フレームの外が重要
直接ローカルへ行くのと画面越しでのミーティングだと違いますか?
指出
これは自分のアプローチと芸風もあると思いますが、もともとその場所に行くことで、その場所の新たな動きを知り、それを他のところに運び、お話をすることが、自分の中では1つの特徴だったんですよね。
たとえば今日新潟県の津南町にいたとしたら、津南で新しく農業に取り組んでいる若い皆さんにお会いします。そこでどんな思いでやっているかを聞き、翌日にたとえば広島の呉に行けば、広島の呉で農業をやりたい同世代の若い皆さんに、こういう気持ちでやっている人に昨日お会いしましたってことを話すことで、誰かの背中が押されることを、瞬間瞬時に感じ取っていました。
デジタルが介在しないなか、僕が持ってくる距離のある情報の価値を、皆さんがすごく大事にしてくださるのは有難くて感付いていたんですよね。だから今はその距離を飛び超え、いろんな人と話は出来るんですが、フレームの中での情報しか僕は手に入れられていないわけです。
あのフレームレスであったオフラインの情報や感覚や社会気分を、どうやって自分が手に入れ、それを誰かにちゃんとお渡しできるかが、オンラインのままだと難しいんじゃないのかなと感じたりしました。
もちろん友達付き合いとか、仲のいい関係性の中では、それが深まったり新しい出会いもあるんですけど。自分がフレームの中では得にくいことがあると感じました。
直接会うのとフレーム越しになると、ずっと違うなとすごく感じているんですよね。
指出
デジタルの精度が上がってるから、この人にこう言ったらウケるだろうなみたいなことは、オンライン上でも全然楽しめるじゃないですか。望月さんと僕だったら、こういう話は面白いなっていうのがありますよね。でも僕にはフレーム外の人、アウトオブフレームの皆さんとどう出会うかが、かなり大事なことなんです。
僕にとってはいつも興味の対象はそこなんですよね。たとえば同じレイヤーの1万人に伝えることも大事なんですが、そのレイヤーではないところにいる5人にどうやって接触するかのほうが、記事を作ったり、自分がメディアとして動いているときには意識しています。
それがフレームの中だと、まだまだ自分の中では勉強不足なので、どうやって作ろうかなと思っています。
これからの関係人口
指出
いま関係人口の議論、じゃあこの先どうなっていくのかは、すごくご質問を頂いたりしてるんですが、1つは特に5〜6月のあいだにzoomなどを使って、皆さんがオンライン飲みをしていったり、地域の農産物などをSNS上で買って応援するみたいな動きが加速化しました。クラウドファンディングもそうですね。オンラインでの関係人口の精度と幅は上がったと思います。
今まではふわっとしていたオンライン関係人口が、結果オンラインでどこまで出来るのか、この1ヶ月間くらいでやり方と方法論と支持層が広がったのは確かです。オンライン関係人口とかデジタル関係人口って言葉でいいと思うんですけど。
今までは足を運ぶことが1つの通過点だったわけですよ。関係人口が仮に階段だとしたら、いまは僕自身も必ずしも階段だけではないと思ってますが、ステップを登っていくと地域居住だったり、地域にもっと深く関わる人たちが増えていき、作られていることが関係人口だとしたら、その初段はふるさと納税であったり、その街が好きみたいな、そこはかとない淡い恋心みたいなものだったわけです。
でもそこはかとない淡い恋心とかワンクリックで買って応援することは、実はとてつもない力をオンラインの、たとえばzoomを介して出来ることが分かったので、オンライン関係人口やデジタル関係人口は、関係人口のライト層と言われがちだったのが、ライト層ではなくて多分ミディアム層くらいにだんだんなっていくんだと思います。
ミディアム層がオンラインを使って関係人口になっていくと、それは新しい関係人口じゃないですかね。やれることとやりたいことが、まだ曖昧だと思いますが。
まず、少なくとも地域に思いを寄せるという第一定義は、オンラインでも成し得ることはよくわかった。さらにそこから経済的にも少し加担出来たりしていく。ただし、その場所に足を運ぶ人たちの数を、このオンライン関係人口がどう増やしていけるか。もちろん増やすことだけが正しいのかどうか分からないですが、その場所を訪れる人たちのリアルな関係人口が、このオンライン関係人口からどう生まれるかに興味はあります。
そういう意味では、いろんな意味で停滞した約二か月間が、そういった新しいものを生み出し始めたのは、ちょっとした面白さではありますね。
何か文通に通じるオンライン。
指出
これは初期の話になりますけど、僕はzoomをものすごく使いこなしているかというと、使いこなしているまでは到底いきません。ただ、自分で基調講演やワークショップやトークイベントを行ったり、それなりに自分が発言をする立場でzoomのつくる環境に出たり、触れたりしています。そういう立ち位置で考えると、実はこのzoomを介してみんなで言葉のやり取りをしているのは、僕にとっては昔で言うところの文通に近い感じがするんです。
まだ会ってないけど、会っていない前提で、お互いの顔や言葉、お互いが言っていることの行間を汲み取り、言葉は流れていくけれど、そこに見て取れる平面上のものの中で、「望月さん、最近元気かな」とか、「なんか顔色がいいな」とか、そういうことを見る。
これは行間の意味を汲み取ることと何ら変わりがないから、そういう意味では直接会ってないからこその想像力を働かせ、相手を慮ることが、100人いたら難しいかもしれないけど、1対1のオンライン、あるいは4人くらいのグループのオンラインでは、そういう文通っぽい感覚をみんな今楽しんでるんだろうと、いち編集者としては感じています。
いま考える文章力とは?
いまSNSが手軽になってきた文脈では、ひねり出すって要素がかなり薄くなっている気がします。
指出
そうですね。あからさまに見えているものが多くなっているのは確かです。それでもやっぱり行間があるので、人と人とのコミュニケーションは、行間を読めるか読めないかが大事だから、そこを読み取ることも必要です。いまそれが全くシームレスに行間が無いかというと、そんなことはない。
まだまだ面白いのは、インターネットが発達し、いろんなコミュニケーションがリアルタイムで出来るようになりましたけど、結局幅を取っているのは、文字のコミュニケーションが実は多いのが逆説的ですよね。 今の方が文章能力が求められるじゃないですか。
指出
そうですね。
昔のまだ何もなかった頃の方が文章を書いている人が多い気がするのに、今の方が文章力が求められているので、すごく変な違和感じゃないですか?
指出
言葉を文字化することは、非常に手間のかかることです。そういう意味では、ステータスとして少しクラシックな方法かもしれないですが、要は言葉を誰かと共有するという意味で、文字にすることは求められる責任が一つ上がるのかもしれないですよね。だから、文字にすることを案外みんな怖がるじゃないですか。
言葉はシンプルなツールだからこそ、いろんなところ、例えば空間や状況に持ち運びしやすいですよね。
イチローさんが引退会見で、アメリカに渡ったときに、英語よりも日本語をちゃんと喋れるようになりたいと話したじゃないですか。イチローさんでさえ、そういうことを思うのは、今こういう世の中だからってこともすごく感じます。SNSで炎上する案件を見ていても、そういうことを思いますね。
ITリテラシーも大事な要素として、指出さんもお子さんがいらっしゃる身としては思うところだと思いますが、文章をちゃんと読める能力って一見誰でも出来そうなことが出来ていないのが、すごく世の中が発達してきているのにもどかしくて。
指出
そうですね。僕が文章が社会に作用するという視点で見たときに思うのは、1つは文章は本来結論があるべきなんですよね。ただ、僕たちが使っているいまの文章のほとんどは結論までが書かれていない。よく言えば余韻を残していて、後は想像に任せているんです。
でもそれは想像しきる力が養われた後じゃないと成り立たない世界です。だけど、いま僕たちがやりとりしてるものは、「後はお前ら任せた」みたいな感じの言葉で、世界中・社会中にふわふわ浮いている。基礎的に文章を作りきれる力のある大人たちがいない中で、それが広がると社会があやふやになりますよね。
だから実は僕たちが学ぶべきことは、日本語でも英語でもいいと思うんですが、その自分が発言した/自分が考えた/自分がどこかに残した言葉が、ちゃんと結論まで紐づいて言葉になっているかというレッスンがなされてないことが怖いと思います。
要は平たくて明るい言葉で、最高に物事の文脈を作りきる力を、僕たちは小さな文庫本から学ぶレッスンがなくなったわけですよね。それがなくなったら誰かに伝えきる力はそんなに生まれないわけですよ。まず模倣から始まるので。
最後まで結論を作る文章の模倣をやらないといけない。それが出来ていないというのがある。学校のテストや塾の国語を見てみても、みんな途中までの引用じゃないですか。抜粋しかない。あれは本当の言葉を生み出さないんですよ。抜粋ではなく、どんな下手な文章でも、最初から結論まであるものを何個読んだかが言葉を作る力になるから、それですよね。
短編でも良いし、長編でもいいんですけど、最初から最後までその文章を読みきった経験が、どのくらいあるかといったら、みんな意外とないのが正直なところですよね。
編集の学校という講座を、行政の方や企業からご依頼を頂いて先生役をやっています。その講座の中でツイッターとほぼ同数の160文字で自分の1日を端的に現してくださいってことを、1つのお題としていつもやってるんですね。
この文字数の中で、自分の1日を削ったり、貼ったり切ったり、つなげたり、脚色したりして書く力をつけていけば、本当はいいんです。でもそれをやっていないまま言葉をただ放り投げていると、思わぬ誤解になったりする。
もしもちゃんと伝えたいのであれば、それをレッスンした方がいいと受講生のみなさんには伝えています。みんなが書いてくれたものを読み上げてもらったりして、「今日は妻と喧嘩をしてきて、いまここに来ました」みたいなものが書いてあると、みんなドキッとしたり、ワッと笑ったりして、面白いわけじゃないですか。
そういった風に、文章を使って、人とのつながりを作るためには、結論までちゃんと書いたものを、誰かに託すレッスンをした方がいいんですよね。それは短い言葉でもできるよということです。
短い文章が難しい
逆に言うと、短い言葉でそれが出来ていたら、何でも出来るような気がします。
指出
そうなんです。みんな誤解してるんですけど、長文を書くのが難しいのは、それは単に文字を書くのが面倒くさいだけだと思うんです。僕が大好きで尊敬してやまない俵万智さんの短歌に「オレがマリオ」っていう、島に移り住んで自分がマリオのようになった息子さんについて詠まれた一首があるんですけど、俵さんの歌集を読むと言葉は短く書くことがいかにそれが大事であり/難しくあり/かけがえなくすごいことだと教えてくれます。
そうですよね。
指出
だから短いなかに結論をつけるレッスンをしていくのに、ツイッターはすごくいいものだから、ツイッターでベーシックを学んだら、投げかけも楽しいし、呼びかけも楽しいし、囲い込みも楽しい。それこそ国語のテキストボックスとしてはツイッター最高だと思っています。
文章を上手になるためにはワンパターン性が必要なんですよね。人からみたら呆れられるかもしれないけども、徹底的にあるひとりの作家さんのものをひたすら読み続けることは大事です。
だから、たとえば僕は藤沢周平さん※1 もすごく好きなんですけど、作品の主人公の多くがむかしのローカルヒーローですよね。華々しく派手な事はしないけど、めっちゃ市井に生きたヒーローやヒロイン話が多いんです。
ひたすら10〜20冊読むと藤沢文学の文体が分かるわけですよね。だからそうやって今人気の作家さんの本を読んでいけば、その文体が分かってくる。面白いと思った人の本はもう過去に現在に全網羅で読むと、文章は格段と書けるようになるし、上手くなる。同じ形容詞をけっこう使ったりしてることなどを発見すれば、それも成長につながる。そういうものを見るのは大事です。
きっとこれから芥川賞作家も直木賞作家もAIの作家さんが取るような時代になってくるのかもと思うんですよね。それは確実に今の文章文体の解析をしていけば出来る事なので、それでストーリーを作ってたくさんの人が感動できる本は作り切れると僕は思うんですよね。
でもたくさんの人は感動できるけど、たった1人の人を感動させる方法はまた違うんじゃないのかなと思う。たとえば僕に向けてAIが僕を感動させる本を作りたいなら、ありとあらゆる日本中のタナゴ とイワナの情報が入ってこないと感動しないわけですよ。それはたぶんAIでは追いつかないと思う。なぜかというと、僕の方が先にその用水路に行くし、その沼や川に行っているから、全然届かないわけです。
そういう考え方をすると面白くて、真逆でありながら、これからたぶんデジタルが文章を作り、人を感動させられる幅は広がるけれども、ピンに入ると、その個人に寄り添う形のものはどこまで作れるのかは興味の対象かもしれません。当然ゆくゆくは凌駕されるのかもなとも思うんですけど。
※1 日本の小説家。山形県鶴岡市出身。<参考>
ある釣り人から学んだ編集の心得
その話ですごく面白いのは、よくある話でベストセラーはなぜ生まれたかって話は、ある1人の人を想像して書いた話が多いじゃないですか。
指出
はい、そうです。
いまのAIの話だと、そのロジックが真逆だから面白いなって思いました。
指出
面白いですよね。いまソトコトはチームで作っている本ですが、でもその中にはペルソナがあるわけじゃないですか。たとえばリノベーションの特集を作ったら、リノベーションをやってゲストハウスを作っている彼女のことが思い浮かぶとか、実際に存在する人がいながら、僕はメディアとしてそれを作っている。これはとても大事なことなんですよね。
いろんな釣りの名人の方に会って取材をした時期がかつてアウトドアや釣りのメディアのときにあったんです。一番心を動かされた人が、群馬県高崎市の中華料理店のオーナーの池谷成就さんって人なんですよ。
この人は他のどんな僕が取材した大人気のカリスマの釣り人とは全く真逆の視点で、釣りを語ってくれたんですね。釣りは最初に一番大事なのは釣り竿とか最高級のリールや感度の高い糸だったり、魚を誘う最新のルアーではないそうなんです。一番大事なのは何よりも魚を釣ってくる針だと。魚が最初に引っかかるところだから。
針をまず考える。魚と自分に向いた針を考えたら、次にルアーと針をつなぐ金具、ラインとルアーをつなぐ金具、それからライン、その後はリール、そして釣竿。そうやって逆にしていくんですよね。だいたいの釣り人はこういう釣り方で、こういう考え方をしてたら、魚もいっぱい大きい魚も釣れるだろうっていう広いところから考えるんですよ。でも、池谷さんは違った。
池谷さんはまず一匹の魚との接点である1個のちっちゃな針から物事を考える人で、これに僕はものすごく影響を受けています。だから読者1人、この人がいるということは、この人的な人もいるだろうって仮説から生まれるわけだから、明らかに存在している人から肉付けしていくやり方を教わったのは、その釣り師の池谷さんです。僕の編集方針はそこから始まってます。
取材のあと
音声配信アプリ Stand.fmを使って、取材後のインタビューをしています。
[New]まえとあとのあと
何のために学ぶのか?
高校のときに英語のライティングが本当にダメで、僕史上最悪の6点を取ったんですよね。でも世界史は強くって、最初に世界史が学校の模試に出たときに学年1位だったんで、そこでたぶん先生たちの価値観も変わったはずだと思うんです。
指出
いい話ですね。僕はもうひたすら英語と国語に頼ってましたね。
英語出来るのは、いいですよね。でも最近思ったんですけど、今年からはじまった英語の共通テストの問題と答えの解説を、それこそ高校のときの先生がFacebookにちょこちょこ上げてて、英語の文章を読んだら、今のほうが読めるかもしれないですね。
指出
そうですか。それは素晴らしい。僕はその頃の英語力がおそらくないと思います。あの頃何でそんなに英語が得点に結びついたかっていうと、僕はそのころ釣りに夢中だったんですよ。また釣りネタかと言われるけど、アメリカとイギリスの釣り雑誌をメールオーダーで買ったりしてたんですよ。
おお、なるほど!
指出
何でかというと、日本にまだ入っていないアメリカやイギリスにあるフライフィッシングの道具とか、ルアーフィッシングの情報が欲しかったんですよね。それは音楽が好きな人が音楽雑誌を通販するのと同じなんです。そうすると釣りの用語が英語になっているわけですけど、辞書を片手に引いて、それを読むわけですね。
何が一番やりたかったかというと、日本にないかっこいい釣り道具をメールオーダーで買いたい欲求からそれをやっていたのが、英語に結びついたんだろうなって。英語が出来るようになりたいって思ったわけじゃないんですよね。
でもそれがすごくいい話だと思うのは、それが本当の英語を勉強する意味だと思う。目的と手段の逆転じゃないですけど、本来語学もそうあるべきで、英語がやりたいから英語をやるんじゃなくて、釣り雑誌に書いていることが読みたい、でも英語を覚えるしかないから覚えるほうが本来的だと思って。
それがすごく語学をやる人じゃなくて、普通に勉強する人たちにとっては大事かなって。サッカーを上手くなるには、速く走らないといけないから走るみたいな感じ。
指出
わかります。僕は昔の話をすると、大学3年のときに休学して約1年間スコットランドに留学したんですね。それも釣りがしたくて行ってたんですけど、あまり親にも言えなかった。イギリスの大学に留学したいので、語学学校に通わせてくださいってところから始まったわけです。向こうに行ってエジンバラの小さなチーズ屋さんをやっているファミリーのところに下宿をさせてもらったんですが、その人もフライフィッシャーだったんですね。語学学校の校長もフライフィッシャーで「よく来た」みたいな形になったんですよ。
単純に英語がペラペラにしゃべれるようになるといいなというのが、もう1つの目的だったんですが、やっぱりそうはならなかったんですね。何でならなかったかというと、そもそもの僕が会話が上手じゃなかったからです。要は釣りの話はいくらでも出来るけれど、じゃあ日本の桜は何種類あるんだって聞かれたら「1種類かな」みたいなことを平気で答えていて、それ以上は話が続かなかったんです。
そこで思ったのは、英語がペラペラになるのは、自分が話したいことがたくさんあるのか、それともその人と話を円滑に進めるコミュニケーション能力があるのかのいずれかがないと、英語がペラペラにならないことがわかったんですよ。話したいことがなければ話す理由がないんですよ。最初に語学力よりもコミュニケーション力がないと。だから、そんなに流暢にはならないで帰ってきましたね。でもケンブリッジの英語検定の最上級(プロフィシエンシー)はパスしたんですよね。それは奇跡だって言われました。
その先に何かがあったほうが強いと思うんですよね。だから僕自身が「英語がただしゃべれるだけでどうなの?」と思う人なんで。
指出
そうなんですよね。望月さんと話していたり、KADOKAWAの玉置さんやスターツ出版の古川さんと話していて面白いのは、例えば、日本語がただペラペラしゃべれる人だから面白いわけではないじゃないですか。
そうですね。
指出
別に日本語がペラペラしゃべれなくても面白い人はいっぱいいます。どんな人と友だちになりたいかというと、やっぱり望月さんや玉置さんや古川さんのような、自分の言葉や雰囲気を持つ人たちですよね。そして、言葉が詰まっても、仮に語彙力が少なくても、この人面白いなって人と何かやりたいなって思いますよね。だからそういうことを僕はイギリスの留学で感じたんだと思いますね。
それこそ本当にプログラミング教育もそうだと思うんですよ。みんなにやらせるじゃなくて、何かを作りたい人たちに選択科目として与えてあげたほうがいいとすごく感じていて。それでみんなパソコン嫌いになったら最悪じゃないですか。
バックキャスティングの思考
指出
そう思います。たとえばソトコトの話をすると、わりと短期・中期的な目標の解決に熱量をかけていることや時間が、僕も含めて社会的には多いんだろうなと思うんです。たとえば人口が減っているので、人口の減りをどうしようかみたいなことや、観光でインバウンドの人たちが来なくなっているので、観光をどうしようか、各団体や町の皆さんが、心を砕いて考えていらっしゃいます。でも、そもそものところで話をすると、人口が減っていくことで何が起きるのか。たぶん誰かが不幸せになるわけですよね。
もしくは経済的なものもあるし、いろんな意味で、みんなそういうことにならないようにしようよと思っているはずなんです。根本にあるのは、とにかく自分が幸せである人を増やすことが一番大事だから、僕も幸せだし、望月さんも幸せだし、みんなが幸せであるためにはどうしたらいいんだっていうバックキャスティングの思考は、もっと広がっていったほうが良いと思うんです。
人口が減ることばかりを問題にするのではなく、自分たちが幸せであるためにどうしたらいいのかみたいなことから考えて、結果的にやっぱり人口が減らないようにしようとなるなら、それはそれでいいと思うんですよ。
だからさっきのプログラミングの話もそうだし、英語力の話もそうだし、その先に何を求めているのかが分からない状態で、そのスキルを磨いていくことに注力してしまうと、そのスキルもあったほうがいいと思いますが、もう一個先にどうなりたいのかと、自分はどうなっていたいのか、社会はどうなっていきたいのか、そういうビジョンを持てる人たちが増えていくといいんでしょうね。未来がやわらぐと思います。
本当にそう思います。明治神宮の林が、実はちゃん設計されて作られていたって話もそうだと思うんです。
指出
そうそう。
いまの日本は、長期的な何かを語れる人が少ないですね。
指出
そうなんですよね。もちろん僕もいち生活者なんで、来月のことや今週末のことであたふたしてるんですけど、道路でいうところの一般道と、高速道路みたく遠くまで行ける道路、その2つを自分の考えの中の道筋と考えるといいと思うんです。近場で何かをやる思考と、めっちゃ遠くに行く思考の2つがあったほうがいいのかなと思います。
オンライン関係人口の醸成で気づくこと
前回、オンラインの関係人口の可能性の話があったじゃないですか。
指出
はい。
あれはどんどん広がりそうな感じですか?
指出
広がりますね。オンラインの関係人口が1つ形作られたなと。その後も実際に関係人口の講座を通してだったり、ソトコトの取材を通してとか、個人的な講演やワークショップでもオンラインで人と人との関わりを作っていきたい気持ちは、さらに濃度が増したのではないかなと思いますね。
最近オンラインの講座もやられてますもんね。
指出
そうですね。これまでは対面を大事に実施し、場所を有している人と人とが出会う講座を設計してきたんですけど、それも同時に行いながら、どうしても人と人との接触や移動の制限が読めない状況になっているので、中にはもうしばらくの間、今期に関してはとか、来年度に関してはオンラインで関係人口創出の講座を作っていきたいですとご依頼を受けたり、逆にこちらから提案することも増えましたね。
例えば「しまコトアカデミー」の「しまコトデジタル」を今年行ったんですけど、最初受講生の皆さんにアンケートを取り、デジタルでの関係人口作り、地域との関わりがどのように感じられるのか、最初のアンケートでは、デジタルなのでそれなりに制限もあるだろうなというパーセンテージだったんです。ところがその後4カ月くらい講座が終わった後に、受講してくれた50人近い皆さんにアンケートをとったら200パーセント大満足でした。要は地域との関わりを、デジタルでも強く感じることが出来るのがわかったことが、非常に感動してくれてましたね。
素晴らしいですね。
指出
これは面白かったことですね。
それは何か意識していたことはあるんですか?
指出
なるべくオンライン上で、単純に主張や講座を見ているのではなく、関わりを徹底的に作ってもらうためにも、かなりこまめにブレークアウトルームを使ったりmiroを使ったりして、実際にワークショップをもっともっと視覚的にも盛り上がる形にしたのはありますね。
あともう一個は対面のときはわりと時間を決めてその場所であって、そこであとはFacebookのグループでって立て付けにはなったんですが、オンラインの場合は、対面で会う時間である、いわゆる授業や講座の機会が終わった後に、何か補足的にだとか、振り返ったり、派生的に何かをやることが、両方ともオンライン上でシームレスに行えるので、精神的な移動の負担はないですよね。
その精神的な時間的な移動の負担が全くなくなったのは、便利だった気がします。
しまコトアカデミーがそもそも9年目になっていて、これまでのしまコトに関わる皆さんが積み上げてきてくれた空気感がすでにあった状態で、デジタルの講座をスタートしたので、あのリアル上のコミュニティとコンテンツがベースとしてあるデジタルの講座は強かったかもしれないですね。
それってFacebookでつながる前から関係性があって、Facebookでつながって、このご時世では会えないけど、Facebookを見ているからリアル感を共有できていることに近いですよね。
安心の二段階認証
指出
そうだと思いますし、二段階認証みたいなもんじゃないですか。二段階認証みたいなものがあって、それで安心の原理が働いている気がしますね。もともとなんとなく知っている存在である「しまコト」に、自分はデジタルで参加しているけれども、そのデジタル上で会うメンターの皆さんとか、卒業生でローカルベンチャーをやっている皆さんを知っているみたいな感じ。だから何もかもが初見ではないのは、強く働いただろうなと思いますね。
その一方で、たとえば今年1月から富山県の主催で「とやまつながるラボ」っていう関係人口の講座をスタートさせたんですね。そこには富山県のメンターの方と、富山県庁の担当の方、それから受講してみたい受講希望生の皆さんが、全体として30名くらい集まってくれました。
お互いかなりの確率で友だちでもコミュニティでもないんですが、でも1回目の2〜3時間がものすごく楽しそうで、信頼関係のようなものの芽生えが生まれていました。これは元々のコミュニティがあったコミュニティベースじゃなくて、たぶんオンラインという手法にみんなが慣れたからだと思うんです。
オンラインベースに移ってきている。オンラインでこういうことをするのが、生の交換ではないけれども、でも僕たちは交信というものを知っているわけだから、直接会っても交信しているし、オンライン上での交信というものと、生の交信みたいなものが、とても近づいた気がします。
これって言葉と同じで、日本語を知っている人は日本語のコミュニティの中に入ってきて、ただ日本語を話すだけではなく、感情を現したりや、誰かに愛情を感じることがやりやすいじゃないですか。それと同じでデジタルって言葉、一応メタとして言葉と使いますけど。デジタルっていう共有認識を持つ人たちが広がったから、そういう場所に現れる人たちの数も増え、さらにそういう技術や手段を使える人たちが大勢になりつつあるので、コミュニケーションの本心がわかりやすくなっているとは思いますね。要はテレビやラジオに出ることに慣れたのと一緒です。
何もしてないよりは自分たちで経験していることが、オンラインという意味では、それがどこまで浸透しているかはわからないですが、増えていることで、確かにおっしゃるようなことが起きている感じがします。
指出
それと同じ方向の話でいくと、「関係人口がこれからどうなっていくのでしょうか」と、みんないろいろと質問してくださったり、相談に来てくださったりするように、関係人口に期待することは大きくなってきています。たとえば、これまでは都市と中山間地域の間を行き来する関係人口が一番わかりやすい例だったんですが、都市と中山間地域を行き来するのは、何も関係人口だけではなくて、山菜を取りに来る人や、温泉に入る人たちも大勢いるわけですよ。
でも受け入れる側は、不特定多数の人たちを受け入れることはなかなかしんどい状態がしばらく続くとすると、なるべく顔が見えている人たちが、自分たちの地域を訪れてくれることを望むようになっていくわけです。そうなると◯◯さんはよく知っている人だから、うちの地域に来てくれてもいいよと、エビデンスではなくて、感覚値としてこの人が来ることは安心の許容範囲みたいなことが起こり始めているのは確かです。
招待制みたいな感じですよね。
指出
そうですね。だからそういうことを考えると、一過性の人たちよりは継続性の人たちが地域にやってくることを望む空気が生まれたと思います。ベタベタじゃなくてもいいんですよ。知っている人のほうが安心という感じが生まれてるんでしょうね。その知ってる人の紹介のコミュニティだと安心だってことも出てくるでしょうね。
人口急減地域は観光だけではなく、もっと困っている課題が多いわけです。たとえば雪おろしやいろんなことがあって、それを一緒にやってくれる人が現れるための1つのもしかしたら可能性として、関係人口に期待を抱いてくれている方々は多いです。
Edit & Text:Daisaku Mochizuki
Photo:Katsumi Hirabayashi