自分の環境を変えてみたまえとあと / 江島健太郎

  • 江島健太郎ソフトウェア開発者

写真:平林克己
聞き手/編集/執筆:望月大作

目次

  • 努力を信じない
  • 世界で最も危険なのは正義を叫んでるやつだと
  • 拡がっていくはずの世界が閉じた世界へ向かう矛盾
  • 知識がないことは罪ではない
  • 余計なことを考えないことが幸せなのかもしれない
  • 自分の環境を変えてみたまえとあと
  • 取材のあと
  • 努力を信じない

    江島健太郎(ソフトウェア開発者)

    僕は努力を信じてないんです。だからガッツがあれば何か状況を変えられるみたいなことを信じてない。何かを変えたいと思った時には、自分を変えようと努力するんじゃなくて、環境を変えた方がいいと思っています。

    望月

    分かります。そうです。

    江島

    自分はたとえばチェスの駒だと思って、とりあえず違うところへ置いてみるんです。

    望月

    本当に変わりますよね。同じ環境で変わろうなんて無理なんですよね。

    江島

    今自分のいる場所が、自分にとってすごくストレスを感じる環境なんだったら、そこから逃げることも本気で考えてみたほうがいい。それに負けている自分が弱いっていう感覚は持たないほうが良くて、人間はみんな弱い。だからその環境でダメージを受けているなら環境を変える決断をどっかのタイミングで「えいや!」とやってしまう。そうすると、今までの悩みはなんだったんだってぐらいどっかに行ったりするんで。

    平林

    嫌だと思ったらすぐ辞めるべきですよ。

    江島

    そうですよ。だから最近の若い子って就職してもすぐ辞めるというじゃないですか。僕は良いことだと思ってるんですよね。今までは我慢しちゃってたから、それがよっぽど不自然だと思ってて。

    平林

    昔の考え方みたいですよね。忍耐とかって。

    江島

    そうそう。3年続けてなんぼみたいなね。

    望月

    僕は3年以上いた会社ないんですよ(笑)。

    世界で最も危険なのは正義を叫んでるやつだ

    望月

    いま自分にある問題意識の中で、SNSをはじめソーシャルやネットを含め、謎の同調圧力、いわゆる”俺の正義”は”お前らの正義だ”みたいな風潮があるのが嫌いで、そういう話も中心にしながら、今やってらっしゃるお仕事の話につながればと。

    江島

    なるほど。それは僕自身の問題意識としてもあって、社会の同調圧力もそうなんですけど、今のSNSがもたらしている社会の害悪みたいなものはかなりあると思っているんですね。

    望月

    そうなんです。

    江島

    要は個人が情報を発信しやすくなったのは良い面ではあるんですが、それよりも人を扇動する道具みたいになって完全にフォロー数のパワーゲームになってるじゃないですか。例えばフォロワーが100万人いるホリエモンみたいな有名人が何かを言うと、信者がいっぱい沸いてくるわけですよ。それに対して、Twitter始めたばっかりでフォロワーはまだ10人くらいの公衆衛生の専門家が、コロナはそうじゃなくてこういうもんなんだと反論しても、袋叩きになって終わりじゃないですか。「何を言ってるんだ」「お前は現実がわかってない」とか。

    望月

    数で担保されているんですよね。

    江島

    そうなんですよね。それが変わらない構造になっていて、今から10人しかいない専門家が頑張っても100万人を逆転なんてできない。要するに3.11の頃にツイッターが大ブレイクし始め、そこで一気に伸びた人からのランキングの入れ替わりって実はもう起きていないと思うんですよね。結局それがもう固定化された権力みたいになっていて、後から入ってきた人の意見が重用されない。

    たまたまTwitterを早く始め、たまたま早くバズって、たまたま早くフォロワーが多くなった人の発言力が固定化されてしまった世の中みたいな。新陳代謝が起きてないんですよ。

    望月

    そうですよね。結局翻して俯瞰して考えてみると、日本社会そのものみたいな。

    江島

    そうなんですよね。

    望月

    それが人が変わっただけってスタンスですよね。だから結局ずっと同じ方法を引きずっている日本はあるとは思ってます。でも変にマウントをとったり、何の情報もない情報商材を高値で売ることもあるじゃないですか。

    数の論理で民主主義とか、正義ぶるとか、そういうのが日本はやりやすい。それをフォロワーの数が大きい人が言うことで、より増長される仕組みが成り立っている。結局それって戦争が始まる前の日本と同じ構造ですよね。

    江島

    一緒です。実はいまBanksyのTシャツを着てるんですけど、Banksyも似たようなことを言ってて、「世界で最も危険なのは正義を叫んでるやつだ」と。

    (注:https://www.goodreads.com/quotes/68636-there-s-nothing-more-dangerous-than-someone-who-wants-to-make – 直訳すると「世界を良くしようとしている人物ほど危険な存在はない」)

    望月

    本当にそうですよね。

    江島

    Banksyも資本主義とか民主主義に対してすごく懐疑的なものの見方をしています。そのやり方を間違えたらすごく危険なんだということを、作品を通じてずっと言ってるんです。

    望月

    僕も若かったときは「あの人間違っている!」と思ってたんですよ。20代〜30代前のTwitter始まったころに思ってたんですけど、とあるタイミングでよくよく考えたら、みんな自分が正義だと思っているので、結局それを「悪だ!」とひっくり返そうと思っても無理やし、そこに能力かけるなら、全員正義を言ってると捉えたほうが楽なことに気づいた。

    江島

    ぶつかる人とは絶対折り合うことはないですからね。だから問題は正義を叫んでる人が世の中にいっぱいいることなんですよね。みんなそれに影響を受けるし、自分もこれをやらねばという義務感に駆られたりする。先日トランプのディベートがありましたが酷かったですよね。面白いのがイギリスがEU離脱する「ブレグジット」や、トランプが台頭してきたタイミングって完全にソーシャルネットワークの普及と連動しているんですよ。それまではわりと中道の人たちが選挙で選ばれる傾向があったんです。最近になって、だんだん両端の人が脚光を浴びるようになった。

    望月

    結局ソーシャルの一番の功罪は、見なくてもいいものが見えてきたのが一番辛いんですよ。他人の人生とか。他人のキラキラした人生が見えてくると、妬みが生まれる。自分がみじめに思えてくる。しまいには、そのことに怒りまで覚えるようになる。実はネット上のキラキラした人生なんて飾り立てられたフィクションなんだけど、どうしても真に受けてしまうんですよね。こうして、自分の妄想の中で勝手に大きく育った怨恨に振り回され、極端に走る。極端なものがたぶん楽なんですよ。あいつらが悪い、という敵を作ってくれてわかりやすいし、手近な答えをくれるから。そういう構図に世界中が陥っていると思うんです。

    拡がっていくはずの世界が閉じた世界へ向かう矛盾

    ソーシャルメディアの特性なんですが、ビジネスからすると視聴率の世界と一緒なんです。つまりたくさんユーザーが戻ってきてくれるコンテンツはいいコンテンツなわけじゃないですか。そうするとその人に心地のいいものを与えるように、アルゴリズムが最適化されたほうがビジネスは儲かるわけです。そうすると自分の意見に近いものしかだんだん耳に入ってこなくなるんですよ。

    Twitterのフィードを眺めても、嫌だと思ったやつがだんだん外され、自分の意見に近い人ばかりが集まってくる状態になる。これがフィルターバブルです。ほかにもエコーチェンバーと言ったりするんですが、自分の声が跳ね返ってくるんですよ。おなじ意見を言ってる人で密室(チェンバー)の中に閉じこもっている状態になっているんですよね。

    望月

    TwitterよりFacebookが顕著ですよね。Twitterを避けてFacebookしかやらない中年が多い。

    江島

    そうなんですよね。あれはもうさらに狭い世界で、自分の半径50メートルの人とお付き合いするようなプラットフォームだから、変化を拒んでいる感じですよね。新しいものを受け付けない。どっちもが人を閉じ込める方向に作用していて、その結果が英語だと「Polarization」つまり二極化です。要するに右と左の極端な意見を持つようにだんだん人が吸い寄せられていってるんです。

    その結果おきたことが今回のトランプでありブレグジットであり、この分断化していく世の中。だからかなりテクノロジーの進化と連動していると思うんです。Facebookの登場、Twitterの普及とね。

    平林

    その便利さやテクノロジーに対して、人が自分の意思がもうなくなっていて、人が付いていってないってことなんですか。ただ取り込まれちゃってるだけで、時間が経てば人が慣れてくるとか?

    江島

    違うんですよ。受動視聴ってあるじゃないですか。ただ、だらだらとテレビを見るだけみたいなこと。あれとソーシャルメディアも同じなんですよ。要するにその人がいいねをつけたりリツイートしたりすると、近いものを見せるようになるんですよ。それをAIが勝手に選んできて、その人が”いいね”しそうなものばっかり見せると、また明日も戻ってきてくれるじゃないですか。また明日もTwitter見ようとなるじゃないですか。

    彼らは広告ビジネスなんで、そうすることによって、結局たくさんの人が毎日見る、視聴時間が長ければ長いほど、彼らは儲かる構造になってるんですよね。ビジネスのインセンティブがそこに最適化されるようになっている。だから本人の努力は関係なく、本当に今の自分が心地いいと思うものしか来なくなっちゃうんですよ。

    それをぶち壊そうと思うと、もうTwitter見るのを止めるぐらいしかない。もしくは常に新しい人をフォローしまくるとかね。

    平林

    自分で積極的に入っていくしかない。

    江島

    そういうことですよね。かなり意識的に、自分の意見が偏っていってないか内省しないといけない。でも自覚するのは本当に難しいと思いますよ。

    知識がないことは罪ではない

    知識がないことは罪ではないと思っていて、要するに知らないことってどこまで行っても無限にあるじゃないですか。だからそれよりも強い態度に出てしまうとか、喧嘩腰で話しかけるとかそういうもっと人格的な部分が大事だと思っています。ちゃんと人としてきちんと育っていれば、別に知識の不足自体はあまり問題にはならないと思ってます。実は世の中にそういう人はすごく多くて、要するにちゃんと育っているけど知識はない。でもそういう人が見るだけの人、サイレントマジョリティーになってるんですよ。

    反論したいと思っても、それを口に出すのははばかられるから黙っているだけなので、表から見ると存在しない人みたいになっているんですが、実はそういう人が圧倒的に多くて、割と僕はどっちかというとそこは信頼しているんですよね。

    平林

    だから知識が無いならないで、そこから覚えればいいのかなと思うときがあって。

    江島

    そうそう。

    平林

    たとえば今話していてわからなければ、話が終わった後にはもうわかってる。そのときの受け止め方とか、モードというのかな。そういうものを検証すれば大丈夫なのかなって。

    江島

    そう思います。

    余計なことを考えないことが幸せなのかもしれない

    僕は人を不幸にしてるものが何かってことをよく考えるんですけど、文明が発達して豊かになればなるほど自殺者って増えてると思いません?

    平林

    そうですね。

    江島

    発展途上国にはいないんですよ。

    望月

    日本は逆に本当に多いですよね。

    江島

    いろいろと調べていくとエミール・デュルケームが「自殺論」という本を書いてるわけです。例えば戦争とか災害みたいなものが起きると、自殺はガクッと減る。これがどういう現象なんだろうって話をしていて、これ普遍的なんですよね。第二次世界大戦になると一気に自殺が減ったんですよ。

    要するに国民全員がいきなり災害とかなんとか禍って呼ばれるものに放り込まれると、みんな平等に落ち込んで、余計なことを考える余裕がなくなるのがすごく大きい。マズローの欲求の5段階説が結局どんな構造になってるかというと、一番下は「生存欲求・生理的欲求」で、もう食わないと死ぬみたいな。2番目は「社会のセーフティーネット」みたいな話で、医療が受けられるかなど、ベーシックな生存の社会保障ですよね。それから上の3つは実は全部人間関係なんですよ。

    仕事を認めてもらえるかとか、愛情を育めるかとか、最後は自己実現で、要するに自分の夢を叶えられるかなどになります。

    平林

    一番ぜいたくなものですよね。

    江島

    だから上3つは本当に人間の社会性から生まれてくるものなんですよね。さっきのSNSの話に戻るんですけど、昔だったら朝起きたらすぐ朝餉を作って、川へ洗濯に行って山へ柴刈りに行って、帰ってきたらまた昼飯食って、昼から田んぼを耕して夕方になったらまた晩ご飯作って、食べたら風呂を沸かしてもう寝る時間と、忙しくて余計なことを考える暇なんかなかったんです。

    あっという間に一日が終わり、また次の日がやってくるみたいなルーチンがあったわけですけど、実はそれが幸福の条件だったと僕は思ってます。要するに今はもうボタンをポチっとしたら洗濯が回って、料理もピッとやったら電子レンジでチンと出てくるようになる。要するに暇な時間がめっちゃ増えたんです。

    余計なことを考えて、人の人生を眺める余裕ができたんです。テレビやSNSをダラダラ見るのもそうなんですけど、人の人生をひたすら眺めているわけです。それが妬みみたいな感情を生み出した。「楽しそうな人生を送ってるな、それに比べて俺は」みたいな比較をするようになったんです。これが実は人類の不幸の源泉だと思っていて、僕は大きな根っこがあると思うんです。

    望月

    人と比較するのは良くないと親が言うわりに、あの子は学校でこれぐらいやったのよみたいな話は普遍的にあるじゃないですか。

    江島

    矛盾してるよね。

    望月

    だから「ねっ!」ってところなんですけど。難しいですよね。小さいころからそんな教育ができる聖人君子の親っていない気がして。逆に超お金持ちだったら比較するものがないので成立するかもしれない。

    江島

    でもどこまでいっても比較するものはあると思いますよ。自分と違うフィールドですごい活躍している人って、どこまで行ってもいるじゃないですか。そういうのはキリがない。

    望月

    だからもっとSNSで不幸なのは、インターネットが普及してない時代だったら、中学で1番だった子が高校へ行ったら全然1番じゃなくて、ちょっと挫折するみたいな話があると思うんですけど、今はもう普及しているから、早々にあきらめるみたいな。結局そこでは芽が出なかったかもしれないけど、ずっと楽しいから続けてれば、大学とか社会人になってから急に花開く場合もある。でも早々に辞めようってなったら、それはそれで悲しいですよね。そういう抑制効果もSNSとかインターネットって、ある部分ではあるなと。

    江島

    だからあれは子どもは使わないほうがいいと思いますよ。あまり良いことはないと思う。社会性を身に付ける意味でも、ちょっとエクストリームなものが多い。ただ身内で使うぐらいだったらいいんですけど、全部が見えるのはストレスが多いと思いますよ。

    平林

    江島さんのさっきからの反応を見てると、世の中に何らかの危機感を感じてるじゃないですか。それに関して危機感は持ちつつも、ちょっと人間側に期待をしているというか。

    江島

    そうですね。

    平林

    ありますよね。それは僕も感じてきたんだけど、なかなかそっちの見方をしてる人ってあまりいなくて、ただ単に恐怖だとか、やばいぞって人はいるんだけど、なんとなくあるものがあるんじゃないかなと思っていて。

    望月

    見つめ直しすぎるのも、ダメなシステムなんだと思うんですけどね。

    自分の環境を変えてみたまえとあと

    人間はなにかで忙しくしてる方がいいんですよ。貧乏暇なしと言いますけど、あれって僕は生きる知恵だと思っていて。僕は以前アメリカで仕事をしていたんですけど、いろいろあって日本に戻ってくる人生の転機があって、仕事が手に付かない時期があったので、思い立ってお遍路に行ったんですね。僕は出身が四国で、お遍路は四国で八十八カ所のお寺があるわけですけど、八十八番目の割と近くに住んでたんですよ。昔はまったくそういうのに興味もなかったんですけど、きっかけがあってお遍路をやったんです。

    その道中で行きずりの、元からの親しい知り合いじゃない人のほうが、いろいろ重い話でもしやすくて、ヘビーにならずにサラッと喋ってしまえる。しゃべることが自分の心を軽くしてくれることにその時気づきました。他の人たちもなんか訳ありなんです。人生で何かが起きている人たちがお遍路は多いので、お互いのそういうことを話したりするのをずっと続けてるうちに、心が軽くなる経験をして、わりとそこから半年ぐらい何もしないで旅を続けて、ちょっとしたホステルとかゲストハウスを転々としてました。そこで出会った人としばらく話して、また次に行ってみたいな生活をしてたんですよ。その流れで僕はいまADDressをやってるんです。

    本当に何が自分にとってプラスになるのかマイナスになるのかって、自分でもわかっていないことが多い。

    平林

    まだわかんないことばっかりだと思いますよ。分かった途端、わかってないことに思いっきり気がつくし。

    江島

    そうなんですよね。そういう転機があって、だからそれまでは「ずっとアメリカでやっていくぞ」って決意をして向こうに渡ったわけなので。それも夢破れて帰ってきて、じゃあこれからどうしようかって。

    望月

    今の仕事との出会いは何だったのですか?

    江島

    自分の事業をやろうかなと思ってぼちぼち準備していた頃にQuoraと出会いました。僕はこのQuoraは新世代のSNSだと思ってるんです。僕自身以前からちょっと溜め続けている知識があって、その知識を別にどこにも活かせなかった。何のためにこんなことやってるんだろうなって思ったときに、このQuoraってQ&Aサイトの日本語版が出てきた。目指している世界とミッションは「世界中の知識を共有し、広め深めること」なんですよ。

    だからWikipediaみたいな面があって、質問されたことに答えることによってインターネット上の知識が増えていく、みたいな思考なんですね。

    平林

    それはあらゆるジャンルですか?

    江島

    あらゆるジャンルです。もしかしたら、自分の知識もここに書いたらいいんじゃないかと思って、書くようになったのが始まりなんです。結局そこからめっちゃQuoraのヘビーユーザーになって、ある時点では日本のトップライターのひとりになったんですよ。その時に「お前そんなにやるんやったら、こんど日本進出をやるんだけど、この仕事をやらないか」と声がかかって。そういう縁でこの仕事するようになったんです。

    元々アメリカでテクノロジー系の仕事をずっとやってきたんで、相性はいいだろうということで、話をしたら「じゃあ一緒にやろう」って感じになった。僕の位置づけとしては向こうの会社からこっちに逆駐在で派遣されているような形なんです。

    平林

    Quoraは世界各国に広がっていってる感じなんですか?

    江島

    実はローカルに拠点を置いてるのは日本とインド以外いないんですよ。日本がすごい重要視されているんです。インドは英語圏のひとつでもありQuoraは言語ベースなんですよね、国じゃなくて英語ってカテゴリーだとインドはすごく大きいんです。

    望月

    結局縁で仕事をしている方の話はいいですね。

    平林

    結局縁以外ないのかなって気もするけどね。

    取材のあと

    音声配信アプリ Stand.fmを使って、取材後のインタビューをしています。

    Profile

    江島健太郎

    香川県生まれ。6歳よりプログラミングを始める。京都大学工学部卒業。外資系ソフトウェア企業を経て、日本のスタートアップ企業(現在は東証一部上場)の米国進出のためシリコンバレーへ渡米。様々なサービスを開発し、iPhoneアプリ総合ランキングで米国トップ5入り、3年で3,000万ユーザーを達成。その後、ニューヨークに拠点を移して創業者兼CTOとして起業。現在は帰国し、米Quora社のエバンジェリストとして日本進出を担当。
    Quora:https://jp.quora.com/profile/Kenn-Ejima
    Twitter:twitter.com/kenn