

たたずまいがいい。

遠藤

そうなんですよね。着物姿の女性みたいな。

アバターの遠藤さんが踊ってる

いまこういう欲求ってみんなの中に静かに来つつあると思うんですが、最近、僕は自分の全身3Dスキャンをしてもらったんですよ。それは、まずちょっと見せましょうか。

江島

そんなことができるんですか?

遠藤

フォトグラメトリでスキャンして自分の3Dアバターを作るんですね。

360°カメラで撮れば、人でもなんでもスキャンできるんです

江島

なるほど。

遠藤

これすごいでしょう。スキャンが精細でふつうの写真並みです。

遠藤さん記事:自分を3Dスキャンして向う側の世界(仮想空間)で踊りまくろう!

江島

イラストっぽいのがいいですね。リアルタイムなんですか?

遠藤

これは、アバターをUnityに取り込んでモーションはアセットストアから持ってきて踊らせているんです。音楽はファンキーなフリーの音楽素材を400曲くらい聴きまくって無理やり合わせてしまった。最初、Palmの神様といわれた有名プログラマの山田達司さんが、やっていたのを見て、「僕も踊らせて!」とお願いしてやってもらったのですが。視点は、リアルタイムにグリグリ変えられます。照明をやってないからイラストっぽくなっているわけですけど。目黒にあるSUPER SCAN STUDIOという国内では最高クラスの品質ともいわれるところでスキャンしてもらったのですね。コンピューターの基板柄のネクタイの細かなところも写真なみに分かる。髪の毛やヒゲの生え際とかも不自然さがない。もちろん、こんなふうに踊らせるとなると服の折れ方とかちょっとウソっぽいところもでてくるんですが。

84台のカメラに囲まれて、普通の写真も撮るけれども、専用のパターンをプロジェクターで照射して撮ることで立体を正確に把握する。顔は、なんか無表情なのにめちゃキレのいい体の動きになっている。

これで僕はもう死んでも大丈夫な感じです。というのは、これの場合はスキャンに何万円もかかるわけですが、もっと安いところもあって意外にスキャンしている人はいますね。最近だと証明写真を作る感覚でアバターが作れますなんてものあるようです。個人的にはひたすら自分をコピーする感覚の高品質なスキャンがいいと思いますけどね。それで、ClusterやVR Chatといったバーチャル空間のソーシャルメディアで遊んだりしている。個人的に、それは知っていてちょっと離れてみていた感じなんだけど、踊るとなるといきなり興味が出てきた。Palmの神様と踊っているので、最初は「神様とホーテンス」というチーム名にしようと思ったんですけど。

望月&江島

遠藤

「ダンスユニット=山田+遠藤」というプログラムの代入文のスタイルの表記にしました。山田さんは、別のところでスキャンしたアバターで、僕のアバターと持ち寄って、いま一緒に踊っている。Unityの中に自分を読み込ませることは、マトリックスじゃないけど「向う側の世界」、つまり、仮想空間に僕が誕生したような。

当然、UnityだけじゃなくてUnreal Engineとか、AdobeだったらAdobe Aeroにもスポンと入れられるわけです。

バーチャル空間の中に僕がいる。このビデオはUnityで作ったわけなので、VRグラスをかけて自分が踊っている同じ空間に降り立つこともできるわけですね。踊っている自分をシラ~っと見るのは幽体離脱体みたいですよね。

いま産業界ではDXのキーワードとしてデジタルツインがあって、ゲームの世界では逆にMetaHumanみたいな実在しない人間をポンポン作れますよみたいな話があったりするわけですが。それのボンヤリとではあるけど延長線上に、実はあるんじゃないかと思うのが、いまシリコンバレーでお金を集めているのは寿命を延ばす話です。

要するにアマゾンのジェフ・ベゾスやグーグルのラリー・ペイジは、そうした研究に出資をしているんですが、寿命が延びることをリプログラミングって言うんですけどね。リプログラムはこれからキーワードになってきますよ。あとは京大の山中伸弥教授さんらが見つけた山中因子というのがあって、彼の研究も寿命を延ばすことに関係するらしいんです。

テロメアですか?

遠藤

細胞の初期化に関する遺伝子ですかね。

寿命を延ばすことに関しては、僕は、以前やはり京大のある教授をお訪ねしたことがあって、細胞内の情報伝達の研究によるものなのですが。人間もコンピューター的みたいなものですからね。1945年にいまのコンピューターの理論を発表したフォン・ノイマンも、脳細胞は、パルスで動くデジタルコンピューターみたいなものだよねと書いている。遺伝子も、塩基の種類によって4値をとるけど、やっぱりデジタルな情報記録そのもので、それを、いまデータの記録に使う試みもされはじめている。マイクロソフトが音楽の記録に成功したといったニュースもありました。

死を先延ばししたいとか、それこそマトリックスみたいなマインドアップローディングの話も、フィクションじゃなくなりつつある。藻類のタンパク質と青色レーザー照射でニューロンの活動を制御して、ネズミにニセの記憶を作ったなんて研究も発表されている。

そんな話が来ている一方で、ずっと日常的でみんなやっているZOOMで会議をしていますとか、VRやポケモンGOみたいなARゲームがきましたとか、iPhone12 Proには空間把握に使うライダーも入りましたみたいな話もある。いままで関係なさそうだった産業界や国土交通省みたいなところもこの分野を気にし始めている。その端っこあたりで、僕は山田さんと踊っている。

デジタルっぽい話と対極に、ある種ちょっとスピリチュアルなフィーリングな人たちもいるわけじゃないですか。

遠藤

そうですね。

どっちもわかるから、どっちも不思議だなって。

遠藤

そうなんですよね。いまの時代のタイミングという話だと、個人的には本当に世界は戦争に向かわないで欲しいというのがあるんだけど、テクノロジーに関していうとサイコロの目がこのバーチャル空間の話にきているのは明らかですね。ご存じのように、Second Lifeというサービスがは2006年頃に日本で盛り上がって枯れているんだけど、未だにSecond Lifeも含めてメタバース的なサービスはあります。

人間は可塑性が高い

ここ最近の感じたことを言うと、オリンピックではスケボーを見ると、若い子たちは国境がない状況でやっていたじゃないですか。そういう意味でいうとオンラインもオフラインも、といろいろある中で、今まで空間的な広がりは、飛行機で改善されてきたと思うんですけど、心的距離も他の代替物というか、特に若い子を見ていると、心の距離がすごい近づいているんじゃないかなと。だから若い子たちに託したほうが世界平和になると思ったんです。

遠藤

それは、人との関係とか、自分の存在についての考え方とか、社会学的なことなんだと思うけど世代的に変わったということですか。だとすると、鳥の真似していても飛ばなかったけど、ライト兄弟が翼で羽ばたくわけではない飛行機を作ったことで世界が変わったくらいのことですね。

若い人は可能性があるなと、つくづく最近思っていて。

遠藤

本当ですか?

江島

近い話で言うと、子どもが突然何も教えてないのに英語を喋り始める事例があります。要はフォートナイトみたいなオンラインゲームで、外国人と子ども部屋でこっそりプレイしていて。

遠藤

何とすごい!

江島

でも十分あり得ますよね。

遠藤

子どもが触れるデバイスで、TikTokが見られているのか、別のなにがあるかで、その子の世界がどうなっていくかは全然違ってきますね。

目の前にコンテンツや情報を表示するスクリーンの種類や合計面積と所得が比例するという理論というのがありうると思っていて。ちょうどエンゲルの法則みたいなものですけど。お金のある人は、PCだけでなくホームシアターやアップルウォッチやテスラのダッシュボードまであるけど、子どもとかは、お金がそもそもそんなにあるわけじゃないからスマホしかない。結果としてTokTokばかり見ている。しかし、ずっとお金がないとするとその画面に合った世界しか持てないことになってしまう。

当然、その限られた画面だとイイネはできても発信力もなければ、受け取れるもの配信側にコントロールされた限られたものになってくる。TikTokしか見ない子どもが曲名を知らない、歌詞の一部しか知らないので、曲名でなくて歌詞の一部でその曲のことを呼んでいるという話を聞きました。要するに、音楽をいままでみたいに題名があってジャケットもあってという由緒正しきパッケージとして入手していない。業界的にはコンテンツデンティシーと呼んでいますけど、何十秒の中にどれだけのものが詰め込まれているかというのが価値になってきているのは、小さな画面で手で持ってみているからなんですね。

アメリカ人のお金持ちの基準は、過去、海外旅行や車や家が持てることだった。それが、時代とともにどんどん変わり、現代は自由なことができるのがお金持ちの基準。リアルワールドに暮らしていたから基準は旅行や車、家だった。今はスクリーンで代替可能だから、スクリーンをいっぱい持てるかとか、お金を払ってスクリーンを使えるか、もちろんスクリーンの面積だけではないが、わかりやすく言うとスクリーンの面積が所得に比例するという法則があるのではないか、と遠藤さんは考えている。

遠藤

海外にアクセスできるゲームが与えられているから英語を話せる場合と、通信もできない中古のiPhoneを与えられている子どもも多いわけですよね。全部さっきの話とも関係しているところだと思うんですけどね。「いよいよきた!」というイメージはあったんだけど、「もう来たじゃん!」が今かな。

最初から若い子が英語を突然覚えるような、ある種の広さがあった方が、将来的なキャパシティーとしてはすごく広がっているような気がするんです。自分たちが小さい頃を思い返すと、どうしても親同士、周り以上みたいな世界だった。

遠藤

その子が持っている世界が決まっていたわけですよね。

はい。最初から広い世界を与えておけば、絶対的にその後の結果が違うはずじゃないですか。こんなにいろいろな人がいると知れば。

遠藤

昔は絵本しかなかったんだけど、いまはYouTubeもありますよね。

いいか悪いかは別にして。いろいろな選択肢は確かに昔より小さい頃から多くはなりましたね。

遠藤

それに思ったよりは人間は可塑性が高い。人間はこういうものだから新しいこういう方式はダメだ!なんてことが言われがちだけど、でも人間の方はとても柔軟だったりするよね。

江島

あっという間にAdapt(適応)しちゃうんですよね。

それに小さい子の方が大人よりもAdaptしやすいし。

遠藤

その適応は本当にすごいらしくて。松本元さんって知ってますかね?

遠藤さんによると、脳の研究をされている松本元さんは、交通事故で脳が半分機能不全になり、半身植物状態になったお子さんに、医師と相談した上で快情報を与え、意識を戻したそうだ。松本元さんによると脳はソフトウェア的なもので、壊死していない脳半分が壊死した半分をカバーして意識の戻った彼は今も普通に生活しているそうだ。だから遠藤さんは、「人間はこうだ!」と決めつけてはいけないと。非常に柔軟性のあるソフトウェアである脳はそれを物語っていると。

最後に

11/29(月)に今回対談した遠藤さんと江島さん、そして吉田尚記さん(ニッポン放送)の3人のオンラインイベントをおこないます。

Basic Insight Vol.5「フィルターバブルとエコーチェンバー」

Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi